表現したい女の子たち
最近、10代から20代の【表現したい女の子】と話す機会が増えた。39歳の私が、生んでいてもおかしくはない年齢の娘たちは、みな、才色兼備で可愛らしく、自分と社会と膝を突き詰めて芸の道を追求する姿勢が逞しい。一緒に遊んでいると、とても楽しいし、精神が老けないので重宝するものの、「ナガコさん、お酒、飲みすぎです」「酔いすぎです」と叱られる度に、「本当に申し訳ありませんでした」と平謝りを繰り返す己が不甲斐ない。来世は頑張る。
さて。かつて【表現】は、特定の文化圏や産業の都合によって【選ばれた者】のみに許される特権的な活動だった。表現・承認欲自体は人間の持つ普遍的な欲望だから、芸術家として生きなくとも、プロとして金を稼がなくとも、趣味として堪能すれば事欠かないという線引きもあった。インターネットの発展以降は、線引きするまでもなく、誰もが自由に参加することに意義がある【開放的な表現の受け皿】が数多く開設された。先日、イラスト・漫画・小説のコミュニティサイト「pixiv」のユーザー数が800万人を越えた(8月14日現在)という公式発表があったが、この報道だけでも、いかに多くの人が表現活動を楽しんでいるか、実状が良く分かる。優劣の選定がないため、作品は無論、玉石混淆で、小学生の図画工作レベルのものもあれば、それが味わいとして賞賛されるものもあれば、圧倒的なスキルとセンスでプロを黙らせる高品質作品もある。だから面白い。みんな好き勝手に、どんどんやればいい。
「僕は作家」「私はアーティスト」と、はっきり自称する若者が多いところも興味深い。競争による優劣のジャッジを目前に突きつけられた結果、アーティストを自称することをためらう者の多かった世代としては、照れずに堂々と自称する素直さが清々しい。「競争のふるいの恐さを知らないから、気楽に言える」と、安直に揶揄することはできない。市場を席巻するAKB48の総選挙でも明らかなように、表現や自分に対する評価や他者との比較が、公衆の面前で容赦なく可視化される現代の方が、よっぽど熾烈な戦国時代の様相を呈している。