この週末は、定期考査期間直前の土日でした。
同業者の方はお分かりと思いますが、この土日は純粋混じりっけ無しの休日。
なぜなら定期考査前なので部活がなく、生徒が学校に来ないからです。
こういった休みは年間に数回しかありません。
土日にフルで休める、普通のささやかな願いですが、私にとってはなによりも嬉しいことです。
早々とテストを作り終え、土日を迎えることができました。
皆さんはいかがお過ごしだったでしょうか。
大寒波、大雪、インフルエンザの流行、体調を崩されてはいませんでしょうか。
ご自愛を祈ります。
閑話休題。
ここ数週間でこのブログへの来訪者およびコメント数が激増の一途を辿っています。
先月の倍のペースで増えており、嬉しいやら悲しいやら。
部活に興味を持っている方と、部活の制度に疑問を持っている方が多いということでしょうね。
コメントしてくださる方も、同業者の方や保護者の方、はたまた地域でスポーツを教えていらっしゃる方など様々です。
いろいろな目線で部活についてのコメントを寄せてくださり、視野が広がる思いがします。
応援の声、ご批判の声もあり、考えることが多くなってきました。
これだけブログが活発になり、果たして自分は今後どうしたいのか。
教員としてどう動いていけばいいのか、また動かないほうがいいのか。
現状として子どもは目の前にいるわけで、その状況も踏まえての最善策は何か。
少しずつ多くの選択肢が見えてきました。
これもブログをやる前とは雲泥の差であり、ゆっくりと部活を俯瞰で考えられていることだと実感します。
とりあえず今の状況を。
● 部活は平日は毎日やっている。指導は見に行けるときだけ(自分の仕事や本務である授業研究もあるので)
● 土日の部活は、片方だけやるときと、土日両方やるときがある。最近は、両方練習するのは極力減らしている。
● 朝練は毎日行っている。余裕があるときのみ、見に行ける。
● 顧問は二人体制。私が一応、主顧問。副顧問はいわゆる「専門」の先生。
● 大会等の運営は、限りなくかかわらないようにしている。
これが現状です。
部活について考えているものの、生徒の手前、行動を起こせずになあなあでいます。
しかし、何も考えずに土日両方とも練習予定を入れるようなことはしなくなりました。
極力、土日の片方は休みにしています。
これからブログで得たもの、そして考えていることを生かして自分なりの選択をしたいと思います。
せっかくの休みです、部活を考えるのはこれくらいにして、もうすこしゆっくりしますね(笑)
部活について考えるようになったきっかけ
・・・以前に、現在とは違う種目の部活の顧問をしていたときのことです。
私は新しい学校に赴任して1年目。右も左もわからず、毎日を忙しく過ごしていました。
そんな中、部活動の顧問担当を決めるときがきたのです。
私は未経験である、ある運動部の顧問に決まりました。
もう一人顧問はいるものの、メインの顧問に決まったのです。
4月半ばになり、部活が本格的に始まりました。
私は未経験の競技ということもあり、自腹で練習メニューの本を購入し、シューズを購入し、また審判のルールブックを取り寄せ、毎日毎日仕事が終わると競技について勉強しました。
部活が終わり、本来の業務を終え、夜遅くまで勉強を重ねました。
初めのうちは、子どもも一生懸命についてきました。
私が競技の初心者ということを知ってもなお、練習を一生懸命にしていました。
顧問になりたてで他校の顧問の知り合いもいない中、練習試合の申し込みの電話をしました。
土日になるといそいそと生徒と練習試合に出かけていきました。
休みが丸一日部活でつぶれていきました。
それが中学校教員の「普通」だと思っていたからです。
7月、初めての中総体を迎えました。これまでの練習の成果をだし、結果は出せませんでしたが生徒は一所懸命に試合をしました。
8月、3年生が引退して新体制が始まりました。
このころからです、部活動について疑問を持ち始めたのは。
夏休みの練習計画を立てて、生徒・保護者に手渡しました。
私は前々から旅行を予定していたので、お盆を挟んだお休みを1週間少し入れていたのです。
そしたら生徒や保護者から「もっと練習をやってくれ」との電話。
そして練習試合をどんどんしたい、とのこと。
この要望は拒否しましたが、違和感が残ったのを覚えています。
10月、学校行事や進路指導、校務分掌などが立て込み、自分の中で余裕が全くなくなりました。
当然平日の放課後は練習を見ることが厳しくなり、平日に練習を見に行くことが少なくなりました。
かろうじて土日の練習を見て、生徒の士気を保持している状態でした。
すると、保護者から電話がありました。
「うちの子供が部活の中で、他の部員から不遇な扱いをうけている」と。
