血小板減少 やせる ふらふら 白血病のせいなのか?

 古びた手帳には、体調の変化や心境がびっしりメモ書きされていた。

 60年前、「弥彦丸」に船医として乗船した山本勤也さんは、2008年2月に86歳で亡くなるまで自身の体調の変化を記録し続けた。死因は「前白血病状態」といわれる造血障害の骨髄異形成症候群。「おれの身体が証拠になる」。長女の浦吉由美子さん(55)=東京都=によると、山本さんは死の直前までそう口にしていたという。

 当時、遠洋航海の貨物船には必ず医師免許を持つ船医が乗船していた。32歳、徳島大医学部助手だった山本さんは、アルバイト船医として弥彦丸に乗り込み、米国がビキニ環礁などで核実験を6回繰り返した1954年3月~5月、マーシャル諸島の近海を3度通過した。

 閃光(せんこう)や爆発音はもちろん、降灰も感じなかった。5月になって無線で核実験を知り、船員に「雨や海水に当たるな」と呼びかけた。自分は傘をさして甲板の上を歩いたが、赤道直下、船員たちは海水風呂に入りスコールに当たった――。由美子さんが父から伝え聞いた話だ。

 最終航海を終えて日本に帰った弥彦丸の船員48人のうち、12人が白血球減少と診断され、少なくとも7人が東京や岡山の病院に入院した。めまいや食欲不振を訴えた船員もいた――。そんな記憶を、高知市で開業医となっていた山本さんは、長い間忘れていた。思い出したのは、四半世紀が過ぎた79年、ビキニ被災船の追跡調査のために朝日新聞記者が訪ねてきた時だ。

 その後、元船員たちと連絡を取り合うようになった山本さんは、自分の身体を観察し、被曝(ひばく)の影を突き止めようとした。毎年受け続けた健康診断記録や切り抜いた新聞記事などの資料の束は、厚さ30センチにもなる。

 「年賀状が来なくなるたびに『また一人亡くなった』と独りごちていた。医師として現場に居合わせたことに、負い目を感じていたのではないでしょうか」

 由美子さんには悔やまれることがある。

 「歯からどれだけ被曝したかわかるはずだ。研究者に届けて分析してほしい」――。その父の遺言を守れなかったことだ。

 山本さんは、母校の医学部長を務めた三好和夫・徳島大名誉教授と親交があった。三好さんは東京大医学部付属病院の医師時代に第五福竜丸の乗組員を治療にし、「ほかの船舶の乗組員の調査も必要だ」と主張していた。だが、三好さんは山本さんに先立つ2004年11月に死去し、歯の分析は宙に浮いた。歯は遺骨とともに墓に入れられた。

 「父の闘いはむだではなかったと証明してあげたかった。今更かなわない望みでしょうか」。由美子さんは問い続ける。