【日韓関係】姜 尚中さん
◆いまだ深い満州国の影
最近、「嫌韓論」や「呆(ぼう)韓論」などの言葉が躍る新書や雑誌がやけに目につくようになった。その一方で、ひと頃の勢いはなくなったとはいえ、韓食や韓流スター、Kポップなど、大衆文化の分野では韓国のイメージは日本の中に広く浸透しつつある。
実は韓国でもこれと似たようなことが起きているのだ。領土問題や歴史問題で、韓国のメディアや世論は「反日」一色に染まっているように見えるが、それでも「和食」や日本酒のブームは衰えず、ソウルの名だたる書店では日本語の書籍や雑誌が所狭しとコーナーを占めているほどである。
それにしても、日本で韓国のイメージが著しく悪化したのは、韓国が米国などで「反日」活動を繰り広げているというイメージが強くなったからである。そのひとつとして、日本に報道され、耳目を集めたのは、米国のバージニア州で、公立学校教科書に日本海とともに東海(トンヘ)の併記を求めた韓国系米国人の運動である。東海を併記する法案は、在米日本大使の懸命の働きかけにもかかわらず、韓国系米国人の猛烈なロビー活動もあって議会を通過してしまった。この動きはニューヨーク州などにも波及しそうで、最大の同盟国・米国を舞台にした韓国系米国人や韓国政府の動きに、日本政府も神経を尖(とが)らせ、それが日本の世論にも反映して「嫌韓」感情が募りつつあるようだ。
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在日韓国人2世であり、日本海という名称に慣れ親しんで来た私には、正直に言って、日本海との併記を求める韓国系米国人の執念のようなものに強い違和を感じざるをえない。
ただ、韓国の国歌である愛国歌(エグッカ)の冒頭、「『東海』が乾き果て、白頭山が摩り減る時まで…」とうたわれていることを考えると、東海という名称は、韓国国民にとって自らのアイデンティティーそのものにかかわる重要なことに違いない。しかし、歴史は捻(ねじ)れ、屈折している。愛国歌の原形となった「韓国幻想曲」の作曲家・安益泰(アンイクテ)は、近年、韓国国内の親日人名事典のリストに数えられるようになったからだ。安は戦時期、満州国建国10周年の祝賀曲を作曲していたのである。
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東京高等音楽学院でチェロを学び、やがてアジア人でただ一人、リヒャルト・シュトラウスに学んで、欧米で名声を博した安は、スペインのマヨルカ島でその生涯を閉じた。彼は、愛国者というより、流浪のエトランゼ(異邦人)だったのである。その異邦人の曲を愛国歌とし、東海という名称に執念のような愛着を抱き続ける韓国国民。
ただ、その捻れを笑ってばかりはいられない。満州国の影の総理と言われ、戦後、A級戦犯容疑者から米国の後ろ盾で復活した岸信介なしには、日米安保も、高度成長もありえなかったかもしれないからだ。この意味で、戦後の日本も、満州国の影から自由ではありえないことになる。そして、岸の刎頸(ふんけい)の友として日韓関係の「正常化」に踏み切り、「漢江の奇跡」と言われる韓国の経済成長の立役者になったのが、かつて満州国の軍人であった朴正熙(パクチョンヒ)元大統領にほかならない。
「昭和の妖怪」と恐れられた岸信介、独裁者と非難された朴正熙。この二人なくして、現在の日本も韓国も、日韓関係もありえなかったかもしれない。二人がともにあの傀儡(かいらい)国家・満州国で激動の時代を生きたことは単なる偶然なのかどうか。そして、「妖怪」の孫と独裁者の娘とが、日韓それぞれの最高権力者になり、反目し合っているのである。満州国の影は今も深い。
【略歴】1950年、熊本市生まれ。早大大学院博士課程修了後、ドイツ留学。国際基督教大准教授、東大大学院情報学環教授などを経て2013年4月から現職。専攻は政治学、政治思想史。自伝的作品に「在日」など。近刊は長編小説「心」。
※次回は藻谷浩介さんの「提論」です
=2014/02/23付 西日本新聞朝刊=