ドウモ( ・∀・)っ旦
ってことで、風邪をこじらせてしまい、頭も体も回っていない私ではありますが…何せ、思考力も落ちているわ、舌はもつれるわで、何をやってもダメダメになっとる。
んでも、風邪の症状は、ずいぶんマシにはなっているので、おそらく今週中には治るんじゃないかな、とは思っていたりします。
ってことで、今回も、ちと雑記ということで、普段から私が繰り返し伝えていることのひとつ。
「かわいそう」ってのは、かなり無責任でいい加減な感情ではないか。
…とまあ、そんな話を。
ってことで、風邪をこじらせてしまい、頭も体も回っていない私ではありますが…何せ、思考力も落ちているわ、舌はもつれるわで、何をやってもダメダメになっとる。
んでも、風邪の症状は、ずいぶんマシにはなっているので、おそらく今週中には治るんじゃないかな、とは思っていたりします。
ってことで、今回も、ちと雑記ということで、普段から私が繰り返し伝えていることのひとつ。
「かわいそう」ってのは、かなり無責任でいい加減な感情ではないか。
…とまあ、そんな話を。
普段から、「かわいそう」って言葉は、私は使わないようにしてる。
そもそも、「かわいそう」って感覚って、人間特有の身勝手な考え方だと思ってるんだわ。
なぜなら、「かわいそう」という言葉の次には、だいたい「何とかならなかったのか」とか「なんとかしてあげてほしい」とかという、他力本願みたいな考え方が付属しているし、そもそも、その「かわいそう」と見なす相手は、その「かわいそう」と言っている本人とは、全く関係がない場合が多々あるんだ。
その、「かわいそう」って考え方ができるかどうかについて、ふたつの話を持ち出してみよう。
最初は、インパラを視点にしたもの。そして次はライオンを視点にしたもの。
インパラを視点にすると、インパラの子供が食べられるというのを悲劇として見てしまう。
だけれど、ライオンに視点を向けると、どうだろう。飢え死に寸前のライオンの子供が救われたのだ。
この話は、視点を変えること、つまり7つの習慣における「パラダイム・シフト」という考え方も含まれているんだけれど、同じ内容の話であるにもかかわらず、どちらの側につくかによって、印象が変わってしまうわけだ。
さて。
この話の中で、そうしてライオンに食べられたインパラの子供は、かわいそうなんだろうか。そして、それは何故なのか。
あるいは、インパラの子供を食べる事によって、ライオンの子供が飢え死にしなかったのは、よかったことだと言えるのだろうか。
インパラの子供が、ライオンに食べられた、というひとつの出来事が、インパラの側から見るのか、ライオンの側から見るのか、その視点が違うというだけで、同じ話であるにも関わらず、印象が変わってくるわけだ。
これはひとつの例としてあげたわけだけれど…ちと話がそれぎみになったけどさ。
「かわいそう」なんて思っているその矛先にあるものは、ひとつの出来事だ。
でも…そうやって「かわいそう」と思っている人は、そう思うだけで、自分では何もしないし、することがないし、何もできない。
つまり、「かわいそう」と思っているだけ。となると、こうした考えって、かなり自分勝手で無責任だと私は思う。
ちなみに。
この、例としてあげた、動物の弱肉強食の話だけれど、この話を行ったのは、確かビートたけし氏だったような。こうした理由があるから、動物番組には出ないとも言ってたような…テレビ番組でそうした話があったのは間違いのない記憶だけれど、んでも本当にビートたけし氏が言ったかどうかは確証がもてないっす(´・ω・`)
余談だけれど。
自分自身の事を「かわいそう」だと思う人はいないんじゃないかな。
映画「G・I・ジェーン」では、ローレンスの詩が引用されており、その詩が最初と最後に出てきます。
さて。
私自身は、かわいそうって感覚は、基本的に持たないようにしている。
どんな事であれ、出来事は、すべて事実だから。そしてその事実を変えることはできない。
そして、その物事の当事者自身が、その物事をどう考えていようと、それは自分とは全く関係のない話だし、それに手を出そうとするのは、余計なおせっかいになる。相手が求めてきた助けに、自分が答えられるのなら答えるけどね。
だから、どのような事情であれ、それに口を出すことは可能な限り避けるようにしている。たまに茶々は入れることもあるけど。感想も、求められない限り言わないようにしている。
その代わり、それらすべてを事実として受け止め、それを情報として記憶し、活かす機会があれば活かす、そこに自分自身の感情は一切含まないようにする、とまあ、こういうふうにしていたりする。
それが一番ストレスが溜まらず、なおかつ自分自身を活かすことができる方法なんじゃないかな、と思ってるから。
…ん~、やっぱり頭があまり回ってないもんだから、文章がおかしくなってるなあ。
そもそも、「かわいそう」って感覚って、人間特有の身勝手な考え方だと思ってるんだわ。
