2006.03.28 UPDATE
Webで一躍有名になって、そして消えていった人は数知れない。ある人は本業が忙しくなり、あるいは更新に疲れ果て、ある人は別の喜びを見つけ、ある人は「炎上」で半ば強制的に去っていく。
今回インタビューをご紹介する倉田光吾郎氏は、本業は「鍛冶屋」さんだ。もともとお父上が営む工房が東京・杉並にあったのだが、光吾郎氏が中学生の頃、周囲が住宅街になってきて、騒音などが問題になり富士山の側、河口湖に移転した。
光吾郎氏は鉄(など)を使って「なんでも作る」をモットーに活動中だ。家もつくる。クルマも改造する。人形アニメも作る。門扉や階段も作る。そして1/1の巨大ロボットも作る。
サンライズのアニメ「装甲騎兵ボトムズ」に登場する「スコープドッグ」という、全高約4mのロボット。これの実物大を、光吾郎氏は「鉄で作る、それもひとりで」と宣言。設計図を引き、鋼鈑を叩いて曲げ、溶接して繋ぐ、その馬鹿馬鹿しいまでの気力体力の無駄遣いっぷりと、形になるに連れて見えてくる造形のセンスに、制作途上の日記の公開が始まるやいなや、あっという間に人気ブログになった。
約1年を費やして鋼鉄製巨大ロボは完成、製作日記は『タタキツクルコト』という本になり、サンライズのアニメ版スタッフが“実物”の見学に訪れ、ついにはサンライズ自身がこの「ボトムズ」を復活させるきっかけにもなった(注:ヨタじゃありません。高橋良輔監督ご自身から直接お聞きしました)。
ロボットをメインに据えた東京・水道橋の個展では、彼の日記に反応して集まったボランティア軍団が会場設営から運営までを担当、2万1000人の来場者を集める大盛況に。
そして…「ボトムズ」製作日記は昨年完結し、光吾郎氏はいま静かに新しい家族と暮らし始めている。2004年~05年の狂騒は、彼に何をもたらし、あるいは奪ったのだろう? 直接お聞きしてみると、このボトムズの一連の流れには、彼自身の相当の覚悟と戦略があったのだ。
(このインタビューは2005年末、河口湖近辺にて収録したものです)
――水道橋の展覧会に行ったときに、前の年(2004年7月)に、ブログを見て初めて会いに行ったときと比べて、倉田さんの雰囲気が本当に変わっていたので、すごくびっくりしたんですよね。
倉田 ああ、あの時…。展覧会ってそれまではいつも個人でやっていたんですよ。スタッフは知り合いだけで、みたいな感じで。今回の「Nurseglove」は、ネットで集まって下さった方と大勢で、いわゆる知り合いが全然いないところからやったので。展覧会を含めて、もういろいろなことががらっと変わりましたね。本当に今年(2005年)に入ってからは、相当。スタイルとか考え方とか。
――展覧会で会ってみると、ブームの頂点にいながら、最初に会った時よりずっと迫力が出たというか「太く」なっているように見えたんですよ。で、その背景を倉田さんに聞いてみたいと思っていたんです。
何というか、すごく失礼な言い方かもしれないんですけど、ネットで有名になる人ってある種のパターンがあるように思えるんです。たぶんそれは、1人で何かを始めて、それを周りが面白がりつつ応援して、わっと盛り上がって頂点に行っちゃって、その後はたいてい続かずに消えていく。
倉田 それ以上のことってないんじゃないですか、ネットだけだとやっぱり。
――ご自身で振り返ってみてですね、「ボトムズ」の制作日誌の公開が始まった途端、1日に数十万のアクセスが来て、そこから展覧会に至る、ここまでの間に、思ってもいなかった嫌なことというのは、ありました?
