意外に思われるかもしれないが、安倍晋三首相は「冷徹な人」である。特に、閣僚人事に関しては、第1次政権の反省もあってか、情実人事を一切行わない。
その一方で、情にほだされることが少なくない。直近の例を挙げれば、小松一郎内閣法制局長官(1972年、外務省入省)に関わることだ。
菅義偉官房長官は2月21日午前の定例会見で、小松氏が腹腔部腫瘍のため入院していたが退院、24日から公務に復帰すると述べた。
内閣法制局長官不在の国会審議が1カ月近く続いたが、これで正常化するというのが一般的な受け止め方に違いない。
真実は別にある。病名は個人情報に関わるので慎重な報道が求められるが、小松氏は安倍政権がいま急ぐ集団的自衛権の行使容認のための憲法解釈変更問題のキーマンであるため、あえて書く。
小松長官は腹腔部(胃・腸・肝臓のいずれか)のがんであり、摘出手術を見送るほど重篤なのだ。それでも公務に復帰する、すなわち国会答弁に立つというのである。
話はそれだけではない。長官不在の長期化によって、安倍官邸は菅官房長官が中心となって次期長官人事の検討に入ろうとした矢先の2月初旬のことだ。
小松長官が病床から安倍首相に対し、直訴したという。いわく、「私の命に代えて解釈変更を、何としても自分の手で成し遂げたい。できればしばらくの間、長官職を解かないで頂きたい」
これに安倍首相はホロリときたというのだ。「小松さんは戦死する覚悟なのだな」と。
そもそも、小松長官は、首相の外交ブレーンである谷内正太郎国家安全保障局長(69年)が外務事務次官時代に、国際法局長として集団的自衛権行使の「4類例」を発案した人物である。そして、谷内氏が小松氏を内閣法制局長官に推して実現した。
それから安倍首相は一転して、集団的自衛権の行使容認のための憲法解釈変更の閣議決定を急ぐことにしたのだ。
当初は、今通常国会終了後の夏過ぎを想定していたが、4月中に首相の私的諮問機関の安保法制懇談会(座長・柳井俊二元駐米大使・61年)の報告書提出後に閣議決定するとみられる。
安倍首相の「前のめり」への批判は少なくないが、情にほだされたことからの決断に拍手喝采する向きが多い。もちろん、官邸関係者の間での話だ。想像したくないが、答弁中の小松氏が伏して倒れる場面もあり得るのだ。(ジャーナリスト・歳川隆雄)