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深沢七郎(1914~87)の小説「風流夢譚(むたん)」――半世紀前に月刊誌で発表されたがテロ事件の引き金となり、作者が書籍化を封印した問題作だ。それが今、電子書籍の“単行本”として入手可能になっている。
■発行者「現代の状況に重ねられる」
電子書籍『風流夢譚』を発行したのは志木電子書籍の京谷六二(きょうやむに)代表(51)。一昨年11月の刊行後、口コミを中心に、月に30部ほどのペースで売れ続けているという。
月刊誌「中央公論」1960年12月号に、風流夢譚は掲載された。主人公は時間の揺らぐ奇怪な「夢」の中で「革命」に遭遇し、「天皇」や「皇太子」らが「処刑」された情景を見る。その身体からはなぜか「金属性の音」が響き、やがて「辞世の御製(歌)」をめぐる滑稽な解釈談義が始まる――。
グロテスクさをはらんだ「処刑」場面が注目され、皇室への侮辱だという批判が噴出した。翌年2月には右翼少年が中央公論社(当時)社長宅で家人らを殺傷するテロ(嶋中事件)を起こした。
■作者自ら封印
深沢は死傷者が出た事実に深い衝撃を受け、風流夢譚の書籍化を自ら封印したと伝えられる。『深沢七郎集』や『深沢七郎選集』にも収録されていない。
雑誌への掲載時、編集部に2人いた次長のうちの1人が六二さんの父、京谷秀夫さんだった。文芸系の担当者で、右翼への対応に奔走。掲載後には辞表も出した。テロ事件の直後に編集部から異動。63年に退社した。
83年には著書『一九六一年冬』を発表し、自分には「天皇制論議を再びタブー化」し「自己規制」の風潮を生んだ責任がある、と記した。「私は『風流夢譚』をいつの日か復権させたいと願った」とも書いた。
■試験的に許可
長男である六二さんが編集者の道に進んだのは、その2年後だった。光文社でカッパブックスなどを手がけたあと退社。2011年、電子専門のミニ出版社・志木電子書籍を設立した。
手始めに「親孝行として」父の『一九六一年冬』を電子化したとき、「風流夢譚自体を電子書籍にできないか」と思いついた。著作権継承者に許諾を求めたら、意外にも了承された。
なぜ今回、書籍化を解禁したのか。継承者側は「紙の本としては許可していない」と説明する。「電子書籍は本当に必要な人だけに届けられるものだから試験的に許可した」という。
「電子書籍だからこそ出版できた」と六二さんも語る。「資金のない私には、印刷代や紙代、倉庫代が必要な紙の本では出せなかった」
表現の残虐性や「皇族の人権」をめぐって批判も予想される問題作をなぜ公刊したのか。「3・11後の今、改めて読まれる意味があると思った」と六二さんは話す。
「風流夢譚が発表されたのは、60年安保運動が急速に退潮した直後だった。革命や天皇制を風刺した背景に『この国は結局、何も変わらないじゃないか』という深沢の思いが見える。今、福島であれだけの原発事故が起き市民がデモをしても日本は変わらない。この時代状況に重ねることのできる作品だと思う」
秀夫さんは昨年5月に死去した。生前、六二さんは電子版『風流夢譚』の表紙デザインを父に見せている。感想は「やっぱりドキッとするなあ」だったという。
(塩倉裕)
■「皇族処刑の夢」表現に賛否
「風流夢譚」は発表時、激しい賛否の議論を呼んだ。皇族が夢の中で「処刑」される表現については、本紙「天声人語」も「人道に反する」「夢物語だから許されるというものではなかろう」と非難。右翼は「不敬だ」として作者の深沢七郎を脅迫した。
他方、吉本隆明(評論家)は、作中の「皇太子」らは「実在の人物とは似つかぬ」「人形」のように描かれていると擁護。「月例の作品のなかでは最上等の部」と評し、孤立する文学者を守らないジャーナリズムを批判した。武田泰淳(作家)も「痛快な作品」と評価。象徴天皇制の「非人間」性を指摘し、「天皇を無生物視している悪逆の徒は深沢氏ではなく」、深沢を「ひどい」と攻撃する人々の方だとした。
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