海界うなさか の楽園




【03】


「お、知ってるのか?」

「――そうか。白焔の蜥蜴号だったのか」

 男の言葉を無視して、海賊船を見上げる。

 白焔の蜥蜴号は俺の国である《青(せい)》を含め、海沿いにある港を利用しての貿易を国益としている国には邪魔かつ強力な海賊組織の一つだ。

 どの国の海軍も歯が立たず、商人ギルドを裏で牛耳る抄訪一(しようほう)族の特殊部隊も返り討ちにあったと噂されており、商船や貿易船は襲われたなら運が悪かったと諦めるしかない、と恐れられている。

 しかし、俺にとっては唯一好感を持った、最高に気持ちのいい海賊だった。

 どう嗅ぎ分けるのか高価な積み荷のある船ばかりを狙うので、国民の食料や商売に使われる荷を積んだ船ではなく、貴族や王族が金に物を言わせて掻き集めたものを輸送する船を面白いほどの確率で沈めてくれていたのだ。

 船員は可哀想だが、危険を承知で高額で雇われていた連中だ。海賊に襲われて船を護りきれなかったのだから、その死に同情はしない。

 暴風に威勢よくはためく海賊旗を見つめていると、胸の中に小さな熱が滲んだ気がした。

「――白焔の蜥蜴号(グロニヴァ・ルノヴァ)か。悪くない」

「うん?」

「乗ってやると言っているんだ」

 船に乗り込んだときに捨てた命だが、拾うのがこの海賊船ならば文句はない。

 己の命を対価に精霊の力を借りるまでもなくこの船は沈むだろうし、問題はないだろう。

(それに生きていれば、いつか再び兄上のお役に立てるかもしれない)

「偉そうだなぁ」

 俺の密かな決意に水を差すような声に、むっとして眉間に皺が寄った。

「偉そうなんじゃない。偉いんだ。俺への接し方に気をつけるよう船員に言っておけ。俺の不興を買って海底へご招待されたいなら構わないがな」

「怖えな、一歩間違えたら祝福が呪詛に変わるのか」

「拾ったのはお前だ」

「そりゃそうだ。大事にしてやる」

 横柄な言葉に文句を返す前に、再び担ぎ上げられる。

「おいッ」

「黙ってろ、舌噛むぜ?」

「――ッ」

 俺の体重をものともせずに、男が甲板を蹴りつけて海賊船へと移動すると、背後で今までの比ではない絶叫を上げて船体が真っ二つに折れた。

 それをどこか醒めた目で見ていると、先ほどの目利き男がバタバタと駆け寄ってくる。 

「遅いんだよ船長! ぼさっとしてねぇであの船を消し炭にしてくれ!」

「あん?」

「船長がチンタラしてたから、離脱できなかったんですよ! このままじゃ沈む渦に巻き込まれちまいます!」

「だりぃなぁ、自力で頑張れよ」

「何言ってんスか!」

「大丈夫だってエッジ。ほら船首の女神像の代わり拾ったから」

 言いながら俺を肩から降ろすと、慌てふためく船員をからかうように、俺の背を押す。

 エッジと呼ばれた男は俺と目が合うと赤面してたじろいだが、すぐに首を激しく振った。

「いや、えらい美人なのはさっきも見ましたからわかってますけど、それと航海の安全は関係ないですよ! 無茶ですっ、て………あれ?」

 目の前で垂直になった船体がみるみる沈むのに、海賊船は順調に旅船から距離を取っていく。渦に舵を盗られまいとする必死さは、微塵もなかった。

 おまけに、嵐もいつの間にか止んでいる。

 他の船員達も状況に違和感を感じたのか、チラホラと甲板から身を乗り出していた。

 エッジは信じられないものを見たかのように何度も瞼を擦りながら船尾に歩いて行った。そんな態度を見せられれば俺も気になり、エッジを追うように視線を向けた。

「適当に流してたら、お前の船のカワイイ尻が見えたんだよなぁ。遊ぶ気分じゃなかったんだが、据え膳ってことで俺のデカイのを一発突っ込んでやったんだが……美女を餌におびき寄せられちまっただけらしい」

