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性と進化の秘密 思考する細胞たち [著]団まりな

[評者]大澤真幸(社会学者)

[掲載] 2014年02月21日

表紙画像 著者:団まりな  出版社:KADOKAWA 価格:¥ 740

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■女の基盤の上に危うく構築されている男

 もしこの世界に男と女というものがなければ、つまり性がなければ、人生の悩みは、半分くらいに減るのではないか。そう思うときがある。われわれの悩みのすべてとは言わないが、かなりの部分は、自分の性的なアイデンティティー(私は女なのか、男なのか)、自分の関心や欲望が差し向けられている他者の性的アイデンティティー(男であるあの人、女であるあの人)に結びついているからだ。
 いかなる社会的な場面においても、われわれは、(自分自身と)相手の性的アイデンティティーのことを無視することはできない。性にまったく無関係に思える場面においてさえも、人は、無意識のうちに相手が男なのか女なのか、自分と同性なのか異性なのかを判断している。
 たとえば、誰かが、こう言っているとしよう。「私はAさんとは信頼関係を保ってきた。しかし、あの人の民族的所属は知らない」と。こう聞くと、われわれは、この人はAさんと、「何人」だとか「何族」だとかということにこだわらない、深い個人的な友情を築いているのだな、と納得するだろう。しかし、もし、この「民族的所属」のところに、「性別」が入っているとしたらどうだろうか。誰かが、「私はAさんを深く信頼しているが、Aさんが男なのか女なのかを知らないし、また関心もない」と言っていたとしたら。この人は、ほんとうは、Aさんに何の本質的な関心ももっておらず、おそらく、Aさんに会ったことすらないに違いない。
 いったい性とは何だろう。なぜ、性にそんな悩ましいものがあるのだろうか。団まりなの『性と進化の秘密』は、この疑問に、生物学者として答えようとする試みである。
 なぜ性があるのかという問いは、生物学的に言えば、なぜ有性生殖があるのか、どうして有性生殖という生殖法が進化し、定着したのか、という問いと同じである。団は、本書で、この問いに明快な回答を与えている。それは、第一線で活躍する生物学者としてのオリジナリティーの高い説だが、高校生程度の生物学の知識とごく普通の知的な意欲さえあれば、一般の人にも十分に理解できるように解説されている。

*有性生殖についての通説

 われわれは、恋愛したり、結婚したり、あるいは性的パートナーを見つけたり、ということがそれなりに難しいと知っている。それがどのくらい困難か、それをどの程度容易に成し遂げるかは、かなりの個人差があるが、ともかく「誰にとっても簡単」というわけではない。
 しかし、これは、生物にとってはかなり不都合なことではないだろうか。性的パートナーを見いだすせなければ、人は、自分の遺伝子を次世代に残すことができない。もし、ヒトに無性生殖ができたとしたら、つまり、身体を割ったり、身体の一部の細胞を増殖させたり、といったやり方で、自分のクローンをつくることができたら、ヒトは、もっとずっと確実に遺伝子を残すことができたのに。なぜ、ヒトのみならず、多くの生物が有性生殖を採用し、しかもかなり繁栄したのだろうか。
 これは、当然、生物学にとっての大問題なので、多くの学者が仮説を提起してきた。団の考えを解説する前に、通説(とまではいかないが、多くの専門家が支持している多数説)を紹介しておく。
 有性生殖は、子(の細胞)が、2個体の親から半分ずつ遺伝子をもらって、それらをミックスすることを意味している。したがって、子の遺伝子は、親とは少しずつ違った、個性的な細胞をつくることになる。有性生殖は絶えざる遺伝子組み換えであり、それによって、生物は遺伝的につねに変化し、多様化していく。このことは、生物の繁殖・繁栄にとって有利である。これが、教科書によく紹介されている、有性生殖の本質である。