私の目の届かないところで、生徒同士の諍いが起こっていたのです。
私は生徒を集めて指導し、きちんと話し合いました。今後の部活についても話をしました。
しかし、生徒間の気持ちの折り合いは変わりませんでした。
生徒の士気は下がっていくばかり。
練習中も返事をきちんとせず、また表情もすぐれませんでした。
12月、生徒の態度があまりにも悪いため、練習を中止にしました。
すると保護者から電話が鳴りました。なぜ練習を指導しないのか、とのこと。
保護者会を開いて説明をしました。生徒にも説明をしました。
しかし生徒とのぎこちない雰囲気はとれませんでした。
生徒は練習メニュー・練習量・練習試合の不足に不満を感じていたのです。
1月から3月の間は地獄でした。
士気の上がらない部活、それでもやらなければならない状況。
保護者の視線、生徒の表情、同僚の部活への姿勢、管理職の動き。
なんとかかんとか年度内を終えました。
4月、新しい先生方が学校に入ってきました。
私の部活には、その競技のスペシャリストとも言える先生が入ってきました。
当然、その先生と私が組むことになり、部活を見ることになりました。
新しい先生は今までの実績も十分、他校とのコネクションもばっちりでした。
練習メニューもバリエーション豊かで、生徒はその先生についていきました。
土日には必ず練習試合を入れ、遠方まで出て行く日々。当然私もついていきます。
そんな中で私は、自分の存在価値について考えるようになったのです。
「この状態で私は本当に必要なのか」と。
日々の練習、土日の練習試合、休みのないまま日々が移ろっていきました。
私はそんな中で、もう一人の先生に部活を任せっきりになっていきました。なぜなら、練習に私が行っても蚊帳の外だからです。
生徒は充実の表情を見せ、保護者も安堵の様子でした。
私も、それでいいと思うようになりました。投げやりな気持ちで、気持ちは宙ぶらりんのままでした。
7月、中総体を迎えました。
昨年度よりは良い成績を収め、3年生は引退しました。
引退したあと、3年生の生徒・保護者とのお疲れ様会がありました。いわゆる打ち上げです。
その席で、保護者はもう一人の先生にお礼を言いに来ます。
「先生が来てくれたおかげでチームが変わりました」
「先生のおかげで子ども達はいい思い出ができました」
私に聞こえるように言ってきたのは、気のせいでしょうか。
また、違う保護者は私のもとへ来て、こう言いました。
「先生は、少しはこの競技を好きになってくれましたか?」と。
私は、目の前が暗くなる思いがしました。今までの苦労はなんだったんだろうと思いました。
自分なりにやってきた苦労は、全くもって評価されないのだと感じました。
・・・私の体験は、きっと、かなり部活動の悪い側面を映し出した例だとは思います。
しかし必ずしも特殊な例ではないのではないでしょうか。
理解のある生徒・理解のある保護者の方々がいらっしゃることも分かっています。知っています。
けれども、私のした経験は未だに私の中でのトラウマです。
それから、私は部活動について、客観的に、俯瞰で考えるようになりました。
きっとこうなるに至った原因は、もっと根本にあるのだと。
そして今年度から私は新しい競技の部活の顧問をしています。
たくさんのモヤモヤを胸にかかえ、どうしたらいいのか解決策を模索しながら。
言葉足らずで自分の経験を100%伝えられないのが残念です。
ご意見・ご感想などいただけたら幸いです。
定められた「定時」
たとえば私の職場では16:45が定時であり、勤務時間はそこで終了となる。
一方、部活動の終了時間も季節により決まっている。
今の時期は冬なので18:30、夏場になると最大で19:00まで部活動をすることができる。
考えてみてほしい。
この定時(16:45)を部活動終了時間(18:30)がオーバーしている時点で矛盾が生じている。
勤務が終わり家に帰ることができる定時では無く、その機能はもはや形骸化している。
まあこの件は世間でも広く知られている点だろう。どうだろうか。
前にも言った通り、部活動には様々な種類の部活動がある。
毎日部活があるものから、平日の練習は行わないもの、中総体の直前だけ行われる部活などがある。
平日に毎日行われる部活の顧問になっている教員(私も含む)は、原則として部活動終了時間まで職場を離れることができない。
つまり、今の時期は18:30までは帰ることができない。
定時というのは名ばかりで、実質は18:30が定時なのである。
なぜ帰れないかというと、万が一にも部活中に生徒にケガがあった場合に責任をとらなければならないからだ。
私が納得がいかないのは、顧問になった部活動によっては定時に帰れるのに、その一方で部活動終了時間まで帰れない顧問が存在するということだ。
