教育について考えるヒト向けのお話です。
当ブログにしては珍しく辛辣なコトバを含むので、そういうのがお嫌いな方はそっ閉じを推奨します。
※コウモリがブチギレて辛口になるテーマの1つなので、ご了承くださいm_ _m
経緯をざっくり
ちきりん女史の教育についての提案記事が話題になっています。
→下から7割の人のための理科&算数教育 - Chikirinの日記
コウモリ自身は、この主張に賛成できる部分が多いです。もちろん、100%全部賛成というわけではありません。けれど、塾講師として実際に小中学生に算数・数学を数年間教えた身としては、「たしかに台形公式なんか要らないしクソだよね」とも思うし、「義務教育の内容はもう少し考え直すべきよね」とも思うからです。
その一方で、「ちきりん女史の意見はおかしい!」という意見もあります。
→ちきりん氏のお粗末な科学教育論 - バッタもん日記
コウモリは、このバッタさんの反論記事を見て驚きました。というのも、これは正確に言うと反論にすらなっていないアホ記事で、「議論のレベルが数段階落ちてもうてるやん」と思うくらい呆れたのですが、はてなブックマークというサービス上では、たくさんの賛同コメントが付いていたからです。
更に、バッタさんに同調する形で、イナゴさんもアホ記事を書かれています。*1
→「役に立つ知識」としての学問: やまもといちろうBLOG(ブログ)
なんつーか、もう「飛んで火に入る夏の虫」状態。まだ冬ですけど!?ていう。そしてこちらの虫さんにも、なぜか賛同のブックマークがたくさん付いています。
なんでだろう?
というわけで、「なんで教育論ではアホ記事に賛同してしまうのか」を解説したい。
ただその前に、どこがアホか(=非論理的で非科学的か)を説明しないといけないので、このエントリでは、まずアホ記事解説をするものです。
目次 アホ記事解説
1、トレードオフを意識しよう
2、(補)それ、詭弁ですよ
3、系統学習と経験学習
4、マクロ:時代論
5、ミクロ:個別論
6、まともな議論と提案
余談1、ご意見の紹介
余談2、ご指導ありがとうございます
図は全部で6枚、約1万字あります。
長文が苦手なヒトは、1と3と6だけでも論旨は分かるので、それでどうぞ。
なお、次エントリで、「なんで教育論ではアホ記事に賛同してしまうのか」を解説する予定です。
1、トレードオフを意識しよう
一般論として
現行の教育案Aに対して、新しい教育案Bが出るときがあります。
①「AよりBの方が役に立つと思うんですが、どうですか?」と。
このとき、AとBを比較せずに
②「Aでも役に立つ可能性あんじゃん」という、反論にすらなっていない幼稚な言説が人気を集めることがあります。今回がそうですね。
AとBのどちらが有用か、どちらが有用になる確率が高いか。*2
それらの検討を踏まえて、
③「BよりAの方が役に立つ確率が高いと思う。なぜなら~」という意見を出して、初めて①への反論になります。
今回のアホ記事
この点で、上記のバッタさんやイナゴさんの記事は、反論にすらなっていないわけです。
今回の例を使って分かりやすく言えば、こういう感じ。
①ちきりん氏
「今の、台形公式を計算させる教育より、住宅ローンの計算とかの方が、多くのヒトが使うと思うんだよね!」
「だから理数教育は、それが好きな3割には学問的教育でもいいけど、残り7割には生活的教育にしようよ」
②アホ虫さん
「理数の学問的基礎は大事だよ、みんないつか使うかもしんないじゃん <`ヘ´>」
マジでアホすぎて、幼稚な駄々っ子にしか見えない。
つーかさ、トレードオフを意識しようぜ! ちゃんと比較検討した議論をしようぜ!
