2.27.2014


岸 政彦

第3回 ユッカに流れる時間

ずっと前に、バスのなかから一瞬だけ見えた光景。倒産して閉鎖したガソリンスタンドに雨が降っている。事務所のなかの窓際に置かれた大きなユッカの木が、だれからも水をもらえず、茶色く立ち枯れている。ガラス一枚こちらでは強い雨が降っている。そのむこうで、ユッカは、乾涸びて死んでいた。

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数年前。ある団地で生活史の聞き取り調査をしていて、ひとりの年配の男性に出会ったことがある。

その男性は地方の貧困家庭に生まれ、さまざまないきさつを経て関西にたどり着き、「下っ端」ではあるが暴力団の一員となり、競馬のノミ行為などで生計を立てていた。そのあと紆余曲折があり、聞き取り当時は引退してひっそりとひとりで暮らしていた。





人生についての話がある段階に来たとき、「ホンコン」という言葉を繰り返していた。どうやら刑務所のことを指しているようだった。私はそのとき、うかつにもなぜかホンコンという言葉が刑務所一般をあらわす隠語だと勝手に勘違いして、「どこのホンコンだったんですか」という間抜けな質問を何度もした。彼はそのたびに「いや香港や」「だから香港や」と繰り返し答えていた。

私はインタビューの途中で、突然了解した。「あっ、ホンコンって、香港の刑務所のことですか」「そうや」。彼につないでくれた自治会の関係者や、彼の近所の知り合いや、近しい友人でさえ知らなかったことらしいが、私のインタビューのなかで、彼は自分が覚醒剤の取引で香港の捜査機関のおとり捜査に引っかかり、そのまま現地の刑務所で十年間にわたって収監されていたことを初めて明らかにしてくれたのである。

彼は香港の刑務所のなかのことについて、こと細かに教えてくれた。十ドルほど払えば女性の看守が体を触らせてくれた、ということも語った。収監中に脳梗塞をおこし、左半身に障がいを残したまま、捨てられるように日本に送還され、そのままホームレス寸前の生活をしていた。現在では生活保護を受給し、小さな団地で暮らしている。

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ヤクザとなって逮捕され、そのまま異国の刑務所で十年を過ごす、ということがどのようなことなのかを、ときおり思い出しては考えている。この十年という時間の長さは、どのようにすれば理解できるだろうか。時間の長さを理解する、ということは、どういうことだろうか。

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私たちは孤独である。脳の中では、私たちは特に孤独だ。どんなに愛し合っている恋人でも、どんなに仲の良い友人でも、脳の中までは遊びにきてくれない。

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数年前にネットで話題になったCGマンガがあった。ひとつのボタンを押すだけで百万円もらえる。ただし条件がある。ボタンを押すと、意識だけが別の空間に飛ばされる。そこは何もないただの空間で、そこで五億年のあいだたったひとりで生き続け、時間が過ぎるのをじっと待っていなければならないのである。五億年たったらこの世界の、まさにボタンを押した瞬間に戻ってくる。そしてそのとき、五億年間の記憶は完全に消去される。

つまり、自分からすれば、たんに「ボタンを押したら百万円もらえた」ということしか覚えてないのだが、その一瞬のあいだに、別の自分がだれもいない、何もないただの「空間」で、五億年という時間を過ごさなければならないのだ。五億年経ってこの世界に戻ってきたときに記憶は消えるのだから、その間の「時間の長さ」は、戻ってきたときにはもう「無かったこと」になっている。そこで読者は選択を迫られる。戻ってきたときには五億年分の時間の記憶は消えている、ということを前提に、このボタンを押せるだろうか。

このマンガの面白いところは前半までで、後半は主人公が実際に五億年を過ごすところが描写されるのだが、そこは「長い長い孤独な時間の果てに、主人公が悟りを開く」ような展開になっていて、ありきたりで面白くない。しかし、前半の問いかけはたしかに迫力がある。私なら、押さない。

あるいは、手塚治虫の『火の鳥』の「未来編」。主人公は火の鳥の力によって、自ら望んでもいないのに、永遠の生命を得てしまう。そして最終戦争で滅びたあとの世界で、たったひとりで何億年も生き続けなければならない。ロボットや人工生命を作ることでなんとか孤独を紛らわせようとするが、すべて失敗し、ついに最後にはコップ一杯のタンパク質の「スープ」を、名も無い無人の岬から海に注ぐ。数億年後、原初の生命が誕生し……。

その他、マンガ『コブラ』にも、すべての感覚を遮断されたまま数日間監禁されるという拷問がでてくる。古典的な映画『ジョニーは戦場に行った』でも、(もっと深刻に)同じようなモチーフが使われている。

「時間の流れ」をテーマにした作品は他にもたくさんあるが、どれも共通することは、時間が流れることが苦痛であるということだ。むしろ私たちは、時間を意識しない状態を「楽しい」、時間を意識させられる状態を「苦しい」といって表現しているのかもしれない。

