東日本大震災:七十七銀行女川支店訴訟 津波犠牲敗訴 「職場の安全、後退」遺族、唇かみしめ
毎日新聞 2014年02月25日 東京夕刊
東日本大震災の津波で犠牲になった七十七銀行女川支店(宮城県女川町)の行員ら3人の遺族が銀行に賠償を求めた訴訟で、仙台地裁は25日、同行は安全配慮義務を尽くしたとして賠償責任を否定した。「愛する人の死を再発防止に生かしてほしい」と、犠牲者の勤務先の責任を追及してきた原告の遺族らは、地裁判決の主文を聞き、唇をかみしめた。【近藤綾加】
同支店では支店長の指示で高さ約13メートルの屋上に逃れた行員ら12人が死亡・行方不明となった。近隣の金融機関の従業員らは約260メートル北西の町指定避難場所の高台などに逃げて助かった。裁判を起こした遺族や友人らは、七十七銀行に原因究明や再発防止などを求める約1万5000人の署名を集めるなどの活動も展開してきた。
判決言い渡し後、長男健太さん(当時25歳)を失った田村弘美さん(51)は仙台地裁前で「残念。でも私はこの案件を伝え続けます」と話した。妻祐子さん(当時47歳)が今も行方不明の高松康雄さん(57)は「職場の安全を一歩でも二歩でも進めたいと思いましたが、前進どころか後退してしまった」と語った。
◇防災意識高める−−七十七銀
七十七銀行は「安全配慮義務違反がなかったことが確認された。12人の行員・スタッフを失った悲しみに変わりはなく、防災への取り組みや行員一人一人の防災への意識をより高めていきたい」とのコメントを出した。
◇悲しみ増すばかり 丹野美智子さんの母と妹
「どうして近くの高台に逃げなかったの……」。七十七銀行の行員だった丹野美智子さん(当時54歳)=宮城県石巻市=の遺族は今も、無念の思いを抑えることができない。「3年たっても悲しみはむしろ増すばかり」。原告の母長子(ながこ)さん(82)はこう漏らした。
大震災当日、仙台市青葉区の勤務先にいた妹礼子さん(56)は、海から約100メートルの女川支店で働く姉の安否が気になった。午後4時過ぎに姉から「無事です」と携帯メールが届いた。発信時間は「午後3時19分」。時間差が生じたのは通信環境の悪化が原因とみられるが、姉の無事を確信し、胸をなで下ろした。
2日後の13日早朝、姉を迎えに女川町に車で向かった。しかし、どの避難所を回っても姿はない。「銀行の人は屋上に避難したと聞いている」。ある避難所の女性の言葉に、津波にのみこまれたと直感した。支店からは町が指定した避難場所の高台「堀切山」が見える。悔しさが募った。美智子さんの遺体は約1カ月後、町内の浜で見つかった。
長女の美智子さん、次女礼子さん、三女恵子さん(53)は仲の良い3姉妹だった。社会人になり別々に暮らしても、仕事を終えると姉妹で食事や買い物に出掛けた。病床の父親が亡くなるまでの4カ月間は、分担して食事の介助などを続けた。
美智子さんは日本舞踊の名取で、定年退職後はボランティアで指導教室を開く夢を持っていた。旅行も好きで「退職したら姉妹で世界遺産を巡ろう」とよく話した。しかし、そんな夢はすべてかなわなくなってしまった。
「企業の防災にとって大切な裁判だっただけに残念」。判決後、礼子さんはこう話し、口を真一文字に結んだ。【鈴木健太】