2014-03-02

Rlee1984様は本当に負けず嫌いなお方

いちいち言ってることがイヤミ過ぎるのが気になる。わざとなのか無意識にこういういい方になるのかどっちなのだ。これが嫌がらせじゃなくて素なんだったらめんどくさすぎる。プライド高くて自分に誤りがあっても認められなくて相手をいきなりトンデモ呼ばわりするのはイカんでしょ。なんかID晒して文句言ったらめっちゃ絡まれそうでめんどくさそうだから増田で書くわ。今回は態度が悪いことを言いたいだけだし、話がしたいわけではないので許してほしい。ちゃんとID晒しコメント欄で議論したいのだけれど、今のままだと自分に有利な土俵しか議論できない人という印象なので、ID晒して相手したくない。

読むのがめんどくさい人のためのRlee1984様の現状。

  • 自分の方が頭がよい」と思って上から目線で挑みかかった相手が思ったより手ごわかった。
  • 本来さっさと撤退すべきだったが変なプライドのせいで撤退に失敗して泥沼にはまってしまった。
  • なんとか相手をやりこめようと相手の弱みところをつくとか、相手をトンデモ呼ばわりして勝利宣言しようとした
  • しかし相手がそれを全部受けきって返してきて再びボールが返ってきてしまったのでここでちゃんとした返しができないと死亡確定


Rlee1984様について感じる難点




Rlee1984様の発言で気になったところを太字にしてみた

Rlee1984Rlee1984 2014/03/01 09:45

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この記事の内容に関しては、伝えたい情報が散漫になっているという印象を持ちました。おそらくこの記事から多くの読者が受け取るメッセージは、「俺いっぱい知ってるぜ」だと思いますひとつの「専門用語」を一般向けに伝えるためには、どんだけ噛み砕くかが重要だと思いますが、系統学習経験学習の奥にある「形式統治と実質統治」でさえ、その対比をうまく扱えていないと感じました。レディネスなどの用語も、個別にエントリにした方が良いと思います

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ちなみに「系統vs経験は、どっちも混ぜていきましょう」これは、ずーっと言われていることで、そのためにずーっと皆が苦心しているところで、その「配合バランスをどうするか」を巡って、ずーっと微調整が続いている。それを踏まえて「その微調整についての話」をしていたと思うのですが、それに対して、これ見よがしに「両方横断が大事」という分かり切った前提を「意見」として提出されているようで、驚きました。そこは昔っからそうで、「だから時代論と個別論」って話の進め方をしてたんですけどね;

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100年の改善を積み重ねてきたからと言って、等しく必要とは言えません。常に、今後の改善を考える必要はあるでしょう。その、改善への飽くなき探求心こそが、教育に携わるヒトに求められていることだと考えます



id:Rlee1984 ありがとうございます。伝わらなかったことに関しては僕の文章力によるものなので申し訳ないですが、「混ぜる」じゃ無いんです。その二つは同一平面じゃない。円錐の一番上としたなのですよ。そう言った構造的な考え方を出来ないから教育政策現場を混乱させるだけで労働環境悪化させています



Rlee1984 2014/03/01 12:20

>文章

すみません。いま読み返すと、自分コメント無用に棘のある言い方になっていたと感じました。大変失礼しました。教育に関わる知識を伝えようと苦心されている方に向けて書くコメントじゃないな、と反省します。

って書いていたのに舌の根も乾かぬ次の行からさっそく言葉にとげだらけ。

>同一平面じゃない

それはSさんのご意見だと思うのですが、例えばネット上では東北学院大学氏家先生のページでのご説明のように

→ http://bit.ly/1mK8Cs 『ブルーナーの教育課程理論は~平面上で折衷的に融合させたひとつの試み』のような捉え方・表現法をとるのが一般的だと考えていますもちろん、それぞれに自分意見や考えを持つことも重要だと思います

現場労働環境悪化

これについては、本当に、共感いたします。円錐構造の思考法が関わっているかどうかは分かりませんが現場環境が大変だということについては、心底、思うところがあります。僕も父が教師をしていて、精神的にも肉体的にも大変な思いをしているのを見てきましたので。showgotchさんも、ご無理をなさらないよう、気を付けてくださいませ!

相手が間違っていることを前提にそれを諭してやるぜーって上から目線に見えるのだけれど、どういうつもりでこういう文章を書いているのだろう。

Id:Rlee1984 えっ!?

