個性を殺して全体を生かすこと
- 2014/02/21
- 07:56
研究やアメリカとは関係ない話題だけど、たまたま見かけたこの話。
子供がサッカーを嫌いになる日 ~市井の指導者からの叫び~(鈴木康浩 ) | フットボールチャンネル
この記事を要約すると「指導者が厳しく細かくプレイに対して注文をつけるせいで子供たちが萎縮してサッカーを嫌いになってしまう」ということだ。
でも、これは今にはじまった話じゃなくて、昔から教育という名のつく現場では同じようなことが起きてたんじゃないかな。
実際、僕が今でも覚えてることがあって、小学校4年生くらいだった。
先生が「この問題分かる人、手をあげて!」というので、僕は手をあげた。その時は僕しかいなくて、僕がさされて答えた。
次の問題でも先生が、「この問題分かる人!」というので、やはり僕は手をあげた。先生は若干にがい顔をしながら、僕をさした。
さらに次の問題で、「この問題分かる人!」と先生が言い、同じように僕が手をあげると、先生は「お前はもういい!」と怒りだし、他の子供が手をあげるまで待った。
僕はそれ以来、わかっていても誰かが手をあげないかぎり、手をあげないようになったし、正解をこたえることが必ずしも正解じゃないんだ、むしろ怒られるんだと学んだ。だから、何か問題に対して正解を得ようと全力をつくすこともしなくなった。正解をえても怒られるんだから。周りにあわせることのほうがよっぽど大事だ。
このてのはなしは僕だけの特別な経験じゃないと思う。僕以外にもとくに数十年前の小学校ではこういう教育が頻繁にあったはず。
この話をこちらですると、みな「Oh....」といかにも気の毒そうな顔になる。このわかりやすいリアクションが心地よい(笑)
でも、今の僕は別にこれはこれでいいんじゃないかなって思ってる。これが日本の特徴なんだろう。僕は極僅かな犠牲者(?)の1人にすぎない。
というのは、日本の特徴というのが「平均化」させることだから。
平均化という言葉を使ったけど、日本の特徴はバラツキの低さだと僕は思ってるから。日本製品だけじゃなくて、日本人そのものも他の国の人々に比べてバラツキが低い。
上の記事の中の指導者は、なぜ子供に細かく注文つけるのだろうか?
それは、”限られた能力”である子どもたちで試合に勝つ、つまり効率よく生産性をあげるには、細かく注文をつけるのがいいからだ。そして、このアプローチこそが日本を技術大国にのし上げた原動力なんじゃないかと僕は思ってる。
例えばアメリカの場合、100人いる子供から20人がとびきり優れた大人になり、20人がとんでもなく脱落した大人になるとすれば、日本では1人がとびきり優れた大人になるかわり、1人しか脱落しない。
引っ張り出すアメリカと、下から押し上げる日本の違い。
どちらも長所短所があるのはわかると思う。でも両立は極めて難しい。
で、実は、これ、研究室にもあてはめられる。それがいいたいのです。
ポスドクや学生を奴隷のように扱うラボがある。当然そこのメンバーは萎縮するし、研究に面白みなんて感じない。
なぜ、そんなことをするか?といえば、今回のサッカーの話題と全く同じだ。メンバーの能力がたいしたことなくてバラバラでありながら、勝つ=CNSを出すために最も効率のよい方法だからだ。
現れるかどうかわからないたった一人の天才ポスドクに期待するよりも、限られた戦力で最大の結果をもたらすには、マイクロマネージするのが最も効率がいいということだろう。だから、こういうラボがなくならない。
そういうラボのPIも意識が無意識かわからないけど、なんだかんだいって効率がいいということがわかってるのだろう。
そんな酷いことしていいのか?って聞かれても、いけなかったからなに?こうしなきゃ勝てないんだよ!で話が終わる。
そして、そういうラボではメンバーが萎縮するし科学なんてものにリスペクトするわけないし、その結果いろいろな問題がおこる。代償だろう。しかし、それをとめることができない。誰にもできないだろう。
なぜなら限られた研究費、限られた人材、限らたPIの素質、それらの現実的な事情で最大のパフォーマンスを得るベストの方法だと思われてるから。
糞みたいなラボって言うのは簡単だけど、なぜそんなたくさん糞みたいなラボがあって、理想的なラボが少ないのか?
