~ 私のカウンセリングを受けている時は、言いたくないことは、言わないでください。言いたければ、気が済むまで言ってください。苦しい過去の話も、明るい未来の話も。 ~

歯科治療や整体、さらには出産(分娩)まで、無痛で治療、施術が行われる時代になりました。凄いことです。人類の進歩が見えることでしょう。聖書によれば、最初に神が創った女性であるイヴが、「知恵の実を食べてしまったがために」、女性には出産の苦しみがもたらされるようになったのですが、人類はそれを「知恵によって」乗り越えたのです。「出産の苦しみ」は、麻酔をしてしまえば、何の問題も無くなってしまったのです。


「なんで聖書の話が出てきたのだろう?」と思った方もいることでしょう。何が言いたかったかと言うと、「知恵を得たことの代償として人間は苦しみを得て、そしてまた、それを知恵によって克服した」という話をしたかったのです。つまるところ、「何かを手に入れたことによって苦しむことになり、最終的に、その何かによって苦しみを無効化した」という喩え話です。そもそも、日本人の多くは聖書を信じていないでしょう(すみません、私もです)。ポイントは、「知恵」です。心についても、無痛治療ができるようになりました。

痛みや苦しみがほとんど無い治療です。つらい体験の記憶や、痛い、苦しい体感を出さないようにカウンセリングをし、もし痛みや苦しみが出て来た際には、あるいは、日常生活でトラウマ記憶が出て来るような場合には、様々な手法でそれを緩和させるという形式を取っています。このようなことは、精神科医にはあまりできないようです。どころか、精神病や、痛み、苦しみが悪化している人もいます。記憶を抉り、トラウマを再体験させるということもよくやられています。そのトラウマ記憶が強くなることもよくありますし、第一、その時に痛かったり苦しかったりします。わざわざ、痛みや苦しみを伴う記憶を引っ張り出すのです。そして、向精神薬、抗鬱剤等の薬物で、結果的に症状を悪化させているのです。私自身は精神科に通ったことは無いのですが、精神科に通っている方の話を聞いて、精神科とは真逆の方針でカウンセリングを行いたいと考えました。キーワードは、「未来」です。照準点を変えるのです。あなたがこれから生きるのは、未来ですか?過去ですか?詳しくは、後ほど。


ところで、日本で、年間にどのくらいの数の人間が自殺しているかご存知でしょうか?2013年は、警察が把握した分で2万7195人です。1998年あたりから、だいたい3万人以上になってきて、ここ2年で減少してきたという状態です(発見数が減ったとも考えられます)。詳しく知りたいという方は、警察庁ホームページをご覧ください。また、「WHO基準では10万人以上いる」と主張している方もいらっしゃるので、更に興味があればそれも調べてみてください。


「また話を飛ばした」と思わないでください。重要な話です。日本人は、「安定した暮らしを得るための知恵を得たことで、生きる苦しみを得た、不安定な人々」なのではないでしょうか?いかがでしょうか?「安定」欲しさに精神的に不安定になっていないでしょうか?「学歴が良ければ良いところに就職できる」と聞き、様々なものを犠牲にして、やりたくない勉強をひたすらした人をここでは想定してみます。その人が受験に失敗したらどうでしょう?考えてみてください。ではここで、受験に合格したとしましょう。就職が目的なので、大学生らしく遊びつつも(実質的には特に学ばずに)良い成績を取って、結局のところ就職に失敗した、としたら、どうでしょう?ブラック企業でボロ雑巾のように使われ、壊れてしまったら。あるいは、高学歴ニート、あるいは、フリーターとして、鬱々と過ごしていたり…。そして今度は、就職に成功したとしましょう。福利厚生がしっかりした大企業に入社したとしましょう。入った会社で、「これは自分がやりたいと思ったことではない。辞めたい。」と思いつつも、転職するにもできず、無理に働き続けて鬱になったら、そこまでいかなくても、心を病んだらどうなるでしょうか?福利厚生はしっかりしているので休職しつつも給料はもらえるが、根本的な解決にはならない。ということも、十分考えられます。あるいは、これを読んでいるあなたが自身がここで書いたことのいずれかに当てはまるかもしれません。「違う話ではあるけれど、似た話が、自分にも当てはまるような…」と感じる方もいらっしゃることでしょう。ものにもよりますが、努力は人を裏切るのです。成功者は、表面上は同じ「努力している人」ですが、本人は「やりたいから」その努力をしています。また、天才と呼ばれる人、特に努力をしているように見えないのに成功している人は、遊ぶことによって才能を磨いているのです。「苦行」をしている人よりも効率良く、遊びによって成長しているのです。


ということで、結論は出ました。遊んでください。遊んでいれば、なにかしら、得るものはあるでしょう。あなたはもう、「安定への憧れという束縛」から脱したのです。不安定を楽しみましょう。


