私の弁護士は、今回の事件は非常に政治的であり、起訴を阻むには、検察への署名などを通した世論喚起しかないと賢いことをおっしゃっいました。
来月半ば過ぎに書類送検予定です。
それで以下に署名を設けました。
ところが、非常に伸び悩んでいます。日本語版は今のところ500以下、英語版も1500位。
これでは起訴は阻止できない。。。(涙。。。)
署名と拡散に、どうかご協力を!
日本語署名http://www.avaaz.org/en/petition/Fu_Dao_Xian_Jian_Cha_Ting_Dian_ziyanarisutonoZhu_Ye_Nei_Zhen_Li_Shi_Save_Kids_JapanwoQi_Su_sinaidekudasai/?twi …
英語版国際署名https://secure.avaaz.org/en/petition/Office_of_the_Prosecutor_Iwaki_Branch_Fukushima_Japan_Support_Mari_Takenouchi_and_Radiation_Protection/?copy … …
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
おととい、福島の刑事さんたちによる取り調べは終わりました。
結論から言うと、非常に私を丁寧に扱ってくれました。
そして以下のようなびっくりするような褒め言葉まで
「竹野内さんは僕の人生の先生のようですよ」
「竹野内さんが刑事になったらとても似合うと思います」
調書を終わらせた後は、
「どうもいろいろ教えていただきありがとうございました」と頭を下げていただきました。
というわけで、非常に良い雰囲気の中で、敬意をもって接していただき感謝している私です。
(もしかして私がツイッターで逐一報告していたのが怖かったかも?)
でも起訴するかどうかは警察とは別の検察ですし、まったく油断はできないと思っています。
*********
私は結構ドジな部分があるのですが、告訴対象の文言は「人体実験」だったそうです。
てっきり「世紀の罪人」の方かと思い、ブログにもそのつもりで書いていました。
私の部屋に刑事さんが来た2月13日の木曜日、弁護士さんも交えて訴状の一部を見させてもらうと、「人体実験エートス」に印がついていました。
以下が告訴の対象ツイートです。
世紀の罪人2人に共通項→日本に原発導入した中曽根康弘「2011年の日本がこんなにくたびれているとは思わなかった。」
福島で人体実験エートスを主催する(御用)市民活動家、安東量子「戦後67年かけて辿り着いたのが、こんな世界とかや。」長崎の日にて
はっきり言って、私は人体実験と言う言葉は、悲しいながらも今の福島の現状に当てはまっており、これを撤回するというつもりは毛頭ありません。
私は刑事さんに言いました。
「刑事さん、事故前の福島の空間線量をご存知ですか?文部科学省が発表していた・・・」
「え、わかりません」
私「0.038μSv/hですよ!0.038! 今は福島でそれの何倍になっていると思いますか!
だいたい外部被曝だけでこれだけですからね!これに原発事故だから大量の放射性微粒子が環境中にばらまかれ、風にのって舞ってしまうので、呼吸からくる呼気被曝もあれば、食べ物からくる被曝もあるんですよ!」
私「そうだ!刑事さん知っています!?エートスが依拠しているICRPですけどね、20年トップを務めて退職した人物は、『内部被曝に関しては、ICRPの数値は二ケタ低く見積もっている可能性がある』と告白したのですよ!」
刑事「えええ、そうなんですか?」
私「そうです!これを見てください。私が刑事さんに送った本の最後の方に、引用しているんです!」
私は自分が翻訳し、かなり丁寧な訳注やあとがきを付けた『人間と環境への低レベル放射能の脅威』の最後の方のページを開けて見せました。
今回、刑事さんが沖縄に来る前に、自分は真面目に被曝問題を勉強し、根拠に基づいてエートス批判をしていることを知らせるために、あらかじめ、お手紙とこの本と、雑誌記事、『内部被曝』のあとがきなどを送っていたのです。
刑事「竹野内さん、明日は調書をふたつ取らせてもらいますね。竹野内さんの身上書のようなものと、もうひとつは、この『人体実験』と言う言葉をどうして用いたかを中心にした、告訴状を対象とした文書です。」
私「わかりました。ではちょっと軽くまとめてきましょう。」
刑事「今日はコンピュータの画像のチェックなどが済めばよいので、早めに帰ります。明日は10時と言いましたが、できれば9時にお願いします。」
私「え、病児保育に子供を連れていくので、9時ぴたりには来れませんが、なるべく早く行きます。」
刑事「わかりました。お願いします。」
ということで次の日、私は那覇警察署へ。
入り口脇の掲示板には、「行方不明者」のポスターではなく、「迷い犬」「迷い猫」の張り紙が所狭しと張っていある。こういうのも警察が扱うんだ。。。中に一枚、「迷い鳥」というインコがいなくなったというのもありました。
なつかしい・・・私も小学校5年か6年の時、飼っていた青い手乗りインコがいなくなり、半狂乱になって探したことがあるのです。筆字で書いたポスターも何枚も作り、張ったがついに出てくることはなかったなあ。1,2週間はしくしく布団の中で泣いていたなあ。
アンパンを食べながらなつかしく張り紙を見ていたら、福島の女性刑事さんが下りてきて、2階に呼ばれた次第です。
「眠れましたか?」
「ええ、まあ眠れました」
私はこの刑事告訴事件が起きてから、今までのように8,9時間も眠るということがなくなっていました。
5,6時間も寝れば十分になってしまっていました。
無意識にいつも緊張しているからだと思います。
さて、2階に行き、取調室に入ったが、まったく想像したものとは違っていました。
だいたい、那覇の警察の方が大勢働いている部屋(なんという部屋だか忘れてしまった!)を通って、大部屋のいちばん奥に調室というのが。
だから私の想像していた、たぶんみんなも想像していた隔離された取調室とはまったく雰囲気は違ったと思います。
しかも福島の刑事さんは、「ここ、開けっ放しでやりましょうかね?」とか言ってくださるものだから、まるで個室ではなく、私のでかい声は、明け離れたドアの前を行き来していた那覇署の警官の人たち数人にも聞こえていたと思うのです。
エートス刑事告訴!竹野内真理エッセイ
2014年2月16日日曜日
2014年2月5日水曜日
5. 私の刑事さん初体験と選挙ポスター
今日は私の初体験の話をしたいと思います。
もちろん、ここでは刑事初体験の話です。
おかしな想像をした人もおいでかと思いますが、私はそういう話は、いよいよ老いた時に、ボケ防止のために、そういう話も含めた楽しいエッセイでも書こうと思っています。
もっとも、それまで私も日本も存在していたらの話ですが。(意味わかる人はわかりますね?)
私の初の翻訳の仕事は、自宅からさほど離れていなかったマブチモーターでの海外事業部での通翻訳の仕事でした。1年半ほど勤めましたが、主な業務が技術翻訳で、おしゃべり好きの私は通訳がどうしてもやりたくて退職しました。
それから3年半後の2002年8月、マブチモータ社長宅殺人放火事件が起きました。社長の妻が1階で、長女が2階で絞殺され、家屋も放火されたという、残酷極まりない凄惨な事件でした。
退職した後だとは言っても、あまりにひどい事件。マブチ時代からの友達と、「本当にひどい話だ」と話していました。
うる覚えですが、確か独身の40歳の長女は、この日、家族の誕生日のためにお気に入りのチーズケーキを買って帰った時に起きた出来事だったと思います。
さて、その年の終わりころだったと思います。私が一人で借りて住んでいた小さな家に知人の女性を招き、お茶を飲んでいたら、呼び鈴が鳴りました。
玄関を開けると、2人の男性が立っていました。
「竹野内真理さんですね。私たちは千葉県警刑事課のものです。今、マブチモーターの事件の捜査をしており、ご協力願います。」
もうびっくりしてしまった。ドラマのようにこういう事ってあるんだなあと、どぎまぎしながら、
私 「ええ、どうぞ、ご協力できることでしたら。。。」
と答え、まずは、名前や生年月日、退職した時期など一般的質問。
刑 「なにか事件についてご存知のことはありませんか?」
私 「いえいえ、もう退職してからしばらく経ちますし、なにもわからないです。」
そして次の質問が、心底私の度肝を抜いたのである。
刑事 「あなたのアリバイを教えてください。」
え、アリバイ!???
私 「アリバイって、アリバイって、刑事さん、あまりに失礼じゃないですか?あんな残酷な犯罪、私がやれるように見えますか?ちょっとひどい質問だと思います。」
刑事「いえ、私たちも職務としてやっているので教えて下さらないと困ります。2002年8月5日、あなたは何をやっていましたか?」
私 「え、ちょっと今即答できません。あ、待ってください。手帳を見るとわかるかもしれません」
と、ドキドキしながら隣の部屋に行って手帳を探す。あったあった。。。
お茶を飲んでいた知人には、会話が筒抜けだったので、「大丈夫?」という心配の声。
戻ると刑事さんはなぜか少し焦っている様子。
計 「どなたかいらっしゃるのですか」
私「ええ、今ちょうど知人が来て一緒にお茶を飲んでいたところです。」
刑 「それはそれは・・・」と刑事さんは急に居心地の悪い顔をする。
私 「スケジュールがわかりました。刑事さん、私には完璧なアリバイがあります。
(なんで私がこんなセリフを吐かねばならないのだと、いぶかしく思いながら)
2002年8月のその時期は、私はインドに通訳で行っておりました。NHK番組の制作会社の方々と一緒です。」
そうなのだ、私はこの日、インドの環境活動家、バンダナ・シバさんの番組作りの通訳として国外にいたのです。
刑 「では、そのTV制作会社の人にもあとで確認を取りたいので教えてください」
私 「わかりました。会社の名前は・・・同行したディレクターは・・・電話番号は・・・・」という風に刑事さんに情報提供。
刑 「では、来客中に失礼しました。」
ということで、この日はこれで去っていきました。
私 「あんなひどい事件で、私のアリバイを聞くなんて、失礼にもほどがある!ぷんぷん!」
知人 「びっくりするわよねえ。。。」
この時に家に知人がいたのが助かりました。彼女が私を心配して守ってくれたのです。
というのも、私がそのちょっと前の2002年11月17日の松戸市議会選挙で、反原発活動家として立候補していたからです。
知人 「ねえ、なにか不安なことがあったら、私に相談してね。私、ある人権弁護士と親しいのよ。」
その後、この刑事から、電話がありました。
刑 「この間のTV制作会社の件では、確認ができました。」
私 「ああ、そうですか」
と言ってこれで終わりかと思ったら、なんだかんだと質問がありました。
あまり「いい感じでないなあ」と思いながら電話を切った私。
不安がよぎり、先ほどの知人に人権弁護士を紹介してもらいました。
事のいきさつを話すと、その弁護士曰く、
弁護士 「ああ、それは別件捜査に当たりますね。マブチモーター事件の捜査であるのに、それ以外のことを聞き出そうとするのは、法律違反なんですよ。」
私 「別件捜査!そういう言葉があるのですね!」と私は納得して帰ったのでした。
するとその数日後に、再び電話が!
