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Chikirinの日記

2014-02-25 下から7割の人のための理科&算数教育

先日、ツイッターで下記のようなツイートをいただきました。もともとは語学教育についての話だったのですが、今日のトピックは「理科教育」についてです。

今日も議論紛糾は必至ですが、めげずに極論を展開してみましょう。



ちきりんはお二人の理科&数学教育に関する考え方に、大賛成です。

別の言葉でいえば、「あたしに理科とか数学とか教えるの、ほんとーに時間の無駄!」ってことでもあります。


義務教育である、小学校、中学校、それに事実上の義務教育である高校をあわせた 12年間の理科教育のうち、私に必要だったのは小学校レベルの理科だけであって、中学・高校で、化学、物理、生物、地学などを学ぶ必要は全くなかったと思います。

算数に関しても、中学校1年までに学んだことで十分で、中学校の後半以降、算数&数学の授業を受けてなくても、これまでの人生において、たぶん何の問題もありませんでした。

以前からそんな気がしていましたが、先日、(今使われている)中学校の算数や理科の教科書をじっくり見る機会があり、改めて確信しました。


★★★


今、教えられている内容を前提とすれば、数学や理科に関しては、全体の 3割程度の生徒が学べばよい(ちきりんを含め、下から 7割の人は学ぶ必要がない)と思ってます。

その 3割の人は、今よりもっと高度な内容について学べばよいし、その中でもレベル別クラスにして、得意な人は中学・高校から大学レベルの内容を学べばいい。(ちきりん含め)アホな生徒に足を引っ張られることなく、どんどん先を進んでいってほしいです。


「技術立国のために科学教育が大事」とかいうけど、あたしにいくら科学教育を与えても、技術立国には一歩たりとも近づきません。

ただし、理科教育といっても、物理と生物は大きく違うし、物理の中の分野でも「この分野は得意だけど、他は興味ない」という人もいるだろうから、「生物だけは特進クラスで学ぶ」みたいに細かく分野で分ければいいと思います。


残りの 7割の人には、今を教えられてる内容に替えて(=その時間を使って)「生活するために必要な科学知識」を教えてほしいです。


たとえば、算数の時間には、

・リボ払いを選んだ場合の利子の額

・大半の人が選んでしまう住宅ローンの“元利均等払い”の恐ろしさ

とかを(台形やひし形の面積の計算方法の代わりに)教えてほしいし、


生物の時間には、

・命にかかわる病気になった時、治療方法をどう選べばよいのか

・副作用も指摘されてるワクチンを勧められたんだけど、摂取すべきかどうか、どう考えて決めればいいのか?

・太っちゃって、脂肪吸引に興味があるんだけど、大丈夫かな?

みたいなことを(カエルの解剖をする代わりに)教えてほしい。


化学の時間には、

・トイレ掃除のとき、何と何の洗剤を一緒に使うと危ないのか (もしくは、ガスファンヒーターの前にヘアスプレーのカンがあったら、どれほど危ないのか)

・ホテルで火事にあったら、煙は上下、どっちに流れるのか

・天ぷら油から火がでたら、水をかけるのとマヨネーズをかけるのはどっちがいいのか。なければケチャップでもいいのか?

などを(リトマス紙で遊ぶ時間の代わりに)教えてください。


物理の時間には、

・イオンのでる家電って、なんか意味あるの?

・放射能が怖いんだけど、ラジウム温泉でダイエットするのは大丈夫?

とかね。


★★★


私は「数学的な考え方を理解することや、科学教育が不要だ」と考えてるわけではありません。

日本には血液型判定を始め、偽科学的が溢れているし、科学的な思考とは何か、ということはしっかりと教えた方がいいと思います。

また、技術が社会や人間の生活をどう変えてきたのかも、議論型の授業でぜひ教えてほしい。

技術は失敗を経るごとに進歩するという基本的なことがわかっていないと、「国民統一番号を導入すると思想調査につながらうから絶対反対!」みたいに新技術の導入を拒否したり、失敗や事故が起こるとすぐに「使うのを止めるべき。終わり」みたいに言い出す人がでてきます。


技術そのものというより、技術や科学について、学んでおきたかったと思えることはたくさんあるんです。

換言すれば、「全員に与えるべきは、技術者や研究者になるための専門教育ではなく、生活者として自己決定ができ、健全に安全に生きていけるようになるための科学リテラシー」だってことです。


ところが今の理科や数学で教えられている内容は、ほとんどの人には生涯を通じて無関係です。

そんな内容を義務教育として教えられ、7割近い生徒を「落ちこぼれ」や「勉強嫌い」にしてしまうことにポジティブな意味があるとは思えません。


なんでも同じですが、教育に使える時間も有限です。とめどなく授業時間を長くして、何でもかんでも学校で教えろというのは不毛な考え方です。

(そういう考えを身に着けてしまうと、とめどなく残業時間を長くして、大事な仕事もそうでない仕事も全部やれ、みたいな考えのサラリーマンになってしまいます)

だから、「○○を学校で教えるべき!」と主張する人は、そのかわり、今、教えられていることで不要なことをセットで指摘するべきです。


私は社会に出てから知ったことで、「これくらい学校で教えておくべきでは?」と思うことが、たくさんありました。同時に、「これはもう教えなくていいんじゃない?」ってこともたくさんあります。

台形の面積の計算方法なんて、「台形 面積 計算方法」でググればすぐに見つかります。全員が、なぜそういう計算方法になるのか、までを理解する必要があるとは思えません。

簡単な方程式は、表計算ソフトで収支管理プログラムを作ったり、税金を計算したりするプロセスの一環として、教えてもらえれば十分です。


今、多くのことは本を読んだり、ウェブ上のサイトで(自分で)勉強することができます。働き始めてからでも必要になれば、その時点で、算数でも理科でも特定分野に関して理解を深めることはできるんです。

そうやって、「○○のために、これを学ぶ必要がある」というリアルな状況で学ぶのは、多くの人にとって意義のわかりやすい、やる気の出る勉強です。しかし、何に使えるのかも理解できない数式を、延々覚えなくちゃいけないのは苦痛でしかありません。


もちろん 3割の人には、早くから思う存分教えてあげてください。どんどん飛び級させればいいし、もっともっと高度なことを小学校でも中学校でも教えればいいと思います。

だからといって科学技術立国を目指すためには理科&数学教育が大事だといって、興味も能力もない人全員に理科や算数を教え続ける必要はありません。

「全員で同じことをやるのが平等だ」という歪んだ平等思想こそが、多くの人たちを不幸にしていると思うのです。


そんじゃーね



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