倉田 この話だと、やっぱりテーマがネットになっちゃいますよね、どうしても。
――どうしてもなっちゃいます、すみません。
倉田 ネットのことで言うと、思ったよりも自分でちゃんとコントロールできるというか、ネガティブな感じで押し寄せてくるものって、あまりなかったような気がするんですよ。
展覧会をやるときも、人数が何人来るかさえ分からない。例えば、あの会場にもしも、1日1000人が来ちゃったらすごく周りに迷惑が掛かるんじゃないか、と心配になるわけです。僕らの展覧会のスタッフというのは、物づくりにはプロでも、イベントの運営はからきしだし、そっちの世界に詳しくない人たちが多かった。
だからブログで「いつ頃来られる予定かアンケートに答えて頂けると、これこれこういう理由でありがたい」とか「これこれの不足、不手際があるかもしれないけれど、これはこういう背景があって」と、いろいろなことをリリースしていったんです。そうすると、すごく分かってくれる。こちらを助けるように動いてくれる。だから、ネットを介してコミュニケーションを密にすごく取れていたような気がしましたね。
――あ、それは会場に行った時に本当に思った。
倉田 うん、人が大勢来てどうしようもないとか、パニック的な雰囲気じゃなかったですね。それを一番心配していたんですが。
――むしろコージーでした、すごくね。
倉田 そう。巨大ロボット兵器がメインの展覧会なのに(笑)。
――子供連れが来ていて、それでも全然平気みたいな雰囲気があって。
倉田 回りを見ずに大騒ぎしているヤツもいないし。
――マナーがよかったですよね。
倉田 だから本当にびっくりですよね。
――コントロール、というと言い方がちょっと棘っぽいけど、そうじゃなくて「俺はこうやりたいんだ、こう思ってこれをやるんだ」というのをはっきり出していくと、意外にちゃんと返ってくると。
倉田 密にこっちからコミュニケーションを取ろうとしていくと、意外とみんな分かってくれるというか、すごく好意的に見てくれる。もちろん、ネットだとやっぱりどうしたって非難中傷はありますよ。
――それしかない世界だと思っている人もいっぱいいますよね。
倉田 実際に、そういう話も聞かなくもなかったし。でも、自分が想像していたより、ネットの世間はこんなに好意的なんだ、なんて。
――何かいい話だな。思っていたよりいい話になっちゃいそうだな(笑)。そうか、そうか。
倉田 不思議ですよね。
――一方でブログの「炎上」という話題がいろいろなところでされてきたじゃないですか。うちの会社のサイトも記事にしているんですけど。例えば、ある雑誌の編集長さんがバスの運転手さんを叱りつけた話を書いたら、それが…。
倉田 あ、見た、それ見た。
――「思ったことをそのまま言えばいい」というのと、「やっていることの理由を説明する」ということとは違うわけじゃないですか。
倉田 自分の場合でお話しすると、(制作日誌の公開を)7月に始めて、もう3日目ぐらいに、アクセス数が10万を軽く越え、世間にばっと広がったという、最初にあの怖さを知っちゃったから、ものすごく初めから気を付けていましたね。
だから、世間様に毒を吐かないように、吐かないように書きましたもん、やっぱり。すごく怖かったから、本当に。それまでは本当にああいう公開の場でモノを書いたこともなかったし、ど素人がやっているから本当に怖くて、もう一度記事を書いたら1時間見直してという感じで、ずっとやっていたので。
――それはすごい大事なことかもしれない。
倉田 だから、たまたまいい方向に転がっていただけかも分からないですけど、そういう意味ではちゃんと。
――ちゃんとそこには「見られている」という意識があったわけですね。
倉田 ありました、ありました、もう本当に。だって怖いですよね。
ブログの先輩方と喋っていたら「ブログを攻撃してくる人は、要するにブログの筆者を人だと思っていない。何か自動販売機に文句を付けている人みたい。人格があると思って見てくれない」という話が。
――自動販売機か、それ怖いな。ヘタすると「このジュースまずいじゃないか」と、ケリを入れられたり、どつかれたりするわけですね。
倉田 うん。
――そうか、自分のやりたいことの説明は、「俺は人なんだ」ということの主張にもなるわけかな。
(PART2“1人でやれば、どうやってでも食っていける”へ)
関連記事
2006.03.28 UPDATE
1973年東京生まれ。1991年、鉄製のギターで「FROM-A-THE-ART」佳作入選。92年に渋谷で個展開催、オペラの舞台装置デザイン及び製作、展示会などを重ね、2004年2月、河口湖近辺のアトリエで「装甲騎兵ボトムズ」に登場するロボットの1/1モデル制作を開始、7月にブログで制作日誌を公開したところ大反響に。2005年4月に完成、4月末から2週間、東京・水道橋で展覧会「Nurseglove」を開き、2万人超の観客を集める。