そして刑事さんはいきなり、「あなたの素性を教えてください。」と言います。
もうなんだか、私はムカムカしながら、大きな声を出してしまいました。
私 「刑事さん!いい加減にしてください!私は先日、この問題で多少不安を感じ、人権弁護士に相談させてもらいました。刑事さんの今やられていることは、『別件捜査』という行為に当たり、法律違反だそうですよ。刑事さんは、たぶん私が反原発だから、それでついでに、いろいろ調べようとしているんでしょう?そうでしょう?でもこれは法律違反です。これ以上、捜査を私にするのなら、また弁護士に相談させてもらいます!」
と勢いよく言ってしまいました。私の勢いに押され、刑事さんは、すんなり引き下がり、その後2度と電話は来ませんでした。
私は常々、理不尽を感じていて仕方なかったのです。
私の反原発の活動は、ほんとうに環境や人の命、特に子供たちや未来世代を守りたいという純粋なものです。
それを「何か悪いことをやっているかのように見る人びと」が世の中、なぜか結構いるのです。
普通の人たちでもです。こういう活動は、「なんとなくやばいし、陰気くさい」という事で相手にしません。
3.11後はそれでもまだよくなりましたが、事故前は特にそうでした。
(といっても今でも、私の周りには多くのおかしな人々がいます。お暇な人は、「デマリン」で検索をかけてみてください)
そういう風潮に対するうっぷんも、この刑事さんにぶつけてしまい、口調がやや強くなってしまったかもしれません。
さて、刑事さんからの捜査を受ける前に、私は松戸市議会選挙に出たと言いました。理由は、こちらも純粋に「反原発」です。
きっかけは近くの公民館で市民の集いがあり、私がたまたま発言をしたら、居合わせた市民派の市議会議員が私を気に入り、後日、なんと県議会議員も連れて私を呼び出したのです。
「市民派の議員を増やしたい。私たちが後援するので、あなた、今度の松戸市選挙に出ませんか?」と申し出てきました。
オーケーはしたものの、その後私が頑固に、「原発問題が何と言っても最も大事な問題です!」とずっと主張していたら、いつの間にかこの話は立ち消えになりました。
ところが、その話をたまたま、反原発の青森の方にしましたところ、「私たちも応援しますから、原発のない松戸で、反原発を掲げて、あなた、ぜひ選挙に出てください。」と言われました。
この方に出会ったのは、2002年、六ヶ所村の橋本寿村長が自殺(?)された後の六ヶ所村村長選挙に個人的に応援に行った時でした。この時、うぐいす嬢もやらせてもらいました。
(帰ってきたら、原子力資料情報室から秘密裏に解雇されたという落ちもついていますが、これについては別のページをご覧ください)
支援もなく、家族の大反対もあり、とても迷ったのですが、原発問題を訴えたい一心で、思い切りました。
選挙に出れば、松戸市民17万世帯に、無料で広報を配ることができます。そこに私は地震と原発の危険性について、スペースを割いて書きました。
また私の選挙ポスターには、下半分に原発に関して2つの最も大事だと思っていた情報を載せました。以下のものです。
恥ずかしいので伏せていましたが、今でも価値があるのではないかと思うし、最近では「計画停電は本当に必要があったのか?」という声も聞こえていますし。。。
(このきれいな選挙ポスターは、先ほどの六ヶ所村再処理施設に反対する青森のお友達の印刷屋さんに作っていただきました。他の仲間の青森の方も、食べたことないようなおいしい「いくら」をもって、自宅まで来て応援頂き、お世話になりました。)
左は地震と原発の地図です。原発の位置を示した日本地図に、歴代地震の震源域をかぶせたものです。
日本には、震源を点で示すだけのものが多く、このように震源域で示してあると、原発をたくさん抱えた日本がひどく危険であることがわかります。
また、歴代地震の年代が書いてあるので、ある時代に集中して大地震が起きていることがわかるのです。例えば、戦時中や戦後の40年代は、M7以上の地震が6年の間に4回も起きています。これはすごい頻度です。
もうひとつは原発がなくとも電気は足りているというグラフです。
私はこのグラフを、2000年に、なんと日本から海外向けの英文雑誌で見つけました。棒グラフになっていて、火力と水力を足せば、最大需要も原子力がなくとも賄えるというのが一目でわかるグラフです。それをスキャンして訳をつけました。
元の数値のデータは、電事連の下部組織の中央電力協議会ですから、間違いありません。
私は、反原発になってから、ことあるごとにたくさんの政治家や、団体にこの2つの資料を持って歩き、脱原発を訴えてきました。しかし実際に行動してくれる人というのは、ほとんどいなかったです。
それで業を煮やし、では一般の何も知らない人々に、これを見せたら驚いて行動してくれるのではないかと思ったわけです。
自分がそうでしたから。。。原発の真実を知るたびごとに、びっくりし、行動せずにはいられませんでしたから。
で、選挙結果は1700票が当選ラインで私は920票。
供託金がとられなかっただけでも上等です。
「え?原発?松戸には関係ないんじゃないの?」とよく演説をしていて言われました。
しかし事故後、誰が松戸がホットスポットになると予想していたでしょうか。。。
もちろん、ここでは刑事初体験の話です。
おかしな想像をした人もおいでかと思いますが、私はそういう話は、いよいよ老いた時に、ボケ防止のために、そういう話も含めた楽しいエッセイでも書こうと思っています。
もっとも、それまで私も日本も存在していたらの話ですが。(意味わかる人はわかりますね?)
私の初の翻訳の仕事は、自宅からさほど離れていなかったマブチモーターでの海外事業部での通翻訳の仕事でした。1年半ほど勤めましたが、主な業務が技術翻訳で、おしゃべり好きの私は通訳がどうしてもやりたくて退職しました。
それから3年半後の2002年8月、マブチモータ社長宅殺人放火事件が起きました。社長の妻が1階で、長女が2階で絞殺され、家屋も放火されたという、残酷極まりない凄惨な事件でした。
退職した後だとは言っても、あまりにひどい事件。マブチ時代からの友達と、「本当にひどい話だ」と話していました。
うる覚えですが、確か独身の40歳の長女は、この日、家族の誕生日のためにお気に入りのチーズケーキを買って帰った時に起きた出来事だったと思います。
さて、その年の終わりころだったと思います。私が一人で借りて住んでいた小さな家に知人の女性を招き、お茶を飲んでいたら、呼び鈴が鳴りました。
玄関を開けると、2人の男性が立っていました。
「竹野内真理さんですね。私たちは千葉県警刑事課のものです。今、マブチモーターの事件の捜査をしており、ご協力願います。」
もうびっくりしてしまった。ドラマのようにこういう事ってあるんだなあと、どぎまぎしながら、
私 「ええ、どうぞ、ご協力できることでしたら。。。」
と答え、まずは、名前や生年月日、退職した時期など一般的質問。
刑 「なにか事件についてご存知のことはありませんか?」
私 「いえいえ、もう退職してからしばらく経ちますし、なにもわからないです。」
そして次の質問が、心底私の度肝を抜いたのである。
刑事 「あなたのアリバイを教えてください。」
え、アリバイ!???
私 「アリバイって、アリバイって、刑事さん、あまりに失礼じゃないですか?あんな残酷な犯罪、私がやれるように見えますか?ちょっとひどい質問だと思います。」
刑事「いえ、私たちも職務としてやっているので教えて下さらないと困ります。2002年8月5日、あなたは何をやっていましたか?」
私 「え、ちょっと今即答できません。あ、待ってください。手帳を見るとわかるかもしれません」
と、ドキドキしながら隣の部屋に行って手帳を探す。あったあった。。。
お茶を飲んでいた知人には、会話が筒抜けだったので、「大丈夫?」という心配の声。
戻ると刑事さんはなぜか少し焦っている様子。
計 「どなたかいらっしゃるのですか」
私「ええ、今ちょうど知人が来て一緒にお茶を飲んでいたところです。」
刑 「それはそれは・・・」と刑事さんは急に居心地の悪い顔をする。
私 「スケジュールがわかりました。刑事さん、私には完璧なアリバイがあります。
(なんで私がこんなセリフを吐かねばならないのだと、いぶかしく思いながら)
2002年8月のその時期は、私はインドに通訳で行っておりました。NHK番組の制作会社の方々と一緒です。」
そうなのだ、私はこの日、インドの環境活動家、バンダナ・シバさんの番組作りの通訳として国外にいたのです。
刑 「では、そのTV制作会社の人にもあとで確認を取りたいので教えてください」
私 「わかりました。会社の名前は・・・同行したディレクターは・・・電話番号は・・・・」という風に刑事さんに情報提供。
刑 「では、来客中に失礼しました。」
ということで、この日はこれで去っていきました。
私 「あんなひどい事件で、私のアリバイを聞くなんて、失礼にもほどがある!ぷんぷん!」
知人 「びっくりするわよねえ。。。」
この時に家に知人がいたのが助かりました。彼女が私を心配して守ってくれたのです。
というのも、私がそのちょっと前の2002年11月17日の松戸市議会選挙で、反原発活動家として立候補していたからです。
知人 「ねえ、なにか不安なことがあったら、私に相談してね。私、ある人権弁護士と親しいのよ。」
その後、この刑事から、電話がありました。
刑 「この間のTV制作会社の件では、確認ができました。」
私 「ああ、そうですか」
と言ってこれで終わりかと思ったら、なんだかんだと質問がありました。
あまり「いい感じでないなあ」と思いながら電話を切った私。
不安がよぎり、先ほどの知人に人権弁護士を紹介してもらいました。
事のいきさつを話すと、その弁護士曰く、
弁護士 「ああ、それは別件捜査に当たりますね。マブチモーター事件の捜査であるのに、それ以外のことを聞き出そうとするのは、法律違反なんですよ。」
私 「別件捜査!そういう言葉があるのですね!」と私は納得して帰ったのでした。
するとその数日後に、再び電話が!