よ〜く考えると何も言えなくなる。だってそれが事実なのだし、何か理由があるから。そうなっていく理由が。
でも、僕はやっぱりそういうラボはベストではないと思っている。
僕は前に書いたように「理想に対する極めてストレートで具体的な本気さ」をもって、理想的なラボというものを追いかける。
子供がサッカーを嫌いになる日 ~市井の指導者からの叫び~(鈴木康浩 ) | フットボールチャンネル
この記事を要約すると「指導者が厳しく細かくプレイに対して注文をつけるせいで子供たちが萎縮してサッカーを嫌いになってしまう」ということだ。
でも、これは今にはじまった話じゃなくて、昔から教育という名のつく現場では同じようなことが起きてたんじゃないかな。
実際、僕が今でも覚えてることがあって、小学校4年生くらいだった。
先生が「この問題分かる人、手をあげて!」というので、僕は手をあげた。その時は僕しかいなくて、僕がさされて答えた。
次の問題でも先生が、「この問題分かる人!」というので、やはり僕は手をあげた。先生は若干にがい顔をしながら、僕をさした。
さらに次の問題で、「この問題分かる人!」と先生が言い、同じように僕が手をあげると、先生は「お前はもういい!」と怒りだし、他の子供が手をあげるまで待った。
僕はそれ以来、わかっていても誰かが手をあげないかぎり、手をあげないようになったし、正解をこたえることが必ずしも正解じゃないんだ、むしろ怒られるんだと学んだ。だから、何か問題に対して正解を得ようと全力をつくすこともしなくなった。正解をえても怒られるんだから。周りにあわせることのほうがよっぽど大事だ。
このてのはなしは僕だけの特別な経験じゃないと思う。僕以外にもとくに数十年前の小学校ではこういう教育が頻繁にあったはず。
この話をこちらですると、みな「Oh....」といかにも気の毒そうな顔になる。このわかりやすいリアクションが心地よい(笑)
でも、今の僕は別にこれはこれでいいんじゃないかなって思ってる。これが日本の特徴なんだろう。僕は極僅かな犠牲者(?)の1人にすぎない。
というのは、日本の特徴というのが「平均化」させることだから。
平均化という言葉を使ったけど、日本の特徴はバラツキの低さだと僕は思ってるから。日本製品だけじゃなくて、日本人そのものも他の国の人々に比べてバラツキが低い。
上の記事の中の指導者は、なぜ子供に細かく注文つけるのだろうか?
それは、”限られた能力”である子どもたちで試合に勝つ、つまり効率よく生産性をあげるには、細かく注文をつけるのがいいからだ。そして、このアプローチこそが日本を技術大国にのし上げた原動力なんじゃないかと僕は思ってる。
例えばアメリカの場合、100人いる子供から20人がとびきり優れた大人になり、20人がとんでもなく脱落した大人になるとすれば、日本では1人がとびきり優れた大人になるかわり、1人しか脱落しない。
引っ張り出すアメリカと、下から押し上げる日本の違い。
どちらも長所短所があるのはわかると思う。でも両立は極めて難しい。
で、実は、これ、研究室にもあてはめられる。それがいいたいのです。
ポスドクや学生を奴隷のように扱うラボがある。当然そこのメンバーは萎縮するし、研究に面白みなんて感じない。
なぜ、そんなことをするか?といえば、今回のサッカーの話題と全く同じだ。メンバーの能力がたいしたことなくてバラバラでありながら、勝つ=CNSを出すために最も効率のよい方法だからだ。
現れるかどうかわからないたった一人の天才ポスドクに期待するよりも、限られた戦力で最大の結果をもたらすには、マイクロマネージするのが最も効率がいいということだろう。だから、こういうラボがなくならない。
そういうラボのPIも意識が無意識かわからないけど、なんだかんだいって効率がいいということがわかってるのだろう。
そんな酷いことしていいのか?って聞かれても、いけなかったからなに?こうしなきゃ勝てないんだよ!で話が終わる。
そして、そういうラボではメンバーが萎縮するし科学なんてものにリスペクトするわけないし、その結果いろいろな問題がおこる。代償だろう。しかし、それをとめることができない。誰にもできないだろう。
なぜなら限られた研究費、限られた人材、限らたPIの素質、それらの現実的な事情で最大のパフォーマンスを得るベストの方法だと思われてるから。
糞みたいなラボって言うのは簡単だけど、なぜそんなたくさん糞みたいなラボがあって、理想的なラボが少ないのか?
よ〜く考えると何も言えなくなる。だってそれが事実なのだし、何か理由があるから。そうなっていく理由が。
でも、僕はやっぱりそういうラボはベストではないと思っている。
僕は前に書いたように「理想に対する極めてストレートで具体的な本気さ」をもって、理想的なラボというものを追いかける。
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