私は常々、嫉妬心が欠けている人間だと思ってきた。誰のことも、羨ましいと思うことなく生きてきた。
その私が、ある女性に嫉妬した。上田美由紀さんという人に。 2013年11月27日、39歳になった私の元に1冊の本が届いた。「誘蛾灯 鳥取連続不審死事件」紫色の帯には、私の名前があった。「この事件の背景には、木嶋佳苗事件とは別の深い闇がある。」著者の名前を見て驚いた。 青木理。 私の事件を取材してくれていたら・・・と思い続けた。ジャーナリストの名前だった。彼は、私より上田さんを選んだのか。ショックだった。
 私が、彼の名前を初めて知ったのは、2012年10月19日号の「フライデー」。彼の署名記事に「毒婦が送ったラブレター」と見出しがついた写真が載っていた。花柄があしらわれたピンク色の便箋に、右上がりの幼稚な文字で、熱烈な愛の言葉が綴られていているラブレター。「大好きなんだもん。本当に大好きなんだもん」
 読んでいるこちらが恥ずかしくなってきた。私も高校時代、初めて付き合った彼に、こんな手紙を送ったことがあったなぁと懐かしさを覚えたが、このラブレターを書いた女性は、30歳を遥かに超えた大人の女性。正気だろうか、と訝しく思ったのを覚えている。寄稿された文には、事件発生の直後から取材を続け、1審を傍聴した様子まで書かれていたが、まさか単行本を出版する程の取材をしていたとは知らなかった。
 私は、12年4月13日、さいたま地裁で行われた裁判員裁判で、死刑判決を下された。その直後から関連本が次々と出版されたが、事件や裁判の記録として価値のある本は1冊もなかった。それらの著者に、私と直接対話した人はいない。
 「誘蛾灯」を手にした時、私は真っ先に、青木さんが上田さんと面会取材したかを確認した。きっと青木さんは、彼女と直接話をしているはずだ、という思いがあった。「フライデー」のラブレター記事を見た翌月に、ある本で彼が大学教授と弁護士と共に、少年事件と死刑についての座談会に参加した記録を読んだ。青木さんは、94年に起きた少年事件の被告人と4年間交流を続け、元少年の彼のことを、かけがえのない友人だとおもっている、と話していた。同じ時期に私は、ある男性から「僕は、もう木嶋さんを大事な友人だと思っていますので、友人が嫌がることはしません」と言われたことと重なり、感傷的になっていたこともあったと思う。私は青木さんの、日本の刑事司法やメディアの在り方に対する意見に深く共感した。フリーランスの若いジャーナリストに、これ程の見識と情熱がある人がいるとは。私は、ただただ敬服した。刑事事件について、私は青木さんの発言以上に感銘を受けた事はない。
 私は当時、自叙伝の執筆に追われており、彼の著書を読む余裕はなく、初めて手にしたのが「誘蛾灯」だった。私は、1審の最終陳述で、「自分の生き方や考え方が間違っていたことに気付かされました、今回の件で学んだことを嚙み締め、生き直したいと思っています」と話した。その直後に妹から、「今までの生き方を見つめ直し、前を向いて頑張ろうとするかなちゃんを、私たち家族は応援し見守ります」と言われた。私はもう、誰に対しても嘘をつかず、正直に生きていこう、と決意を固めたのが12年の春。
 家族の協力と警察・検察の捜査記録と外部の調査でひとつずつ事実の裏取りをしながら、生まれてから現在まで綴っていく作業は、自分と向き合う絶好の機会になった。書き上げたら13年の秋になっていた。結果的に1年以上かかったけれど、私にはそれだけの時間が必要だったのだと思う。
 その間、私は家族と弁護人を除き外部の人との接触は新聞社の女性記者と出版社の男性だけ。取材や執筆依頼は引きも切らず、一般の人からの連絡も多かったけれど、数百分の2を大切に守ってきた。誠実に付き合ってきた。いつか青木さんと会えることができたら、堂々と真実を話せる自分でありたいと思い、真面目に努力を重ねてきた。
 そんな折、「誘蛾灯」の第10章「上田美由紀との対話」を読んだ。やはり青木さんは、彼女に直接会っていた。初回は一審の最中に、彼女が勾留されている鳥取刑務所で面会したという。この時点で、私は彼女に猛烈に嫉妬していたのだが、ページを操る手はもう止まらない。青木さんが彼女に会って抱いた印象は「地味で冴えない中年女」。
彼女の裁判は、東京本社発行の新聞の全国版紙面では扱いが小さく、週刊誌でも傍聴記を書いているまともなライターはいなかったので、私は彼女の1審の様子を「誘蛾灯」で初めて知った。青木さんは、13年の4月に、島根の松江刑務所で再び彼女と面会した。終章の「松江にて」では、その様子が丁寧に描かれている。2人の会話を読み進めるうちに、私の目から涙がこぼれた。私は上田さんを馬鹿だと思った。1審の死刑判決から4ヵ月以上、彼女は何を考えて生きてきたのだろう。彼女は、青木さんが何を訊いても、ぬらりくらりとはぐらかし続けた。答える気がないのなら、面会を拒否すれば良いではないか。嫌疑をかけられ、地裁で罪を認定され、極刑に処された人間に判断を留保し、被告人の話に耳を傾けようとしてくれる有能なジャーナリストが、どれ程ありがたい存在なのか、彼女はわかっていない。私は彼女を大馬鹿だと思った。腹立たしくもあった。彼女は、自分が青木さんに選ばれた僥倖をわかっていないのだ。私の事件や裁判を報道したのが、無能なフリーライターばかりだった無念も、彼女にはわからないだろう。そう思ったら、泣けてきた。