そして刑事さんはいきなり、「あなたの素性を教えてください。」と言います。
もうなんだか、私はムカムカしながら、大きな声を出してしまいました。
私 「刑事さん!いい加減にしてください!私は先日、この問題で多少不安を感じ、人権弁護士に相談させてもらいました。刑事さんの今やられていることは、『別件捜査』という行為に当たり、法律違反だそうですよ。刑事さんは、たぶん私が反原発だから、それでついでに、いろいろ調べようとしているんでしょう?そうでしょう?でもこれは法律違反です。これ以上、捜査を私にするのなら、また弁護士に相談させてもらいます!」
と勢いよく言ってしまいました。私の勢いに押され、刑事さんは、すんなり引き下がり、その後2度と電話は来ませんでした。
私は常々、理不尽を感じていて仕方なかったのです。
私の反原発の活動は、ほんとうに環境や人の命、特に子供たちや未来世代を守りたいという純粋なものです。
それを「何か悪いことをやっているかのように見る人びと」が世の中、なぜか結構いるのです。
普通の人たちでもです。こういう活動は、「なんとなくやばいし、陰気くさい」という事で相手にしません。
3.11後はそれでもまだよくなりましたが、事故前は特にそうでした。
(といっても今でも、私の周りには多くのおかしな人々がいます。お暇な人は、「デマリン」で検索をかけてみてください)
そういう風潮に対するうっぷんも、この刑事さんにぶつけてしまい、口調がやや強くなってしまったかもしれません。
さて、刑事さんからの捜査を受ける前に、私は松戸市議会選挙に出たと言いました。理由は、こちらも純粋に「反原発」です。
きっかけは近くの公民館で市民の集いがあり、私がたまたま発言をしたら、居合わせた市民派の市議会議員が私を気に入り、後日、なんと県議会議員も連れて私を呼び出したのです。
「市民派の議員を増やしたい。私たちが後援するので、あなた、今度の松戸市選挙に出ませんか?」と申し出てきました。
オーケーはしたものの、その後私が頑固に、「原発問題が何と言っても最も大事な問題です!」とずっと主張していたら、いつの間にかこの話は立ち消えになりました。
ところが、その話をたまたま、反原発の青森の方にしましたところ、「私たちも応援しますから、原発のない松戸で、反原発を掲げて、あなた、ぜひ選挙に出てください。」と言われました。
この方に出会ったのは、2002年、六ヶ所村の橋本寿村長が自殺(?)された後の六ヶ所村村長選挙に個人的に応援に行った時でした。この時、うぐいす嬢もやらせてもらいました。
(帰ってきたら、原子力資料情報室から秘密裏に解雇されたという落ちもついていますが、これについては別のページをご覧ください)
支援もなく、家族の大反対もあり、とても迷ったのですが、原発問題を訴えたい一心で、思い切りました。
選挙に出れば、松戸市民17万世帯に、無料で広報を配ることができます。そこに私は地震と原発の危険性について、スペースを割いて書きました。
また私の選挙ポスターには、下半分に原発に関して2つの最も大事だと思っていた情報を載せました。以下のものです。
恥ずかしいので伏せていましたが、今でも価値があるのではないかと思うし、最近では「計画停電は本当に必要があったのか?」という声も聞こえていますし。。。
2002年の松戸市議会選挙ポスター
(このきれいな選挙ポスターは、先ほどの六ヶ所村再処理施設に反対する青森のお友達の印刷屋さんに作っていただきました。他の仲間の青森の方も、食べたことないようなおいしい「いくら」をもって、自宅まで来て応援頂き、お世話になりました。)
左は地震と原発の地図です。原発の位置を示した日本地図に、歴代地震の震源域をかぶせたものです。
日本には、震源を点で示すだけのものが多く、このように震源域で示してあると、原発をたくさん抱えた日本がひどく危険であることがわかります。
また、歴代地震の年代が書いてあるので、ある時代に集中して大地震が起きていることがわかるのです。例えば、戦時中や戦後の40年代は、M7以上の地震が6年の間に4回も起きています。これはすごい頻度です。
もうひとつは原発がなくとも電気は足りているというグラフです。
私はこのグラフを、2000年に、なんと日本から海外向けの英文雑誌で見つけました。棒グラフになっていて、火力と水力を足せば、最大需要も原子力がなくとも賄えるというのが一目でわかるグラフです。それをスキャンして訳をつけました。
元の数値のデータは、電事連の下部組織の中央電力協議会ですから、間違いありません。
私は、反原発になってから、ことあるごとにたくさんの政治家や、団体にこの2つの資料を持って歩き、脱原発を訴えてきました。しかし実際に行動してくれる人というのは、ほとんどいなかったです。
それで業を煮やし、では一般の何も知らない人々に、これを見せたら驚いて行動してくれるのではないかと思ったわけです。
自分がそうでしたから。。。原発の真実を知るたびごとに、びっくりし、行動せずにはいられませんでしたから。
で、選挙結果は1700票が当選ラインで私は920票。
供託金がとられなかっただけでも上等です。
「え?原発?松戸には関係ないんじゃないの?」とよく演説をしていて言われました。
しかし事故後、誰が松戸がホットスポットになると予想していたでしょうか。。。
2014年2月1日土曜日
4. 福島県警の人が沖縄にくることに!
福島県いわき南署のA刑事は、続けました。
A「ええ、あの竹野内さんに福島に来ていただいてもいいのですが、交通費とかかかりますし、大変でしょ?」
私「無理です、無理です、それは。私はシングルマザーで廻りに身寄りもありません。4歳の子を抱えて行くこともできません。それから私はお金持ちでないですから、交通費も高くて困ります。」
A「ええ、ですから我々の方で行かせてもらいますから、日程などあとでご相談させてもらっていいですか?」
私「ええ、刑事さん、あの福島の警察の方々が沖縄にくるのは歓迎です。福島では本当に大変だと思いますし、なんたって沖縄は暖かいです。いらしていただいて、少しは良い景色も見て変えられたらいいなあと思うんですけれど・・・
ただ、その目的が、私に会うためだけというのは、なんだか、恐れ多く感じます・・・私なんかに会うために」
ただのツイッターの発言で、しかも発言したと認めているのに、私なんかに会うためにわざわざ公費を使って沖縄にくる価値があるのかしらと頭をよぎりましたが、そこまでは言わず、「恐れ多い」と言葉を濁した私。
A「ええ、形式的にね。やらないといけないんです。パソコンを見させてもらいましてね。それから要はあなたの印鑑が必要なんです。」
私「あ!そのパソコンですが、7月11日の時点では、私は別のパソコンを使っていたのですが、当時使っていたパソコンでないとだめですよね。」
A「あ、ええ、そうですね。」
私「そうすると、困りました。実はその前に欧州のIAEAとかまで行って、福島の問題を訴えたりしたんですけど、帰ってきたら、何者かが私のパソコンを攻撃し、動かなくなってしまったのです。」
A「へええ~そういうことってあるんですか?やはり、なにか活動しているとそういうことってあるんですか?」
私「ありますあります、嫌がらせなんてしょっちゅうです。今も起動できるかどうかわかりません。そのパソコン、治っている状態でないとまずいですよね?」
A「そうですね、そうしていただけるとありがたいですね。」
私「困ったなあ。。。私、パソコン音痴で、治るかどうかよくわからないんですけど、トライしてみます。」
A「ええ、お願いします。それで行くのは僕ではなく、僕の上司となります。」
私「え!Aさんではないのですか?私、偉い人怖いんですけど!日本では偉い人ほど、なんだか怖い人が多いです。警察でも、ふつうのお巡りさんとか、いい人たちなのに。偉い人、怖くて嫌なんですけど。」
A「大丈夫です。同じいわき南署で、厳選して人選しますよ。感じのいい、優しい人に行かせるようにします。」
私「知っている方で優しい人ですか?本当ですか?だったらいいです。。。」
A「それに捜査も本当に心配しないでください。告訴を受けてしまったからやるわけで、侮辱罪は軽くて大事には至りません。たぶん、なにも起きないと思います。」
私「本当ですか?罰金とかは?」
A「罰金も交通違反と同じくらいで、もしも科されても、数千円だと思います。」
私「数千円。。。それだったら私にも払えます。でも刑事さん、最悪を教えてください。最悪はどうなりますか?私の息子は4歳ですし、もし拘留となったら怖いです!最悪を知りたいです。」
A「本当に大丈夫だと思いますよ。」
私「いや、だって、途中でこういうケースでも情勢が変わる事ってあるじゃないですか?そうでしょう?」
「あ、いえ、まあ・・・」とAさんは私のいう事を聞いて笑っている。
私は続けた。
「だって、あの福島県の前知事の佐藤栄作久さん、あの方、原発問題でとてもまじめだったのに、賄賂ゼロで起訴されてしまいましたよね!賄賂ゼロでですよ!」
A「ああ、そういうこともありましたね。。。」
私「それで思い出しましたけど、佐藤雄平知事も、CIAと関連しているって聞いたことあります?なんかブログに出ていました。同じくCIAの渡辺恒三となんかの関係がある人で、忘れましたが。」
A「本当ですか?」
私「ええ、私の見たブログでは出ていましたよ。いや、まじめな栄作久さんのあとに据えられた知事だから、きっとおかしな人が配置されたのだろうとは思いましたが。。。私もブログに出ていたのを自分のブログに転載したので見てみてください。」
(参考:こちらのブログです http://fukushimaworkerslist.blogspot.jp/2013/05/cia.html)
A「へえ~。。。」
エートスの話から、中曽根氏、さらにはCIAの話にまで及んでしまったら、もう刑事さんと1時間半も話していた。
「長々話してすみませんでした」と私。
「いや、いろいろ勉強になりました。」と刑事さん。「また日付が決まったら連絡します」と言って電話を終えた。
はあ~告訴、告訴。。。人生いろいろあったが、告訴というの初めてだ。
そういえば、今朝、布団の下に息子が遊んだあと置きっぱなしにしていた手鏡を踏んで割ってしまったのを思い出した。
「まあ、条君!こんなところに置きっぱなしにするから、ママ踏んづけて割っちゃったわ!だめよ!」
