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- 2014年02月28日 13:13
自虐史観と自爆史観
歴史解釈に客観性をもたせることは決して容易なことではないということを感じます。もはや証拠としての史実が残っていなかったり、検証できないこともあるからです。邪馬台国が九州にあったのか、近畿にあったのかの果てしない論争なら楽しいのですが、とくに権力であっても、反権力であっても、それになんらかの政治思想が関わると、その正当性を示すために歴史がつまみぐいされ利用されることも起こってきます。思想の違いからではなくとも、さらにどの視点から見るかによっても、まったく違った歴史が見えてきます。ゼロ戦の特攻隊員の人たちを、お国のために自ら命を捧げたと尊い英霊としてストーリーを組み立てることもできます。それも正しいのでしょう。
しかし、視点を変えれば、ゼロ戦の特攻隊員は、お国のためだと洗脳され、命を捨てなければ国賊だとして死に追いやられた戦争被害者としても見えてきます。朝日新聞に投稿された予科練出身の方の声がありました。
(声)語りつぐ戦争 心も思想もなくした予科練:朝日新聞デジタル
ゼロ戦は日本が生んだ誇るべき戦闘機、日本の技術力の象徴だったと信じている人もいますが、一方では、日本の「ものづくり」としては失敗だったという事例でも使われることがあります。現実はゼロ戦が空中戦で優位を保てたのは一年余りのわずかな期間にすぎず、「量産技術」対「究極の職人技」、「イノベーション」対「改善」、「戦略思考」対「戦術思考」の競争の結果、ゼロ戦は優位性を失い、ことごとく撃ち落されていきました。
南京大虐殺も、中国が主張するように30万人の犠牲者がでたことは疑わしいとしても、陸軍が南京攻略を行い、双方に犠牲者がでたことは事実です。戦争の悲劇がそこで起こったことは誰も否定出来ないはずなのですが、まるで南京でなにも起こらなかったような主張は、互いに歴史の創作競争を行っているかのようです。
中国で、反日の象徴として南京大虐殺で騒ぐネット民がいるなかで、なかには冷静に見ている中国人もいて説得力を感じます。どの程度、そんな冷静な人が中国にいるかはわかないとしても大切なのは冷静な目だと思えます。
【中国ブログ】南京人の告白、「私は日本人を恨んでいない」:サーチナ
つらつらと振り返ってみると、アメリカの植民地政策で日本の国民の意識を変えようとしていたこと、また東西冷戦時代には、日本のなかでも、左右の代理戦争が起こり、どちらかというと戦前への回帰を恐れるあまり、日本の国益を損なうような、いわゆる自虐史観がもてはやされた時期があったように感じます。
しかし昨今は、その反動として日本は全く悪くなかった、侵略ではなかったし、皇軍は立派だったなど、戦前、戦中への無批判な歴史観が少しずつ広まってきているようです。中国や韓国の執拗な反日キャンペーンに嫌気がさしてくれば、そういった風潮が広まるのも無理がないことかもしれません。
しかし、それが中国や韓国に利用されることになり、アジアの緊張を高める原因ともなるばかりか、欧米、特に米国の日本への警戒感となってきています。下手をすると、中国や韓国のロビー活動次第で、「従軍慰安婦問題」や「南京大虐殺問題」は、「捕鯨問題」のように出口なしになってしまう危惧すら感じさせます。
日本も客観性に乏しい無理筋の歴史観でナショナリズムを煽れば、それが日本を孤立化させる罠にはまり、それで国益を損ないかねず、まさに自爆史観ともいえそうです。
自虐史観にしても、自爆史観にしても共通するのは、「最初に思想ありき」、「最初に結論ありき」だということでしょう。ツイッターやブログでの、いわゆるサヨクやネトウヨの人の批判コメントは、前後をよく読まず、気に入らない意見には、相手の立ち位置を決めつけるレッテルを貼り、恥ずかしくなるような不愉快な書き込みがあることがその典型です。自ら考えることを放棄してしまっているのです。もう今の時代にサヨクとかウヨクなど意味をなしていないにもかかわらずです。
そういった極端なナショナリズムを煽る風潮がいまアジアに蔓延してきています。歴史の創作合戦が始まり、中国と韓国は、それを世界に広げ、日本の孤立化をはかろうという目に余る動きに走っています。長い歴史を考えれば、それは諸刃の剣となってくるはずです。
中国での戦争被害者は、国民軍と共産党軍の国共内戦でも100万人にのぼるともいわれています。また文化大革命での犠牲者、またチベットやウイグルなどでの弾圧による被害者数は中国が主張している南京大虐殺の犠牲者数をはるかに超えるものです。
韓国も同じです。従軍慰安婦は、今となれば、あってはならなかったことです。その視点で言えば、韓国は朝鮮戦争で日本の従軍慰安所を継承し、さらにベトナム戦争でも慰安所を置いてきたのです。それも問われなければなりません。もしも軍人が関与する強制連行が一部でもあったとして、万が一それを行った軍人のなかに韓国人の軍人が含まれていたらどうするのでしょうか。
東京裁判で、いわゆるBC級戦犯として戦争犯罪に問われた人の中には、洪思翊中将をはじめ、旧植民地出身の朝鮮人やが148人、台湾人が173名が含まれているのですから、ありえない話ではありません。
BC級戦犯 - Wikipedia
今は過去を振り返っているゆとりなど今の日本にはないはずです。過去にこだわる歴史観でやっきになるより、日本の将来の経済や社会をどう築いていくのか、そのための課題を直視すること、その問題解決をはかることに集中すべきなのではないかと感じます。