 背後から懐に抱き込まれたが、俺は遠ざかる波間で起こっている光景を呆然と見つめていた。

 そんな俺が可笑しかったのか、男は喉奥でくつりと含み笑って、耳元で囁く。

「お前、めちゃくちゃ水精霊に好かれてんだな。本当は海龍の落とし子なんじゃねぇの?」

 渦を巻き起こさず、吸い込まれるように沈んでいく船を見つめながら、俺もそうかもしれないと思った。

 水精霊は俺を死なせたくなかったんだろう。

 俺のために旅船は沈めてやりたいが、海のど真ん中で俺を助けるのは難しい。だから、俺を助けるために、白焔の蜥蜴号を引っ張って来たのかもしれない。

「俺ほど魅力的な男はいないと常々思っていたが――精霊まで虜にするとは。美しいとは罪だな」

「……自分で言うな、自分で」

 くいと顎を持ち上げられると、男と目が合った。炎の瞳は闇夜であっても、燐光を放つように輝いている。

 先ほどは身体が竦んで畏怖すら感じたのに、背にあたる胸から相手の鼓動を感じるからか、不思議と心が安らいだ。

 安堵を自覚した途端、ふるりと身体が震える。

「事実を言って、何が悪い」

 震えを誤魔化すように高慢な言葉を吐くと、男は鋭すぎる瞳を笑みに細めた。

「そりゃそうだ。俺はノヴィア。お前は?」

「……青雨(せいう)」

「独特な響きだな。生まれは何処だ?」

「どこの国の船かも知らずに攻撃したのか?」

「上品で美味そうなケツだったからなぁ」

「さっきから下品だぞ。俺の耳を穢すな」

「男が下品なのは性(さが)だろうが。で、国は?」

 しれっと返されて、眉を顰める。言い返したくはあったが、どうせまた巫山戯た返答しか返ってこない気がして、俺は溜め息をついた。

「……青だ」

「なるほど彩大陸か。言われてみりゃ、お前の肌や顔立ちは東海系だな。つーか言語が違ったよな? 織鎖(おりさ)語だったか? なんでお前、ヴァミリオ語喋ってんだ?」

「いい加減理解しろ。俺は美しくて賢いんだ」

「……そうか」

「そうだ」

「美しくて賢い青雨」

「なんだ」

「この船は俺だ。俺の一部だ」

「船長だからか?」

「まあそうだ。だから、お前が俺の傍にいてくれるなら、俺はお前を全身全霊で護ると誓うぜ? お前が、二度と孤独と恐怖に震えることがないように、な」

 真摯に囁かれて、先ほどまでとは違う、甘く痺れるような奮えが背筋を駆ける。

「気障(きざ)だな」

「好きそうだと思ったんだが」

「嫌いじゃないが……」

 少し気恥ずかしくて、声が小さくなってしまう。ノヴィアはそれをからかうことはせずに、俺を抱える両腕に力を込めた。俺の震えを宥めるように、あやすように。

 覚悟は出来ていたと思っていたが、海に沈むことを本当は恐れていたのだろうか?

 誰かに助けて欲しいと、護って欲しいと思っていたのだろうか?

 よくはわからないが、俺を見つめる赤い瞳をずっと見ていたいと思うことが、答えなのかもしれない。

「……さっき出会ったばかりなのに、俺に総てを捧ぐのか?」

「悪いか? その価値があるように見えるんだが」

「理解してきたじゃないか」

 喉を震わせた俺に、ノヴィアが口端だけで応える。

 顔が近づいてきたから顎を掴む手に爪をたててやろうと思ったが、瞳の色が眩しいので、仕方なく目を閉じてやった。

「んっ、――っ」

 触れるだけだと思ったくちづけは油断していた唇を割った舌のせいで濃密なものに変わる。狼狽して身じろいだ俺を押さえ込む腕は一向に緩まず、事態に気がついた船員達の冷やかしを浴びた。

 それが堪らなく嫌で止めさせたかったが、ノヴィアは彼らを煽るように態とらしく唾液を絡ませた。

 漸く離れたとき、俺は思いきり頬を叩いてやった。にやつく男を睨み付けながら、濡れた唇を手で拭う。

 本当に腹立たしかった。

 なのに、奴は筆舌しがたい感情の高ぶりに震えた俺を見て、「いいねぇ。可愛いなぁ」などとのたまったのだ。

 すっと細く長い針で、心臓を貫かれたような気分だった。持て余した感情に、指先が痺れる。

 無言で身を翻し、船の縁に足をかける。ぐっと両腕に力を入れて乗り出そうとしたところで、慌てたように引き戻された。

「放せ。俺はからかいと冗談が大嫌いだ。恥辱を味わうくらいなら、死んだ方がマシだ」

「恥辱って……固ぇな、オイ」

「何とでも言え。そういう世界で育ったんだ。おい、謝罪をする気がないなら、手を放すか突き落とせ!」

 ノヴィアは俺の言葉に顔を顰めると、手摺りにあった俺の手首を掴んで、強引に引き剥がした。

 そのまま肩と腰に腕が回って、静かに強く抱きしめられる。

「……なにをする」

 屈辱と苛立ちに混ざる怒り。それに反発するように胸に湧く戸惑いと羞恥と、安堵。おまけは被害妄想もいいところの、“裏切られた”という気持ちと、微かな恐怖。

 僅かな時間で目まぐるしく入れ替わり、反発しあった感情は、ぐるぐると胸の内で回ってなかなか消えてくれなかった。

「悪かった。済まなかった。だから泣くな」

「………ッ」

 いつの間にか溢れていた涙を、乱暴に手で拭う。

 羞恥から離れようと身を捩ったが、くるりと身体を反転させられてしまい、より強く抱き締められた。

「……泣くな」





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