このところ、体調も精神状態もきわめて安定しない私ではありますが…
そもそも、普段でも、1日のうちに、まともに活動できるのが30分程度。あとは、かなり無理をしてるか、あるいは、潰れているかのどちらかだもんなあ…
まあ、それはともかくとして。
ニコ生を利用してストリーム配信し、いろんな方といろんな話をする機会があるわけで、様々な話題が、私自身の頭脳の活性化に繋がっていたりします。
そんな中、宗教に関する話も色々としているわけですが、その際、キリスト教の新約聖書の中で、一番大切な教えとは何かって話をするんだけど…
そもそも、普段でも、1日のうちに、まともに活動できるのが30分程度。あとは、かなり無理をしてるか、あるいは、潰れているかのどちらかだもんなあ…
まあ、それはともかくとして。
ニコ生を利用してストリーム配信し、いろんな方といろんな話をする機会があるわけで、様々な話題が、私自身の頭脳の活性化に繋がっていたりします。
そんな中、宗教に関する話も色々としているわけですが、その際、キリスト教の新約聖書の中で、一番大切な教えとは何かって話をするんだけど…
あらかじめ断っておくと、私自身は、基本的には無宗教。強いて言えば神社神道ってことにしてある。
もともと記憶を失う直前まで葬儀の仕事をしていたからか、宗教については、簡単な知識を保有しているみたいでして…もっとも、その知識が正しいのかどうかを後ほど確認する作業が必要なものもあるわけですけれど。間違えて覚えているものもあるし。ともかく、そうした宗教の知識があるからこそ、あえて神社神道だってことにしてあります。
神社神道って、けっこう気軽な宗教でもあるわけでして。
何しろ、神社にいって、「ちぃ~っす♪とりあえず生きてますよっと♪」なんて挨拶をするだけでいいから。
基本的に、参拝する際は、いわゆるお願いとかは一切しない。場合によっては、「これからこんなことしますんで、うまくいったらまた報告に来るよ~ん」なんていう感じにはしている程度だから。
基本的に、神社神道で言うところの神様って、近所のおじさんおばさんって感覚の付き合い方でいいからね。もちろん、礼節は必要だけれど。
まあ、私の宗教の価値観はともかくとして。
そんな感じで、神社神道以外の宗教については、その歴史などもある程度頭に入っているもんだから、それを信仰したいなんて気持ちには一切なれないわけだけれど、一方で、その宗教に関する簡単な勉強については、やっていたりする。
なので、キリスト教の新約聖書についても、簡単につまみ食いした程度ながら、一応勉強はした。もっとも、全体の1%にも満たない程度なんだけどね。
そんな聖書に関する話なんだけれど、その、キリスト教の聖書の中に書かれている、究極の教えってのは、たぶん、こういうことなんじゃないかな、って話を、時々、ニコ生の生放送中にやっていたりするんだ。
そして、これが、私が思う、キリスト教の究極の教えなんじゃないかな、と思う部分。
神がいるかどうかってのではなく、人間としての生き方として、その、「許す」という考え方が大切なんじゃないかなって。
もちろん、隣人を愛するなんてのも大切だとは思う(ちなみに、日本語において、「愛」という言葉の意味が成立したのは、意外なことに、この「愛する」なんて概念が言葉として生まれたのは、日本が近代化してからのことだったりするみたい。愛染明王なんてのが仏教の神様の中にいるけれど、とりあえず名前に使われている程度の言葉だったらしい。かわりに、いつくしむ、って言葉が使われていたのかな)。
そして、何故、この「許す」ってのが、キリスト教の究極の教えなんじゃないかと私が考えるようになったのか、その理由については、あえて誰にも伝えないようにしている。うまく説明するのが難しいし。
ただ、「許す」という考え方が、一体、誰の為に大切なのか。それについては、こういうことなんじゃないかな、と思う事が多々あるんだ。
ちなみに。
なぜこの話をブログに掲載するようにしたのかというと…
いちいちニコ生で何度もこの話をするのが面倒くさいからだったりする(´・ω・`)
個人的には、キリスト教については、正直言うと嫌いなんだけどさ。
んでも、その「許す」って考え方については、けっこう好きだったりする。この考え方は、仏教には出てこなかったんじゃなかったっけか。仏教って、どちらかというと個人主義な感じがするからなあ。
もともと記憶を失う直前まで葬儀の仕事をしていたからか、宗教については、簡単な知識を保有しているみたいでして…もっとも、その知識が正しいのかどうかを後ほど確認する作業が必要なものもあるわけですけれど。間違えて覚えているものもあるし。ともかく、そうした宗教の知識があるからこそ、あえて神社神道だってことにしてあります。