 彼女は2度目の面会で「青木さんのことは、信用しています」と言った。しかも、彼の書いた記事を「見てない」とも。何を根拠に、彼を信用できると言えるのだろう。彼女はこの時点で、心から信頼できる人はおらず、正直に話すつもりもないことがはっきりわかった。彼女は、3度目の面会で「記事を見ていないって言ったんですけど、全部見ていますから」と、前回の話に嘘があったことを告白した。私は、この言葉こそ嘘だと思った。弁護団も優秀とは言えず、特定のメディアを決めずに、多数の人と面会を重ね、誰に本当のことを話そうか迷っている彼女が、青木さんの発信している情報を全部見ている可能性は皆無だろう。私は、これまで彼女と面会した幾人ものライターから面会取材しても平気で嘘を言うから面食らった、個人的に協力しようという気になれなかった、という話を知らされてきたのだが、青木さんとのやりとりを読み、腑に落ちた。しかも、彼女は全部見た情報源について「同じ拘禁者の方々から、全部入っています」と言った。
 拘置所に勾留されている被告人や刑務所に服役している受刑者が自力で得られる情報は極めて少ない。青木さんが書いた記事の全てを把握し、それを彼女に提供できる刑事施設収容者がいるとは到底思えない。多分、彼も気付いているだろうに「全部聞いています」と言い切り、ごまかしたことを謝る彼女に「構いませんよ」と優しく声を掛けた。私の彼女に対する気持ちは既に軽蔑になっていた。彼女は、嘘をつかず正直に生きる気持ち良さ、知らないのだろうなぁ。
 私は、彼女の事件についてはわからない。しかし、私と彼女は裁判員裁判で死刑判決を受けた女性被告人という共通点がある。この立場の女性は、現時点で日本に2人しかいない。私と彼女だけ。私は、今どう生きているか、という点において彼女と同列にされたくない。1審判決を覆すことは、ほぼ不可能な現状で、この期に及んで嘘をつく女性と私は違う。彼女と比較されるのは大いに結構。もとより望む所です。
 このブログは、「誘蛾灯」に触発されて開設しました。青木さんの著書でさえ、私に関する記述は、いい加減な関連本と同レベルのものだった。やはり、腰を据えて取材し、本人との対話なしに真実を報道することは出来ないのだと思わされました。上田さんとの対話シーンでは泣いたけれど、スナックでの描写には、声を出して笑っちゃった。スナックは私の知らない世界。本当に面白かった。本とは関係ないけれど、私は個人的に青木さんの髪が好き。ほんの少し白髪混じりで長めのサラサラした真っすぐな髪が、とても似合ってる。長身痩軀のあのルックスで取材に来られたら、ドキドキしちゃうだろうなぁ。私を選んでくれなかった悔し紛れに言いますけど、私は逮捕当時34歳です。いくら私に興味をそそられないからって、年齢は正しく書いてほしかった。
 私は157ページのシーンが一番気に入っている。何度読んでも笑ってしまう。スナックのホステス、マミちゃんと青木さんとの会話が絶妙なのだ。会話をつなぐ地の文が引きつける力に品のある優しさと、間合いや勘の良さを感じさせる繊細な筆致も彼の魅力。私はかなりの本読みであるけれど、「誘蛾灯」は、39年の人生でノンフィクション部門ナンバーワンの1冊。
 私は、最低限の人権が保たれる現在の処遇で発言可能な年月を余命と考え、行動しています。最悪のパターンを想定すると、私の余命はあと数年です。その日まで、美しい魂でありたいと思っている。
 小説を書き終えてからは、私に関して事実ではないことを吹聴し続けている、アダルトグッツショップを経営する女性ライターに対し、民事訴訟を起こす準備に明け暮れておりました。私や家族の名誉の為に、正誤をただしておかなければいけないことが、数多くあるからです。この証拠収集がいかに大変であったか、盤石の備えが出来たその顚末は、いつかここで記したい。
 私は特定のメディア関係者と交流があり、本音のお付き合いをしていますが、このブログでは、本音のさらにその奥にある本心のようなものを伝えていきたいと考えております。私は基本的に、立場を明らかにしていない匿名の意見は信用していませんが、質問には出来る限り答えていこうと思っています。現状では、個別に対応することは難しいため、こちらでまとめて回答する形になる予定です。メッセージはEメール経由でも構いませんが、ブログ管理者の負担を考え、直接郵送で手紙を下さった方を優先します。宛先はこちら
 kijimakanae1127@gmail.com
〒124-0001 東京都葛飾区小菅1-35-1-A 東京拘置所
タイトルは拘置所日記となっていますが、私が今まで体験したこと、考えていることを綴るエッセーです。
以後、お見知り置きを。 2013年12月24日記木嶋佳苗封筒