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教育の場に、政治を極力もちこむべきではない。 教育委員会の制度をめぐ…
教育の場に、政治を極力もちこむべきではない。
教育委員会の制度をめぐる自民党の改革案がまとまった。
①教育行政の実権は、これまで通り委員会が担う②教育長を責任者と位置づける③首長主宰の会議を新設し、首長の権限を強める。この3点が柱だ。
中央教育審議会が昨年末に示した答申は、首長に権限を移して、委員会を諮問機関に格下げする案を推していた。首相や文部科学相の強い意向を反映したものだ。
これに比べると、自民案は①の点で、教育を政治介入から守りやすい制度設計といえる。
ただ、首長主宰の新会議の力をあまり強くすれば、実質は首長主導となる。
教育委員会は、教育を行政任せにせず、住民代表が参画するための制度だ。問題は、その仕組みが形骸化していたことにある。教育に民意を反映させるためにこそ、これ以上委員会の力をそぐべきではない。
相次ぐいじめ・体罰問題は、教委の動きの鈍さをあぶり出した。教育ムラの論理で身内の学校を守ろうとし、都合の悪い事実を隠す体質が問われた。
それで首長主導への改革論が力を得たのだが、これには中教審でも「首長が暴走したら止められない」と強い心配の声があがった。静岡県で、知事が国の基準に反する形で学力調査の学校成績を公表しようとした騒ぎなどが、懸念を裏打ちした。
本紙の世論調査では、教育行政が首長の政治的な考え方に左右されない仕組みを望む人が、6割に及ぶ。市民は政治家に口を出してほしいのではない。委員や事務方がきちんと学校を点検し、責任を持って問題を解決してもらいたいのだ。
無責任体質の問題は、教育長を責任者と決めることで、あるていど改善できよう。教員出身者の比率を下げるなど、事務局改革も忘れてはならない。
政治介入を防ぐために、首長主宰の会議と教育委員会の役割は厳格に仕分けすべきだ。
教科書採択のような教育の中身は、教育委員会の仕事だ。首長主宰の新会議は、学校統廃合や給食、就学援助など教育条件整備に役割をとどめるべきだ。自民案には、教職員の懲戒方針作りを新会議に委ねるなど、気になる点がある。
安倍政権は教科書検定や採択への国の統制を強めている。その強硬な姿勢こそ、教育に政治を持ちこむ危うさを物語る。首長主導への改革案には、与党内からも強い懸念が出ていた。その意味をかみしめるべきだ。
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