2014-02-15
【インタビュー】 二分法の世界観――是枝裕和さん
世界はね、目に見えるものだけでできているんじゃないんだよ――。「そして父になる」でカンヌ国際映画祭審査員賞を受賞するなど世界的評価の高い映画監督・是枝裕和さんが脚本を手がけたテレビドラマのセリフだ。敵か味方か。勝ちか負けか。二分法的世界観が幅を利かせるこの日本社会を是枝さんはどう見ているのか、聞いた。
――昨年12月に発足した「特定秘密保護法案に反対する映画人の会」に賛同されていましたね。
「ひとりの社会人として、責任がありますから」
――政治的な「色」がつくという懸念はなかったですか。
「そんな変な価値観がまかり通っているのは日本だけです。僕が映画を撮ったりテレビに関わったりしているのは、多様な価値観を持った人たちが互いを尊重し合いながら共生していける、豊かで成熟した社会をつくりたいからです。だから国家や国家主義者たちが私たちの多様性を抑圧しようとせり出してきた時には反対の声をあげる。当然です。これはイデオロギーではありません」
――ならば、日本政治や社会を告発するようなドキュメンタリーを撮ろうとは考えませんか。世界的に名高い是枝さんの手になれば、社会の空気を変えられるかもしれません。
「たとえば『華氏911』でマイケル・ムーアが表明したブッシュ政権への怒りの切実さが、多くの人の心を揺さぶったのは間違いない。だけど豊かなドキュメンタリーというのは本来、見た人間の思考を成熟させていくものです。告発型のドキュメンタリーを見ると確かに留飲が下がるし、怒りを喚起できるし、それによって社会の風向きを変えることもあるかもしれない。でもそのこと自体を目的にしたら、本質からずれていく気がします」
「あるイベントで詩人の谷川俊太郎さんとご一緒したのですが、『詩は自己表現ではない』と明確におっしゃっていました。詩とは、自分の内側にあるものを表現するのではなく、世界の側にある、世界の豊かさや人間の複雑さに出会った驚きを詩として記述するのだと。ああ、映像も一緒だなと。撮ること自体が発見であり、出会いです。詩やメッセージというものがもしあるのだとしたら、それは作り手の内部にではなく世界の側にある。それと出会う手段がドキュメンタリーです。ドキュメンタリーは、社会変革の前に自己変革があるべきで、どんなに崇高な志に支えられていたとしても、撮る前から結論が存在するものはドキュメンタリーではありません」
――じゃあ何ですか。
「プロパガンダです。水俣病を撮り続け、海外でも高く評価された土本典昭さんは『不知火海』という作品で、補償金をもらって陸に上がった漁師が、品のない家を建てて金ぴかの調度品で部屋を飾っている様子も撮っています。そのような、水俣病を告発するというプロパガンダからはみ出した部分こそがドキュメンタリーの神髄です。人間の豊かさや複雑さに届いている表現だからこそ、人の思考を深め、結果的に社会を変えられるのだと思います」
「安倍政権を直接的に批判するドキュメンタリーもあっていい。だけどもっと根本的に、安倍政権を支持している私たちの根っこにある、この浅はかさとはいったい何なのか、長い目で見て、この日本社会や日本人を成熟させていくには何が必要なのかを考えなくてはいけません」
――この浅はかさ。何でしょう。
「昔、貴乃花が右ひざをけがして、ボロボロになりながらも武蔵丸との優勝決定戦に勝ち、当時の小泉純一郎首相が『痛みに耐えてよく頑張った。感動した!』と叫んで日本中が盛り上がったことがありましたよね。僕はあの時、この政治家嫌いだな、と思ったんです。なぜ武蔵丸に触れないのか、『2人とも頑張った』くらい言ってもいいんじゃないかと。外国出身力士の武蔵丸にとって、けがを押して土俵に上がった国民的ヒーローの貴乃花と戦うのは大変だったはずです。武蔵丸や彼を応援している人はどんな気持ちだったのか。そこに目を配れるか否かは、政治家として非常に大事なところです。しかし現在の日本政治はそういう度量を完全に失っています」