この世界に、大事でないものなんて1つもありません。学んで損するものなんて、1つもない。
でも、選ばないといけない。義務教育で扱える内容は、有限だからです。そこで、トレードオフを意識して比較検討することが必要になるのです。
そのトレードオフを理解せずに、「理数の学問的基礎は大事だから~ <`ヘ´>」の1点張りで自分側の主張だけしても、反論にはなっていません。両者を比較した主張をしないと議論にならない。
というわけで、ちゃんと比較するために、「3、経験学習vs系統学習」へどうぞ。次の項目2は、今の内容をもう少し詳細に説明するものです。
2、(補)それ詭弁ですよ
義務教育を語る一般言説で、もっとも多いタイプの「詭弁」があります。
特徴が分かりやすいので、このさい憶えておいて良いかもしれません。
①子どもの可能性は無限だから、
②いつどこで何が役に立つかわからない。
③だから、子供の内から色々なことを義務教育で学ぶ必要がある。
④子どもの未来を狭めないようにしよう。
よくある、つまんない詭弁です。でも、この詭弁に気付くのが、なかなか難しいんですよね。経験的・倫理的にもっともらしいコトバを並べられると、どんなに論理的で科学的なヒトでも騙されてしまうことがある、というのは、認知科学での重要な知見ですよね。更に今回の件は、次エントリで詳述する心理バイアスもあると思われます。
では、答え合わせ。おかしいのは、③と④です。
反③義務教育で扱える内容は「有限」であり、色々なことは学べない。
=義務教育で何を扱うにせよ、扱われなかったものとのトレードオフがある。
反④何を扱うにせよ、扱わなかったものについての未来は(ある意味)狭まる。
=子どもの未来を狭めない教育など存在しません。
要点:何かを教えるということは、別の何かを教えないということに他なりません。プラスしか見ないのは、脳みそお花畑です。
では、教育はどうあるべきか。
理想的な、結論①
「トレードオフ」を踏まえ、何が子どもの未来に最も関連性・有用性があるか、科学的・論理的な比較をした上で、「もっとも未来の可能性を狭める確率の少ない・未来の可能性を広げる確率の高い」教育内容にすべき。
…しかし。
現状、教育内容と教育効果の因果関係についての統計的結論は出ておらず、また教育効果の指標をひとつに定めることは不可能に等しいわけです。つまり、自然科学的な手法では、何も答えが出せない。
なので、科学的・論理的に理想的な結論を具体的に出すなんて、そんなのムリぽ。
だから、もしも「俺の教育論は論理的で科学的」というドヤ顔を振りまく、例の虫さんたちのような方がいれば、「よっ!疑似科学さん、おつかれ~(ゝω・)v」と無視して頂いて構いません。
つーことで、教育現場や、教育を考えるヒトの間では、次のような暫定的な結論を共有してるわけです。
暫定的な、結論②
未来の範囲を狭めているパターナリズムの可能性を冷静に自覚しながら、それでも、そこから広がる未来もあるとの自信と情熱を持つこと。そのふたつの往復運動の中にしか、(義務)教育はありえない。
簡単に繰り返すと、「常にトレードオフを意識してこうぜ!」てこと。どんな教育内容で未来を掬い取ってみても、必ず零れ落ちる未来がある。そのトレードオフを前に、傲慢であってはいけないのです。
具体的に、何と何のトレードオフが大きく問題になっているかは、次の「3、経験学習vs系統学習」で紹介します。
湧いた虫のアタマに湧く虫。
バッタさんとイナゴさんは、一度ご自分のアタマの状態を論理的に考えてみてはいかがでしょうか。どんな教育内容だろうが、ある範囲では子どもの未来を狭めてるんだ、っていう覚悟のない「お花畑」のアタマには、たくさんの「虫」が湧いてらっしゃるだろうと想像されますので、次からは、アホみたいに火に飛び込んでしまわないよう気を付けてくださいね。
3、系統学習と経験学習
というわけで、ちゃんと比較して議論してみましょう。
今回のトレードオフは、実は50年以上前からある議論の枠組みの類型・変奏です。
その伝統的な教育論の枠組みとは、「系統学習vs経験学習」です。*3
ひとまずコウモリの感覚で、この2つをざっくり整理します。*4
経験学習 | 系統学習 | |
---|---|---|
別名 | 問題解決学習 | 体系的学習 |
学習型 | 狭く深く | 広く浅く |
記憶量 | 少ない | 多い |
起点 | 生活 | 学問 |
利点 | 興味 | 理解 |
利点 | ココロの動機付け | アタマの情報伝達 |
それぞれの長所と短所を中立な視点から簡単に言うと、こんな感じ。
<経験学習>
長所:個別の学習過程から実践的思考を養う
短所:狭く深くでは基礎知識に欠け応用力が身に付かないのでは?
