ちょっと一服ひろば

  • ぷくネタ
  • 大人のエアいっぷく
  • +NAMI
  • ちょっと一服読本
  • ちょっと一服ノベルズ
  • ちょっと一服ムービー
  • ちょっと一服ゲーム

『さよならドビュッシー』番外編///煙よりも、軽く 第二話///中山 七里

「形成外科でしたっけ。それは美容整形とどこがどう違うんでしょうか」

 あまりに居丈高な態度が鼻についたので、郁美は嫌味の一つも言ってみたくなった。

 だが、辛辣(しんらつ)さは新条の方が一枚上手だった。

「たとえばあんたがバストサイズを一つ上げようとしたら、それは美容整形だ。もしもガンの切除で失った乳房を再建しようとするなら、それは形成外科の仕事だ」

 思わず横顔を張り倒したくなったが、すんでのところで思い留まった。今、容疑者の主治医を敵に回しても損なだけだ。可能な限り情報を掻き集め、テロ計画の全貌を明らかにすることが郁美に課せられた任務だった。金髪男の単独犯なのか、それともバックに組織があるのか。テロ行為はこれ単発なのか、連続する計画の一部に過ぎないのか。状況次第で警備部全体、ひいては警視庁の動きが左右される。

「手術中に何か気づいたことはありますか。その、容疑者の身分を特定できるような個人的特徴とか」

「ある民族やテロ組織に特有の刺青、か?」

 新条は鼻で笑う。

「残念だがそんなものは見当たらなかったな。いや、あったかも知れんがⅢ度熱傷で焼け爛(ただ)れて判別不能になった可能性がある」

「日本人かどうかも分からないんですか」

「少なくとも金髪は地毛だよ。瞳の色はブルー、皮膚の色素は白色人種のそれに近い」

「それじゃあ」

「ただし、それで民族や国籍が特定できる訳じゃない。帰化している外国人なんて星の数ほどいる。二世三世ともなれば、そういう人種的特徴も薄まっていく。確実なことは本人の口から聞くしかない」

 郁美は唇を噛んだ。

 容疑者の着衣はほぼ燃え尽き、所持品もあらかた炭化していた。身分証・運転免許証の類が収められていた財布、そして携帯電話からも本人の身元を特定するには至らず、人相や指紋も熱傷のために照会すらできない有様だった。手製爆弾の構成部品にしても、起爆剤の黒色火薬を含め全てホームセンターやネットで調達できる物であり、入手経路から手掛かりを得る方途も閉ざされていた。その意味で新条の言葉はまことに正しかったが、腹立たしくもあった。

「どれくらいで容疑者の意識は戻りますか」

「それも本人から聞くしかないな」

 そう言い捨てて、新条が一服ひろばから出て行こうとした時だった。

『病院はー、ただちにー、犯人をー、我々にー、引き渡せー』

 施設を囲む塀の向こう側から拡声器の野卑な声が飛んできた。

『国外退去などー、もっての外でありー、日本の裁判においてー、民主主義の敵をー、厳罰に処するべきであるー』

『テロリストの跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)をー、許してはー、ならない。この国にー、治安と平穏を取り戻すためー』

『医者はー、今すぐー、治療を中断せよー。犯罪者のー、治療はー、税金のー、無駄遣いだー』

「わたしに色々聞くより、ああいう手合いを取り締まる方が先決じゃないのか」

 新条は声のする方角に侮蔑の視線を向ける。

 同様の騒ぎは国会議事堂周辺や街中でも起きていた。真垣総理は強気の外交姿勢で国民からの人気が高かった。その真垣を自爆テロで狙ったのが外国人らしいというので、国粋主義者のみならず、にわか愛国者たちが類似の示威(じい)行為を繰り返しているのだ。

 もっとも郁美には、彼らの言い分に一部同調したい気分もある。テロリズムとは無縁と言われるこの国で起きた未遂事件。その事実だけで容疑者を断罪するには充分だった。

「テロリズム憎しという気持ち自体は至極真っ当なものだと思いますよ」

 ふん、と新条は鼻を鳴らす。

「ICU(集中治療室)で闘っている患者に無理やり話をさせろだの、自分の手に渡せだの、言ってることはあんたたちもあの連中も一緒だな」

「そんな」

「あの患者が搬送されてから病院に無言電話や抗議が殺到している。その全員が善良なる市民を名乗っている。自分の行動が正しいと思い込んでいるヤツほどタチの悪いものはない」

「先生にだって善悪の区別くらいはあるでしょう」

「医者には一国の総理もテロリストも関係ない。ベッドの上に寝ていたらただの患者だ。そして、その患者の回復を妨げようとする者は警察だろうが憂国の士だろうが、医者にとっては全て敵だ」

 刑事という職業に就いて十数年、これほどはっきりと敵意を表明されたのは初めてだったので、少なからず動揺した。もちろん敵の多さで戦意が喪失するようなことはないが、今回はあまりに味方が少な過ぎる。世論、警備部長、にわか愛国者たち、容疑者の主治医――いや、まだ最悪の敵がいるではないか。

 警視庁公安部。

 今回の自爆テロが発生するや否や、公安部は容疑者の引き渡しを要求してきた。日頃からテロリストの動向を監視している彼らにしても、今回の事件は屈辱以外の何物でもないだろう。そして日頃から強引な彼らなら、要求の仕方が一層熾烈になるのも充分に予想できることだった。

とある広場で、あの人と
ちょっと一服ひろば×ダ・ヴィンチ

今月のあの人は…

『さよならドビュッシー』の///新条 要(しんじょう かなめ)

『さよならドビュッシー』

中山 七里

宝島社文庫 590円

遥とルシアはともにピアニストを目指す従姉妹同士。彼女たちが同じ敷地内にある祖父の離れに泊まったある夜、離れは火事に見舞われ、祖父とルシアは帰らぬ人となってしまう。遥も全身にひどい火傷をおったが、奇跡的に一命を取り留める。祖父の莫大な財産をピアニストになることを条件に譲り受けることを知った彼女。その周りで不審な出来事が起こり始めて――。第8回「このミス」大賞受賞作品。2013年1月に橋本愛主演で映画化。新条要は、遥の手術を執刀した形成外科医。

中山 七里(なかやま しちり)

1961年、岐阜県生まれ。『さよならドビュッシー』で、「このミステリーがすごい!」大賞を受賞し、2010年に作家デビュー。著書に、『おやすみラフマニノフ』『贖罪の奏鳴曲(ソナタ)』『ヒートアップ』『切り裂きジャックの告白』『七色の毒』『追憶の夜想曲(ノクターン)』など。