「例えば得票率6割で当選した政治家は本来、自分に投票しなかった4割の人に思いをはせ、彼らも納得する形で政治を動かしていかなければならないはずです。そういう非常に難しいことにあたるからこそ権力が与えられ、高い歳費が払われているわけでしょ? それがいつからか選挙に勝った人間がやりたいようにやるのが政治だ、となっている。政治の捉え方自体が間違っています。民主主義は多数決とは違います」
「政治家の『本音』がもてはやされ、たとえそれを不快に思う人がいてもひるまず、妥協せずに言い続ける政治家が人気を得る。いつから政治家はこんな楽な商売になってしまったのでしょう。『表現の自由』はあなたがたが享受するものではなくて、あなたが私たちに保障するものです。そのためにはあなたの自己表出には節度が求められるはずです」
――しかし政治に限らず、「勝たなきゃ終わり」という価値観が世間では幅を利かせています。
「世の中には意味のない勝ちもあれば価値のある負けもある。もちろん価値のある勝ちが誰だっていい。でもこの二つしかないのなら、僕は価値のある負けを選びます。そういう人間もいることを示すのが僕の役割です。武蔵丸を応援している人間も、祭りを楽しめない人間もいる。『4割』に対する想像力を涵養するのが、映画や小説じゃないかな。僕はそう思って仕事しています」
「ただ、同調圧力の強い日本では、自分の頭でものを考えるという訓練が積まれていないような気がするんですよね。自分なりの解釈を加えることに対する不安がとても強いので、批評の機能が弱ってしまっている。その結果が映画だと『泣けた!』『星四つ』。こんなに楽なリアクションはありません。何かと向き合い、それについて言葉をつむぐ訓練が欠けています。これは映画に限った話ではなく、政治などあらゆる分野でそうなっていると思います」
「昨年公開した『そして父になる』の上映会では、観客から『ラストで彼らはどういう選択をしたのですか?』という質問が多く出ます。はっきりと言葉では説明せずにラストシーンを描いているから、みんなもやもやしているんですね。表では描かれていない部分を自分で想像し、あの家族たちのこれからを考えるよりも、監督と『答え合わせ』してすっきりしたいんでしょう。よしあしは別にして、海外ではない反応です。同じく日本の記者や批評家はよく『この映画に込めたメッセージはなんですか』と聞きますが、これも海外ではほとんどありません」
――そうなんですか。
「聞かれないどころか、ロシア人の記者に『君は気づいてないかもしれないが、君は遺された人々、棄てられた人々を描いている。それが君の本質だ』って言われたことがあります。で、確かにそうだった。ずっと『棄民』の話を撮りたいと思っていたから。すばらしいでしょ。翻って日本では多数派の意見がなんとなく正解とみなされるし、星の数が多い方が見る価値の高い映画だということになってしまう。『浅はかさ』の原因はひとつではありません。それぞれの立場の人が自分の頭で考え、行動していくことで、少しずつ『深く』していくしかありません」
――「棄民」を撮るんですか。
「ブラジルの日系移民の話をいつか劇映画でやりたいと思っています。彼らは国に棄てられた『棄民』ですが、第2次世界大戦が始まるとむしろ日本人として純化していく。情報遮断状態におかれた移民たちは日本の敗戦を知らず、うわさを聞いても信じない。そして負けたと主張する仲間を『非国民だ』と殺してしまう。似ていませんか? いまの日本に。国に棄てられた被害者が加害の側に回る、そこに何があったのかを描いてみたいんです」