<系統学習>
長所:全体の学習理解から理論的思考を養う
短所:広く浅くでは記憶偏重になり応用力が身に付かないのでは?
そんで、この枠組みを使って言い換えれば、ちきりん女史の提案は、
「もうちょい経験学習を重視した方がいんじゃね?」というものです。
で、この提案を、歴史を知らないアホ虫さんたちがボロクソに言ってるわけですが、ちきりん女史の提案自体は、歴史的に見ればすごく真っ当な提案なわけです。(学習指導要領や、算数・数学の教科書の変遷について詳しく知りたい方は、理数系の教科書会社としてトップクラスのシェアを誇る大日本図書のサイトを参考にしてください。)
→教科書いまむかし -大日本図書-
コウモリは、ここで示されている学習指導要領の変遷をこう捉えています。
もっとコウモリのイメージを分かりやすくすると、こうです。
つまり歴史的に見て、「経験学習と系統学習」は、どちらが良いか常に揺れながらバランスをとってきたと思うのです。*6
なぜなら、上記に挙げたように、どっちにも長短があるから。そして、自然科学的な答えなどまだ当分は出せないから。(Eラーニングとウェアラブルとビッグデータで教育効果が可視化される時代よ、早く来い!)
そのため、
①時代の要請に応じること、②個別の内容を検討すること、
このマクロとミクロの2点を重ね合わせながら、具体論としてバランス調整を考える議論をしなければならないと思うのです。
その意味で、ちきりん女史の提案は、かなりのクリーンヒットだったとコウモリは捉えています。対する虫さんたちの意見は、①時代状況を踏まえた考察がなく、②個別の内容検討も意味不明です。
少しだけ、具体的に検討してみましょう。
4、マクロ:時代をどう捉えるか
インターネットの登場により記憶の外部化が進んでいる現代では、「単純な知識」よりも、それをどう「調べ・考え・使うか」の重要性が高まっています。
にも関わらず、です。
バッタさんの意見を見てみましょう。
「インターネットで検索すればすぐわかるから学校で教える必要はない」とは、あまりに浅薄な言い草です。この理屈に従うと、学校で教えるべきことは何もありません。
アホか。検索すれば分かる「知識」を教えるのではなく、検索する前段階・検索した後段階での「調べ・考え・使う方法」を教えるべき、というだけです。
それで言えば、時代状況は、どっちかっていうと「経験学習」に分があるように思えます。
例えばちきりん女史の提案は、こうでした。
「住宅ローンの“元利均等払い”だといくら払うことになる?」などを学習してみては、と。
生活に近い個別の問題に対して、その答えを出すために必要な情報を調べ、いくつかの数値情報を吟味し、どれが信用に値するかを計算し判断する。この学習過程の中には、現在の『さんすう』『すうがく』の範囲を超える高度な数学的知識も含まれていますが、それを使いこなせることは重要です。
現代では、「情報を網羅して知っていること」以上に、「知らなかった情報を使いこなすこと」こそが重要だからです。その技能を習得してもらうためにこそ、経験学習(問題解決学習)は有効だと言えそうです。この点で、経験学習を押すちきりん女史の方が時代をよく捉えている、とコウモリは判断しました。
次に、もう1つの個別例を見ながら、重要な点を確認しましょう。
5、ミクロ:個別にどう捉えるか
まずはバッタさんの個別論の紹介から。
「台形の面積の計算方法を教えること」は、数学的思考法を育てることの一環だと理解できないのでしょうか。数学的思考法は、例え数学とは無縁の人生を送っていても何かと必要になる能力ですがね。
アホか。台形の面積の計算方法から、数学的思考法なんか学ばねーよ。
数学的理解など存在しない実態
それは、実際の教育現場を見れば分かります。多くの人間にとっては、「ジョーテイ足すカテイ掛けるタカサ割る2」を呪文みたいに唱えて覚えるだけの代物です。呪文と化した公式学習の実態を見て、どこに数学的思考法が入り込む余地があるというのか。そして、このゴミ公式を身体に染み込ませるために、数時間もかけて計算ドリルをやらせるわけです。後の人生で使うことなど、ほとんどないにも関わらず。
ほんっと、くだらない!