そういえば、鏡を割る事って、確か今までの人生で2,3回起きていたのだが、いずれの時もなぜか相当よくないことがそのあと起きていた。具体的に何が起きたのか、覚えていない。
そのくらいめったに起きないことだった。
私は迷信とか信じない方であるが、鏡が割れる時というのは、なぜか自分の人生では、本当に悪いことが起こるのだ。
踏んで割った時、「あれ、これは・・・」
とは頭をよぎったが、忘れていた。
電話を終えて思い出した。
ああ、そういえば最後がいつだったか覚えていないくらい久しぶりに、鏡を壊してしまったのだよなあ。。
そう思って外を眺めた私。引っ越してきたばかりの角部屋の眺めは最高。
沖縄は晴天、春のような陽気ですでに沖縄特有のピンクの桜の花が咲いている。
(ああ、せめて、この事件が起きる前にちょっとのんびりして、引越しも終わらせて明るい部屋に移っておいてよかった)
としみじみ思っていた。
A「ええ、あの竹野内さんに福島に来ていただいてもいいのですが、交通費とかかかりますし、大変でしょ?」
私「無理です、無理です、それは。私はシングルマザーで廻りに身寄りもありません。4歳の子を抱えて行くこともできません。それから私はお金持ちでないですから、交通費も高くて困ります。」
A「ええ、ですから我々の方で行かせてもらいますから、日程などあとでご相談させてもらっていいですか?」
私「ええ、刑事さん、あの福島の警察の方々が沖縄にくるのは歓迎です。福島では本当に大変だと思いますし、なんたって沖縄は暖かいです。いらしていただいて、少しは良い景色も見て変えられたらいいなあと思うんですけれど・・・
ただ、その目的が、私に会うためだけというのは、なんだか、恐れ多く感じます・・・私なんかに会うために」
ただのツイッターの発言で、しかも発言したと認めているのに、私なんかに会うためにわざわざ公費を使って沖縄にくる価値があるのかしらと頭をよぎりましたが、そこまでは言わず、「恐れ多い」と言葉を濁した私。
A「ええ、形式的にね。やらないといけないんです。パソコンを見させてもらいましてね。それから要はあなたの印鑑が必要なんです。」
私「あ!そのパソコンですが、7月11日の時点では、私は別のパソコンを使っていたのですが、当時使っていたパソコンでないとだめですよね。」
A「あ、ええ、そうですね。」
私「そうすると、困りました。実はその前に欧州のIAEAとかまで行って、福島の問題を訴えたりしたんですけど、帰ってきたら、何者かが私のパソコンを攻撃し、動かなくなってしまったのです。」
A「へええ~そういうことってあるんですか?やはり、なにか活動しているとそういうことってあるんですか?」
私「ありますあります、嫌がらせなんてしょっちゅうです。今も起動できるかどうかわかりません。そのパソコン、治っている状態でないとまずいですよね?」
A「そうですね、そうしていただけるとありがたいですね。」
私「困ったなあ。。。私、パソコン音痴で、治るかどうかよくわからないんですけど、トライしてみます。」
A「ええ、お願いします。それで行くのは僕ではなく、僕の上司となります。」
私「え!Aさんではないのですか?私、偉い人怖いんですけど!日本では偉い人ほど、なんだか怖い人が多いです。警察でも、ふつうのお巡りさんとか、いい人たちなのに。偉い人、怖くて嫌なんですけど。」
A「大丈夫です。同じいわき南署で、厳選して人選しますよ。感じのいい、優しい人に行かせるようにします。」
私「知っている方で優しい人ですか?本当ですか?だったらいいです。。。」
A「それに捜査も本当に心配しないでください。告訴を受けてしまったからやるわけで、侮辱罪は軽くて大事には至りません。たぶん、なにも起きないと思います。」
私「本当ですか?罰金とかは?」
A「罰金も交通違反と同じくらいで、もしも科されても、数千円だと思います。」
私「数千円。。。それだったら私にも払えます。でも刑事さん、最悪を教えてください。最悪はどうなりますか?私の息子は4歳ですし、もし拘留となったら怖いです!最悪を知りたいです。」
A「本当に大丈夫だと思いますよ。」
私「いや、だって、途中でこういうケースでも情勢が変わる事ってあるじゃないですか?そうでしょう?」
「あ、いえ、まあ・・・」とAさんは私のいう事を聞いて笑っている。
私は続けた。
「だって、あの福島県の前知事の佐藤栄作久さん、あの方、原発問題でとてもまじめだったのに、賄賂ゼロで起訴されてしまいましたよね!賄賂ゼロでですよ!」
A「ああ、そういうこともありましたね。。。」
私「それで思い出しましたけど、佐藤雄平知事も、CIAと関連しているって聞いたことあります?なんかブログに出ていました。同じくCIAの渡辺恒三となんかの関係がある人で、忘れましたが。」
A「本当ですか?」
私「ええ、私の見たブログでは出ていましたよ。いや、まじめな栄作久さんのあとに据えられた知事だから、きっとおかしな人が配置されたのだろうとは思いましたが。。。私もブログに出ていたのを自分のブログに転載したので見てみてください。」
(参考:こちらのブログです http://fukushimaworkerslist.blogspot.jp/2013/05/cia.html)
A「へえ~。。。」
エートスの話から、中曽根氏、さらにはCIAの話にまで及んでしまったら、もう刑事さんと1時間半も話していた。
「長々話してすみませんでした」と私。
「いや、いろいろ勉強になりました。」と刑事さん。「また日付が決まったら連絡します」と言って電話を終えた。
はあ~告訴、告訴。。。人生いろいろあったが、告訴というの初めてだ。
そういえば、今朝、布団の下に息子が遊んだあと置きっぱなしにしていた手鏡を踏んで割ってしまったのを思い出した。
「まあ、条君!こんなところに置きっぱなしにするから、ママ踏んづけて割っちゃったわ!だめよ!」
そういえば、鏡を割る事って、確か今までの人生で2,3回起きていたのだが、いずれの時もなぜか相当よくないことがそのあと起きていた。具体的に何が起きたのか、覚えていない。
そのくらいめったに起きないことだった。
私は迷信とか信じない方であるが、鏡が割れる時というのは、なぜか自分の人生では、本当に悪いことが起こるのだ。
踏んで割った時、「あれ、これは・・・」
とは頭をよぎったが、忘れていた。
電話を終えて思い出した。
ああ、そういえば最後がいつだったか覚えていないくらい久しぶりに、鏡を壊してしまったのだよなあ。。
そう思って外を眺めた私。引っ越してきたばかりの角部屋の眺めは最高。
沖縄は晴天、春のような陽気ですでに沖縄特有のピンクの桜の花が咲いている。
(ああ、せめて、この事件が起きる前にちょっとのんびりして、引越しも終わらせて明るい部屋に移っておいてよかった)
としみじみ思っていた。
5につづく
3. 福島の刑事さんとの会話
さて、次の日の朝。昨晩はひどく眠れなかったが、思ったよりは頭がはっきりしていたので安心しました。緊張からでしょう。
まったく私は寝不足には弱く、7~8時間、時には9時間も寝ていて、4歳の息子とあまり変わらない睡眠時間なのです。
息子にはいつものように、7時35分から10分毎朝やっている教育テレビの英語放送を見せると、歌に合わせて一緒に踊ったりしています。
最近、私は息子との時間をもっと楽しもうとしていました。というのも、事故後、自分ばかりNHKニュースに噛り付いていたからです。
NHKの原発・被曝関連の報道は本当におかしなものが多く、私は頭にくるものを見つけてはツイート発信し、ブログも作り、いつか大本営NHKをどうにかしたいという夢を抱いて地道に活動していました。
しかしこの正月休みは、息子のために、マイケルジャクソンのDVDを買いました。昔、中国の5歳くらいの男の子がマイケルジャクソンの振り付けをそっくり踊れてすごいのを見てから、ずっとやらせたかったのでした。
「さあ、これがKing of Popよ!条(じょう)君、すごいからよく見てね。かっこいいよ~踊りも真似して踊るのよ!さあいけ、マイケル・ジョージョー~かっこいい!!」
私が声援を送ると、息子は期待以上に、狂ったように踊ってくれました。
ただしもちろん、めちゃくちゃの振り付け。マイケルなんか見ていません。
踊りの中にでんぐり返しまで入れて、
「こんなこと、ママにはできないでしょ?」とカッコつけています。
「もちろん、ママにはできないわ!マイケル・ジョージョー、かっこい~」
以来、息子はTVで歌を聴くと、時々踊ってくれるのです。
さて、普段より早く保育園に連れていき、家に帰って、洗濯や食器洗い、その他を済ませ、パソコンの前に座り、ツイッターをしながら電話を待ちました。
10時20分、携帯が鳴りました。福島県警いわき南署、刑事のAさんからです。
やっぱり子供の時聞き覚えのある、福島なまり。
とても気の良いおじさんといった声と話し方で、この方もとても丁寧です。
A「どうも、お忙しいところ、大変申し訳ありません。いわき南署のAです。竹野内さんは、私らよりも、きっとお忙しい方と思うんですけれど。。。昨日は部下のBが話を結構させてもらったと伺っておりますが。。。」
私「ええ、電話に出れず、失礼しました。
はい、Bさんはとても感じがよく、私もいろいろお話をさせていただきましたが、Aさんでないので細かいところはわからないとおっしゃっていたので、恐れ入りますが、Aさんの方からもう一度ご説明いただけますか?」
A「はい、実はですね、鎌田さんの事なんですが、竹野内さんのツイッターのことでですね。。。」
私「はい、そのことは昨日Bさんにもお話ししましたが、エートスという福島の子供たちの健康を踏みにじるプログラムを知り、いろいろ鎌田さんにはツイートしました。早々にブロックされましたが。でもここ半年くらいはほとんどツイートしていません。確か7月6日が最後のツイートだった思います。」
A「え、7月6日。私のところには7月11日のツイートが問題と記されています。」
私「あ、そうですか、7月11日にもありましたか。」
A「ええ、それで、鎌田さんは、去年の11月に竹野内さんのツイッターの件で侮辱罪ということで、告訴状を提出されたんですね。」
私「え!告訴?告訴ですか?」
私は一瞬、言葉を失った。
頭に血がのぼり、指先がみるみる冷たくなっていくのが自分でわかる。
「侮辱罪、侮辱罪でいいですか?」
自然とメモをとるペンが小刻みに震える。
私「告訴、告訴ですか?本当に?
