若新 雄純
コンサルタント/プロデューサー
株式会社NewYouth 代表取締役
NEET株式会社 代表取締役会長
慶應義塾大学SFC研究所 上席所員(訪問)
専門は産業・組織心理学と社会コミュニケーション。
成熟社会における個人と組織の新しい成長モデルと、個性や多様性の解放と発揮を促す創発的コミュニケーションについて研究・模索中。
様々な企業・団体とのタイアップで実験的な人材育成・組織改革プログラムや広報プロジェクトなどの企画・開発に取り組み、そのファシリテーションやそれに伴うPR・ブランディング、コンセプトデザイン、キャンペーン企画等を行う。
詳しい活動実績はこちら。
慶應義塾大学大学院修了 修士(政策・メディア)
産業カウンセラー
コンプレックスと虚栄心
自意識過剰で女々しい男
「自分にまつわること」はちょっとしたことでも気になってしかたがない。背後には幼少期のしつけや家族関係、育った環境などからくる様々なコンプレックスが根深く影響しているのだろうが、それをある程度理解することはできても、変えたり治したりすることはほとんどできない。つまり、諦めて受け容れるしかない。
20代にして男性型脱毛症が進行。容姿への執着
自意識過剰であるがゆえに、容姿への執着が強い。いつまでも若く美しくいたい。そんな想いとは裏腹に20代にしてAGA(男性型脱毛症)の兆候…、つまり「ハゲ」始める。これは自意識云々ではなく、残念ながら誰の目にも明らかな事実。しかし運良くAGA治療薬が日本で解禁された直後で、すぐに投薬を始め、医学の進歩に救われて現在はなんとか復活。
認められたい
信号も自販機もないド田舎の山奥で生まれ育ち、小さい頃はその閉ざされたコミュニティでちょっとしたことでも毎回過剰に褒められて育ったため、今だに承認が欲しくてしかたない。そんなもの人や社会に求めても自分が空洞化するだけだと分かっているけど、なかなか強くはなれない。
小心者の虚栄心
高1の頃、進学校の特進クラスであることを鼻にかけつつ、少し派手なナリで過剰にイキがり見栄をはっていたため他校生たちと衝突し、圧倒的な弱さと気の小ささで三戦全敗。これを機に自分がヘタレな人間であることを受け容れ始めるも、気の小ささは今だにさっぱり克服できない。そして、今でもなにかと見栄をはることに精を出す。相当に自尊心の低い人間なのかもしれない。
ビジュアル系とナルシズム
高1の冬、思い出の写真。重度の「中二病」発症
中学生の頃はまさに第一次ビジュアル系ブームの全盛期で、その自己陶酔度の高い世界観に完全に魅了される。中2でギターとドラムを始め、中性的なファッションや自己表現を意識し始めるなど、まさしく重度の「中二病」発症。ほどなくしてビジュアル系ブームは衰退し、高校生になる頃には周囲はメロコアやヒップホップ一色になるも、いつまでもその世界観を引きずり、「女々しくて虚栄心の強い時代遅れのビジュアル系男子」というアイデンティティが田舎の狭いコミュニティにおいて確立される。
中学の文化祭の映像。これは今見ると本当にイタい。鏡を見て「うっとり」する
このビジュアル系への傾倒と「中二病」によってもたらされた最も重い症状は、鏡を見る時間が著しく長くなったということ。鏡だけでなく、停まっている車のガラスや建物の窓など、自分が映るものは何でも覗き込むようになる。高1の頃は自意識過剰の絶頂期。もちろん、今でも手鏡の携帯は欠かせない。この「自分に見入る」時間からは何も生み出されないわけだが、妙に「うっとり」とできるのはなぜだろうか?一見あまりに愚かで滑稽な行為にも思えるし、親にもさんざん指摘されてきたが、実は誰にも迷惑をかけていないし浪費もしていない、それでいて自分が満足できるのだから、これはとてつもない「エコシステム」なのではないかと思う。
起業と堕落
「意識の高い」起業
高校卒業後、地元でしばらくテレアポのアルバイトなどを続けるが、なんとかフリーター生活から抜け出し宮城の小さな県立大学に入る。そこは地元高校からの推薦枠で入ってきた優等生の多いマジメな環境で、かなり珍奇に扱われる。それでも、エリートな将来像がなくなった現実を受け容れ、マイノリティな人生を突き進むことを決意。その後、親しかった先輩と二人で就職困難者向けの就労支援サービスを行う株式会社ウイングルを設立し、COOとして経営に携わる。起業直後はたしかに変な高揚感があった。取引先の豪華な受付で名前を名乗る瞬間とか、エレベーターが閉まりきるまで頭を下げている瞬間とか(笑)。全く、しょうもうないことだ。当時はまだITベンチャーや若手起業家がずいぶんともてはやされていた頃で、首から携帯を下げ、それなりに細身のスーツでキメてみたりして、今でいえば間違いなく「意識の高い若者(笑)」の筆頭だったと思う。