ブルーナーこそこう言う構造大事にしたひとなはずですが…。まぁページの文脈的にそう書かざるを得なかったのでしょう

http://ittokutomano.blogspot.jp/2012/02/blog-post_4013.html

認知心理学のシェマについて勉強してみてください 。あと80年代以降の教育議論についても。広田照幸先生お勧めです


Rlee1984 2014/03/01 19:45

>>ブルーナ

それで、ブルーナーの言う「構造」は結局、興味と理解が上手く重なるように扱いましょう、それが動機付けですって話だと理解しています。ただそれ、単純に言葉の使い方が違うだけで、「経験vs系統、どっちも上手く混ぜましょう」の主張だと僕は捉えています特に制度論として語る際には、やっぱり配合比率しか語れない広田先生も、「詰め込み(≒系統)vsゆとり経験)」の比率で、どちらに割り振るべきかの話をされています

http://www.math.tohoku.ac.jp/~kuroki/Readings/hirota.html

この対立軸画期的な答えがあるとする思考法は、トンデモだと僕は考えます。コトバの上で「円錐の上と下」と言ったとしても、それを制度論として語るのであれば、何か具体的なカタチを採らない限り何も評価することはできません。showgotchさんの主張には具体論が一切ないので、何も評価できないです。また、家庭での協力が必要なのは分かりますし、当然ですが、それは今回のちきりんさんの提案から始まる主題からズレています。それでは話が収束しませんし、幕引きにはなりえません。

なぜここまで自分意見に自信が持てるのか不思議広田先生の話の記事よんでどうしてこういう結論になるのか全く分からん。いきなり相手を間接的にとはいトンデモ呼ばわりってそれこそトンデモなのではないだろか。

>>シェマ

発達心理学でのピアジェの「シェマ」よりも、僕は認知心理学の「スキーマ」論に親しみがあります

>>

それ以前に、固有名専門用語を出して「勉強しといて」と仰る態度には感心しませんただの教養主義者がマウント合戦をしたがっているようにしか見えないので、まらない対象が、教育学に関する知識であるか、サブカルに関する知識であるか、の違いだけで、本質的には、こうやってバカにされているものと同じです

あれ、ちきりん議論において「前提勉強してからしゃべれやバカ」みたいな記事書いてたと思うんだけど自分のはマウンティングじゃないの? 自分のは教えさとしてあげてるからよくて、相手がおなじことやってきたら「つまらない」「教養主義者」「バカにしている」とかいって意見無効化しようとするの? やだこの人自分勝手…。

 

http://picup.omocoro.jp/?eid=1876

本質を議論するつもりがおありであれば、相手の言葉に合わせて説明する、用語をすり合わせた上で話す、という必要があると思います

自分系統主義と経験主義って言葉を使って議論することを相手に強制しているわけだが…。それは前提知識だが、相手のいうのは違うと。俺が知ってること以上の知識を使ってしゃべるな、と。俺の知ってる知識以上の言葉を使って話すと本質から外れているとかなんだそれ。 本質って便利な言葉ですなー。

もしも返信を頂けるのであれば、『100年の改善を積み重ねてきたからと言って、等しく必要とは言えない』という指摘と、『平面ではないということが表す具体的な制度論』を示して、話を収束させる形での返信をお願いします。

Rlee1984 2014/03/01 19:49

あ、誤記すみません

もしご返信を頂けるのであれば、『100年の改善を積み重ねてきたからと言って、現在教育が等しく必要とは言えない』『平面ではないということが表す具体的な制度論を示してもらわないと評価できない』という点についての回答とともに、話を収束させる形での返信をお願いします。ですね。よろしくどうぞ。

相手の議論のうち、弱いと思ったところに話題を集中させようとすることがマウンティングじゃなくてなんだというのかな。なんかこの人めっちゃ負けず嫌いな気がするぞ。


id:Rlee1984 頑張って調べてくれてる割に読み取っていただけないですねー笑 

リンク先の広田先生の議論も平面だろって結論を前提で読み取ってるからそう読めるカラーバス効果なだけな気がします笑 広田先生の詰め込みゆとり問題の焦点は、塾などの学校外の教育にありますゆとり学習時間の絶対量の低下は塾に行ける人と行けない人の学力格差を広げるぞという警鐘の文脈でいつも発言なさります

あっさりつっこまれている。

 

なんか本質を議論したいようなので、整理しときます配合バランスと言うのは時間軸を使った経済学的な考え方ですが、我々現場人間は本来学習者個々人がどれだけ理解しているか、という認知をいースに進めないといけないのです。だから制度先行でなく現場先行で裁量がなされないといけない。初任者には裁量だけ与えられても困る、そのガイドラインとしての指導要領だったはずです。「量は質に転化する」熟練した指導ノウハウを持たない者に取って一番確実に具体を抽象化させる経験を用意できる。それがいつの間にか制度がじっくり構造化させる時間を奪っていった経緯があります現場プロの専門資格を持ったステークホルダーがこの子科学は要らない、と言うのであれば判断としては一つの選択肢としてなり得ますしかし、外野が個別の事例どころか学習集団全体に口を出すのは最適化論の皮を被ったただの利益誘導しかなり得ないのです。例えば教育現場コンピュータの利用一つとっても、学習の新規性で最初だけモチベーションが上がる以外に成績が上がると言う保障はどこにもありません。しかコンピュータ教育事例の上澄みだけ取り揃えて学校ICTを!と主張しコンピュータ会社利益誘導する。まさにちきりんの主張はそのテンプレでした。学習指導要領の変遷を語っておられましたが、指導要領も設定の際にそうした利益誘導したい人達が入って来ては積み上げた研究や議論かき乱していくのでそっち系教育学はいつも渋い顔をしています官僚さんたちはよく利害調整してくれています