まあ・・・Bさんは告訴なんて一言も言わなかった・・・きっと気を遣って、昨日は言わないでいてくださったんですね・・・。」
A「はい・・、あの、でも竹野内さん、そんなに気にされなくて大丈夫ですよ。そんな大事ではないです。告訴は受けてしまうと、警察も動かないといけないという決まりがありまして・・・
それで、告訴で問題としているのが、7月11日午後7時25分のツイートなんですけどね、
世紀の罪人2人に共通項→
原発導入した中曽根康弘「2011年の日本がこんなにくたびれているとは思わなかった。」
エートス主催(御用)市民活動家、安東量子「戦後67年かけて辿り着いたのが、こんな世界とかや。」長崎の日にて
これは竹野内さんの書かれたことでしょうか?」
私「あ、はい、私の書いたものです。間違いありません。他にもたくさんツイートしていますが、私が書いたものです。」
A「ええと、これどういう意味なんでしょう?」
私「ああ、それですか。それはですね、あのご存知ですか?中曽根康弘は1954年に水爆実験で第五福竜丸が被曝し、反核運動が盛り上がった時、ビキニ事件の次の日に、原子力予算を初めて日本に導入したんですね。
当時の読売新聞社主、日本TVの創設者でもある正力松太郎らと共に、『毒を持って毒を制せ』というスローガンのもと、反核運動をつぶすために。」
A「え~そうなんですか!そんな昔に。
・・・で、このツイートの意味がよくわからないんですけど・・・」
私「ああ、このセリフは中曽根氏のNHKニュース9でのインタビューから取っています。福島の事故が起きた後のインタビューですよ。
私もTVは直接見なかったのですが、山口泉さん本に書かれてあって、日本が大変なことになっているのは、原発を導入した自分らの責任なのに、こんなセリフを言っている。もう見て、頭にきて頭にきて」
A「はあ、なるほど。。なんという本ですか?」
私「ちょっと待ってください。今本棚に。山口泉さんの『原子野のバッハ』です。かなり分厚い本ですが・・・ちょうどページも見つかりました。352ページです。もう、これを見て私は腹が立って、腹が立って・・・ええと、インタビューは2011年9月15日のものです。
特にですね、NHKのキャスターの大越健介と井上あさひが、中曽根をこの期に及んで持ち上げているんですね!原発導入した中曽根を!『威風堂々としていますね』とか、ふざけるなと言いたい!」
私「あ、これ見ると、中曽根氏はその前年53年にハーバードに留学していている。。それに一緒に推進した読売新聞社主で日本TV創設者の正力松太郎氏はCIAのスパイです。早稲田大学の有馬先生も著書に書いています。だから中曽根氏も関係があるかも。」
A「え~CIA!そうなんですか?」
私「そうですよ!日本のトップの方にはCIAがたくさんいるそうですよ!
NYタイムズのジャーナリスト、Tim Weinerが書いた『CIA秘録』って本も私の本棚にあるんですけどね、先進国の中で日本が一番初めに米国がCIAを通じて、政治的なコントロールに置いたらしいです。岸信介だとか。だから今の安倍首相もその可能性が高いんですよ。
A「はあ~~~そんなことってあるんですか。。。全く知りませんでした。」
私「もう本当に、日本は大変な国です。」
A「あの、ところで、後の安東量子さんのこの歌はどういう意味ですか?」
私「ああ、こちらはね、昨日Bさんにもお話ししたんですけれど、エートスというプログラムがチェルノブイリ事故の後、ベラルーシで行われて、汚染地帯で人々が線量測ったり除染したりして暮らしていくんだけれど、数年のちに子供たちの多くが病気になったという結末があったんです。
この子供たちの病気という部分をまったく無視して、例えば農業の専門家が来て、ジャガイモの線量がこうしたらこのくらい下がったとか、そういう研究をしていたわけです。
安上がりなんですよ。国家にしたら。そうでしょ?人々を移住させるにはお金がかかる。しかし住民が汚染地帯に残って自ら線量測ったり除染してくれたら、ただで働いてくれるわけですから。
A「なるほど・・・」
私「しかし、子供の健康を犠牲にして、もう結果が出ているエートスを、福島で繰り返している。結果がわかっているのに!
ベラルーシでも率いていた同じ経済学者のジャック・ロシャールが福島にも鎌田陽子に招待されて、何度も来ている。経済学者ですよ!放射線の専門家ではなく!それなのに、20Bq/kgまでの食べ物だったら大丈夫だなんて言っているんです。とんでもないことです!」
A「この長崎の日に、っているのは、どういうことですか?何年の長崎の日ですか?」
私「ええと、2013年7月より前ですから、2011年か2012年、2012年だと思います。たまたま2012年の長崎の日に、安東量子のこの歌を見つけ、頭にきて、中曽根氏のインタビューの言葉と掛け合わせてツイートしました」
A「ずいぶんでは、前の日にちですよね。。。」
私「実は私同じツイートをよく繰り返すんです。ボットという機能もあって、繰り返されるし。何度も同じツイートを流したと思います。この他にもエートスに関してはたくさん流しました。」
A「なるほど・・・それでですね、竹野内さん、お忙しいところ誠に恐縮なのですが、一度そのパソコンを見せてもらいたいのです。我々に簡単な捜査をさせていただきたいのです。沖縄まで参りますから・・・」
私は絶句してしまった。
まったく私は寝不足には弱く、7~8時間、時には9時間も寝ていて、4歳の息子とあまり変わらない睡眠時間なのです。
息子にはいつものように、7時35分から10分毎朝やっている教育テレビの英語放送を見せると、歌に合わせて一緒に踊ったりしています。
最近、私は息子との時間をもっと楽しもうとしていました。というのも、事故後、自分ばかりNHKニュースに噛り付いていたからです。
NHKの原発・被曝関連の報道は本当におかしなものが多く、私は頭にくるものを見つけてはツイート発信し、ブログも作り、いつか大本営NHKをどうにかしたいという夢を抱いて地道に活動していました。
しかしこの正月休みは、息子のために、マイケルジャクソンのDVDを買いました。昔、中国の5歳くらいの男の子がマイケルジャクソンの振り付けをそっくり踊れてすごいのを見てから、ずっとやらせたかったのでした。
「さあ、これがKing of Popよ!条(じょう)君、すごいからよく見てね。かっこいいよ~踊りも真似して踊るのよ!さあいけ、マイケル・ジョージョー~かっこいい!!」
私が声援を送ると、息子は期待以上に、狂ったように踊ってくれました。
ただしもちろん、めちゃくちゃの振り付け。マイケルなんか見ていません。
踊りの中にでんぐり返しまで入れて、
「こんなこと、ママにはできないでしょ?」とカッコつけています。
「もちろん、ママにはできないわ!マイケル・ジョージョー、かっこい~」
以来、息子はTVで歌を聴くと、時々踊ってくれるのです。
さて、普段より早く保育園に連れていき、家に帰って、洗濯や食器洗い、その他を済ませ、パソコンの前に座り、ツイッターをしながら電話を待ちました。
10時20分、携帯が鳴りました。福島県警いわき南署、刑事のAさんからです。
やっぱり子供の時聞き覚えのある、福島なまり。
とても気の良いおじさんといった声と話し方で、この方もとても丁寧です。
A「どうも、お忙しいところ、大変申し訳ありません。いわき南署のAです。竹野内さんは、私らよりも、きっとお忙しい方と思うんですけれど。。。昨日は部下のBが話を結構させてもらったと伺っておりますが。。。」
私「ええ、電話に出れず、失礼しました。
はい、Bさんはとても感じがよく、私もいろいろお話をさせていただきましたが、Aさんでないので細かいところはわからないとおっしゃっていたので、恐れ入りますが、Aさんの方からもう一度ご説明いただけますか?」
A「はい、実はですね、鎌田さんの事なんですが、竹野内さんのツイッターのことでですね。。。」
私「はい、そのことは昨日Bさんにもお話ししましたが、エートスという福島の子供たちの健康を踏みにじるプログラムを知り、いろいろ鎌田さんにはツイートしました。早々にブロックされましたが。でもここ半年くらいはほとんどツイートしていません。確か7月6日が最後のツイートだった思います。」
A「え、7月6日。私のところには7月11日のツイートが問題と記されています。」
私「あ、そうですか、7月11日にもありましたか。」
A「ええ、それで、鎌田さんは、去年の11月に竹野内さんのツイッターの件で侮辱罪ということで、告訴状を提出されたんですね。」
私「え!告訴?告訴ですか?」
私は一瞬、言葉を失った。
頭に血がのぼり、指先がみるみる冷たくなっていくのが自分でわかる。
「侮辱罪、侮辱罪でいいですか?」
自然とメモをとるペンが小刻みに震える。
私「告訴、告訴ですか?本当に?
まあ・・・Bさんは告訴なんて一言も言わなかった・・・きっと気を遣って、昨日は言わないでいてくださったんですね・・・。」
A「はい・・、あの、でも竹野内さん、そんなに気にされなくて大丈夫ですよ。そんな大事ではないです。告訴は受けてしまうと、警察も動かないといけないという決まりがありまして・・・
それで、告訴で問題としているのが、7月11日午後7時25分のツイートなんですけどね、
世紀の罪人2人に共通項→
原発導入した中曽根康弘「2011年の日本がこんなにくたびれているとは思わなかった。」
エートス主催(御用)市民活動家、安東量子「戦後67年かけて辿り着いたのが、こんな世界とかや。」長崎の日にて
これは竹野内さんの書かれたことでしょうか?」
私「あ、はい、私の書いたものです。間違いありません。他にもたくさんツイートしていますが、私が書いたものです。」
A「ええと、これどういう意味なんでしょう?」
私「ああ、それですか。それはですね、あのご存知ですか?中曽根康弘は1954年に水爆実験で第五福竜丸が被曝し、反核運動が盛り上がった時、ビキニ事件の次の日に、原子力予算を初めて日本に導入したんですね。
当時の読売新聞社主、日本TVの創設者でもある正力松太郎らと共に、『毒を持って毒を制せ』というスローガンのもと、反核運動をつぶすために。」
A「え~そうなんですか!そんな昔に。
・・・で、このツイートの意味がよくわからないんですけど・・・」
私「ああ、このセリフは中曽根氏のNHKニュース9でのインタビューから取っています。福島の事故が起きた後のインタビューですよ。
私もTVは直接見なかったのですが、山口泉さん本に書かれてあって、日本が大変なことになっているのは、原発を導入した自分らの責任なのに、こんなセリフを言っている。もう見て、頭にきて頭にきて」
A「はあ、なるほど。。なんという本ですか?」
私「ちょっと待ってください。今本棚に。山口泉さんの『原子野のバッハ』です。かなり分厚い本ですが・・・ちょうどページも見つかりました。352ページです。もう、これを見て私は腹が立って、腹が立って・・・ええと、インタビューは2011年9月15日のものです。
特にですね、NHKのキャスターの大越健介と井上あさひが、中曽根をこの期に及んで持ち上げているんですね!原発導入した中曽根を!『威風堂々としていますね』とか、ふざけるなと言いたい!」
私「あ、これ見ると、中曽根氏はその前年53年にハーバードに留学していている。。それに一緒に推進した読売新聞社主で日本TV創設者の正力松太郎氏はCIAのスパイです。早稲田大学の有馬先生も著書に書いています。だから中曽根氏も関係があるかも。」
A「え~CIA!そうなんですか?」
私「そうですよ!日本のトップの方にはCIAがたくさんいるそうですよ!