「精神科医の野田正彰さんは、加害の歴史も含めて文化だから、次世代にちゃんと受け渡していかなければならないと指摘しています。その通りです。どんな国の歴史にも暗部はある。いま生きている人間は、それを引き受けないといけません。だけど多くの人は引き受けずに、忘れる。東京電力福島第一原発事故もそうでしょう。『アンダーコントロール』だ、東京五輪だって浮かれ始めている。どうかしていますよ」
「いまの日本の問題は、みんなが被害者意識から出発しているということじゃないですか。映画監督の大島渚はかつて、木下恵介監督の『二十四の瞳』を徹底的に批判しました。木下を尊敬するがゆえに、被害者意識を核にして作られた映画と、それに涙する『善良』な日本人を嫌悪したのです。戦争は島の外からやってくるのか? 違うだろうと。戦争は自分たちの内側から起こるという自覚を喚起するためにも、被害者感情に寄りかからない、日本の歴史の中にある加害性を撮りたい。みんな忘れていくから。誰かがやらなくてはいけないと思っています」 (聞き手 論説委員・高橋純子)
これえだ・ひろかず 映画監督・テレビディレクター。1962年生まれ。ドキュメンタリー番組の演出を手がけ、1995年に映画監督デビュー。作品に「誰も知らない」「奇跡」「そして父になる」など。
≡朝日新聞 2014年2月15日付掲載≡
2014-02-14
【Media Times】 ネットのデマ、許す空気
裏付けのない話が独り歩きし、もっともらしいまとめサイトが多くのアクセスを集める。インターネットの世界に渦巻く玉石混交の情報は、既存メディアへの不信の表れとも言われる一方、真偽を判断する能力をそいでしまう側面も持ち合わせているという。
《朝日新聞社に「進藤翔」記者はおりません》。1月29日夜、朝日新聞デジタルにアップされた「お知らせ」。ネットでは「滑稽だ」「珍しいリリース」と話題になった。発端は1月25日にあった籾井勝人NHK会長の就任会見だ。質問した記者が「朝日の進藤翔(24)らしい」といううその情報がツイッターで拡散。朝日新聞社は放置できないと判断し、公式サイトにお知らせを出した。
東京都知事選では、細川護熙氏を支援した小泉純一郎元首相が1月19日にツイッターを開設。ツイッター社の公認マークもつき、フォロワーは一時7万人を超えたが、小泉氏側が本人ではないとして「なりすまし」疑惑に発展。その後、本人のものと確認され、約1週間後に再開した。なりすまし、と言えばツイッターには「bot」と呼ばれるアカウントがある。「ロボット」が語源で、自動的に発言する仕組みだ。著名人の名前の後に「bot」とある場合は本人ではなく、その人の発言録が流れていることが多い。悪質なbotでは本人の顔写真を使ってなりすまし、悪意のある発言を流すものもある。
真偽が怪しい情報が流れるネット世界の根底には「マスメディアへの不信」があると、ジャーナリストの津田大介さん(40)は言う。その上で、ネットには“マスコミは情報操作している”という前提で、特定の話題の情報を集めた「まとめサイト」などで広告収入を狙う運営者と、「マスコミを正し、日本を良くすると義憤に駆られたユーザー」が集まり「共犯関係」を作っている、と解説する。ネット情報はどこまで正しいのか。マスメディアは報じた内容が誤っていた場合、「訂正」を出すなどの対応をとるが、ネットで誤った情報を流しても追及されることは少ない。津田さんは「ネットでは自分が信じる価値観を補強し、多くの人と共有したい気持ちが強くなり、そのためには真実を確認しようという気持ちが薄くなる」と分析する。
