1週間、1ヶ月、1年ネットなしで生活したとして、ネットが普段の生活の糧になっている、つまりコードを書いたり、そういう企業体の一員でもなければ、なくても死にはしないのだ。
テレビがなくても死にはしない。
もちろん、天気予報を見ない生活をしていて、突然雪が降ってきて、スーパーに行ったら近所の人が争奪戦してて、俺は何も買えなかったりしたが、死んでない。
情報はなくても死なない。
金がなければ死ぬが。
そうやって、ネットから離れて、再び戻ってくると、自分がネットに支配されている、操作されている事に気づくのだ。
Twitterを、Facebookのいいねを、はてブの通知を見ていないか?
メールを見ていないか?
stackoverflowを、hacker newsを見ていないか?
ずっと、コードの事を考えていないか?
あぁ、while loopの条件に||で入れれば良いのか、なんて布団の中でも考えていないか?
すべてを捨てて、1週間、1ヶ月、1年間、ネットのない、コンピュータのない、TVのない、通信のない、携帯のない、本のない、
つまり、他人のwords、言霊が、自分の体に入ってこない状態を作る。
そして、再び戻ってきたとき、気がつくのだ。
ニュースサイトにくだらないライフハックが載っていて、見た瞬間に鼻で笑い、クリックする事はないが、その瞬間、その情報の処理に脳を費やしている。
無駄な処理、ゴミのような広告、情報に、貴重なあなたの人生を費やしているのだ。
それはバカバカしくないのか?
それは、見た瞬間に鼻で笑い、無視する情報だが、意外と記憶に残っており、それがその後の自分の行動や価値判断になんらかの影響をおよぼす、つまり洗脳、操作されていると考えると、空恐ろしい感じがしたのだ。
見渡せば、周囲の人間達、街中の人間達でさえ、そうやってネット上の情報、広告とニュースの区別さえないような情報に踊らされている。
ように感じられた。
電車の中の人達は、皆携帯電話を眺め、デマの情報がTwitterやはてなで伝播し、自分だけ取り残されているようで、実は核シェルターに一人でこもってたから、突然の核攻撃で一人だけ偶然生き残ったような、みんながゾンビになってしまったような、そんな感覚さえあった。
つまり、自分が人類最期の男で、モノクロは良かったが、ウィルスミスはダメで、藤子不二雄のあれは良かった、あれだ。
他人の格言を有り難がる人は注意した方が良い。
他人の格言、ことわざ、孟子、孔子がどーのというのは、その人が本当に言ったんだかよくわからない、他人の美談というか、本当に自分に当てはめようもない、まったく意味のない情報だ。
しかし、多くの人がその言葉に操作され、それに疑問を持つ人間を攻撃することで社会が動くようになってきた事で、これは危険な兆候だと考えるようになった。
脳はコンピュータで再プログラミング可能だから誰でも天才になれる、みたいな自己啓発セミナーはもちろん詐欺だが、ネットやテレビに大衆が煽動、操作され、それが社会の価値観を規定し、それによって世論があたかも構築されている昨今は実に不愉快だ。