森川巡査は明治30(1897)年、37歳で台湾に赴任し、今の嘉義県の副瀬村という漁村に着任した。治安の維持だけでなく、派出所の隣に無料の寺子屋を設け、住民の教育や福祉にも尽力する人格者であった。
ある日、台湾総督府は漁業税という新税を制定した。これに対し、森川巡査は「貧しい漁民たちは、とてもこの新税は納めきれない」と、税の減免を願い出た。徴税も当時の警察官の職務の1つであり、漁民たちの厳しい暮らしぶりを知っていたからである。
森川巡査の願い出は拒否されただけでなく、懲戒処分を受けてしまう。巡査は抗議の自決を遂げる。明治35(1902)年のことだ。村民たちは、彼らを守らんとして一命を犠牲にした森川巡査のことを慕い、ずっと語り継いでいた。
21年後の大正12(1923)年、副瀬村でコレラなどの伝染病が大流行した。この時、森川巡査の霊が村長の夢枕に立ち、対策を教えた。その対策を講じると伝染病は収まったという。
村人たちは「森川巡査が死後も自分たちを守ってくれている」と心から感謝し、神像を作り、「義愛公」の尊称を与えて、地元の富安宮という廟に祀った。義愛公の神像は複数作られ、各地に貸し出されるほどの人気だという。
■藤井厳喜(ふじい・げんき) 国際政治学者。1952年、東京都生まれ。早大政経学部卒業後、米ハーバード大学大学院で政治学博士課程を修了。ハーバード大学国際問題研究所・日米関係プログラム研究員などを経て帰国。テレビやラジオで活躍する一方、銀行や証券会社の顧問、明治大学などで教鞭をとる。現在、拓殖大学客員教授。近著に「米中新冷戦、どうする日本」(PHP研究所)、「アングラマネー タックスヘイブンから見た世界経済入門」(幻冬舎新書)