ネットの特徴について、東京大学大学院の橋元良明教授(コミュニケーション論)は、匿名性が高く、根拠が薄弱でも極端な意見が注目を浴びやすく、「本当は違うのでは」と思っても声に出せない人も多いと指摘。その中にいると「『世間がみんなこうだ』と考えてしまいやすい現象が起きる」と話す。日本大学大学院の林成之教授(情報生命科学)は、ネットユーザーが全部そうではない、と前置きした上で「ネット社会では、同じ意見の人が集まり『そうだね、そうだね』と言っていると、正しいかどうか検証しなくなってしまう」と危惧する。
そんな中、昨年9月に注目される判決が出た。ネットに書き込まれた中傷を別の掲示板に「転載」された男性が、ネットの接続業者を相手取り、転載した投稿者の氏名などの開示を求めた裁判で、東京高裁は訴えを認めたのだ。判決は「広範に情報を社会に広め、(男性の)社会的評価をより低下させた」とし、安易な転載に警鐘を鳴らすことになった。津田さんは判決について「誤った情報を載せても制裁を受けなかったネットにメディアとしての責任を課した」とみる。同時に「ネットにはマスメディアが報じない真実の告発もある。それも裁判でとめられやすくなれば言論萎縮につながりかねない」とも話す。 (今村優莉)
≡朝日新聞 2014年2月14日付掲載≡
2014-02-12
若者に届かぬリベラル――宇野常寛さん、都知事選を読み解く
平和や公正を重視する「リベラル」の声は、若者に届いていない。東京都知事選の結果をそう読み解くのは評論家の宇野常寛さんだ。注目するのは、既存の保守層よりタカ派色の強い訴えをした田母神俊雄氏が得た61万票余り。届かないのには理由がある――。
「ネット保守」と呼ばれる層に人気が高いとされる田母神俊雄氏の票数は衝撃的でした。マスメディアの出口調査によれば、投票した20代の4分の1近くが彼に投票しました。かなりの割合が「ネット保守」と考えると、リベラル勢力は自分たちの言葉が届かない若い層がこれだけいるということを軽視してはいけないと思う。マスメディアだけの問題ではないと思います。僕を含めた30〜40代のインターネットに足場を持つ若いジャーナリストや言論人の言葉が、ネット保守の動員力に対抗出来ていない。
僕の考えでは、こうした若いネット保守層は甘く見られてきた。承認欲求が満たされない「かわいそうな若者」とレッテルを貼り、ただ軽蔑して済ませていた。しかし、ネット保守層はこうした「かわいそうな若者」にとどまらないのではないか。現実に東アジア情勢は緊迫し、北朝鮮の状況も混迷している。この状況下で、防衛、外交方針を具体的に打ち出す保守派に対して、リベラル勢力は数十年前から更新されない言葉で教条的かつ精神論的な憲法9条擁護論を繰り返すだけで、現実に存在する国民の不安に対応しようとしない。
たとえば、自民党が国防軍の明記などを盛り込んだ憲法改正草案を発表したとき、多くのリベラルな憲法学者たちは「憲法とは何かを分かっていない」と自民党案をバカにした。もちろんこうした指摘自体は妥当だったと思うし、個人的にも支持します。しかし、リベラル勢力はこうして相手をバカにするだけで自分たちは具体的な、現実的な処方箋を出せていない。これでは、実際に国防に不安を抱いている人々を安心させるどころか、「この人たちは自分たちの話を聞いてくれない」と心を離れさせるだけです。
私見では、国家に軍事力が必要であることも、近隣諸国の反日ナショナリズムの問題も一通り認めた上で、保守派の掲げる「重武装化」や「強気外交」以外の現実的な選択肢を提示することが、リベラルの側にもっと必要だと思う。性急な改憲や重武装化以外の手段を講じた方が、国防に結びつくというアピールが足りていない。その背景にあるのは、リベラル勢力のある種の大衆蔑視だと僕は考えています。