Rlee1984が現場での指導経験がないのは間違いなさそう。もちろん現場経験があればよいというものではないが、親が教師であるらしいのだからまず親に自分意見をぶつけてみたらいいのではないか。受け入れられなかったら親でもトンデモ呼ばわりしそうだけれどな。どれだけご立派な理想論述べようが、それどうやって実施するのってのを全く考えてないんだよな。教育にかぎらず本質はそこじゃね?って思うんだが、「ぼくのかんがえたさいきょうのがっこうきょういく」が言えれば満足な人って絶対そこ認めないよね。

というかそれだけ調べればそろそろ構造主義とか構築主義とか構成主義とか(訳がバラバラで混乱しますね)言われる考え方が見えて来たんじゃないですか?何か勉強しといてとか調べるの嫌そうなのでわかりやすそうなリンク置いておきますね。

http://www.gsis.kumamoto-u.ac.jp/opencourses/pf/3Block/09/09-hajimeni.html:title:bookmark]

http://sky.geocities.jp/shchan_3/kyouikuhyoukatanaka.htm:title:bookmark]

知識は学習を通じて学習者の中に構成される。構成とは知識同士の関連や優先度などの構成のことですね。(これも厳密には社会構成主義とか学習文脈/状況論とかコンピュータメタファを用いたCSCLなどが絡んでくるのでめんどくさいのでココでは置いておきましょう)僕が言いたかったのは系統だろうと経験だろうと、それで得た知識は結局学習者の中に構成されて行くから、鶏が先か卵が先か的な配合バランスをみるより、より学問科学知に近いスキームを得られるようにした方がいいよねじゃあどんな指針があるの?→デールの円錐、と言う、今までの文脈と逆転した発言です。

Rle1984様は調味料について考えるように一点におけるベストの配合バランスだけを考えてらっしゃるけれど、長期的にみれば、そこそんなに重要じゃないよねという当然の指摘。


『100年の改善を積み重ねてきたからと言って、現在教育が等しく必要とは言えない』

→不必要教育内容を作ると言うことは若者精神世界矮小化することだって最初に書いたつもりなんですが。いやこれからの人々は小さな世界で生きるべきだ!というのであれば「不必要教育」を作っていいでしょう。もしくは現実主義者として「そうはいっても時間は有限で~」といいたいのであれば言えばいいと思います。僕はそういった学習時間圧縮は、学習内容を不要として排除するのでなく、この構造とこの構造は類似している、といった補助線を用いた効率化と家庭や地域と協力した働きかけからなされるべきだと思っています。あと書いていませんが、「100年の積み重ね」という単語を僕が選択したのは、教科だけではなく「よい教育」として受け継がれて来たものノウハウ思想)をようやく近年になって学習科学による整理/測定/共有が可能になり、またそうした実践を踏まえた実践が再び広まって来ていることも前提にあります

必要はいえなくても不必要とは言えない。それは今から評価していくべきこと。以上」「配合がどうとかいってるくせにゼロかイチかで議論してんじゃねーよカス」という無慈悲な一撃。

自分の言ってる教育のほうがよい、というのはともかく「これは不必要だ、削れ。排除しろ」というのであれば、こちらに現行教育必要性証明するのを求めるではなく、お前がその不必要性証明するべきだよね、という立証責任の確認。まったくその通り過ぎてぐうの音も出ない。

『平面ではないということが表す具体的な制度論を示してもらわないと評価できない』→具体例が知りたいのですか?新学習指導要領に示されたいわゆる「新しい学力観」はまさに思考力・判断力・表現力=知識がどう構成されたか重要な要素としましょう、と言う流れでできております文科省ホームページにも”「ゆとり」か「詰め込み」かではなく、基礎的・基本的な知識・技能習得と思考力・判断力・表現力等の育成との両方が必要です”って書いてありますよね。今までの話を踏まえてこの一文を読んでいただくとわかると思います

http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/idea/1304378.htm

ただこれはこれで現場では再現性の高い評価法が浸透してないため、どうやるんだよ、的な批判もあります系統だった知識に(学問)に近いスキームを知識として内面化たかを問う、という前提があれば、学力を問うテストだけで済むのでありがたいのです。なので科学を通じて科学者の思考をトレースすること、という方針を出したのです

「評価軸が多元的であるのなんて常識だと思うのだが、なぜ平面にこだわるのだ?」とこちらも無慈悲な一撃。「平面ではないということが表す具体的な制度論を示してもらわないと評価できない」→「平面であることが自明のように語っているが、その根拠は何?」って返されて、ちゃんと答えられるのか、ということが問題になる。

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