澤藤統一郎弁護士が「人にやさしい東京をつくる会」の運営委員から解任されたと発表した(澤藤統一郎の憲法日記「宇都宮健児君、立候補はおやめなさい。」2013年12月21日)。それに対する「応戦」として、澤藤氏は「宇都宮健児君」「宇都宮選対」「人にやさしい東京をつくる会」への「宣戦布告」を宣言した。

私は2012年の東京都知事選挙に勝手連として参加した立場である。その立場として、この種の「内ゲバ」が起きたことは非常に残念という思いを強調する。だから左翼はダメという思いを抱いてしまう。

私は「人にやさしい東京をつくる会」のメンバーではない。「人にやさしい東京をつくる会」の人事を左右する立場ではない。人事を論評することは自由であるが、来るべき選挙に向けて解任が市民派選挙のダメージにならないよう、逆に市民派選挙にプラスの効果を及ぼすことを期待する立場である。その立場から澤藤氏の解任を評価し、歓迎したい。

最初に澤藤氏と選対の対立の経緯が問題である。澤藤氏は「私と宇都宮選対の「対立」は、私がこの「私的総括」を1月5日付ブログで公表したことに端を発します」と説明する(「宇都宮健児君、立候補はおやめなさいーその2」)。これは本当だろうか。多くの関係者は、そのようには考えていない。

「人にやさしい東京をつくる会」は2013年1月20日、「東京都知事選を振り返る集い」を東京都千代田区の在日本韓国YMCA地下ホールで開催した。その最後に会場から選対本部を糾弾する発言がなされた。そこで糾弾された内容が対立の発端であることは明らかである。「私的総括」には「ボランティアで候補者の随行員をしていたT(女性)とS(男性)とは、選挙最終盤において問答無用で随行の任務からはずされた」との記述がある。

これが問題の根源であること、随行の任務から外したことに正当な理由があることを選対本部は明確に説明してもいい。説明しないから秘密主義や閉鎖性を指摘され、選対本部への不信感が高まっている面もある。

一方で、これはプライベートでセンシティブな問題である。説明しないことは選対本部側の優しさという面もある。「振り返る集い」で糾弾された熊谷伸一郎・選対事務局長は苦笑いしていたが、正面からの反論は忍びないという対応は人間として理解できるものである。この対立経緯を知っている立場として、澤藤氏は支持できない。

来るべき選挙戦への影響としても「人にやさしい東京をつくる会」の解任決定は、市民派選挙に活かす方向で建設的に尊重すべきである。勝手連に参加した立場として、2012年選挙での選対の姿勢に言いたいことは色々とある。それらは選挙直後に公表済みであるが、一言で言えば左翼教条主義の色が付き過ぎたということである。

澤藤氏の私的総括では「革新統一」「革新共闘」が強調されており、宇都宮選挙に左翼教条主義の色が付き過ぎたことは当然の帰結になる。澤藤氏は「反貧困・反格差の運動体も、クレ・サラ問題の運動体も、消費者団体も、中小業者も、オリンピック反対運動も、築地移転反対運動も、いずれも選対への結集はなかった」と批判する。

宇都宮選挙が革新統一のための選挙ならば結集しなくて当然である。貧困ビジネス規制条例を最初に制定した自治体は橋下徹知事(当時)率いる大阪府である。反貧困運動が革新にこだわる必然性は存在しない。

開発問題も同じである。無駄な公共事業の中止を掲げる政治勢力は革新だけではない。民主党や第三極の方が(本気度は別として)パッションを持って税金の無駄遣いを批判しており、魅力的に映る面がある。

革新というだけで結集を期待することは無理である。「美濃部都政の夢をもう一度」は世代的なノスタルジーであって、他の世代が動く理由にはならない。むしろ左翼教条主義的な革新は既得権益擁護者と見られる面がある。

澤藤氏は「私的総括」で政党との協力関係が不十分であったと批判する。このこと自体は賛成できる。勝手連の集まりなどでも反省点として挙がっている。一方で澤藤氏の政治的立場、さらに「私的総括」での「明るい革新都政をつくる会など選挙運動に経験をもつ運動体や、吉田万三氏などとの連携の必要性」との記述などを踏まえると、その「政党」は全方位的な支持政党ではなく、特定政党を意識しているように判断できる。澤藤氏は選対本部の無所属議員グループのセクト性を批判するが、別の政党に取って代わるだけではないか。

澤藤氏は「私的総括」をブログで公表したことが選対本部から批判されたと主張する。その上で「討論の過程が広く公開され、透明性が徹底されることこそが原則だと思います」と主張する。この原則には大いに賛成する。しかし、もし澤藤氏が上記原則を何よりも重視するならば、澤藤氏が重視する政党の体質も批判の遡上に載せなければならない。政党と市民運動は異なると反論するかもしれないが、それならば市民派が当該政党を支持することはあり得なくなる。

澤藤氏はブログで「宣戦布告」なる表現を用いている。これが平和憲法擁護を主張する人のメンタリティなのかと情けなくなる。護憲平和運動は戦前の日本軍国主義の批判は熱心であるが、本質的な平和愛好家ではないのではないかと思えてくる。「昔陸軍、今総評」という言葉があったが、左翼側にも軍国主義・全体主義的体質がある。若年層が右傾化して労働組合や市民運動を攻撃する側に回ることは市民運動側からは理解不能かもしれないが、半世紀以上前の日本軍国主義よりも目の前の左翼市民運動の全体主義的体質への嫌悪感から説明可能である。
http://hayariki.net/home/27.htm
以上より「人にやさしい東京をつくる会」が澤藤氏を解任したことは会の勝手であるが、革新に拘泥する澤藤氏の解任は市民派選挙を進める上で好ましいことである。少なくとも澤藤氏が指導的立場に取って代わることよりは歓迎できる。

宣戦布告された側も前回の反省を活かそうという動きがある。「東京をプロデュース」は「宇都宮さんを交えての会合を開き、数名の候補対象者を決めました。そしてその交渉に宇都宮とともに当たります」と発表する。候補対象者は宇都宮政策を継承し、宇都宮氏よりも幅広い支持が得られる人と宇都宮氏も判断した人物とされる。候補対象者が明らかにされていないために賛否は留保するが、宇都宮氏自身が幅広い支持を得られる人を求めているという点が重要である。前回の足りないところを認識していることになるからである。

また、宇都宮氏はインタビューで仮に自分が出馬したら訴えたい政策として第一に首都直下地震対策を挙げるなど左翼教条主義的にならないように努力している。住まいの貧困対策でも前回強調した公営住宅拡充だけでなく、家賃補助や空き家活用を併記する(志葉玲「【速報】都知事選、宇都宮健児氏「多くの人々の応援得られたら、それに応える覚悟ある」Yahoo!ニュース2013年12月22日)。澤藤氏の解任も、この一環としての戦略的動きならば市民派として積極的に支持できる。
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林田力Hayashida Riki
http://www.hayariki.net/
http://hayariki.zero-yen.com/