今回の選挙で僕が支持したのは、30代のIT起業家、家入一真氏です。ほとんど何の準備もなく出馬し、ほぼインターネットのみの選挙戦を戦うことになりました。獲得票数は9万票足らずと、もちろん合格点にはほど遠い。でも、新聞やテレビが拾い上げられない若いマイノリティーの声を、インターネットから少しでも拾い上げることが今の政治には必要だという家入氏の確信は間違っていない。戦後的な中流家庭が崩壊した後、新しいホワイトカラー層とブルーカラー層が生まれ始めています。家族構成も労働環境も従来の政治を支えてきた人たちとは違う。こうした人々の声を拾う回路がネット保守勢力に集中してしまうことに、僕は強い危惧を覚えます。
この10年でもっとも日本の都市の風景を変えたのは、まさに家入氏のようなIT起業家たちでした。政治文化は短期間では変わらないし、短期的には大した動きにはならないかもしれない。しかし家入氏のような勢力が今回の運動で得たネットワークを元手に、彼の本来の領域である民間サービスやNPO活動の領域で、政治的なコミットメントを増やしていくことは重要だと考えます。メディア上のポピュリズムではなく、生活に根ざしたネットワークの形成への移行が必要なのではないか。それがインターネットからネット保守以外の政治文化を生み出すための、中長期的な運動のかたちなのだと思います。 (聞き手・高久潤)
うの・つねひろ 1978年生まれ。著書に『日本文化の論点』など。
≡朝日新聞 2014年2月12日付掲載≡
2014-02-11
田母神氏、60万票の意味…「ネット保守」の支持
9日投開票の東京都知事選で、田母神俊雄氏(65)が60万票余りを獲得した。支援者らは、従来の保守層よりも過激な傾向があり、愛国的なネットユーザーたちである「ネット保守」が予想を超える善戦を生んだと沸き立つ。これまで実態が見えなかった新たな保守層が、田母神氏の「基礎票」になって現れた、との見方もある。
9日午後8時半過ぎ、東京・市谷の選挙事務所に姿を見せた田母神氏には、悔しさがにじんでいた。報道各社が舛添要一氏(65)の当選確実を伝えた直後に記者会見に臨んだ田母神氏は、はじめこそ「組織票がない中で一定の成果はあった。満足すべきかなと思う」と選挙戦を総括した。しかし、敗戦のショックからか、その言葉には次第に悔しさが募っていった。「やっぱり組織票は強いんだなあと実感した」「勝ち組についた方がいいと考えたのではないか」。会見を10分余りで終えると、事務所を去った。だが、午後9時を過ぎて開票が始まると、事務所の雰囲気は一変した。当初は「30万票は堅い」(陣営幹部)と見ていた得票を大きく上回る伸びを見せたからだ。支持者らは沸き立ち、陣営幹部は「負けた気がしない。戦後日本の欺瞞、偽善にうんざりしている人たちがこれだけいる。新しい政治勢力の誕生だ」と興奮を隠さなかった。
選挙に初めて立候補した田母神氏の陣営はすべてが手探りだった。日本維新の会の石原慎太郎共同代表が応援にかけつけたものの、特定の政党や業界団体の支援は受けず、頼りはタカ派としての知名度とネットでの人気。告示前のラジオ番組のネット投票では、4万近い投票のうち約8割を獲得した。ただ、陣営はネット人気に頼っては当選は望めないと判断。景気対策、防災・福祉政策など、幅広く訴えた。街頭演説では、これらの内容に3分の2程度の時間を割いた。支援者に日の丸を振るのをやめさせ、丸の内のオフィス街では「私は本当にいい人なんです」と笑顔で練り歩いた。
それでも演説が盛り上がったのは、強気の保守色を前面に出したときだった。選挙戦最終日の8日、JR秋葉原駅前の演説には大雪の中でも約200人が集まった。田母神氏が「侵略戦争、南京事件、従軍慰安婦、全部ウソだ」と訴えると、大きな拍手が湧いた。さらに、田母神氏は「外国人参政権には反対だ」「靖国神社に参拝して誇りある歴史を取り戻す」と主張。別の日の演説では、スピーカーの調子が悪くなると「中国の妨害電波が入りました」と冗談を飛ばし、聴衆の笑いを誘った。