組織人失格の烙印
制度や社会情勢の追い風もあってウイングルは現在業界最大手の一角といわれるまでに成長するも、時間やルールを守れない、髪を切りたくない・染め直したくないなどという態度や姿勢を大手企業から転職してきたメンバーに散々指摘されるようになり、共同創業者ながらに会社を追い出される。正直、なかなかショックだった。そもそも、楽しく自由に働ける会社の環境や独自文化をつくることが起業時のテーマだったのだが、経験不足に能力不足で大きく挫折。組織人失格の烙印を押される。
学歴ロンダリングとモラトリアム
社会をメタ視したつもりになって
組織での苦悩や葛藤から逃れた後、俗にいう学歴ロンダリングな大学院やその付属研究所をモラトリムの隠れ蓑に研究活動に没入。もちろん、専門的な領域で独立して働くにはある程度有名な大学の学位とスキルがほしいという打算が多分にあったが、社会の喧騒から切り離されたアカデミズムの解放的でニュートラルな環境はなかなか心地いいものだった。とはいっても、人とは違う視点や立場から社会をメタ視しているような気分になったところで、結局自分は社会の一要素や部位に過ぎないし、アカデミズムの世界にはそれはそれで特有の作法や文化があって慣れるのにも時間がかかった。
大学院では産業・組織心理学を専攻し、現代社会における若者のワークモチベーションや自律型キャリア開発について研究。特にモチベーション研究においてはロジャーズやマズローを起源とした人間性心理学と自己超越理論に傾倒。カウンセラーの資格もこの頃に取得。
修士号取得後は社会学の教授に師事し、虎の威を借るべく付属研究所の訪問研究員にしてもらい(常勤雇用されているわけではない)、個人ではできない大手企業との研究調査などに取り組む。ミードのシンボリック相互作用論などを中心とした社会心理学アプローチをもとに、パブリックリレーションズなどのコミュニケーション論やそれまでの自分の研究分野・成果との統合をはかり、個々の自律的成長や従来社会システムからの解放を促す新しい対人・組織コミュニケーションのあり方を模索中。
主要経歴2003年 株式会社NewYouth設立 代表取締役 最低資本金規制特例(いわゆる1円起業制度)ができた年に、自分好きの人間が自分のためにつくった会社。「NewYouth」とは“新世代の若い力”とかではなく、名前の「若新」を英訳しただけ。現在はコンサルティング業務を行う際の個人事務所的なハコとして使用中。 2005年 株式会社ウイングル設立 取締役COO 大学の先輩と二人で起業。ITアウトソーシングなどを用いた障害者などへの就職困難者向け就労支援サービスを行い、社会の追い風もあって現在は業界最大手企業の一角に。一通りいろんなことを経験するが、自分への執着が強すぎて「髪を染め直せない」など組織に適応できず、2年ほどで取締役を退任。 2009年 フリーランスとして独立 大学院生としてのモラトリアムが終わる頃から、フリーランスとして活動を始める。得意なことだけやるようにして、苦手なことやできないことは事前にちゃんと「できません」と言うように心がける。上場企業からベンチャー企業、省庁・地方自治体、財団、政党などまで様々な団体・機関とタイアップし、人材育成や組織改革、広報宣伝に関する実験的なプログラムをたくさん企画・実施させてもらう。詳しい活動実績はこちら。 2010年 慶應義塾大学SFC研究所 上席所員(訪問) 修士を取った後、虎の威を借ることで大きな仕事ができるように付属研究所に入れてもらう。産業・組織心理学、社会心理学をもとに、成熟社会における新しい対人・組織コミュニケーションのあり方や自律的キャリア開発について研究。大企業における組織内コミュニケーションの調査研究や、インターネット上における匿名ユーザーとの対話学習プログラムの企画・検証など、産学連携のプロジェクトを担当。 2013年 NEET株式会社設立 代表取締役会長 日本中のニートが集まり、全員が株主兼取締役に就任するという前代未聞の起業プロジェクトを企画・プロデュース。新聞、テレビ、雑誌などありとあらゆるメディアに取り上げてもらう。最終的に166人で株式会社を設立し、若新だけ株を持たないという条件で社長ではなく会長に就任。絶賛試行錯誤中。 現在に至る |