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竹熊健太郎《焰》 08 12月
六年前に脳梗塞で死んでいたら、その後の日本がどうなるか知らないままで幸せだったのかも知れませんが、幸か不幸か生き残りましたから、これは見てから死ね、ということなのでしょうね。
竹熊健太郎《焰》 08 12月
『ナチスプロパガンダ・絶対の宣伝』を書いた故・草森紳一は、ナチスの危険性を知りながら権力掌握を阻止できなかった知識人を称して「インテリの無力」と言った。ナチスは大衆は合理では動かない事がよく分かっていた。インテリの言葉は決して大衆に届かない事が、分かっていたのである。
内藤朝雄
【だから私は全体主義的な大衆をつくりあげる遅効性の毒である学校の問題をやってきた。職場の問題では熊沢誠や今野晴貴がいる。だが遅かった。学校と会社でつくりあげられた大衆が選挙で選んだ右翼を止めるのが難しくなった。ヒトラードイツのように転がり落ちそうだ】