田母神氏の演説の聴衆は、中高年の男性が中心だが、若い有権者の姿もあった。男性会社員(26)は「歴史の真実はわからないが、田母神氏のように考えれば誇りが持てる」と語り、女性会社員(25)は「平和を守る気持ちを維持するため、靖国神社を参拝すべきだ」。田母神氏に一票を投じた男子大学生(21)は「ぶれやすい政治家が多い中、強さを感じた」と語った。陣営は国家観で対立する共産、社民両党が推薦する宇都宮健児氏(67)に肩を並べる得票を目指した。宇都宮氏には大差をつけられたものの、約12%の得票率で60万票余りを得た。
今回の結果は、保守勢力の歴史に新たな一歩をしるしたのか。選挙対策本部長を務めた保守系CS放送元社長の水島総氏は「『ネトウヨ』(保守、愛国的なネットユーザー、ネット右翼)という言葉は嫌いだが、彼らが支援のコアになった」と分析。立候補賛同人で「ネット右翼の逆襲」などの著書がある評論家の古谷経衡氏も「これまでネット空間で匿名の存在だった『ネット保守』『ネトウヨ』の実態は判然としなかった。しかし、今回の選挙は投票率が低く、実勢に近いネット保守の基礎票が明らかになったのではないか。新たな政治クラスター(集団)として顕在化したと言える」と語る。
昨年夏の参院選の比例票では、共産党が約515万票、社民党は約126万票を獲得した。自民党の業界団体出身候補の得票数は郵政約43万、農協約34万。これらに匹敵する新たな政治勢力が、田母神氏の選挙結果に表れた可能性もある。ただ、今回の数字がそのまま「ネット保守」の基礎票と断定するには早いと、ネットニュース編集者の中川淳一郎氏は語る。中川氏は「田母神氏がメディアから主要4候補として扱われたのも大きい」として、過激な傾向のネット保守だけでなくより幅広い保守層を取り込んだ結果だと指摘。「ネトウヨを中心に60万票取れるとは思えない」と分析する。 (秋山惣一郎、岡田昇)
◇
「ネット保守」や「ネット右翼」とはどんな人たちなのか。今回の選挙結果をどう見ればいいのだろうか。ネットニュース編集者、中川淳一郎氏に聞いた。
「ネトウヨ(ネット右翼)」というと、若く、低学歴で収入は少なく、ネットに親和性の高い人たちというイメージが流布されているかもしれません。私はネトウヨに批判的ですが、別にイメージが暗いから批判しているわけじゃない。論理的でないから批判しているんです。今回の東京都知事選で田母神俊雄氏を応援していたタレントのデヴィ夫人が、テレビ番組で女性タレントを平手打ちしたという「事件」が話題になりました。こんな芸能ネタですら、ネトウヨの手にかかれば「田母神氏を落選させるために反日マスコミが仕組んだストーリーだ」となります。とにかく根拠も薄い「証拠」を積み重ねて、フジテレビの罪だとか、朝日新聞の悪だとかの陰謀論を信じているのがネトウヨの特徴です。とにかく結論ありきなんですよ、彼らは。
先日、フランスの漫画展で、従軍慰安婦を巡る日本側の展示が撤去されたことが問題になりました。でも、よく調べてみてください。日本側の展示には、ナチスのカギ十字が描かれていた。ナチス・ドイツに蹂躙されたフランスで、カギ十字を引き合いに出すことが、どれだけ現地で反感を買うか。彼らにはそんな想像力すら働かないんです。そうです。ネトウヨは、とにかく韓国、あるいは中国が嫌いで、日本が韓国に支配されていると思い込みたい妄想にとらわれている人たちなのではないでしょうか。韓国って日本を支配するほど優秀なのかって話でしょ。それに、ネトウヨが保守だと言っても、まず「嫌韓」ありき。私は、そこを何とかしろと言っています。
ただ、最近ちょっと怖いなと思うのが、ネトウヨの主張を一般の人も理解するようになってきたことです。朴槿恵大統領の登場以降、韓国に対し、一般の人もあきれたり、嫌悪感を抱いたりしはじめている。ブログで仕事のことばかり書いていた人が、韓国の悪口を書き始めるとか、ネットをのぞいていると韓国を通じたネトウヨ予備軍が増えているのを実感します。
