海界の楽園
Dizziness


 騒がしい夜だった。

 水精霊は怯え、怒り、炎精霊は歓喜し踊る。

 月のない夜だ。

 だからこそ主役になれるはずだった星星はしかし、この海面では端役にすらなれない。

 燃えさかり爆ぜる炎から散る火の粉が燐のように舞い、その一つが俺の前でじゅっと音をたてて消えた。

 小さな両手でひとつの火の粉から俺を守った水精霊が、自分の手柄だと手に残った燃えかすを誇らしげに周囲にみせびらかしている。

 それに周囲の精霊が群がって騒ぐ。

 同じ行動をとっている集団が一つじゃないのがおかしかった。

 景気のいい声が行き交い、次々と移されてくる積み荷が甲板に増えていく。

 全員が撤収したのを確認した水夫長のエッジが、「船長!」と一際張りのある声を上げた。

 それに答えるように、マストに背を預けていた男が軽く手をあげて返事をする。

「碇をあげろ。ほら野郎共、荷物置いたらきりきり動け!」

 なにか興味を引くものがあったのか、積み荷の一つに群がっていた男達がノヴィアの一喝で飛び上がって散る。

 仕事にかかれば皆優秀だ。

 碇は手早く巻き上げられ、帆が風を孕んで膨らむ。

 炎によって巻き起こされた熱風も手伝って、船はスムーズに動き始めた。

 今宵、白焔の蜥蜴号の餌食となった獲物が、ノヴィアのひと睨みで一気に紅蓮の炎に呑まれる。

 もはや船としての原型を保てずにメインマストが頽れ、それが合図だったかのように派手な音を立てて爆発した。

 向こうも海賊船だったから、火薬庫にでも引火したんだろう。

 花火と言うには暴力的すぎるそれは、しかし断末魔というには美しかった。

 海面を波立たせながら凄まじい勢いで迫ってきた余波に目を細める。

 水精霊のお陰で熱くはない。

 風が収まるのを待って、俺は乱れた髪を掻き上げた。

「中にいろと言ったのに」

 騒がしい炎が消え、主役の座を取り戻した星星が瞬く夜闇に、先の炎を思い出させる瞳が煌めく。

「俺が従うとでも?」

 俺の目の前で止まった男は、呆れたような顔をしながら、俺の髪を一房すくい上げて撫でた。

「船長命令ってのは、絶対なんだがな」





 ある程度、事を起こした海域から離れると、碇泊して今宵の戦利品の整理を始める。

 その中に、若い娘が五人ほどいた。

 船員達が気もそぞろだったのはこのせいかと納得する。

 怯え身を寄せ合う女達は皆若く、身に纏う衣服から決して裕福な家庭の出ではないのがわかる。

 憔悴しきった顔を見れば、先の船でどんな扱いを受けていたのか簡単に想像できて、俺は眉を顰めた。

 集められた女達の前にノヴィアが立つと、その威圧的な雰囲気に女達が震え上がる。

 彼女達からしてみれば、海賊船から海賊船へ移っただけなのだから当然だ。

 怯えながらもどこか目を奪われるようにノヴィアを見上げる女達を物色するように一通り眺めると、ノヴィアは顎を一撫でした。

「こりゃ、まずは洗濯だな」

 その言葉に、俺は嫌な予感がした。

 そしてその予感は的中し、女達以外の荷物が片付けられると、そこはもう祭りだ。

 酒を片手に裸に剥いた女達を囲み、男達が囃し立てる。

 女達の側には樽と桶がいくつか用意されていて、樽には湯がたっぷりと入っていた。

 俺が真水に変えた海水をノヴィアが炎で一気に沸かしたものだ。

 触れそうで触れない距離で揶揄うように伸ばされる男達の手に怯え、恥辱に震えながら、女達は必死に自らを洗う。

 馬鹿な遊びに俺はその場を離れ、後部甲板に移動した。

 女がこの船に乗ったのは、俺が加わってからは今回が初めてだった。

 この後、あの女達はやはり彼らの慰みものになるのだろうか?