NYタイムズのジャーナリスト、Tim Weinerが書いた『CIA秘録』って本も私の本棚にあるんですけどね、先進国の中で日本が一番初めに米国がCIAを通じて、政治的なコントロールに置いたらしいです。岸信介だとか。だから今の安倍首相もその可能性が高いんですよ。
A「はあ~~~そんなことってあるんですか。。。全く知りませんでした。」
私「もう本当に、日本は大変な国です。」
A「あの、ところで、後の安東量子さんのこの歌はどういう意味ですか?」
私「ああ、こちらはね、昨日Bさんにもお話ししたんですけれど、エートスというプログラムがチェルノブイリ事故の後、ベラルーシで行われて、汚染地帯で人々が線量測ったり除染したりして暮らしていくんだけれど、数年のちに子供たちの多くが病気になったという結末があったんです。
この子供たちの病気という部分をまったく無視して、例えば農業の専門家が来て、ジャガイモの線量がこうしたらこのくらい下がったとか、そういう研究をしていたわけです。
安上がりなんですよ。国家にしたら。そうでしょ?人々を移住させるにはお金がかかる。しかし住民が汚染地帯に残って自ら線量測ったり除染してくれたら、ただで働いてくれるわけですから。
A「なるほど・・・」
私「しかし、子供の健康を犠牲にして、もう結果が出ているエートスを、福島で繰り返している。結果がわかっているのに!
ベラルーシでも率いていた同じ経済学者のジャック・ロシャールが福島にも鎌田陽子に招待されて、何度も来ている。経済学者ですよ!放射線の専門家ではなく!それなのに、20Bq/kgまでの食べ物だったら大丈夫だなんて言っているんです。とんでもないことです!」
A「この長崎の日に、っているのは、どういうことですか?何年の長崎の日ですか?」
私「ええと、2013年7月より前ですから、2011年か2012年、2012年だと思います。たまたま2012年の長崎の日に、安東量子のこの歌を見つけ、頭にきて、中曽根氏のインタビューの言葉と掛け合わせてツイートしました」
A「ずいぶんでは、前の日にちですよね。。。」
私「実は私同じツイートをよく繰り返すんです。ボットという機能もあって、繰り返されるし。何度も同じツイートを流したと思います。この他にもエートスに関してはたくさん流しました。」
A「なるほど・・・それでですね、竹野内さん、お忙しいところ誠に恐縮なのですが、一度そのパソコンを見せてもらいたいのです。我々に簡単な捜査をさせていただきたいのです。沖縄まで参りますから・・・」
私は絶句してしまった。
4に続く
2. 福島の警察の方との会話
福島県警いわき南署のBさんからエートスという言葉を聞いて、ここしばらく少し日常に戻りつつあったテンションが一気に上がりました。
私「私がエートスを知ったのはもう2012年7月のことです。もうずっと前のことですよ。なぜ今頃になって。。。」
B「ええ、確かにずいぶん前からあった話です」
私:「警察に訴えたいのは私の方です。いえ、実際に訴えました。エートスを知って、これは大変だ!福島の子供たちの命と健康が大変だ!と思ってから、私は猛烈にネットで発信するようになったんです。
そうしたら、ネット上では数えきれない誹謗中傷がとんできて、いわゆるネット工作員というやつです。
さらには、近所に不審な男が現れました
いつも息子と私が通る道を歩いていたら、意味不明のセリフを言いながら、不審な男が近づいてきて、私の当時2歳の息子を抱き上げたんですよ!」
B「ええ~! それは大変でしたね!」
私「警察に通報しますよ!と大声を上げたら逃げていきました。目撃者もいます。
それから那覇の警察署に言って事情を話して、調書を取ってもらい、しばらく近所のパトロールも強化していただきました。」
B「それはそれは。。。」
私「私がエートスに反対する声を上げた直後だったんです。
お巡りさん、ご存知ですか?エートスはチェルノブイリでもやられて、汚染地帯で積極的に放射線を測ったりしながら、ポジティブに暮らしていくうちに、健康な子供たちがほとんどいなくなってしまったというプログラムです。
でもそれと同じことが今、福島でおこなわれているのですよ!!!」
B「ええ!そうなのですか???
あの、ところで竹野内さんは何の仕事をされているのですか?」
私「ええ~!? ご存じなく連絡されたんですか!?私は被曝問題の翻訳をしています。事故後に3冊も被曝問題の本を出版しています。」
B「ええ~そうなのですか。ではまるで専門家のような方ですね。」
私「こう言っては何ですが、私はその辺の専門家よりは多くを知っていると思います。日本の医学部では放射線の危険性をまともに教えません。」
B「それだけの知識を持ったあなたが、なぜ苦情が出てくるような発言をしたのですか?」
私「知識があるから発信しているのです!!!
今のまま福島に子供たちが住み続けることは危ない!それを熟知しているから、発信しているんじゃないですか!」
B「そうですか。。」
私「放射線の専門家で実はよく知っている人もいるが、そういう人は私から見れば、犯罪と言えることに加担していると思います。
白血病の専門家のエートスの伴信彦教授とかね。彼は、マウスを使って放射線をあて、1~2年後には造血幹細胞の老化とある種の遺伝子が変異して白血病が発生することを突き止めている。
なのに福島の子供たちは汚染地帯に居てよいとしている。ありえない話です。」
私「それと、チェルノブイリのエートスと同じ専門家が福島に招かれているのですよ!エートスの安東量子によって!彼は放射線の危険など知らない経済学者です。ジャック・ロシャールという人です。彼がチェルノブイリで子供たちが大勢病気になったのを知っていながら、福島で同じことをやっている。何度も来ています。ご存じなかったですか?」
B「全く知りませんでした。」
私「安東量子氏は、偶然招待したようなことを言っているが、そんなはずはない。2011年11月には内閣府に呼ばれて講演してます。確かブログで消されていますが。そしてその10年位前には広島に呼ばれている。私はそれを知って非常にショックを受けました。」
B「しりませんでした。それにしても、放射能の危険性も何年もたたないと、よくわからないですし」
私「しかし、もう何年も前にチェルノブイリ事故は起きたのです。。それでわかっているのです。住み続けたら子供たちが病気になることが。わかっていながらやっていることで私は犯罪的だと言っているのです!」
B「はあ・・・なるほど、いろいろ勉強になります。」
会話の途中で、4歳の息子が大声をあげて私に飛びついてくる。
電話越しの警官のBさんは、「うちのと同じくらいかなあ?うちのは4歳。」
私「ええ!うちもそうです!同じです!」
B「平成21年生まれ?」
私「そうです!そうです!本当に、可愛いですよね~子供は。。。」
B「そうですよねえ。。。」
とちょっとなごんだ会話にもなる。
私「ところで、最近福島の方では健康被害とかどうですか?大丈夫ですか?そうだ、白血病が出ていますよね。郡山高校の陸上部の部長さんだとか」
B「そうですね。。。」
(警察の方も、この郡山の生徒さんの白血病の件は知っていたんだ。。。)
私「もう、それを聞いて私もいてもたってもいられなくて。
それで私ブログで発信しているんですけれど、おかしなことに、これを発信する市民団体がいないのですね。
今まで信頼していた人まで、ブログを出すなというし、こちら側の市民の味方の顔をした人にも、実はそうでないのではないかという人がたくさん混じっていますよ!大変なことです。
そうだ、相馬だったか、南相馬だったかで、白血病のお巡りさんが出たという話を聞いています。
それは事実ですか?」
B「いや、我々の方では把握していません。仮になっていてもそういう個人情報は、外部に漏れないんじゃないかと・・・」
私「まあ。。。それは困りますね。そうだ、甲状腺がんの子が複数、リンパ節転移している話は知っていますか?」
B「知りません」
私「これも大変な問題ですよ。私は福島医大にも電話して聞きました。すると、彼らは個人情報だから甲状腺がんからの転移はいっさい外部に知らせないというのです!リンパ節転移ですよ!甲状腺がんはすぐ直るなんて権力側は言うけど、とんでもないことです。」
B「一度なったら一生その子が背負うわけですしね。」
私「そうですよ。あの山下俊一なんて2009年の論文で、チェルノブイリの甲状腺がんの子供たちの4割が、リンパ節転移があったと言っているんですよ!
「それと松本市長の菅谷さんは、チェルノブイリで6人に1人が肺がん転移があったと言います。肺がんなんて。。。本当に大変な問題です!福島の子供たちは空気からも放射性物質を肺に吸い込んでいる。一粒のアルファ線でも肺がんを起こしうるという理論は、何十年も前にアメリカの放射線の大家が既に言っていたことです。」
B「へえ・・・そうなんですか!」
私「だから私は遺伝子検査をやるべきだと発信しています。あの東大の児玉教授知っていますよね。国会で怒鳴った・・・」
B「え、誰だかわからないんですけど・・・」
私「とにかく東大の児玉教授がずっと前に言ったし、本にも書いているんです。7q11遺伝子を見れば、被曝による甲状腺がんか、そうでないものか区別がつく、と。
今の時代は遺伝子検査ができる時代です。ところが、これも国はやろうとしない。本当に頭に来ます。早急にやって、子供たちは疎開させるべきなのです。エートスなどとはとんでもないです!」
しかし、なぜかこういった健康被害について、声をあげる市民団体があまりない。
エートスにしたって私が声を上げ始めた時、あの福島原告告訴団の有名な女性から、人を介して声をあげるなと言ってきたのです。福島は本当に大変です!」
息子は夕飯を食べたばかりなのに、「ねえ、ママ~お腹すいた~」と言ってくる。
テーブルの上にたまたま載っていた、アンパンの食べかけと残りチャーハンをおにぎりにしといたものを指さして、「ほら、アンパンでもチャーハンでも好きな方を食べなさい!」という。
私「しかし、なぜ今頃なのですか?安東さんは私の問いかけに答えず、すぐに私をブロックしていましたよ。まあ、私もエートスに頭にきて、かなり言いましたけど。。。でも福島の子供たちを守りたいという一心からです。それで、安東氏は何に具体的に文句を言っていましたか?」
B「その辺のことは上司でないとわからないので、私には・・・また明日連絡します。何時がいいですか?」
私「10時以降なら・・・」
B「わかりました。では明日に。いや、いろいろ勉強になりました。どうもありがとうございました。」
私「いえいえ、こちらこそ、お世話になります。ありがとうございます。よろしくどうぞ。」
ということで、数十分話していたと思うが、警察官Bさんはずっと感じよく真剣に合槌を打ちながら聞いていてくださった。
だから私は久々にエートスのことを話せ、”一番伝えたい”福島の方に放射能の危険性の話ができて、満足して電話を切ったのである。
しかし、この夜いざふとんにはいると、私はなかなか寝付けなかった。
まずは
1.上司でないと具体的な話ができないという事で話の全体がつかめていない。
2.概略しか聞いていない部下とはいえ、「なんであなたのような知識のある人が、そのような苦情が出ることをされたのか」というセリフひとつに、この件では、いまのところ、訴えている側の安東量子(本名鎌田陽子)の言い分に警察が同情している面もあるようであり、私の職業さえ知らなかったことからも、警察の方々は放射能被曝問題の知識が欠落しており、背景知識がなければ、私をただの誹謗中傷者として悪者と見做される可能性がある、という事だ。
寝ないと次の日に頭が働かず、また明日の10時の電話でもきちんとB警官の上司に話ができないと困るという焦りもあり、ますます眠れなくなる私。
隣では息子がスヤスヤと寝ている。
よく子供の寝顔を見ると癒されるというが、確かにそうだ。
特に平常時に布団に入り、息子の可愛い寝顔を見ると、かわいいなあ~こんなかわいい子供がいて幸せだなあ~と思い、すぐ眠りに落ちる。
でも心配事があって寝付けない時、子供の寝顔を見ても眠れはしない。
ただただ「子供は心配事がなくて良いなあ。。。」と、うらやましくて仕方なく感じるのだ。
参考:エートスと竹野内真理告訴事件はこちら
http://savekidsjapan.blogspot.jp/2013/01/blog-post_8310.html
私「私がエートスを知ったのはもう2012年7月のことです。もうずっと前のことですよ。なぜ今頃になって。。。」
B「ええ、確かにずいぶん前からあった話です」
私:「警察に訴えたいのは私の方です。いえ、実際に訴えました。エートスを知って、これは大変だ!福島の子供たちの命と健康が大変だ!と思ってから、私は猛烈にネットで発信するようになったんです。
そうしたら、ネット上では数えきれない誹謗中傷がとんできて、いわゆるネット工作員というやつです。
さらには、近所に不審な男が現れました
いつも息子と私が通る道を歩いていたら、意味不明のセリフを言いながら、不審な男が近づいてきて、私の当時2歳の息子を抱き上げたんですよ!」
B「ええ~! それは大変でしたね!」
私「警察に通報しますよ!と大声を上げたら逃げていきました。目撃者もいます。
それから那覇の警察署に言って事情を話して、調書を取ってもらい、しばらく近所のパトロールも強化していただきました。」
B「それはそれは。。。」
私「私がエートスに反対する声を上げた直後だったんです。
お巡りさん、ご存知ですか?エートスはチェルノブイリでもやられて、汚染地帯で積極的に放射線を測ったりしながら、ポジティブに暮らしていくうちに、健康な子供たちがほとんどいなくなってしまったというプログラムです。
でもそれと同じことが今、福島でおこなわれているのですよ!!!」
B「ええ!そうなのですか???