今回の都知事選で田母神さんは、供託金没収を免れるレベルだと考えていたので、投票率が低い中で60万票をとったのには正直びっくりしました。考えれば、田母神さんが主要4候補の中でいちばん保守的で保守層を取り込んだことと、石原慎太郎・元都知事の後継を打ち出していたことが大きかったのではないでしょうか。新聞やテレビも保守色の強い政策だけでなく、防災などの政策も報道していましたし、まともなことを言っているという印象もあったでしょう。
今回の選挙だけでネトウヨが新たな政治勢力として顕在化したというのは、さすがに過大評価です。2009年の衆院選で、当時の麻生太郎首相が東京・秋葉原で街頭演説して大いに盛り上がった。それをそのまま世間の風だと信じて、結果、自民党は惨敗した。選挙でネットを重視したってろくなことはない。あれから4年半。今回ネット選挙に徹し、ネット上の存在感は田母神さんに次いだ家入一真氏だって獲得したのは約9万票でしょう。それが選挙における今のネットの実力です。結局、今の選挙は老人と、とある組織を支持する人々の組織票が強い。ネットですべてが決まると考えるのは誤りだ。
だいたいネトウヨが首都の有権者の12%(田母神氏の得票率)もいる国なんて気持ち悪い。もし本当にそんなにいるなら、私は日本を出ていきます。 (聞き手・秋山惣一郎)
◇
朝日新聞社の出口調査によると、田母神氏は20代と30代の若年層に浸透していた。また、原発を「ゼロにはしない」という人や、政策で「環境・防災」を重視する人の支持も集めた。支援した石原慎太郎氏が共同代表を務める日本維新の会の支持層を集め、自民党支持層の一部も獲得した。年齢別では、20代では、田母神氏に投票したのは24%に上り、舛添氏の36%に次いで2位だった。30代でも田母神氏は17%で、細川護熙氏の15%を上回った。男女別では、田母神氏に投票した割合は、男性が女性の1.7倍に上った。
原発については「ゼロにはしない」という人のうち、29%が田母神氏に投票し、舛添氏の53%に次いだ。投票の際に最も重視する政策として「環境・防災」を選んだ人は、35%が田母神氏に投票した。舛添氏の42%に迫った。支持政党別にみると、維新支持層のうち、25%が田母神氏に投票。舛添氏の36%に次いだ。自民支持層も16%が田母神氏に投票した。都知事選の投票率は46.14%で、過去3番目の低さだった。 (鶴岡正寛)
たもがみ・としお 1948年生まれ。防衛大学校を卒業後、航空自衛隊に入隊。統合幕僚学校長、航空総隊司令官などを歴任し、2007年の第1次安倍政権下で航空自衛隊トップの航空幕僚長に就任。翌年、「我が国が侵略国家だというのはぬれぎぬだ」と主張する論文を発表し、更迭された。以後、保守派の論客として活躍し、保守や愛国的なネットユーザーから支持を受けた。1月7日、日本維新の会の石原慎太郎・共同代表の個人的な支援を受けて立候補を表明した。
≡朝日新聞 2014年2月11日付掲載≡
2014-02-09
保守「本流」誰の手に…1強政権にのまれるハト派
安倍政権下で保守本流が「空き地」化しつつある。ここに旗を立て、日本政治の一翼として復活させようという動きが出てきた。
1月23日、東京都内のホテルに3人の自民党幹事長経験者が集まった。加藤紘一、古賀誠、山崎拓。加藤と古賀は名門派閥「宏池会」の元領袖。山崎は加藤の盟友だ。「今の自民党は右に寄りすぎだ」「『保守本流』を担う世代を育てないと」。3長老は危機感を吐露し合ったが、名案は浮かばぬまま別れた。保守本流――。宏池会の「派是」だ。自民党内のハト派とされ、吉田茂が進めた軽軍備・経済重視路線を引き継ぎ、所得倍増計画で高度経済成長を実現した元首相池田勇人の流れをくむ。穏健な政治手法や所得再分配、アジアとの友好を重んじ、大平正芳、鈴木善幸、宮沢喜一という首相を生んだ。