*「飢饉への緊急対応」の常態化

 しかし、団まりなは、これとはかなり違ったところに、有性生殖の意義を見ている。彼女の説は、生物の進化の全体を視野においたスケールの大きなものである。
 最初の生物は、「原核細胞」と言って、膜の内側に核も何ももたない、シンプルな単細胞生物だった。が、過酷な環境に対抗しているうちに、やがて、「真核細胞」が生まれる。真核細胞は、内部に核をはじめとする、いろいろな構造をもつ細胞である。真核細胞は、何種類もの細胞が共存し、やがて結合し、ついに一つの細胞になってしまったものである。ここまでは、まだ、有性生殖には関係がない。真核細胞は、無性生殖で増えている。
 さて、こうして出現した真核細胞たちが、「飢饉」のときに、合体することがある。つまり、自分たちにとって重要なタンパク質を作るのに必要な物質(たとえばチッ素)が不足しているとき、二つの真核細胞が合体して、この不足に対抗するのだ。われわれも、家賃や食物が足りないときには、ルームシェアすると何とかなるだろう。これと同じで、二つの細胞が合体すると、物質を効率的に消費できるので、飢饉を乗り越えることができる。
 合体前のもとの真核細胞に、n本のひも状のDNAがあるとする。合体した細胞は、当然、n×2本のDNAをもつ。このn×2のDNAをもつ細胞を、「ディプロイド細胞」と呼ぶ。ディプロイドというのは「2倍の」という意味である。それに対して、もともとのn本のDNAをもつ細胞を、「ハプロイド細胞」と呼ぶ。ハプロイドというのは「半分の」という意味で、ディプロイド細胞を基準にしたときには、半分のDNAをもつ、という趣旨である。
 最初のうちは、真核細胞は、飢饉のときにディプロイド化し、飢饉が去ったら、もとのハプロイド細胞に戻る、ということを繰り返す。ディプロイド化は、例外的な緊急事態への対策だった。
 ところが、ティプロイド細胞には、ハプロイド細胞にはないある(有利な)特徴がある。そのため、ハプロイド細胞に戻らず、ディプロイド細胞として生き続けることを選択する種が出てくる。ディプロイド細胞に、どんな特技があるというのか。
 ディプロイド細胞同士は、とても協調性が高いのだ。だから、たくさんのディプロイド細胞が集まると、たがいに協調し、分業しあったりして、大きな個体(身体)をつくることができる。これが、多細胞生物である。多細胞生物は、たくさんのディプロイド細胞が分業して、一つの個体になっている状態である。多細胞生物は、だから、単細胞生物にとっての例外状態(飢饉への緊急対応)を常態化したときに出現した、と言ってもよいかもしれない。

*細胞のリセットボタン

 と、ここまでのストーリーだと、どこに有性生殖が関係しているのかわからないだろう。そのことをわかってもらうためには、もう少し、話を進めなくてはならない。
 ディプロイド細胞は、今述べたように、いわば社交的で協調性があるのだが、ひとつ、重大な弱点がある。ディプロイド細胞は、細胞分裂を無限には繰り返すことができないのだ。何十回か分裂すると、死んでしまうのである。たとえば、実験によると、ヒトの身体を作っているディプロイド細胞は、52回の分裂の後に、死んでしまったそうだ。どうして、ディプロイド細胞が、永遠に分裂を繰り返すことができないのか、その原因はわからない。ともかく、ディプロイド細胞には、寿命がある。あるいは、ディプロイド細胞はみな、「分裂回数券」をもっている、と言ってもよいだろう。
 ディプロイド細胞でできた多細胞生物は、この「有限の寿命」の問題に対処しなくてはならない。ところで、ディプロイド細胞を、いったん、ハプロイド細胞に戻すと、言わば、リセットボタンが押されたような感じになって、分裂能力が完全に回復する。ディプロイド細胞(2nのDNA)を、ハプロイド細胞(n)にする方法として、減数分裂という独特の細胞分裂がある。だから、ディプロイド細胞(2n)から、しかるべきタイミングで、減数分裂によってハプロイド細胞(n)を生み出し、二つのハプロイド細胞を合体させて、再びディプロイド細胞(2n)を作れば、そのディプロイド細胞は、新しい「回数券」をもっているので、「有限の寿命」問題を克服したことになる。ハプロイド化は、究極の若返り策である。
 この「2n(ディプロイド)→n(ハプロイド)→2n(新しいディプロイド)」という過程が、実は、有性生殖になっているのだ。生物学に慣れていないと、少しわかりにくいかもしれないので、この後にさらに解説を付け加えるが、とりあえず直感的にだいじなことをつかむためには、次の対応に気づくとよい。真ん中のn(ハプロイド細胞)というのは、実は、生殖細胞のことである。二つの生殖細胞、つまり精子(n)と卵(n)が合体する(受精するn+n)と、新しいディプロイド細胞(2n)が生まれる。もちろん、これが子だ。