あの、ところで竹野内さんは何の仕事をされているのですか?」
私「ええ~!? ご存じなく連絡されたんですか!?私は被曝問題の翻訳をしています。事故後に3冊も被曝問題の本を出版しています。」
B「ええ~そうなのですか。ではまるで専門家のような方ですね。」
私「こう言っては何ですが、私はその辺の専門家よりは多くを知っていると思います。日本の医学部では放射線の危険性をまともに教えません。」
B「それだけの知識を持ったあなたが、なぜ苦情が出てくるような発言をしたのですか?」
私「知識があるから発信しているのです!!!
今のまま福島に子供たちが住み続けることは危ない!それを熟知しているから、発信しているんじゃないですか!」
B「そうですか。。」
私「放射線の専門家で実はよく知っている人もいるが、そういう人は私から見れば、犯罪と言えることに加担していると思います。
白血病の専門家のエートスの伴信彦教授とかね。彼は、マウスを使って放射線をあて、1~2年後には造血幹細胞の老化とある種の遺伝子が変異して白血病が発生することを突き止めている。
なのに福島の子供たちは汚染地帯に居てよいとしている。ありえない話です。」
私「それと、チェルノブイリのエートスと同じ専門家が福島に招かれているのですよ!エートスの安東量子によって!彼は放射線の危険など知らない経済学者です。ジャック・ロシャールという人です。彼がチェルノブイリで子供たちが大勢病気になったのを知っていながら、福島で同じことをやっている。何度も来ています。ご存じなかったですか?」
B「全く知りませんでした。」
私「安東量子氏は、偶然招待したようなことを言っているが、そんなはずはない。2011年11月には内閣府に呼ばれて講演してます。確かブログで消されていますが。そしてその10年位前には広島に呼ばれている。私はそれを知って非常にショックを受けました。」
B「しりませんでした。それにしても、放射能の危険性も何年もたたないと、よくわからないですし」
私「しかし、もう何年も前にチェルノブイリ事故は起きたのです。。それでわかっているのです。住み続けたら子供たちが病気になることが。わかっていながらやっていることで私は犯罪的だと言っているのです!」
B「はあ・・・なるほど、いろいろ勉強になります。」
会話の途中で、4歳の息子が大声をあげて私に飛びついてくる。
電話越しの警官のBさんは、「うちのと同じくらいかなあ?うちのは4歳。」
私「ええ!うちもそうです!同じです!」
B「平成21年生まれ?」
私「そうです!そうです!本当に、可愛いですよね~子供は。。。」
B「そうですよねえ。。。」
とちょっとなごんだ会話にもなる。
私「ところで、最近福島の方では健康被害とかどうですか?大丈夫ですか?そうだ、白血病が出ていますよね。郡山高校の陸上部の部長さんだとか」
B「そうですね。。。」
(警察の方も、この郡山の生徒さんの白血病の件は知っていたんだ。。。)
私「もう、それを聞いて私もいてもたってもいられなくて。
それで私ブログで発信しているんですけれど、おかしなことに、これを発信する市民団体がいないのですね。
今まで信頼していた人まで、ブログを出すなというし、こちら側の市民の味方の顔をした人にも、実はそうでないのではないかという人がたくさん混じっていますよ!大変なことです。
そうだ、相馬だったか、南相馬だったかで、白血病のお巡りさんが出たという話を聞いています。
それは事実ですか?」
B「いや、我々の方では把握していません。仮になっていてもそういう個人情報は、外部に漏れないんじゃないかと・・・」
私「まあ。。。それは困りますね。そうだ、甲状腺がんの子が複数、リンパ節転移している話は知っていますか?」
B「知りません」
私「これも大変な問題ですよ。私は福島医大にも電話して聞きました。すると、彼らは個人情報だから甲状腺がんからの転移はいっさい外部に知らせないというのです!リンパ節転移ですよ!甲状腺がんはすぐ直るなんて権力側は言うけど、とんでもないことです。」
B「一度なったら一生その子が背負うわけですしね。」
私「そうですよ。あの山下俊一なんて2009年の論文で、チェルノブイリの甲状腺がんの子供たちの4割が、リンパ節転移があったと言っているんですよ!
「それと松本市長の菅谷さんは、チェルノブイリで6人に1人が肺がん転移があったと言います。肺がんなんて。。。本当に大変な問題です!福島の子供たちは空気からも放射性物質を肺に吸い込んでいる。一粒のアルファ線でも肺がんを起こしうるという理論は、何十年も前にアメリカの放射線の大家が既に言っていたことです。」
B「へえ・・・そうなんですか!」
私「だから私は遺伝子検査をやるべきだと発信しています。あの東大の児玉教授知っていますよね。国会で怒鳴った・・・」
B「え、誰だかわからないんですけど・・・」
私「とにかく東大の児玉教授がずっと前に言ったし、本にも書いているんです。7q11遺伝子を見れば、被曝による甲状腺がんか、そうでないものか区別がつく、と。
今の時代は遺伝子検査ができる時代です。ところが、これも国はやろうとしない。本当に頭に来ます。早急にやって、子供たちは疎開させるべきなのです。エートスなどとはとんでもないです!」
しかし、なぜかこういった健康被害について、声をあげる市民団体があまりない。
エートスにしたって私が声を上げ始めた時、あの福島原告告訴団の有名な女性から、人を介して声をあげるなと言ってきたのです。福島は本当に大変です!」
息子は夕飯を食べたばかりなのに、「ねえ、ママ~お腹すいた~」と言ってくる。
テーブルの上にたまたま載っていた、アンパンの食べかけと残りチャーハンをおにぎりにしといたものを指さして、「ほら、アンパンでもチャーハンでも好きな方を食べなさい!」という。
私「しかし、なぜ今頃なのですか?安東さんは私の問いかけに答えず、すぐに私をブロックしていましたよ。まあ、私もエートスに頭にきて、かなり言いましたけど。。。でも福島の子供たちを守りたいという一心からです。それで、安東氏は何に具体的に文句を言っていましたか?」
B「その辺のことは上司でないとわからないので、私には・・・また明日連絡します。何時がいいですか?」
私「10時以降なら・・・」
B「わかりました。では明日に。いや、いろいろ勉強になりました。どうもありがとうございました。」
私「いえいえ、こちらこそ、お世話になります。ありがとうございます。よろしくどうぞ。」
ということで、数十分話していたと思うが、警察官Bさんはずっと感じよく真剣に合槌を打ちながら聞いていてくださった。
だから私は久々にエートスのことを話せ、”一番伝えたい”福島の方に放射能の危険性の話ができて、満足して電話を切ったのである。
しかし、この夜いざふとんにはいると、私はなかなか寝付けなかった。
まずは
1.上司でないと具体的な話ができないという事で話の全体がつかめていない。
2.概略しか聞いていない部下とはいえ、「なんであなたのような知識のある人が、そのような苦情が出ることをされたのか」というセリフひとつに、この件では、いまのところ、訴えている側の安東量子(本名鎌田陽子)の言い分に警察が同情している面もあるようであり、私の職業さえ知らなかったことからも、警察の方々は放射能被曝問題の知識が欠落しており、背景知識がなければ、私をただの誹謗中傷者として悪者と見做される可能性がある、という事だ。
寝ないと次の日に頭が働かず、また明日の10時の電話でもきちんとB警官の上司に話ができないと困るという焦りもあり、ますます眠れなくなる私。
隣では息子がスヤスヤと寝ている。
よく子供の寝顔を見ると癒されるというが、確かにそうだ。
特に平常時に布団に入り、息子の可愛い寝顔を見ると、かわいいなあ~こんなかわいい子供がいて幸せだなあ~と思い、すぐ眠りに落ちる。
でも心配事があって寝付けない時、子供の寝顔を見ても眠れはしない。
ただただ「子供は心配事がなくて良いなあ。。。」と、うらやましくて仕方なく感じるのだ。
(3に続く)
参考:エートスと竹野内真理告訴事件はこちら
http://savekidsjapan.blogspot.jp/2013/01/blog-post_8310.html
2014年1月31日金曜日
1. それはある夜、お風呂に入ろうとしていた矢先でした
刑事さんから連絡を受けるというのは、これが人生初めてではありません。
(これについては後ほど書こうと思います)
ただ刑事告訴を自分が受けるという事態は初めての経験。
さすがの私も、ここ数日食欲がなくなり、お腹が少しへこみました。
ただ出産をしてから、少しおなかが膨らんでいたので、ちょっとしたダイエットにちょうど良いと思うようにしています。
ことの発端は・・・
2013年1月28日夜、風邪気味という事もあり、さっさとお風呂に入って寝ようとしていた前に、ふとマナーモードにしてあった携帯電話を見ました。
着信履歴で福島ナンバーが着信ふたつと留守録がありました。
なんだろうと早速聞いてみると、「もしもし、私福島県のいわき南警察署刑事課のAと申します。お話ししたいことがありますので、折り返しこの電話に頂けると幸いでございます。」
とても丁寧な口調でしたが、いったい何なのだろう。。。
しかしお風呂のお湯も入れてしまったところなので、冷めるのももったいなく、さっと入ってから電話をすることにしました。
4歳の息子はこの日、咳がひどかったので、私一人で入り、その間、息子はふとんの上でブロック遊びをしていました。
(私と息子は、福島事故後、東京に3月15日、最も濃い放射能雲が来ていた時に外にいたものですから、私は息子が咳をするたびに思い出し、少し落ち込んでしまいます。)
警察に電話をすると、ご本人は既に帰り、部下の方が電話に。
「いや、本人はもう帰ってしまい、私は細かいところまではわからないのですが、概略は聞いています。」
