避難解除:「官僚は頭がいいんです」、判断押し切る 福島

毎日新聞 2014年02月24日 15時06分

福島県田村市都路地区の避難指示解除をめぐる住民説明会であいさつする冨塚宥暻市長(中央)。右は赤羽一嘉・原子力災害現地対策本部長=田村市で2014年2月23日午後1時32分、須賀川理撮影
福島県田村市都路地区の避難指示解除をめぐる住民説明会であいさつする冨塚宥暻市長(中央)。右は赤羽一嘉・原子力災害現地対策本部長=田村市で2014年2月23日午後1時32分、須賀川理撮影

 「避難指示は憲法22条の居住の自由を阻む例外的な規制で、我々は帰れる方の権利を守りたい」と、これまで一度も触れられなかった憲法を初めて持ち出した。さらに「住民とは昨年夏からすでに7回の意見交換をし、国を挙げ、できるだけのことをしてきた。4月1日をめどに解除するのが適当と考えている」と告げた。

 熊谷副本部長が述べた「7回の意見交換」のうち4回は4地区に分けた個別会合だ。住民側から見れば、国と接した機会は説明会3回と地区の個別会合1回の計4回に過ぎない。住民は「国、市は十分な説明をしていない」「解除は全員が帰れる状況をつくってから」と反発した。

 しかし、復興庁、環境省の官僚も「4月1日解除」を前提に話し始め、最後は赤羽本部長が「国の判断として」4月1日解除の方針を表明した。冨塚市長も追認する形で3時間に及ぶ会合が終わった。

 最初に反対意見を語らせ、中盤に賛成意見が出たところで帰還派の住民に解除を提案させ、政府側が「4月解除」の方針を一斉に言い渡す−−。「解除反対」が半数以上とみられる住民たちは「国の判断」で押し切られた形だ。会合は当局への不信感という禍根を残すものとなった。【藤原章生】

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 ◆田村市都路地区をめぐる動き◆

2011年 3月11日 東日本大震災発生

      4月22日 都路地区東部(20キロ圏)が警戒区域に

      5月22日 一時帰宅実施

  12年 4月 1日 警戒区域を解除し、避難指示解除準備区域に再編

      7月27日 福島第1原発20キロ圏内で初の国直轄の本格除染が始まる

  13年 1月    廃棄物の不適切処理が発覚

      6月28日 国直轄除染が実施11市町村で初めて終了

      7月26日 避難区域で初の長期宿泊が認められる

     10月14日 「13年11月」とする政府の避難指示解除時期に住民が反発し「14年春以降」に先延ばし

  14年 2月23日 県内初の避難指示解除を4月1日に実施する方針決定

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