とは行きませんね。それでは足りないものがあります。続きをもう少し読んでみてください。

「将来の夢」を、家族や学校の先生に否定されたことがあなたにはあると思います。「お前には無理だ」、「その職業じゃ食えない」、などなど。無いとすれば、ここまで読んだあなたはおそらく、あなた自身であなた自身の将来の夢を否定してしまったのでしょう。諦めた、が大半でしょう。もう既に夢を叶えていて、それで精神的な問題を抱えている方がいらっしゃるとすれば、「やっぱりなんか違う」と思っているか、「なってみたはいいが、そこからどうにもならない」ということで伸び悩んでいる方でしょう。高卒でプロ野球選手になって、3年でクビになる選手はたくさんいます。そのような感じでしょうか。あるいは、親に植え付けられた夢を叶えただけで、本当になりたかった仕事ができていないだけなのかもしれません。自分で考えた夢ではないのですから。


話を戻して、虐待だとか、トラウマになるような出来事に遭遇したとかでなくて、精神的な問題を抱えている方は、昔の自分の「将来の夢」に関する問題が高い確率で原因となっています。更に掘り下げれば、あなたに強い影響を与えた、親であったり、学校の先生でしょうか。ピアノの先生や、スポーツチームのコーチの場合もあるかもしれません。なので、「子供の頃に出会った、自分より上の立場の人」と、何かがあったと考えてください。何か、心当たりはありませんか?


さて、やっとここで本題に入ります。タイトルが「心の無痛治療」です。「心の無痛治療」とは、どんなことをするのでしょうか?重要なのが、まず、「無痛を目指す、実現する」ということです。「無痛?なんのこと?何が痛むの?」と思われた方もいらっしゃることでしょう。先程も、「苦しい」とか、「痛い」とか、そういう単語を使いました。ここで質問ですが、「心が痛む」ような経験を、あなたはしたことはありませんか?おそらく、ここまで読んでいただいた方の多くは、「経験したことがある」どころではないくらい、しているかもしれません。あるいは、ここまで読んだ中で、「心が痛む」感覚があった方がいらっしゃるかもしれません。


私個人の話ですが、あるキッカケからは、そのような「心が痛む」経験、体感があまり無い人生を送っています。そのキッカケまでは、大変でした。さて、何があったのでしょうか。

まず1つが、瞑想を始めたこと。もう1つは、「心なんてものは無い。感情という生体反応があるだけ。」ということを理解したこと。この2つです。「え?心は無い?そんなはず無いだろ!」と思う方がほとんどだと思います。心の問題があるから、このページを読んでいるのですから。では、心というものを取り出して、目の前に出してみて、床(地面)に置いて踏み潰してみてください。


できましたか?痛かったですか?潰してみて痛かった方は、もう解放されたと思います。おめでとうございます。無痛治療と言っておいて、痛い思いをさせてしまったのは申し訳無いですが、効果はあったと思います。もし潰しきれていないのであれば、あるいは、怖くて踏めなかった方は、どこか気持ち良くて安全な場所に保管しておいてください。これで、あなたの心はずっと幸福です。おめでとうございます。痛みもなく潰せた方も、何も問題無いと思います。あなたの心は、もうありません。これで、悩むことももう無くなることでしょう。これで解決です。心が無くなって困ったという方がいらっしゃったら、新しく作ってください。好き勝手に作ってください。とても良い人間になれると思います。


とは言うものの、上手く行く人はほんの一握りでしょう。「できるわけないだろ!」と思った方も多くいらっしゃるでしょう(というか、できたら本当に凄いと思います。)。心とは、そんなものです。実体が無いものなのです。あるとすれば、既に踏み潰して、あるいは、気持ち良くて安全な場所に保管して、なんの問題も無くなっているはずですから。ということで、単なる、生体反応なのです。「霊みたいなもの」と考えるとしても、物理的実体はありません。


ここで、「霊が見える」だとか、「背後霊が怖い」と困っている人の話を考えてみましょう。私は除霊もよくやるのですが、霊というものは少なくとも物理的実体を持ちません。情報的実体があるかというと、少し考えます。答えは出ないでしょう。とまあ、どっちでもいいです。私は「心の迷いが生み出したもの」くらいに考えています。霊なんていないと考えるのも良いでしょう。霊を信じていて、霊が問題になっている方には、いきなり除霊をやってしまおうかとも考えています。それで解決されるのではないでしょうか。とまあ、単なる「心の迷いが生み出したもの」ではありますが。あくまで、「実体が無いものが生み出した実体が無いもの」なのですが、ある意味では、その人に直接作用するものでしょう。


では何故、実体が無いものに囚われてしまうのでしょうか?臨場感が高いからです。「感情という生体反応」を、そのままスルーしてしまうと、生体反応として機能していないということになります。生物としての生存が危うくなります。なので、臨場感が高いのです。しかしながら、人間の本能は壊れているので、その生体反応のせいで自傷したり、あげくの果てに、自ら死んでしまうこともあるのです。「人間の本能が壊れている」ということは、「他の生物が自殺をしない」ということからわかるでしょう。「就職活動に失敗したから」、「受験に失敗したから」、「交際相手に捨てられたから」etc…という理由で自殺する人間が、その、「人間の本能が壊れている」ということの典型例でしょう。現代日本人は、どうでしょうか?上司に逆らう事が死に直結すると、勘違いしていないでしょうか?


重要な話は、「囚われるべきでないものに囚われていないか」ということです。ここまで読んで気になった、引っ掛かった方は、ぜひ、メールやコメントをください。メールの方がよいと思います。特に、公開されると困るものについては、コメント欄に書かず、メールで送っていただいた方がよいと思います。それでは、お待ちしております。

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