神社神道って、けっこう気軽な宗教でもあるわけでして。
何しろ、神社にいって、「ちぃ~っす♪とりあえず生きてますよっと♪」なんて挨拶をするだけでいいから。
基本的に、参拝する際は、いわゆるお願いとかは一切しない。場合によっては、「これからこんなことしますんで、うまくいったらまた報告に来るよ~ん」なんていう感じにはしている程度だから。
基本的に、神社神道で言うところの神様って、近所のおじさんおばさんって感覚の付き合い方でいいからね。もちろん、礼節は必要だけれど。
まあ、私の宗教の価値観はともかくとして。
そんな感じで、神社神道以外の宗教については、その歴史などもある程度頭に入っているもんだから、それを信仰したいなんて気持ちには一切なれないわけだけれど、一方で、その宗教に関する簡単な勉強については、やっていたりする。
なので、キリスト教の新約聖書についても、簡単につまみ食いした程度ながら、一応勉強はした。もっとも、全体の1%にも満たない程度なんだけどね。
そんな聖書に関する話なんだけれど、その、キリスト教の聖書の中に書かれている、究極の教えってのは、たぶん、こういうことなんじゃないかな、って話を、時々、ニコ生の生放送中にやっていたりするんだ。
以前、とあるテレビ番組で、アメリカの裁判の話題があった。
その番組では、とある裁判の映像が流れていた。
その裁判で捌かれている人は、若い女性を数多く強姦し、殺害した、いわゆる殺人鬼。その裁判の過程で、殺害された女性の遺族が、それぞれ、その被告に対し、話しかけるシーンが流れていたわけだけれど。
家族である娘を殺した被告人に、被害者の家族は、交代で壇上に上がり、それぞれが口々に、恨みつらみを投げかけていった。要するに、とっとと死ねだの、中には、アメリカでの放送禁止用語も含まれているらしく、何度も、ピーという音が流れていたりする。
んでも、そんな中でも、その被告人は、へらへら笑っているだけで、被害者家族のことなぞ気にも留めていないような感じだった。
そうして、被害者家族が交代で、その被告人に汚い言葉を投げかけていく、その一番最後に壇上に上がったのは、キリスト教の、神父か牧師か解らないけれど、ともかく、その彼が壇上に立った。彼の娘さんが、被告人に、強姦され、殺害されたそうだ。
彼は、犯人に語りかけた言葉が、今でも印象に残っている。
「神は、人の罪を許すと仰っています。なので、私も、あなたの罪を許します。」
その言葉を受け止めた被告は、その時、はじめて涙を流した。
壇上に立った彼は、繰り返すが、家族である娘を、彼に、強姦された上、殺害されている。にもかかわらず、彼は、罪を許すと言った。彼は、被告に対する怒りも当然あったはずだ。その時の彼の心境とは、いかばかりなものだろうか。
そして、これが、私が思う、キリスト教の究極の教えなんじゃないかな、と思う部分。
神がいるかどうかってのではなく、人間としての生き方として、その、「許す」という考え方が大切なんじゃないかなって。
もちろん、隣人を愛するなんてのも大切だとは思う(ちなみに、日本語において、「愛」という言葉の意味が成立したのは、意外なことに、この「愛する」なんて概念が言葉として生まれたのは、日本が近代化してからのことだったりするみたい。愛染明王なんてのが仏教の神様の中にいるけれど、とりあえず名前に使われている程度の言葉だったらしい。かわりに、いつくしむ、って言葉が使われていたのかな)。
そして、何故、この「許す」ってのが、キリスト教の究極の教えなんじゃないかと私が考えるようになったのか、その理由については、あえて誰にも伝えないようにしている。うまく説明するのが難しいし。
ただ、「許す」という考え方が、一体、誰の為に大切なのか。それについては、こういうことなんじゃないかな、と思う事が多々あるんだ。
ちなみに。
なぜこの話をブログに掲載するようにしたのかというと…
いちいちニコ生で何度もこの話をするのが面倒くさいからだったりする(´・ω・`)
個人的には、キリスト教については、正直言うと嫌いなんだけどさ。
んでも、その「許す」って考え方については、けっこう好きだったりする。この考え方は、仏教には出てこなかったんじゃなかったっけか。仏教って、どちらかというと個人主義な感じがするからなあ。
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