 他の連中ほど騒いではいなかったものの、面白そうに女達を眺めていたノヴィアが脳裏を過ぎる。

 今回のように無謀な喧嘩をふっかけてくる海賊船と一戦交えることもあったが、狙うのは王侯貴族の道楽品や贅沢品を乗せた運搬船がメインだ。

 港によっては彼らを英雄視する民衆もいるようだが、ノヴィアが奪い、殺し、売り払って海を生きる海賊ということに変わりはない。

 力が総ての彼らにとって、女は商品であり、また組み敷くものだろう。

 大分遠いが、それでも甲高い指笛や歓声がまれに聞こえて、俺は溜め息をついた。

 これが海賊船だということを、改めて思い知らされる。

 己の内側にある倫理観や道徳観を思うなら、この環境に自分が染まることはないだろうとはっきりと思う。

 生きてきた道が違うのだから、価値観の違いを否定する気もないが。

 暫くすると、慌ただしい足音が複数近づいてきた。

 驚いて振り返ると、誰のかは知らないが男物の服を与えられたらしい女が二人、きゃらきゃらと笑い声をあげながら甲板を横切っていく。

 その後を、数人の男達が我先にと追いかけていた。

 一人が女の前に先回りし、その隙をついてぞろっと男達が女二人を囲む。

 女は身を寄せ合ったが、その顔は戸惑いを含みながらも楽しげに紅潮しており、恐怖は微塵も感じられなかった。

「なんだ……?」

 呆気に取られていると、力強い腕に腰を引き寄せられる。

 蹌踉めくように引き寄せられた胸に寄りかかって見上げると、いつの間にか傍に来ていたノヴィアが俺を見下ろして笑った。

「ノヴィア、あれは一体なんだ?」

「ああ、今回は五人しかいねぇからなぁ。面白いことになってんな」

 女を囲む船員を見て、ノヴィアがくくっと喉奥で笑う。

 意味がわからずに眉を顰めると、くるりと正面で向き合うように抱き直された。

「ノヴィア、おい……」

 目元に口付けられて、反射的に瞼を閉じる。

 逆の目元、頬へとそれは移り、唇に辿り着こうとしたところで、俺は目を開いた。

 紅い瞳とぶつかって、暫し見つめ合ってから最後の距離を埋めようとした唇を、横を向くことで避ける。

 ノヴィアはそれを気にすることもなく、そのまま耳に接吻けた。

 耳朶を噛まれて、ぴりと走った疼きから逃げるように、ノヴィアの額を手で押しやる。

「なんだ、お姫様はご機嫌ななめか?」

 手を取られて指先に接吻けられる。

「煩い。ちゃんと説明しろ」

 手を取り返そうと引いたが、指を絡められてよりしっかりと握り込まれてしまった。

「ノヴィア!」

「お前の前に俺がいるんだからいいじゃねぇか」

「それは当然のことであって、俺の質問とは関係ない」

「…………」

「おい……わっ!」

 しばらく沈黙したと思ったら、ぎゅうと抱き寄せられた。

「可愛いなぁ、青雨(せいう)は」

 はあ、と吐息混じりにしみじみと言われて、なんだか腹が立った。

「離せ無礼者! 俺を馬鹿にしているのか?!」

「可愛いから可愛いと言っただけだろうが。なにが不満だ?」

 頬に擦り寄られて耳元で甘く囁かれ、その仕草の優しさにカッと頬に熱が集まる。

 動揺を押し殺そうとしたところで、背後でわっとブーイングが巻き起こった。

 ノヴィアを無理矢理押しやって首だけなんとか捻る。

 さっきの女達が、それぞれ船員の一人の手に己の手を乗せていた。

 二組がその場を去るのを、呪うように残りの船員達が見送る光景を奇妙な気持ちで見る。

「抱きたきゃ口説け。口説けなかったら指一本触れるな。それがこの船の掟だ」

「……なんだ、その妙な掟は」

「女は抱くもんだが、無理矢理は趣味じゃねえ。男なら、欲しいと言わせてなんぼだろ?」

 色気垂れ流しの声音で言われて、羞恥に俯く。

「きれいごとを。こんな逃げ場のない船上で、首を横に振れるものか。必ず一人は選ばなければならないだろう」

「当然だ。だが、ただ物のように扱われるよりはいいだろう?」

 完全にこちら側の都合に偏った意見だ。

 それでもここは海で、女達がいるのは望まずとも海賊船だ。

 それが避けられない事実ならば、確かにノヴィアの船にいる女達は“マシ”なのだろう。

 少なくとも、港につくまでは。 

「それとも海賊らしく、泣き叫ぶ女を無理矢理輪姦したほうがよかったか?」 

 低く呟かれた言葉に、ゆっくりと視線をノヴィアに戻した。

 どこまでも見透かそうとする瞳を、真正面で受け止める。

「そういう光景が繰り広げられる可能性も覚悟して、この船に乗ったんだろう?」

 揶揄うような声音に、俺の唇に自然と薄く笑みが浮かんだ。

「奪い手に入れたものならば好きにすればいいさ。俺はお前の海賊としての生き方に口を挟んだりはしない。ただ、男としての生き方だけは気を付けろ」

 ノヴィアが目を見開いて、縦に裂けている瞳孔がくるりと丸くなる。

 どこか愛嬌がある表情に、俺は小さく笑った。

 

「俺に“愛している”と、言わせたいんだろう?」



 一瞬押し黙ったノヴィアだったがすぐに気を取り直したらしく、指先が絡まったままの手を引き寄せて俺の手の甲に接吻けた。

 そのとき見せたノヴィアの瞳の鋭い煌めきに覚えのある甘い痺れが背筋を駆けて、俺は自分の言葉が余計なものまで煽ったことを知った。

「部屋に戻ろうか、青雨。寒いだろう?」

「……別に」

「ここで温まるのも俺は構わな――」

「さっさと腕を離せ。歩けないだろうが」

 俺の即答にノヴィアが含み笑ったのが気にくわなくて、腰に回された腕を抓ったが、緩んだだけで外されることはなかった。

 睨むように見上げると額に唇を落とされて、そのまま歩くように促される。

 俺は一つ溜め息をつくと、観念して一歩を踏み出した。

 触れているノヴィアの手が熱くて、それが伝染するように指先が痺れる。

 きっと、明日は起きあがれない。









end











200万打記念SSでございます。
続編希望の多い「海界の楽園」ですが、いかがでしたでしょ?
この二人がどうやって価値観の違いを埋めていくのか……と考えて、青雨が海賊家業に馴染むことはないだろうなぁとまず思いました。
かといってノヴィアが生き方を変えることも有り得ないので、結局のところその相違よりも惹かれ合う力の方が強いんだろうと。
怖れられつつも憧れられた海賊っていうのは、それなりに美学ってものをもっていたんだろうなぁと、そんなことも考えながら書いたお話でした。


一言

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2007.11.09UP
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