就活中の学生が気づきにくい、募集要項の落とし穴

上西充子 | 法政大学教授

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

企業の募集要項(求人票)や給与支払い方法をめぐるトラブルが問題になっている。そんな事情を就活中の学生の皆さんや、保護者の方々はご存じだろうか?キャリアセンターは注意喚起しているだろうか?

多くの学生は、企業説明会への参加、エントリシートの提出、適性テスト受験などに追われている時期ではないかと思う。応募している企業については「まあ、大丈夫だろう」と漠然と信頼しているかもしれない。

しかし実際には、漠然と信頼しているわけにはいかないのが実情だ。

【募集要項をめぐる注意喚起】

先日(2月27日)、「就職活動“募集要項”に注意を」というNHKニュースが流れた。筆者らブラック企業対策プロジェクトのメンバー3名(弁護士の嶋崎量、共同代表の今野晴貴、および筆者)が就職活動中の学生に向けた注意喚起の無料PDF冊子「企業の募集要項、見ていますか?―こんな記載には要注意!―」を公表したことを報じたものだ(※1)

同冊子では、残業代を含んだ給与額が募集要項で提示されている例について、特に詳しく説明した。具体的には次のような例だ。

<例1>

給与  大卒 月給 220,000 円(基本給+現場手当)

(表示金額には、現場手当(30 時間分の固定時間外手当)を含みます)

<例2>

給与  大卒 月給 220,000 円(「営業手当」を含む)

※ 毎月60 時間相当分の時間外労働手当を「営業手当」として支給します。

一見したところ、22万円という給与額は良さそうに見える。しかし上記の例は、いずれも月給22万円のうちに残業代を含んでいる(例1では30時間分、例2では60時間分)。

つまり例1と例2では、22万円という給与額は残業代によって「水増し」されているのだ。どの程度水増しされているのか、モデル的に示すと次のようになる。「比較例」は、22万円の基本給に加えて30時間分の残業代を別途支払う通常の企業の場合の例だ。

本来の基本給と残業代
本来の基本給と残業代

同じ30時間の残業をしても、例1の企業と比較例の企業では、実際の月給は5万円ほど異なることがわかる。月60時間の残業代を含んで月給22万円の例2の企業では、残業代を除いた本来の基本給は15万1千円ほどに過ぎない。また例2の企業の場合、例1の企業の2倍の60時間の残業をしているにもかかわらず、残業代は2倍に満たない点も注意したいところだ。月給の中にたくさんの時間の残業代を含ませれば含ませるほど、残業代の算出の基礎となる本来の基本給の時間単価は安くなってしまうのである。

例1や例2のような表示をされてしまうと、求職者は給与に残業代が含まれていることに気づきにくいし、気づいたとしても、残業代を除いた本来の基本給はいくらであるのか、わからず、企業間の労働条件の比較を適切に行うこともできない。求職者にとっては、実に不親切な給与額の提示方法と言える。

【「固定残業代」とは残業代が一定額、ではないのだが・・・】

このように毎月の給与の中に一定額の残業代をあらかじめ組み込んでおく仕組みは「固定残業代」または「定額残業代」と呼ばれている。「固定残業代」や「定額残業代」と聞くと、「残業代は一定額で既に支払われているのだから、いくら働いても、その一定額の残業代しか出ないんだ・・・」と誤解しがちだが、そのような運用は違法だ。

例えば上記の例1の企業の場合、実際の残業時間が40時間であれば、追加の10時間分の残業代は別途、支払わなければならない。また、10時間分の残業代がちゃんと追加で支払われていることを労働者が確認できるためには、30時間分の残業代は月給22万円のうちいくらであるのか、その金額も労働者に明示されていなければならない。

しかし実際には、そのような適法な運用を行わず、固定残業代が悪用される例が目立っているとして、地域ユニオンや弁護士などが注意を呼びかけている。固定残業代を取り入れることによって見かけ上の給与額を高く見せかけ、さらに、追加の残業代を払わずに済まそうとする企業が横行しているのが実態のようだ。

なお、基本給とは別に、「残業手当」などの独立した手当として一定額が支給される場合もある。その場合も、固定分に対応する時間を超える残業を行った場合には、使用者は追加の残業代を支払わなければならない。しかし「残業手当を払っているから」と、追加の残業代を支払わずに済まそうとする違法な運用が横行しているようだ。

【実態調査に乗り出していない厚生労働省】

ではそのような違法な運用はどのぐらい広がっているのか。昨年(2013年)12月30日の東京新聞の記事「見込み残業違反1343件 制度悪用不払い横行 本紙調査 過労助長実態判明 昨年10都道府県」によれば、厚労省は今のところ実態調査を行っていないようだ。同記事には厚労省労働基準局監督課の担当者のコメントとして、「サービス残業が発生しやすいシステムとは認識している」「問題があれば労基署の指導監督で個別に対応するもので、現時点で規制や実態調査の予定はない」と紹介されている。

