2014年2月25日21時40分
西の空に火の玉があがり、空が夕焼け色に染まる。海底爆発のような轟音(ごうおん)のあと、船の甲板には白い灰が降り積もった――。60年前、静岡県焼津市のマグロ漁船「第五福竜丸」が、太平洋上で米国の水爆実験に遭遇したビキニ事件。元乗組員23人のうち、存命者は7人だけだ。ビキニからフクシマへ。「語り部」の大石又七(またしち)さん(80)=東京都大田区=に加え、他の元乗組員らが沈黙を破った。
「『死の灰』がつくりだされた時のお話をしたいと思います」。先月下旬、東京都内の中学校。第五福竜丸の甲板員だった大石さんは杖をついて登壇し、60年前の体験談を語り始めた。
「広島の時のように黒い雨ではなくて、白い雨が降ってきたんですね。においもないし、味もない」
これこそ、水爆実験で白いサンゴ礁が吹き飛ばされてできた「死の灰」(放射性降下物)だった。乗組員たちはめまいや吐き気に襲われ、灰が付着した肌は水ぶくれとなり、10日ほど後には、髪が抜け落ちた。
14歳で漁師になり、当時は20歳。理不尽な差別や偏見にさらされ、米国からの「見舞金」約200万円をねたまれた。静岡から東京の雑踏へ。クリーニング店を営みながら、被曝(ひばく)のことは隠して暮らした。
結婚後まもなく授かった子どもは死産。肝臓がんも患った。だが、見舞金で政治決着済みとされ、何の補償もない。40~50代の働き盛りで死んでいく仲間たち。自身は50歳ごろから講演を始めた。「放射能の恐ろしさを政治家たちは隠している」。冷戦期、米国と旧ソ連の核開発競争は激化し、原発の設置も進む。
「悔しい思いをしてきたのに、忘れられていく。『ビキニ』という言葉さえ死んだような状態だった」
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