(2014年2月24日付 英フィナンシャル・タイムズ紙)
2月22日、ウクライナ・キエフの独立広場で軍用車に乗る反政府デモの参加者ら〔AFPBB News〕
ベルリンの壁が崩壊してから25年目となる今年、欧州に革命の喧噪が再び響き渡っている。1989年の壁の崩壊は、東西冷戦の終わりの始まりを告げた。中東欧の国々の大半が旧ソビエト連邦の覇権から抜け出し、欧州連合(EU)に平和裏に加盟していった。
ウクライナの反乱劇はまだ始まったばかりであり、まだ何幕か残っている。だがこれは、叙事詩で語られるようなあの1989年の出来事と比較する場合でも軽視できないほどの、歴史的に重要な出来事だ。ウクライナにとって、そしてEUとロシアにとって非常に大きな好機――そして非常に大きな危機――なのだ。
旧ソ連圏の崩壊後で言えば、「欧州の出番」の到来がこれほど強く予感されるのは、キエフで革命が始まった今回が初めてだ。
マイダン革命と政権転覆が意味すること
キエフにおける革命的な事態の進展とビクトル・ヤヌコビッチ大統領の政権の転覆について考えるのであれば、ウクライナという国と4600万人に上るその国民にとってこの状況が何を意味するのかを考えることから始めなければならない。
ウクライナは1991年、崩れかけていた旧ソ連から平和裏に分離し、核兵器を放棄し、独立国家へとスムーズに移行した。民主的な国になるという期待は強く、2004年のオレンジ革命の後は特にそれが高まった。ところがその後、冷笑的で汚職にまみれた政治家たちが政権を握ったことから、今日のウクライナは経済のメルトダウン寸前の状況に陥っている。
ロシアを後ろ盾にしてきたヤヌコビッチ政権がこの週末に崩壊したこと――その原因は、何と言っても大統領自身の政治的な無能さにある――によって、ウクライナは今、ちゃんと機能する民主国家になる新たなチャンスを手にしている。
しかし、ウクライナの革命の政治的な影響は、国境線の内側にはとどまらない。EUとロシアに挟まれたこの広大な国は過去四半世紀の間、クレムリンと西側による地政学的な争いの舞台となってきた。
2008年には米国のジョージ・W・ブッシュ大統領がこの争いで決定的な優位に立つことを目指し、ウクライナとグルジアという旧ソ連圏の2カ国を米国主導の北大西洋条約機構(NATO)に引き込もうとした。
このお粗末な試みにロシアのウラジーミル・プーチン大統領は腕力で応じた。NATOへの加盟申請を阻んだりグルジアに侵攻したりして、ロシアの近隣諸国への影響力を弱める新たな試みをすべて断ち切ったのだ。