東京大を卒業後、大学に所属せず、京都を拠点に在野で数学を研究する28歳がいる。独立研究者、森田真生さん。講演では脳科学や哲学の世界も行き交いながら、「数学の美しい風景」を語る。なぜ京都なのか、どうして数学は脳科学、哲学とからまり合うのか。難解な話をユーモアも交え、分かりやすく「翻訳」してくれる森田さんを訪ねた。(聞き手 徳永潔)
――研究する場として京都はどうですか
森田 不思議なんですが、数学をしていて行き詰まると、あと一歩きすれば分かるというときがあるんです。自分の脳の中だけで思考が閉じていると解決できないが、哲学の道をぶらついたり、自宅裏の大文字山の中腹まで行って帰ったりすると、分かったりする。理想的な環境です。
――京都に引っ越してきた2年前、家探しに苦労したということですが
森田 京都大近くに一軒家を借りて、一般向けに数学を教える私塾をやりたいというのがもともとの計画でした。それで物件を探すのですが、「数学をやっています」と言うと「先生でいらっしゃるのですか」と最初は喜ばれる。
でも「いや独立研究者です」と言ったあたりから相手の目の色が曇り出して。「どういうことですか。どちらに所属しているのですか」「特に所属はしてません。数学の演奏会などをして生計を立てています」と言い始めるとそっぽを向かれることが続きました。たまたま運良く人づてに一軒家が見つかったんです。
――独立研究者という肩書は確かに分かりにくい
森田 もともと人間の脳は、ものごとを分かりやすいストーリーにして理解することで世界の複雑さと向き合うことができます。数学者と言ったり、大学教授と言ったりするほうが安心してもらえるのはそのためです。
copyright (c) 2014 Sankei Digital All rights reserved.