数学的理解など不要な実態
数学的思考法を理解する人間、つまり呪文として覚えるのではなく、「2つの三角形に分けると底辺は平行だから、高さは共用計算すりゃ早いかー」と理解する人間にとっても、台形公式など不要です。コウモリが小学生で、初めてあの公式を見たときには、思わず笑ってしまった覚えがあります。
「これ、公式にする意味なくね!?(笑) そんなの考えればすぐ分かんじゃん!」
数学的思考法を理解する人間にとっては、1回聞いたら、それで充分でしょ。それにも関わらず、この無意味な公式を身体に染み込ませるためだか何だか知らないけれど、計算ドリルの宿題をやらされるわけです。いや、別にいんだけどさー、その時間、ちょうムダじゃね??? ドリルやんなくても、つーか公式なんかにされなくても、その計算方法を勝手に使ってますけど!?ていう。
しかも、実生活で台形の面積を計算した記憶はない。ほんと、あの計算ドリルのムダな数時間、返してほしいよ。子どもの頃の数時間ってすっごく貴重なんだからさ!
台形公式って何なの!?
つまり、台形公式を「知識として身に付ける必要」などないのです。それを知識と考えてしまう「さんすう苦手」層に向けては、もっと実用的な計算を教えた方が良いし、それを知識とすら思わない「さんすう得意」層に向けては、もっと本質的な理数教育を施した方が良い。(ユークリッド原論とかでゴリゴリやりゃーいいじゃん)
分けるべきなんですよね、向き不向きによって。なんでゴミ公式を全員に押し付けたがるのか。バッタさんは、それが数学的理解に関わっていると本気で思っているのでしょうか。総論としては、系統学習派にも言うべき意見があるでしょうよ。それなのに、各論として目の付け所が悪すぎ。ここはちきりん女史がクリーンヒットかましてる箇所です。
6、まともな議論と提案
このテーマに最も肉薄した、まともな反論に近い記事もありました。
→「ただの知識」だけ学校で教えてもあまり役には立たない - 脱社畜ブログ
電脳クラゲさんの記事で、系統学習派として、唯一まともな意見。正直、これを見てホッとしました><; やっと、少しはまともな意見が出たか、と。
ただ、先に上で触れた「経験学習の短所:よく受ける批判」をまんまナゾっただけで、何の面白みもないです。が、一応紹介します。
知識をバラバラに入れただけでは、全然応用が効かない
経験学習に対しては、これがクリティカル。
定型反論
ただし、定型反論もあります。
「個別の問題解決から、知識を『探し考え使う』実践力、つまり応用する力が身に付くのだ」というものです。項目4の「住宅ローン計算」で触れたような形ですね。
そして、知識を体系的に学習する系統学習にも、同じような批判があるわけです。
「体系的に知識を詰め込むために記憶偏重になり、新しい事象に対して応用が利かないんじゃないの?」と。
もちろん、項目3で紹介したように、これにも定型反論があります。「全体知識の理解から、理論的思考力、つまり応用する力が身に付くのだ」というものです。
結論と提案
つまり、どっちもどっち。それぞれに長短があるわけです。
叩かれるのを承知の上で、身も蓋もないコウモリの自論を言ってしまえば、できる奴はどっちの学習法でも応用力が身に付くし、できない奴はどっちの学習法でも応用力なんか身につかないでしょって感じ。
だから!!!