*「死への抵抗」としての性

 もう少しだけ解説を続けるが、団の仮説の骨格は、もうすでに示されている。要するに、性(有性生殖)は、死に対する生物の抵抗によって生み出された、というのがこの仮説のポイントである。団は、通説(遺伝子組み換え説)よりも、自分の説(死への抵抗)の方が、説得力がある、と考えている。たとえば、本書に紹介されているゾウリムシの実験は、確かに、団の仮説にとって有利な素材だ。
 ゾウリムシは、単細胞だが、ディプロイド細胞である。ゾウリムシは、何回も(平均180回)細胞分裂を繰り返すと、やがて元気がなくなってくる。回数券の残りが少なくなるのだ。すると、ゾウリムシは、奇妙な行動に出る。ゾウリムシは、もちろん、もともと一個だけ核をもつのだが、寿命が終わりに近づき、衰弱してくると、突然、自分の身体の中(細胞膜の内側)に、減数分裂によって、DNAがn本のハプロイド核を生み出すのだ。ゾウリムシの細胞膜の内側に、たくさん核がある状態になる。ただし、その核のDNAはすべてnである。
 このたくさんの核の中の二つが選ばれて、合体する。そして、新しい核になる。こうするとリセットボタンが押されて、ゾウリムシは、完全に若返るのだ(新しい、未使用の回数券をもっている状態になる)。
 この実験で、ゾウリムシは、自分自身のDNAを分割して、ハプロイド化した後、再合体して、ディプロイド細胞として蘇生している。自分のDNAしか使われていないので、遺伝子の組み換えは起きていない。これは、「2n(ディプロイド)→n(ハプロイド)→2n(新しいディプロイド)」というメカニズムが、「遺伝的な変異を生む」ということのために発動しているのではなく、「細胞の死を超える」ということを目的としている、という証拠ではないか。このように、団は解釈する。

*弁当をたくさん持って「決死のバイク便」を待つ

 この「ディプロイド/ハプロイド」云々という話が、「雄(男)と雌(女)」ということと関係している、とわかってもらうために、もう少し、団まりなを代弁しておこう。
 ここまで説明してきたように、多細胞個体は、ものすごくたくさんの(ヒトなら60兆個の)ディプロイド細胞の集合態である。これらのディプロイド細胞のすべてがハプロイド細胞に戻る必要はない。
 多細胞個体において、細胞たちは、身体のそれぞれの場所で、それぞれの任務を果たしている。ある細胞は、白血球になり、ある細胞は、脳内のニューロンになり、ある細胞は、脚の筋肉を形成していたりする。ほとんどの細胞には、ディプロイド細胞として、それぞれの場所で細胞分裂を繰り返し、己の「人生(細胞生)」をまっとうしてもらう。
 だが、それだけだと、すべてのディプロイド細胞が死んでしまって、遺伝子が次世代に残らない。そこで、多細胞個体の分業の、専門特化した一つの部署として、「ハプロイド細胞」を生み出す工場を用意しておく。身体の他の場所では、普通の細胞分裂(有糸分裂)によって、ディプロイド細胞からディプロイド細胞が作られるのだが、この特別の工場でだけは、減数分裂によって、ハプロイド細胞が作られる。それが生殖細胞(精子か卵)である。
 生殖細胞は、ハプロイド細胞なので、n本しかDNAをもたない。したがって、別の生殖細胞と出会い、合体し、ディプロイド細胞にならなくてはいけない。ディプロイド細胞になれば、細胞分裂を繰り返し、多細胞個体になることができる。
 生殖細胞、すなわち配偶子は、極端な二つのタイプに分かれる。すごく大きな配偶子とたいへん小さな配偶子の二種類ができるのだ。前者が卵であり、後者が精子である。どうして、似たような配偶子が二つできるのではなく、大きなものと小さなものができるのか。
 まず大きい方から。二つの配偶子が出会ったとしても(つまり受精したとしても)、あたりまえだが、いきなり成熟するわけではない。できたてのディプロイド細胞はまだ不安定で、大急ぎで細胞分裂を繰り返し、内部分化したりして、安定した状態に到達しなくては危険だ。その間、細胞は、十分には外から栄養を摂取することができない。そこで、親(母)は、無事な成長を願って、子にできるだけたくさん、「弁当」をもたせることになる。めいっぱい弁当(栄養)を抱えた配偶子が、大きな配偶子、つまり卵である。
 しかし、卵は、あまりにもたくさん弁当を持っているので、身動きができない。しかし、卵としては、別の配偶子と出会わないことには、困る。そこで、「出会い」のためにすばやく動き回ることを担当する、もう一つのタイプの配偶子が必要になる。そのもう一つのタイプは、どこにあるとも知れぬ卵に出会うために、できるだけすばやく動き回ることができなくてはならない。それが、精子だ。
 精子は身軽でなくてはならない。それは、DNAの他には、泳ぐための鞭毛とモーター(ミトコンドリア)だけをもった配偶子である。どうせ卵子と出会わなければのたれ死ぬのだから、中途半端に弁当をもっていっても仕方がない。精子は、弁当を一切もたされずに派遣された「決死のバイク便」のようなものである。
 精子は、一度に、ものすごい数、放出される。やみくもに派遣されたバイク便が、卵に運よく到達できる確率は低い。そこで「下手な鉄砲も数打ちゃ当る」の原理で、きわめて多くの精子が出されるのだ。
 このように、配偶子は、大きくて栄養たっぷりなタイプと小さくてすばしっこいタイプの2種類になる。まれに同じ身体で、二つのタイプをともに生産する種もあるが、たいていの種では、卵子の生産を専業とする個体と精子の生産を専業とする個体とに分かれることになる。前者が雌で、後者が雄である。

