EXPO スピーカー

「ウエアラブルは時代の流れ。ただ、だれもが装着するわけじゃない」 猪子寿之氏

2014年02月24日

「ウエアラブル?日常での装着には興味ないかもね」

 過激なまでに少ない言葉で切り捨てる。猪子節は顕在だ。
ただそのあとに、チームラボの猪子寿之氏は、大きな声で補足し始めた。

 「いや、誤解してほしくないんだけど、例えば、ウエアラブル向けアプリは喜んで受託開発するよ。受託開発大好きだから!どこよりもやばいアプリを開発する自信はあるよ(笑)。ただメガネそのものの開発は、シリコンバレーにいる僕よりずっと優秀な人たちの係。僕の係じゃない」。

 猪子氏は「世界は係の制度で前進する」と言う。概念を提唱する係の人、メガネ型機器を作る係の人。自分たちは、「シリコンバレーに係がないところの係」に専念したいと言う。

 猪子氏によると、シリコンバレーの「係」は個人の脳の拡張。脳の拡張の代表例はコンピューターで、1つの脳から別の脳にどう信号を送ればいいのか。そのための道具が身体に近づいていくというのが大きな歴史の流れ。猪子氏はそう指摘する。道具はキーボードからマウス、タッチパネルへと、より身体に馴染みのあるものと変化するので、その先は当然ウエアラブルになる。「それが王道」と言う。

 その王道の脳の拡張の「係」をシリコンバレーに任せておいて、チームラボは物理空間の拡張の「係」に力を入れているのだという。

五輪は物理空間の拡張で盛り上げろ

 では、だれもが常にウエアラブルを身につけるようになるのだろうか。2020年東京オリンピックは、メガネ型ウエアラブルデバイスが広く普及していることを考慮して盛り上げ方を考えるべきだ、という意見をどう思うのか聞いてみた。猪子氏は「(メガネ型デバイスを)かけないって」と一蹴する。「最も負担が少ない塗料のようなウエアラブルにならない限り、(多くの人が常に装着するような状況は)ありえない」と言う。

 猪子氏は、だれもがメガネ型ウエアラブルを装着することを想定し準備するより、物理空間の拡張で盛り上げ方を考えるべきだと主張する。

 以前、wowowのテレビ番組でオリンピックを盛り上げるのにどうすれば良いかプレゼン対決をする番組に猪子氏が出演した。

 その際のプレゼンテーションを見せてもらった。猪子氏の主張は明確だ。オリンピックは、最新のテクノロジーによって楽しみ方を劇的に変えたものが記憶に残る。北京オリンピックは、その場にいる人が見て感動する「舞台型」だった。ロンドンオリンピックは、カメラカットを多用し、事前に撮影したカメラカットまで混ぜて演出した「映画型」だった。2020年の東京オリンピックは、ソーシャルメディアがさらに普及しているであろうから、「参加型」「体験型」のオリンピックにすべきだ、というのが同氏の主張だ。

 そのために必要な機器はウエアラブルではない。猪子氏が考える体験のためのデバイスは、次のようなものだ。

 例えば聖火のトーチの形をしたデバイス。発光し火がついているように見えるデバイスを、火がついていないデバイスに近づけると発光する仕組みになっている。また本物の聖火が近くを通ると発光する仕組みにしておけば、このデバイスを持って待っている人たちの中を聖火ランナーが近くを走り抜ければ、その周辺から発光し始める。上空から見れば、聖火ランナーの火が東京中に広がるようなイメージになる。

 またあらゆる競技をホログラムとして撮影し、それを東京のあちらこちらで上映する。選手の身体能力をすぐ近くで見ることができれば「選手って半端なくすごいって感動するはず」と猪子氏は言う。また100メートル走などで実際に選手のホログラムと競争できるような場所を設ければ、競争している様子を動画に撮ってネットにアップする人も出てくるだろう。ただ見るだけのオリンピックから、参加型、体験型のオリンピックへ。それが東京オリンピックが目指すべき形だと猪子氏は主張する。

 ウエアラブルの時代に向かうのは間違いない。ただウエアラブル一色の世界を想像すると時代を読み間違える。何がウエアラブルに向いて、何が向かないのかを考えて、技術革新を進めるべき。猪子氏はそう主張しているわけだ。

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