応用力ってのをいったん脇に置いておいたとするならば。最低限、身に付けといた方が良いのは、「生活的知識」なのか「学問的知識」なのか、どっちなんでしょうね?
つまり!!!
経験学習が良いのか、系統学習が良いのか。それは、ヒトによって違うのかもしれないですよね。台形公式のところで2つに分けて話したように。
そこで、経験学習vs系統学習への新しい答えの1つとして、「対象者によって分けてみたらどうだろう?」というちきりんさんの提案があるわけです。
うひょー! これ、めっちゃ良い提案だと思うんですけどーーー(ゝω・)v
だからさ。一応、反論として紹介したけど、議論のレベルが下がってたんだって。
LV1、バッタさん、イナゴさん
LV2、電脳クラゲさん
LV3、ちきりんさん
最初にちきりん女史の提案が出たあと、なんで議論のレベルを下げていくんですか!? つーか、昆虫さんも鉢虫さんも、学習指導要領の変遷くらいはざっくり眺めてから記事を書いてよね。日本の理系のイメージを下げるのはやめて頂きたい。(ちなみに、イケハヤさんが入ってきて議論のレベルを下げ切るところまでがネット言論のデフォルトですが、今回はここで打切りにして頂きたいものです。)
ちなみに、ちきりん女史は、ここに書いた程度の内容は、ぜんぶ「前提として分かった上で」記事を書いてらっしゃいます。分かりやすさと短さのために、こんなにクソ長くクドイ説明をしないだけで。バッタさんもイナゴさんも、ちきりん女史に執着するなら、もっかい一文ずつ読み直してみてくださいね。
以上、アホ記事の解説でしたー。
というわけで、最後は例のコトバで締めましょうか!
ほいじゃあの!
余談1、ご意見の紹介
バッタさんの記事に付いた800あまりのブクマのうち、まともな批判コメントを幾つか紹介しておきます。賛成のコメントを付けている人があまりに多い状況の中、少数派でもしっかりと自分の意見を言っている姿に敬意を表して。
①反論にもなってないことを指摘したもの
またか。どうして対案が出せないの?それじゃ勝負の土俵にも乗れてないぜ。建設的に行こうよ。というか批判にもなってないけど。
「可能性を狭めるな」→一定レベルから上は大人になってからでも学べる。数学なんか集中的に教えた方が効率的/「科学は知識の寄せ集めではなく~」→身近な物の知識から個別理論を導くことでも科学は十分教えられる
適性のある子供にはどんどんやらせろって話しでは?議論がかみ合ってない感じ。借金に高校数学って言ってもクレカを設計する側には必要でも、借りる側は結果が理解できることが重要なんだから・・
理論軽視はともかく、実学志向を疑似科学の大きな特徴と言い切るの、論理も証拠もない筆者の観測範囲の中での話(見たものを考えずに妄信するのは実学ですらない)で、その言い分こそ非科学的では。
id:ahmokさん (やまもといちろうブログへのコメント)
科学者など科学的思考ができる人が「科学教育は必要だ」と主張するのはいいけど、科学的根拠を示さないでいるうちは、疑似科学を抜け出てないのに気づいていない科学的思考ができる人たちが胡散臭いんだけど。
②経験学習のメリットに触れたもの
んー、内容云々よりも、「興味をひくか」どうかのが多くの人にとっては大事なのよね。このブログ記事とちきりんの記事の読みやすさの差が全てだと思う。そこをクリアーして初めて内容が話題になる。
目的わかんないで勉強すると頭に入りにくいのは理解できる。リボ払い、やべえ!って感じさせて、そうならないように計算するための数式を見せて、全然わからん。知りたい。っていうスタート地点から始まる数学とか。
うーん、これは元エントリが対象にしていない上から3割ぐらいの人向けの論だなあ。下から7割ぐらいの人には実学から入って興味を持った奴だけが背景にある基礎学問へ進んだ方が効率がいいと思うけれど。
このエントリの主張をまともにとらえると、まず国語能力を実学ではないレベルで身につけ、つづいて論理学・哲学を(ry、とやってから算数をやることなるよ? 四則演算から始まるのは実学的要請だからね?
