2014年2月25日07時35分
60年前のビキニ環礁での水爆実験で「死の灰」を浴びた第五福竜丸。保存のきっかけとなる投書を新聞社にした男性は、広島の被爆者と文通していた。ビキニと原爆。二つの「核の惨事」を通じてつながり、平和を深く願っていた。
東京都江東区の夢の島。第五福竜丸の船体は今、専用の展示館にある。全長約30メートル、高さ15メートル、幅6メートル。一時はゴミ処理場に捨てられた。その状況に疑問を投げかけ、広島の原爆ドームを引き合いに出して保存を呼びかける投書をしたのが、東京都内に住んでいた当時26歳の文具会社員、武藤宏一さんだった。
「ビキニ事件」から14年後。1968年3月10日付の朝日新聞東京本社版の声欄に載った投書は反響を呼び、美濃部亮吉・都知事が保存と展示を決断した。
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朝日新聞社会部
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