*思考する細胞

 このくらい解説すれば、本書が、性(有性生殖)の本性をどのように描いていたか、基本的なことは理解できるだろう。
 ところで、団まりなは、以上の議論の中で、きわめて特徴的なアイデアを基礎にして、生物を捉えている。「階層性」というアイデアである。
 階層性とは、次のような考え方である。複数の要素が集まって、その間に複雑な関係ができると、その要素の集合は、もともとの要素にはなかった独自の性質を発揮する。その性質は、要素の方からは説明できない。つまり、要素とその集合とでは、異なる階層を形成しており、それぞれの階層には、それぞれの原理がある。
 ほとんどの生物学者は、生物のメカニズムを、分子(たとえばDNA)の相互作用によって説明し尽くそうとする。だが、団の考えでは、分子と細胞では、まったく別の階層に属している。細胞は、分子の相互作用には還元できない細胞独自の論理で動き、細胞独自の「目的」をもち、細胞なりに判断し、思考している(ように少なくとも見える)。
 生物学者は、普通、遺伝の基本はDNAの複製だと考える。しかし、団の考えでは、遺伝の基本は細胞分裂にある。「遺伝プログラム」と言ったとき、DNAの上の情報を考えるのが、普通の生物学者だが、団にとっては、遺伝プログラムは、DNAにではなく、細胞質や細胞構造に書きこまれているのだ。

*階層間の奇蹟的な往復

 この階層性という概念を基準にすえると、「ハプロイド細胞/ディプロイド細胞」の関係の特異性が際立って見えてくる。ハプロイド細胞を合体させたものがディプロイド細胞だから、両者は、実は、異なる階層に属している。ハプロイド細胞の方が下の階層である。
 ところで、階層の間の相互の行き来は、普通はありえない。たとえば、パソコンの部品とパソコンとは異なる階層に属している。半導体とかキーボードとか液晶画面とかの無数の部品をうまく組み合わせると、パソコンとして、驚異的な能力を発揮する。しかし、パソコンが自ら部品に解体したり、部品たちが自分でパソコンに組み上がったりはしない。そもそも、1個ずつの部品に解体されたときには、それら部品は「パソコン」というアイデンティティーを失ってしまう。
 ところが、ハプロイド細胞とディプロイド細胞は、異なる階層に属しているにもかかわらず、先ほどから説明してきたように、相互に行き来する。それが減数分裂とか有性生殖である。バソコンの場合と違って、ディプロイド細胞は、一段レベルの低いハプロイド細胞に分解しても「種」としてのアイデンティティーを失わない。つまり、ヒトの精子や卵は、DNAを普通の体細胞の半分しかもたないが、やはり「ヒト」である。
 階層の間の相互移行があり、しかも、そのときに、本質的なアイデンティティーが変わらない。これが、有性生殖に関係する場面で生ずる、奇蹟的な現象なのだ、と団は強調する。