時間の流れを意識することがなぜ苦痛なのかはよくわからない。しかし、確かに、時間の長さを一秒ごとに意識しようとするときには、確かに快楽よりは苦痛のほうが役に立つ。激しい痛みに耐えているときにもっとも明確に、自分がほかでもないこの自分であることを実感することができる。蛇口からゆっくりとしたたる一滴の水の粒の、ひとつひとつをすべて目で追うように、自分の痛みを「痛がる」ことができる。

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苦痛を感じているとき、私はほんとうにこの私になることができる。そして一秒一秒ごとに、私がこの私であることを呪うことになる。





だが、むしろ苦痛だけではなく、そもそも身体的感覚というものを感じることそのものが、私が私に縛り付けられているということを、教えてくれる。

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20代のときにわずか4年間だけだが、日雇いの建築作業員をしていたことがある。もちろんそれまで肉体労働など無縁の生活で、そもそもスポーツなども一切したこともなく、当時は背ばかり高くてガリガリに痩せていた。大学を出たあと、いろいろあって、自分を追い込みたくなって、うまれてはじめてスポーツ新聞を買い、求人欄から解体や雑役の仕事を探し、近所の飯場に電話した。すぐに次の日から行くことになった。作業服屋というところにも初めて入り、なるべく地味な作業服とニッカポッカと地下足袋と長靴を買った。

朝6時半に自転車で飯場まで行くと、すぐにワゴン車に乗るように言われ、そのまま何の説明もなく現場に連れていかれた。

あのとき、「肉体労働の現場にはじめて入っていく」ときに感じた、胸躍るような恐怖を、いまでも覚えている。

建築現場だけでなく、遺跡の発掘現場でも長いこと働いた。もちろん調査員や研究員としてではなく、人力で土を掘る土方としてである。こういう仕事を何年か続けたあと、気がつけば、体格が様変わりしていた。

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「岸和田市民病院」をはじめ、いろんな現場に行ったが、ある現場のことをよく記憶している。巨大な鉄工所の片隅で、設備の建て直しをしていたのだが、40キロほどもあるセメントの袋を一日で数百も運ばされ、ぐったりして昼休みも何も食べられなかった。椅子にへたりこんだ私の横で、自称元ヤクザの現場監督が九州弁で、漢方薬の「救心」を粉々に砕いて女性器のなかに入れると締まりがよくなる、という話を延々と繰り返し喋っていた。広大な鉄工所のあちこちから水蒸気がすごい勢いで吹き出していて、これはさすがに私の記憶違いだろうと思うが、摂氏2000度ぐらいあるので気をつけてください、と言われた。

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肉体労働をやってみて思ったのは、これは体というよりも感覚を、あるいは時間を売る仕事だな、ということだった。決められた時間に現場に入り、単純な重労働を我慢してやっていれば、そのうち5時になって一日の仕事は終わる。その間、8時間なら8時間のあいだずっと、私という意識は、暑いという感覚、重いという感覚、疲れたという感覚を感じ続けることになる。現場監督に怒鳴られたり、あるいは逆に自分より新しく入った役立たずの新人を怒鳴ったりして、感情的な起伏を経験することもあるが、基本的には、仕事時間のあいだずっと、重い、とか、寒い、とか、辛い、という感覚を感じ続けるのである。

こうした「身体的な感覚を、一定時間のあいだ中ずっと感じ続けること」が、日雇いの肉体労働の本質だな、と、自分でやってみて思った。脳のなかで、意識のなかでずっと重い、寒い、痛い、辛いと感じ続けることが仕事なのだ。それを誰か他人に押し付けることはできない。そのかわりに金をもらうのである。

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この「決められた時間のあいだ、ある感覚を感じ続けていることに耐え、その引き換えにいくらかの金をもらう」ということは、セックス・ワーカーにも共通することかもしれない。

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こうした感覚は、もちろん純粋に苦痛であるだけではない。そこに快楽が生じる可能性さえあるだろう。だが、それにしても、それ相応の対価に値するものであることは間違いがない。そして、そのように考えると、肉体を売る仕事とは、感覚を売る仕事であり、そして、感覚を売る仕事とは、「その感覚を意識の内部で感じ続ける時間」を売る仕事でもあるかもしれない、と思う。

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時間が流れることが苦痛である、ということを、より直接的に感じたのは、ある工場で流れ作業の仕事をしたときである。もうずいぶん前だが、大阪と京都のあいだにある巨大なビール工場で、8時間のあいだ、ベルトコンベアの前に座り、単純作業をした。目のまえに流れてくるビールの1リットル缶の6本詰め合わせセットの箱のなかの、いちばん左上にある缶のキャップのところに、オマケで付ける「ぴよぴよと音が鳴る注ぎ口」をシールで貼り付ける仕事である。

