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原発事故3年/避難者ルポ(上) 田村・都路地区

避難指示解除に向けて家の雪かきをする森谷さん=20日、福島県田村市都路町古道

 避難指示から3年。田んぼに戻る日が来る。
 「これで胸張って都路でコメを作れる」
 福島県田村市都路地区の農業森谷市男さん(65)は避難先の同市船引町の仮設住宅でこたつに入りながら窓の外に目をやった。
 前日の23日、政府が福島第1原発事故に伴う同地区の避難指示を4月1日に解くと決めた。指示解除は11の避難市町村の中で最も早く、住民帰還が現実になる。
 森谷さんの自宅は原発から20キロ西の山あいにある。20日に一時帰宅し、雪かきした。
 雪の重みで納屋がつぶれていた。
 稲作の再開に向け、種まき機を買ったばかり。雪をかき出そうとスコップを振り下ろし、凍った雪にはじき返された。
 「こうなると熱が冷めそうになる」
 そう言いながら玄関への通路をつくるため、トラクターで除雪を始めた。
 自宅は避難中に侵入したネズミの被害が深刻で修繕中だ。稲の種まきが始まる4月までに過ごせるようにしたい。
 「先祖が守った土地でコメを作る」
 避難生活が長引いても思いは揺るがなかった。
安全性を確認
 田んぼは2ヘクタール。ひとめぼれを作付けしていた。
 2012年4月の避難区域再編で日中の立ち入りが自由になった。水田除染が進み、昨年、コメの作付け制限が解かれた。
 地区の農家は64戸。うち稲作を再開したのは3戸にとどまる。自分は作付けしたい気持ちと風評に対する不安が交錯し、結局、見送った。
 「放射性物質が検出されれば地元全体のイメージが悪くなり、周りの農家に迷惑を掛ける。だからと言ってやらないと前に進めない」
 昨年に妻(60)と家の畑で野菜を栽培し、放射能検査をして安全性を確かめた。知人の農家が先陣を切って栽培したコメは全て基準をクリアし、稲作再開の背中を押した。
孫らとは別々
 仮設住宅暮らしもあと1カ月だ。避難指示解除と同時に家に戻る。
 仮設住宅の部屋の壁に妻の写真が張られ、顔に猫のひげがいたずら書きされている。「孫が遊びに来ては悪さをする」と笑みを見せる。
 原発事故前は妻と長男夫婦、3人の孫らと住んだ。長男一家は近くの借り上げ住宅に避難し、週末遊びに来る。孫は小学生と幼稚園の年少組だ。
 「孫と一緒に戻れるならいいんだけど」
 家に帰るのは自分と妻だ。長男一家は放射線を気にし、帰還を見送る。
 自宅周辺の放射線量は毎時0.5マイクロシーベルト前後。国の目標の0.23マイクロシーベルトより高い。高線量の所は再除染してもらう。
 「家族で考えが異なるのは仕方ないが、全域が0.23マイクロシーベルト以下になるのを待っていたら、自分はいつまでたっても帰れない」
 復興庁が12年に実施した同地区住民の意向調査によると、「戻る」と答えた人は43.9%だった。戻る人、戻らない人の間で地域が割れるのでないかと心配する。
 「都路はいい所。元に戻すために再スタートする。うまいコメを作れば風評被害もなくなる」

◎原発事故から3年。今も14万人が避難生活をしている。住民は帰れるのか。避難者の現状を報告する。

[田村市都路地区]原発事故で警戒区域に指定され、避難区域再編で避難指示解除準備区域になった。対象は42平方キロで市全体の9%、住民は117世帯368人で1%に当たる。除染が13年6月に終わり、11避難市町村の中で最も早く避難指示が解除される。


2014年02月27日木曜日

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