一方、衆参のねじれを解消し、国会で「1強体制」を築く首相安倍晋三は祖父・岸信介の流れをくむ「清和会」出身。自主憲法制定を強く主張してタカ派・党内右派として知られ、党内で「保守傍流」と呼ばれることもあった。安倍自身、安全保障や憲法改正を前面に掲げ、強気なアジア外交を展開し、高い支持率を維持する。宏池会が担ってきた本流としての存在感は薄まる一方だが、そこに目をつけた現職政治家がいた。
長老がため息をつきあった3日前の東京・丸の内。業界団体の会合に出ていた宏池会元会長で法相谷垣禎一のもとに、民主党の元官房長官、枝野幸男が歩み寄った。「谷垣さんたちがしっかりしないと、我々が取りにいきますよ」。枝野の保守本流奪取宣言だった。本流の弱体化と同時にその争奪戦が始まっている。
「『宏池会内閣』と言っていいくらい安倍内閣を支えていただいている」。政権発足から4カ月経った昨年4月、安倍は東京都内であった同会のパーティーでこうあいさつした。反対の立場にあるはずの安倍から投げかけられた、同会の現状を象徴する皮肉な言葉だった。長期政権だった自民党における宏池会。元会長の加藤はその役割を「料理でいえば脂ぎった自民党という料理にかけるコショウだ。バランサーとも言える」と説明する。自民党が右に行きそうになると宏池会が存在感を示し、全体のバランスをとったという意味だ。
しかし、安倍政権を支える宏池会の閣僚は現会長で外相の岸田文雄をはじめ、農林水産相の林芳正、防衛相の小野寺五典、震災復興相の根本匠。元会長の谷垣を含めると5人もいる。辛口の「コショウ」として政権を引き締めるどころか、引き立て役のようになっている。会長を岸田に譲って議員を引退した古賀は最近、周辺に「自民党はぐーっと右に寄ってしまった。そのことを私が発信する」と語ったという。だが、引退した元領袖が旗振りせざるをえないところに保守本流の苦悩が浮かぶ。
一方、谷垣に「保守本流奪取宣言」した枝野。1日、地元さいたま市で行った講演は、居合わせた支援者たちを驚かせた。「自民党保守本流は平和志向の国際協調や格差を作らない政治を進めてきたが、崩壊状態だ。保守本流を再構築したい」。民主党の枝野が「保守」と口にした。政権転落から党再生を目指す枝野の狙いは、安倍政権の誕生で「空き地」化した保守本流という土地に旗を立てることだ。当選7回の枝野だけでなく、中堅・若手にも浸透する。鳩山・菅両内閣で内閣府政務官を務めた若手の津村啓介は自身のツイッターで「野党再編の政策軸は宏池会的ポジションだ」とつぶやいた。社民党出身の中堅辻元清美は4月から「『リベラル保守』宣言」の著書がある保守の若手論客、北海道大准教授の中島岳志らを講師に招き、政治家養成を目指す。
かつての保守本流の弱体化は時代の流れとの見方もある。再分配のための財政の余裕はなくなり、市場原理が優先されるようになった。中国や北朝鮮などが軍備増強するなどアジア情勢も激変。ネット上では保守本流を「弱腰」と攻撃する言葉も飛び交う。民主党内も一枚岩ではなく、若手の一人は「ハト派的言動はもはや支持されない」と冷ややかだ。それでも、民主党は9日の党大会で「暴走を始めた安倍・自公政権との対決姿勢を鮮明にする」との2014年度活動方針案を決定する。その対立軸こそ「保守本流」しかないという認識は党内で広がりつつある。保守勢力と対決してきた旧社会党出身で前衆院議長の横路孝弘は「安倍内閣の支持率は高いが、原発や改憲など個別政策では反対も多い。『空き地』が求められるときは必ず来る」と力を込める。 《敬称略》 (林尚行、佐藤徳仁)
≡朝日新聞 2014年2月9日付掲載≡