そのため東京新聞は独自に東京、大阪、愛知、北海道、埼玉、千葉、神奈川、静岡、兵庫、福岡の十都道府県を対象として、2012年の1年間に残業代の不払いを禁止した労働基準法37条に違反した事業所のうち、固定残業代に絡んだ労働基準監督署の是正勧告書と指導票を情報公開請求し、その結果を同記事に掲載した。

それによれば、各労働局が集計した上記十都道府県の残業代未払いの総数は11,151件であり、そのうち固定残業代が絡む残業代未払いの件数は1割を超える1,343件となっている。つまりは、無視できない一定の広がりを見せている問題であることが、東京新聞の独自調査から明らかになっているのだ。

【事後的な対応では困る求職者】

上記の厚労省担当者のコメントにあるように「労基署の指導監督で個別に対応」しているのが現状であるならば、問題は事後的にしか改善されない。また、労基署の人員の不足が指摘される中で、個別企業への指導監督が適切・迅速に行われているのかにも疑問が残る。

固定残業代の制度を悪用する企業によって不払い残業を強いられている労働者が不利益を被っているのはもちろんだが、そのような悪用が横行している現状は求職者にとっても不利益となる。その不利益とは、残業代を除く本来の基本給がわかりにくいという上述の問題にとどまらない。

実は募集要項に十分な記載を行わないこと自体は現状では違法ではない。そのため、月に80時間もの残業代を実際には給与額に含ませているにもかかわらず、そのことを募集要項では一切明示しない悪質な企業も存在する。実際に入社する段階になって、募集要項に示されていた給与額に残業代をあらかじめ含みこんでいることを初めて明かす企業が存在するのだ。さらには、入社段階でもそのような内訳を企業側が明かさないために、給与明細をもらって初めて労働者が気づく場合もある。

このような現状では、個人が自衛策としてできることは限られる。募集要項に落とし穴があり得ることに気をつけながらよく読むこと、不明点があれば企業側に確認し、あるいは専門家に相談すること、募集要項を記録として保存しておくこと、実際の労働契約の段階になったら、募集要項の内容との相違をよく確認し、不明点があれば企業側に確認し、不明なままサインせず、専門家にすぐ相談すること、などが考えられるが、企業側が固定残業代を意図的に悪用している場合には、個人はあまりに立場が弱い。

本来であれば、違法な運用が横行している固定残業代の制度は禁止されるべきではないのか。また、募集要項(求人票)は、実際の労働条件をわかりやすく提示するのが当然ではないのか。

ハローワークや就職ナビサイトは、改善策を講じないのだろうか。労働組合や経営者団体は、この問題をどう考えているのだろうか。

問題状況が広く認識され、関係者の議論が深められ、適切な対応がとられていくことを期待したい。

※ このNHKニュースでは、「労働問題に取り組む弁護士などが事例をまとめてインターネットで公開」と報じられたが、正しくは、この冊子は事例をまとめたものではなく、プロジェクトのメンバーが数多く相談を受けてきた事例を念頭におきながら、実際の募集要項に基づいて、典型例をまとめたものである。

上西充子

法政大学教授

1965年生まれ。日本労働研究機構 (現:労働政策研究・研修機構)研究員を経て、2003年から法政大学キャリアデザイン学部教員。共著に『大学のキャリア支援』『就職活動から一人目の組織人まで』など。共訳書にOECD編著『若者の能力開発-働くために学ぶ』。2013年9月よりブラック企業対策プロジェクトの就職・教育ユニットに参加。「ブラック企業の見分け方」「企業の募集要項、見ていますか?-こんな記載には要注意!-」の2冊の無料PDF冊子を共著。

上西充子の最近の記事

  1. 就活中の学生が気づきにくい、募集要項の落とし穴

Yahoo!ニュース関連記事

  1. 未払いの残業代の請求期間、約8割が「知らない」写真(@DIME)

  2. 厚労省初「ブラック企業調査」 違法行為8割の呆れた実態(ダイヤモンド・オンライン)

PR

個人アクセスランキング(国内)

国内トピックス

オーサー一覧(国内)

個人の書き手も有料ニュースを配信中

プライバシーポリシー - 利用規約 - 著作権 - 特定商取引法の表示 - ご意見・ご要望 - ヘルプ・お問い合わせ
Copyright (C) 2014 上西充子. All Rights Reserved.
Copyright (C) 2014 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.