ということで、尋ねてみると、こちらの警察の方も「お忙しいところ、大変恐れ入りますが。。。」とても丁寧な口調で説明が始まりました。。
私は母が福島出身なので、子供の時よく聞いたなじみのある福島なまりです。
「あの、鎌田陽子さんが苦情を言っているんですね。。」
「え、鎌田さん?鎌田さんって誰ですか?鎌仲さんではなくって?え、鎌田さんって誰でしたっけ?」
恥ずかしながら、私の記憶力には非常にムラがあります。
人の顔と名前を結びつけるのはてんでだめです。
自分が非常に大事だと思う出来事の内容だとか重要登場人物の表情だとかは、細かい点までしつこく覚えていますが、自分にとってアクセサリー的な情報はすぐに忘れてしまうのです。
安東量子氏の本名が鎌田陽子という事は知って、自分でツイートをしていたのですが、ここ半年くらいは、エートス問題が既に多くの人に広まっていると考え、まったく安東量子氏(鎌田陽子氏)のツイートをせず、鎌田という名前さえぱっと思い浮かびませんでした。
そして実は、この2か月、部屋の引っ越しなどもあり、福島事故後、初めてあまり頭を使わず、息子との時間を楽しみ、12月13日に行った米国大使館前デモの他は、比較的ゆったりと毎日を過ごしていました。
事故が起きたのは息子が1歳4か月の時。
それから私は被曝関係の翻訳本の出版、記者会見、講演会、市民団体のイベント、ネットでの発信や日英ブログの作成、そしてここ2013年は国連その他への発信で米国や欧州まで子供の手を引いて福島の現状を訴えてきました。
2013年9月以降、ネット上の私への誹謗中傷が、一見仲間と思われる人々からも散見されるようになり、また、ツイッターのフォロワーが意図的に外されて、まったく数が増えなくなってから、私はもうネットでの運動は潮時であると考えていました。
同時に、ほんの少し、バーンアウトというか、なんだかずっと走ってきて、少し頑張りを緩めたくなっていたのです。
信じないかもしれませんが、私はもともと、のんびりした性格です。
原発事故、被曝問題という、のっぴきならないことがあったので、スイッチが入り、がんばっていましたが、少しだけ休みたくなっていました。
考えてみたら、沖縄に来てから2年半、私は息子を沖縄の観光地にほとんど連れて行ったこともなかった。遠出と言ったら、辺野古や高江の座り込みイベントとか、そういうものでした。
そこで、フォロワーが減ったあたりから、ああもっと息子との時間を普通に楽しもうと思い、日曜になると、のんびりとローカルバスに乗って純粋な観光地に行くようになりました。
「ママ、今日もとても楽しかったね~」というニコニコ顔の息子の喜ぶセリフを聞くのが私の余暇時間の楽しみになり、以前のように息子の前でさえ、パソコンとにらめっこということはほとんどなくなっていました。
おりしも、同マンションで日当たりと見晴らしのよい部屋が空いたこともあり、引越しをすることになったのですが、それもあって、荷物の整理をしたり、息子が欲しがる「こたつ」を購入して模様替えをしてみたりと、日常をふつうに楽しむ時間が増えていたのです。
警察の方の「エートス」という言葉を聞いて、やっと結びつきました。。。俄然、テンションが上がりました。
「エートスの安東量子さんですか!?え、ずいぶん前からの話ですが、なぜ今頃!」
「そうなんですよ。ずいぶん前からこの話はあるんですが。。。」
「お巡りさんはご存じなのでしょうか?エートスのことを!福島では大変なことが起きています。子供たちの命と健康が危ない。警察に文句を言いたいのはこちらのほうです!」
*エートスとは、汚染地帯で子供たちや妊婦を含める住民が自分たちで除染をしたり、線量を測ったりして工夫しながら住み続け、結局子供たちの大半が病気になってしまったのに、この一番大変な問題を無視され、チェルノブイリでも、そして今福島でも推し進められている原子力村を資金源としたプログラムです。
もっと詳しく知りたい方は、こちらをご覧ください。
http://savekidsjapan.blogspot.jp/2013/01/blog-post_8310.html
(これについては後ほど書こうと思います)
ただ刑事告訴を自分が受けるという事態は初めての経験。
さすがの私も、ここ数日食欲がなくなり、お腹が少しへこみました。
ただ出産をしてから、少しおなかが膨らんでいたので、ちょっとしたダイエットにちょうど良いと思うようにしています。
ことの発端は・・・
2013年1月28日夜、風邪気味という事もあり、さっさとお風呂に入って寝ようとしていた前に、ふとマナーモードにしてあった携帯電話を見ました。
着信履歴で福島ナンバーが着信ふたつと留守録がありました。
なんだろうと早速聞いてみると、「もしもし、私福島県のいわき南警察署刑事課のAと申します。お話ししたいことがありますので、折り返しこの電話に頂けると幸いでございます。」
とても丁寧な口調でしたが、いったい何なのだろう。。。
しかしお風呂のお湯も入れてしまったところなので、冷めるのももったいなく、さっと入ってから電話をすることにしました。
4歳の息子はこの日、咳がひどかったので、私一人で入り、その間、息子はふとんの上でブロック遊びをしていました。
(私と息子は、福島事故後、東京に3月15日、最も濃い放射能雲が来ていた時に外にいたものですから、私は息子が咳をするたびに思い出し、少し落ち込んでしまいます。)
警察に電話をすると、ご本人は既に帰り、部下の方が電話に。
「いや、本人はもう帰ってしまい、私は細かいところまではわからないのですが、概略は聞いています。」
ということで、尋ねてみると、こちらの警察の方も「お忙しいところ、大変恐れ入りますが。。。」とても丁寧な口調で説明が始まりました。。
私は母が福島出身なので、子供の時よく聞いたなじみのある福島なまりです。
「あの、鎌田陽子さんが苦情を言っているんですね。。」
「え、鎌田さん?鎌田さんって誰ですか?鎌仲さんではなくって?え、鎌田さんって誰でしたっけ?」
恥ずかしながら、私の記憶力には非常にムラがあります。
人の顔と名前を結びつけるのはてんでだめです。
自分が非常に大事だと思う出来事の内容だとか重要登場人物の表情だとかは、細かい点までしつこく覚えていますが、自分にとってアクセサリー的な情報はすぐに忘れてしまうのです。
安東量子氏の本名が鎌田陽子という事は知って、自分でツイートをしていたのですが、ここ半年くらいは、エートス問題が既に多くの人に広まっていると考え、まったく安東量子氏(鎌田陽子氏)のツイートをせず、鎌田という名前さえぱっと思い浮かびませんでした。
そして実は、この2か月、部屋の引っ越しなどもあり、福島事故後、初めてあまり頭を使わず、息子との時間を楽しみ、12月13日に行った米国大使館前デモの他は、比較的ゆったりと毎日を過ごしていました。
事故が起きたのは息子が1歳4か月の時。
それから私は被曝関係の翻訳本の出版、記者会見、講演会、市民団体のイベント、ネットでの発信や日英ブログの作成、そしてここ2013年は国連その他への発信で米国や欧州まで子供の手を引いて福島の現状を訴えてきました。
2013年9月以降、ネット上の私への誹謗中傷が、一見仲間と思われる人々からも散見されるようになり、また、ツイッターのフォロワーが意図的に外されて、まったく数が増えなくなってから、私はもうネットでの運動は潮時であると考えていました。
同時に、ほんの少し、バーンアウトというか、なんだかずっと走ってきて、少し頑張りを緩めたくなっていたのです。
信じないかもしれませんが、私はもともと、のんびりした性格です。
原発事故、被曝問題という、のっぴきならないことがあったので、スイッチが入り、がんばっていましたが、少しだけ休みたくなっていました。
考えてみたら、沖縄に来てから2年半、私は息子を沖縄の観光地にほとんど連れて行ったこともなかった。遠出と言ったら、辺野古や高江の座り込みイベントとか、そういうものでした。
そこで、フォロワーが減ったあたりから、ああもっと息子との時間を普通に楽しもうと思い、日曜になると、のんびりとローカルバスに乗って純粋な観光地に行くようになりました。
「ママ、今日もとても楽しかったね~」というニコニコ顔の息子の喜ぶセリフを聞くのが私の余暇時間の楽しみになり、以前のように息子の前でさえ、パソコンとにらめっこということはほとんどなくなっていました。
おりしも、同マンションで日当たりと見晴らしのよい部屋が空いたこともあり、引越しをすることになったのですが、それもあって、荷物の整理をしたり、息子が欲しがる「こたつ」を購入して模様替えをしてみたりと、日常をふつうに楽しむ時間が増えていたのです。
警察の方の「エートス」という言葉を聞いて、やっと結びつきました。。。俄然、テンションが上がりました。
「エートスの安東量子さんですか!?え、ずいぶん前からの話ですが、なぜ今頃!」
「そうなんですよ。ずいぶん前からこの話はあるんですが。。。」
「お巡りさんはご存じなのでしょうか?エートスのことを!福島では大変なことが起きています。子供たちの命と健康が危ない。警察に文句を言いたいのはこちらのほうです!」
2に続く
*エートスとは、汚染地帯で子供たちや妊婦を含める住民が自分たちで除染をしたり、線量を測ったりして工夫しながら住み続け、結局子供たちの大半が病気になってしまったのに、この一番大変な問題を無視され、チェルノブイリでも、そして今福島でも推し進められている原子力村を資金源としたプログラムです。
もっと詳しく知りたい方は、こちらをご覧ください。
http://savekidsjapan.blogspot.jp/2013/01/blog-post_8310.html
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