③系統学習のデメリットに触れたもの
ちきりんの肩持ちたくはないが、人生は短いので、あらゆる疑似科学落とし穴に落ちない教養を全員が身に付けることは不可能。化け屋だが生物・医学のプロスタグランジンのでたらめさは理解できんし不妊症も治せない。
この人に勉強教わるのは辛そう。
id:hungchang さん
覚えることと理解することの違い。覚えてなくても理解していれば調べることもできるし、応用することもできるけど、その逆はない。学校教育が下位7割の生徒に理解させることができているかには疑問の余地。
④ちきりんさんの意見の「対象を分けよう!」という提案に触れたもの
上の3割で十分だと思うがなあ。上への道が閉ざされてなきゃいい。
バッタさんのブックマーク上ではすごく少数派でしたが、コウモリは皆さんと同意見です! これらのご意見を参考に、今回のエントリを作りました。大雑把な分類での紹介で申し訳ないですが、この場で感謝いたします。ありがとうございますm_ _m
余談2、ご指導ありがとうございます
昨日、増田からこういうエントリを頂きました。
→はてなブックマーク - id:Rlee1984にはもうちょっとどうにかなってほしい
自分のようなバカに対して記事を書いてくれて、それだけでも充分にありがたいのに。。。。記事を書いてくれた方も、コメントをくれた皆さんも、ほんと良い人すぎです><;;;;;
でも、僕はやっぱりバカなので、今回みたく意味わからん長文記事を書いてしまいました;;;; 怒ってしまうと、ちょっと自分でも止まんないし、また1万字も書いて、しかもけっこうな四面楚歌状態からケンカ売って、、、、平和に過ごしたいハズなのに本当バカすぎるなって自覚しているのですが;;;
id:aukusoeさん、id:feitaさん、id:idejunpさん、id:KariumNitrateさん、申し訳ないです;
もう少し長い目で見て頂ければ、と思います。m_ _m
*2:本人の役に立つ、という以外にも、社会に役に立つ、という意味での有用性など、様々な効果指標を含めたコトバとして「有用」の語を用いている
*3:このくらいも踏まえずに科学教育がどうとか言ってる虫さんたちよ、アホ記事を晒す前にggrks! ちなみに科学は、いつコペ転が起きて定説がひっくり返るか分からない仮説の集合体に過ぎないのだから、間違った科学信仰は止めてよね。大事なのは、人類が積み重ねてきた仮説検証や議論のサイクルに敬意を払ってそれを踏まえること。つまり、過去人類の知の蓄積への敬意を払うこと。それこそが科学的態度ってもんじゃないんですか? 教育を語るのに、最低限にググレば分かる枠組みも踏まえずに発言するのは、知や科学への冒涜だよ。そういう非科学的な態度で科学教育を語るなんて、ほんと失礼です(-"-)怒
*4:なので本来的な分類とは若干異なる部分を含みます
*5:※定性的・定量的な客観指標ではなく、あくまで個人的なイメージです。教科書が内包する学習量(時間ではなく量)の変遷などについての客観データをお持ちの方がいれば、この図を訂正するので、情報提供お願いしますm_ _m
*6:分かりやすさのために、経験学習と系統学習の対比の中で分類した位置を示していますが、それぞれが少しずつ異なるベクトルの教育目的を持っていることを付け加えておきます。