エネルギー、格差是正、経済の持続的成長、高齢化社会への備えなど、どれひとつとっても、歴史観で解決できるものではありません。
日本の究極の武器は経済や産業、また文化の力でしょうし、またそれに勝る武器もありません。新しい経済、産業、文化を創造しつづける気運づくりを政治には期待したいところです。
しかし、視点を変えれば、ゼロ戦の特攻隊員は、お国のためだと洗脳され、命を捨てなければ国賊だとして死に追いやられた戦争被害者としても見えてきます。朝日新聞に投稿された予科練出身の方の声がありました。
(声)語りつぐ戦争 心も思想もなくした予科練:朝日新聞デジタル
ゼロ戦は日本が生んだ誇るべき戦闘機、日本の技術力の象徴だったと信じている人もいますが、一方では、日本の「ものづくり」としては失敗だったという事例でも使われることがあります。現実はゼロ戦が空中戦で優位を保てたのは一年余りのわずかな期間にすぎず、「量産技術」対「究極の職人技」、「イノベーション」対「改善」、「戦略思考」対「戦術思考」の競争の結果、ゼロ戦は優位性を失い、ことごとく撃ち落されていきました。
南京大虐殺も、中国が主張するように30万人の犠牲者がでたことは疑わしいとしても、陸軍が南京攻略を行い、双方に犠牲者がでたことは事実です。戦争の悲劇がそこで起こったことは誰も否定出来ないはずなのですが、まるで南京でなにも起こらなかったような主張は、互いに歴史の創作競争を行っているかのようです。
中国で、反日の象徴として南京大虐殺で騒ぐネット民がいるなかで、なかには冷静に見ている中国人もいて説得力を感じます。どの程度、そんな冷静な人が中国にいるかはわかないとしても大切なのは冷静な目だと思えます。
【中国ブログ】南京人の告白、「私は日本人を恨んでいない」:サーチナ
つらつらと振り返ってみると、アメリカの植民地政策で日本の国民の意識を変えようとしていたこと、また東西冷戦時代には、日本のなかでも、左右の代理戦争が起こり、どちらかというと戦前への回帰を恐れるあまり、日本の国益を損なうような、いわゆる自虐史観がもてはやされた時期があったように感じます。
しかし昨今は、その反動として日本は全く悪くなかった、侵略ではなかったし、皇軍は立派だったなど、戦前、戦中への無批判な歴史観が少しずつ広まってきているようです。中国や韓国の執拗な反日キャンペーンに嫌気がさしてくれば、そういった風潮が広まるのも無理がないことかもしれません。
しかし、それが中国や韓国に利用されることになり、アジアの緊張を高める原因ともなるばかりか、欧米、特に米国の日本への警戒感となってきています。下手をすると、中国や韓国のロビー活動次第で、「従軍慰安婦問題」や「南京大虐殺問題」は、「捕鯨問題」のように出口なしになってしまう危惧すら感じさせます。
日本も客観性に乏しい無理筋の歴史観でナショナリズムを煽れば、それが日本を孤立化させる罠にはまり、それで国益を損ないかねず、まさに自爆史観ともいえそうです。
自虐史観にしても、自爆史観にしても共通するのは、「最初に思想ありき」、「最初に結論ありき」だということでしょう。ツイッターやブログでの、いわゆるサヨクやネトウヨの人の批判コメントは、前後をよく読まず、気に入らない意見には、相手の立ち位置を決めつけるレッテルを貼り、恥ずかしくなるような不愉快な書き込みがあることがその典型です。自ら考えることを放棄してしまっているのです。もう今の時代にサヨクとかウヨクなど意味をなしていないにもかかわらずです。
そういった極端なナショナリズムを煽る風潮がいまアジアに蔓延してきています。歴史の創作合戦が始まり、中国と韓国は、それを世界に広げ、日本の孤立化をはかろうという目に余る動きに走っています。長い歴史を考えれば、それは諸刃の剣となってくるはずです。
中国での戦争被害者は、国民軍と共産党軍の国共内戦でも100万人にのぼるともいわれています。また文化大革命での犠牲者、またチベットやウイグルなどでの弾圧による被害者数は中国が主張している南京大虐殺の犠牲者数をはるかに超えるものです。
韓国も同じです。従軍慰安婦は、今となれば、あってはならなかったことです。その視点で言えば、韓国は朝鮮戦争で日本の従軍慰安所を継承し、さらにベトナム戦争でも慰安所を置いてきたのです。それも問われなければなりません。もしも軍人が関与する強制連行が一部でもあったとして、万が一それを行った軍人のなかに韓国人の軍人が含まれていたらどうするのでしょうか。
東京裁判で、いわゆるBC級戦犯として戦争犯罪に問われた人の中には、洪思翊中将をはじめ、旧植民地出身の朝鮮人やが148人、台湾人が173名が含まれているのですから、ありえない話ではありません。
BC級戦犯 - Wikipedia
今は過去を振り返っているゆとりなど今の日本にはないはずです。過去にこだわる歴史観でやっきになるより、日本の将来の経済や社会をどう築いていくのか、そのための課題を直視すること、その問題解決をはかることに集中すべきなのではないかと感じます。
エネルギー、格差是正、経済の持続的成長、高齢化社会への備えなど、どれひとつとっても、歴史観で解決できるものではありません。
日本の究極の武器は経済や産業、また文化の力でしょうし、またそれに勝る武器もありません。新しい経済、産業、文化を創造しつづける気運づくりを政治には期待したいところです。
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