自分が座っている椅子の右後ろに、小さなビニール袋に入った大量のオマケの注ぎ口が積まれていて、6本セットの箱が上流から流れてきて自分のところに到着したら、オマケを一個取り、シールの裏紙をはがして、決められた位置にあるビールの缶のキャップ部分にそれを貼付ける。

これが仕事の全てである。この動作を、何度かの短い休憩時間をはさみ、8時間続けた。

一日しか続かなかった。給料はもらっていない。

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苦痛をはじめとして、匂い、味、音、舌触りや手触りなどの感覚を感じるということは、ようするにこの私が時間の流れのなかにあることをふたたび(嫌でも)思い出させられるということである。たとえば、痛みというものは、その原因が取り除かれない限り、途中でなくなったり、別のものに変わったり、意志によってそれを操作できるようになったりしない。私たちは痛いとき、常にずっと痛いのである。痛みに耐えているとき、私の脳は、痛みとともにある。いやむしろ、痛みのなかにあり、痛みそのものである。私の脳が痛みを「感じている」という言い方にはどこか間違いがある。痛いとき、私たちは痛みを感じているのではなく、「ただ痛い」のである。

そして、痛みに耐えているとき、人は孤独である。どんなに愛し合っている恋人でも、どんなに仲の良い友人でも、私たちが感じている激しい痛みを脳から取り出して手渡しすることができない。私たちの脳のなかにやってきて、それが感じている痛みを一緒になって感じてくれる人は、どこにもいないのである。

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私たちは、他の誰かと肌を合わせてセックスしているときでも、相手の快感を感じることはできない。抱き合っているときでさえ、私たちは、ただそれぞれの感覚を感じているだけである。

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真っ暗な夜の海に入っていくときの恐怖感。黒くて冷たい水が足もとから徐々に全身を浸していくときの感覚。何も見えない水のなかで、つまさきが何か柔らかいものに当たる。





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私のなかに時間が流れる、ということは、私が何かの感覚を感じ続ける、ということである。たとえば、私のなかに十年という時間がすぎる、ということは、私が十年間ずっと、何かの感覚を感じ続ける、ということである。

ある人に流れた十年間という時間を想像してみよう。それは、その人が十年間ずっと、何かの感覚を感じ続けているのだろう、と想像することである。私たちは、感覚自体を何ら共有することなく、私たちのなかに流れる時間と同じものが他の人びとのなかにも流れているということを、「単純な事実として」知っている。

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生活史のインタビューでいつも感銘を受けるのは、たいていの場合中高年の方が対象になるからでもあるが、目の前にいるほかでもない「このひと」のなかを、自分のものとは違う長い時間が流れてきた、という事実である。とくに「香港」のときには、ほんとうにつくづく、人というものに流れる時間について、そしてその時間の一秒一秒を「感じつづけること」について、考えさせられた。私たちは香港の刑務所で過ごした十年というものを、想像することはできるが、それと同じ長さの時間をそれとして実際に感じてみることはできない。目の前で訥々と、淡々と語る男性の話を聞きながら、私はその十年という時間の長さになんとかして少しでも「近づく」ためにはどうすればいいのかを考えていた。

だがその十年は、当たり前の話を書いているようだが、よく考えれば私のなかにも流れていた。その男性がその十年を過ごしているころ、私にもまた同じ十年という時間が流れていた。この、ほんとうに当たり前のことに、インタビューがおわってこのことを何度も考えているうちに、ふと気付いたのである。

もちろん私たちはその十年という時間をまったく「共有」してないし、そのことでなにかの感動があったわけでもない。そもそも私は、そんな当たり前のことを誰にも、語り手本人にも伝えていない。

しかし私は、彼の十年は私の十年でもあった、というただそれだけのことが、私と彼のあいだに、なにかの「会話」を、言葉にも感情にもよらない無音の対話を成立させているような気がするのだ。

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わずか一メートル先で雨が降っているのに、からからに乾いて死んでいったユッカの木。もともと渇きに強いはずのあの木が枯れるまでの時間は、とてもゆっくり流れていたことだろう。監禁されながら生き続けること、そしてゆっくりと死んでいくことには、どこか根源的な恐怖を感じる。

だが、時間が流れることは、苦痛であるだけではない。そうした、「ほかならぬこの『私』にだけ時間が流れること」という「構造」を、私たちは一切の感動も感情も抜きで、お互いに共有することができる。私たちはこのようにして、私たちのなかでそれぞれが孤独であること、そしてそこにそれぞれの時間が流れていること、そしてその時間こそが私たちなのであるということを、静かに分かち合うことができる。

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誰にも知られない時間、というものがある。だが、私たちは、その「誰にも知られない時間」というものがある、という端的な事実を、おたがいに知っている。それを共有することはできないにしても。


写真:西本明生( http://akionishimoto.com/


著者紹介
岸 政彦(きし・まさひこ)

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(続く)