なぜなら、「かわいそう」という言葉の次には、だいたい「何とかならなかったのか」とか「なんとかしてあげてほしい」とかという、他力本願みたいな考え方が付属しているし、そもそも、その「かわいそう」と見なす相手は、その「かわいそう」と言っている本人とは、全く関係がない場合が多々あるんだ。
その、「かわいそう」って考え方ができるかどうかについて、ふたつの話を持ち出してみよう。
サバンナに、インパラの群れがいます。その中に、母と共に歩く子供のインパラもいます。その子供は、生後間もない状態で、母親についていくのがやっとです。
そのインパラの群れに、ライオンが襲撃を加えます。インパラの群れは、ちりぢりに逃げ回りますが、そのライオンの目標は、はじめから、生後間もないインパラです。
もちろん最後まで逃げ切ることができず、ライオンに急所である首を噛まれ、絶命します。
やがて、そのインパラの子は、おなかをすかせたライオンの子供に食べられてしまいます。
サバンナに、ライオンの群れがいます。その中に、幼いライオンも複数います。ライオンの群れは、このところ狩りに失敗し続け、何日も食事にありついていません。このふたつの話は、インパラの子供がライオンに仕留められるという、まったく同じ話ではあるんだけれど、それぞれ視点が違う。
そんな中、インパラの群れを発見し、その中に、狩りをするに手頃なインパラの子供を見つけます。
ライオンは、逃げ惑うインパラの群れの中から、はじめから目標と定めたインパラの子供に向かい、見事仕留めます。
こうして、ライオンの群れは、おなかをすかせたライオンの子のお腹を満たすことができたのです。
最初は、インパラを視点にしたもの。そして次はライオンを視点にしたもの。
インパラを視点にすると、インパラの子供が食べられるというのを悲劇として見てしまう。
だけれど、ライオンに視点を向けると、どうだろう。飢え死に寸前のライオンの子供が救われたのだ。
この話は、視点を変えること、つまり7つの習慣における「パラダイム・シフト」という考え方も含まれているんだけれど、同じ内容の話であるにもかかわらず、どちらの側につくかによって、印象が変わってしまうわけだ。
さて。
この話の中で、そうしてライオンに食べられたインパラの子供は、かわいそうなんだろうか。そして、それは何故なのか。
あるいは、インパラの子供を食べる事によって、ライオンの子供が飢え死にしなかったのは、よかったことだと言えるのだろうか。
インパラの子供が、ライオンに食べられた、というひとつの出来事が、インパラの側から見るのか、ライオンの側から見るのか、その視点が違うというだけで、同じ話であるにも関わらず、印象が変わってくるわけだ。
これはひとつの例としてあげたわけだけれど…ちと話がそれぎみになったけどさ。
「かわいそう」なんて思っているその矛先にあるものは、ひとつの出来事だ。
でも…そうやって「かわいそう」と思っている人は、そう思うだけで、自分では何もしないし、することがないし、何もできない。
つまり、「かわいそう」と思っているだけ。となると、こうした考えって、かなり自分勝手で無責任だと私は思う。
ちなみに。
この、例としてあげた、動物の弱肉強食の話だけれど、この話を行ったのは、確かビートたけし氏だったような。こうした理由があるから、動物番組には出ないとも言ってたような…テレビ番組でそうした話があったのは間違いのない記憶だけれど、んでも本当にビートたけし氏が言ったかどうかは確証がもてないっす(´・ω・`)
余談だけれど。
自分自身の事を「かわいそう」だと思う人はいないんじゃないかな。
映画「G・I・ジェーン」では、ローレンスの詩が引用されており、その詩が最初と最後に出てきます。
巣から落ちたひな鳥はかわいそうと思う事って、自分自身の事ではなく、あくまでも他人事だよね。
自分自身のことを
決して哀れんだりはしない
さて。
私自身は、かわいそうって感覚は、基本的に持たないようにしている。
どんな事であれ、出来事は、すべて事実だから。そしてその事実を変えることはできない。
そして、その物事の当事者自身が、その物事をどう考えていようと、それは自分とは全く関係のない話だし、それに手を出そうとするのは、余計なおせっかいになる。相手が求めてきた助けに、自分が答えられるのなら答えるけどね。
だから、どのような事情であれ、それに口を出すことは可能な限り避けるようにしている。たまに茶々は入れることもあるけど。感想も、求められない限り言わないようにしている。
その代わり、それらすべてを事実として受け止め、それを情報として記憶し、活かす機会があれば活かす、そこに自分自身の感情は一切含まないようにする、とまあ、こういうふうにしていたりする。
それが一番ストレスが溜まらず、なおかつ自分自身を活かすことができる方法なんじゃないかな、と思ってるから。
…ん~、やっぱり頭があまり回ってないもんだから、文章がおかしくなってるなあ。
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