*女の変種としての男

 この本のおもしろさが伝わっただろうか。
 それにしても、こうした理論によって、性についての謎はすべて解けただろうか。たとえば、われわれ人間は、どうして、生殖とは何の関係もない場面でも、性から自由になれないのだろうか。どうして、われわれは、自分と他者の性(別)に常に執着しているのだろうか。
 こうした謎は、もちろん、本書の説明を理解しても直ちに解けるわけではない(通説によっても解けない)。が、少なくとも、次のことは確実であろう。人間の性についてのこうした謎を解く上で、われわれが前提として踏まえておかなくてはならないこと、そうしたことが、以上の説明の中には含まれている。
 本書の結末では、ヒトの胎児がどのように男または女へと生成していくか、その過程が説明されている。ヒトと同じ脊椎動物でも、たとえばサカナは、発生過程では雄・雌の両方の生殖器官を消すことなくキープしておき、状況を見て、どちらかに変わったりする。周りを見て「雄が少ないぞ、ならば私は雄になるか」と判断して、雄化したりする。これは、何だかとても好都合な方法に思える。しかし(残念ながら)人間の場合には、男または女として生まれてきて、しかも後戻りができない。
 ヒトにおける男女の発生過程を見ると、結論的には次のようなことがわかる。ヒトは、デフォルトの設定では女である、と。発生過程を見ると、男への道と女への道は対等な二つの道ではない。放っておくと、ヒトは、女になるようにできているのだ。それに対して、男になるための手続き(Y染色体上の遺伝子の産物である精巣決定因子の分泌、男性ホルモンの分泌など)はたくさんあって、複雑な上に、失敗の可能性も高く、途中で一つでもしくじると、その胎児は女の方に差し戻されてしまう。
 発生過程からは、女の優越は明らかだ。女という基盤の上に、危うく構築されているのが男である。あえて言えば、男は女の変種である。この事実の上で、性的なアイデンティティーについての謎を考えるとどうなるのだろうか。われわれに委ねられている問いである。

*元祖リケジョ

 私自身はあまり好きになれない語だが、「リケジョ」という表現があるらしい。この語を使えば、団まりなは元祖リケジョである。
 本書に付された「少し長いあとがき」には、彼女の、ユニークな家族的背景について書かれている。まりなの祖父は、団琢磨である。団琢磨は、明治の初頭、今の学制に対応させれば中学生くらいのときに、アメリカに留学させられ、マサチューセッツ工科大学を卒業した後に、日本に戻って、三井財閥の指導者になった。不幸なことに、「血盟団事件」として知られている昭和7(1932)年のテロで、殺されてしまった。
 まりなの父は、琢磨の次男で、6人兄妹の末っ子だったそうだ。父親も、そして母親も、生物学者だったという。いぶかしく思う人もいるだろう。戦前の日本で、父親が大学で生物学を研究していたというのはわかるが、母親までもが生物学者ということは、ほとんどありえなかったのではないか、と。その通りである。まりなの母は、父がアメリカ留学中に知り合ったアメリカの人である。だから、第2次大戦中は、苦労もあったに違いない。まりなも、戦後すぐに1年間、アメリカで暮らしていたという(小学5年生のとき)。
     *
 本書で展開される説には、傑出した独創性がある。専門家向けの論文ではなく、一般の読者向けの科学書に、独創的な自説を書ける学者は、そう多くはない。理由は簡単で、凡庸な科学者の場合には、一応は、論文にするくらいの自分なりのアイデアがあったとしても、それはたいてい、その学問分野の枝葉末節のことで、一般の読者にも興味をもたれるほどに基礎的な部分に関して、オリジナルな説を有する科学者は、少ないからだ。したがって、専門家以外の知的な読者向けの本に、通説とは異なる自説を書けるということは、すごいことである。その学問分野の根幹にふれるような部分に関して、通説とは違った自説をもっていること、しかも、その説に(学界の多数派に伍していけるだけの)圧倒的な自信をもっていること、こうした条件が満たされていなくては、一般向けの自然科学書に、自説を書くことはできない。
 ここに紹介したような独創的なアイデアが、元祖リケジョに宿ったのはどうしてなのか。彼女の自由な発想法の原点は何であろうか。本書の説を楽しみながら、このようなことにも想いをはせざるをえない。

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