平日に頑張って部活をしている顧問は部活動終了時間まで帰れず、平日に部活がない部の顧問は定時に帰れる資格が与えられる。
この構図が年がら年中続くのだ。
公務員という性質上、給料は年功序列であり、仕事内容によって給料の増減はあり得ない。
その点は納得している。だから給料については不満は生じえない。
だからこそ、この2時間の時差が毎日生じているのはおかしいと思うのだ。
確かに公務員は「全体の奉仕者」、勤務時間内には自分のすべてをかけて仕事をしなければならない。
しかしあくまでも勤務時間内のことである。
なぜ同じ給料で、早く帰れる資格をもつ者と、遅くまで残らなければならない義務をもつ者に分けられなければならないのか。
好きで部活の顧問をやっている者は何の不満ももたないだろう。
しかし何度も申し上げるが、多くの学校は全員顧問制であり、「部活動をする・しない」という選択肢が与えられていないのだ。
さらに「若者は運動部の顧問をするべし」のような風潮もあり、平日に部活動終了時刻まで残らざるを得ず、必然的に私たち若手教員は平日に遅く帰ることを強制されている。
この生活がずっと続き、土日にも部活が待っている。
この状態を恒常的に続けていったならば、その者の精神状態がどうなるか想像するのは容易い。
部活動終了時間が終わり、やっと自分の本来の仕事につく。
管理職はよく言う。
「早めに帰ってゆっくりしなさい」と。
できないよ。今の制度のままじゃ。
そりゃ鬱病になる人も多いでしょうよ。
さあ、明日は金曜日。全国の同業者のみなさん、あとひと踏ん張り。
土日のことはさておいて、あと1日頑張りましょうね。
着ぐるみの内側
なかなか準備が大変な行事だったので、心身ともに疲労困憊です。
生徒も疲れていました。
月曜からは学校なので、当然土日は生徒は休みです。
行事終わりのあいさつで、学校長は「この土日は学校行事の疲れをとるためのお休みです。ゆっくり休んでください」と言っていました。
・・・まあ現状を考えれば、部活があるわけで。
私の部活動も土日やることになりました。もう一人の顧問が練習試合も決めていました。
私は今日、個人的に部活を休みました。
学校行事の疲れをとるために。
土日は本来、生徒も教員も疲れをとるためのもの。
ただし現状はほとんどの運動部や吹奏楽部で土日の練習がうまっている。
私が一番きらいなのは、土日にしっかりと一日中指導していた顧問の教員が、土日に疲れ果ててしまって月曜日に年休を取る事例です。
本末転倒!これ以上、「本」と「末」が転倒していることがあるでしょうか。いや、ない。
思わず反語を使ってしまいました。
そういった教員は、なぜか「部活に熱心な良い先生」という評判なんですよね・・・。
私はそんな教員は最低だと思います。
例えるなら、プロ野球選手が休みの日にゴルフに行って、その疲れで月曜からの試合に出られないようなもの。
部活偏重の象徴のような教員だと思います。
話を変えましょう。
すこしブログを見なかったせいで、多くの方々のコメントが寄せられているのに気づきませんでした。
あわてて先ほどコメント返しをしたところです。遅れてごめんなさい。
私が個人的に疑問に感じた部活動というもの。その考えに対し、さまざまな意見が出ており、白熱の議論になっています。
こんな議論を国の上の方はしてきたのでしょうか。現状を見据え、教員の健康や生活を見据え、そして子どもたちの将来を見据えて議論をしてきたのでしょうか。
私のブログにおける議論は、職員室にいる多くの教員の腹の底の議論です。
したくてもできない本音の議論の、ほんの一部だと思ってください。
ぶっちゃけた話、私の学校の職員室では、「部活に行きたくない・やりたくない・めんどくさい」という発言はご法度です。
各顧問が休日の練習試合の予約を他校にせっせと取り付け、練習メニューを作り、ジャージ姿で練習会場へと消えていく。
私は今の職場で異端なのだと思います。ただし、部活反対の考えを言えないだけの同胞が多くいることも感じています。
頭に移りゆく部活へのとりとめない思いを、ブログにまとめることで自分の意見を整理することができます。そして皆さんと考えることで、いっそう考えを広くすることができます。
いつもたくさん見てくださってありがとうございます。
ちなみに1月のアクセス数が12000を超えました。
別にアクセス数を増やすことが目的ではないのですが、多くの方がこのブログを見、そして考えてくださればうれしいです。
明日は朝から部活。
「部活に行きたくない」本音の私は内側に、「部活にやる気があり燃えている」メッキの私を外側に覆いながら出かけていくのでしょう。
いつも私は着ぐるみを着ている気分です。部活動大好きという薄っぺらい着ぐるみを。
その実、着ぐるみの内側は冷静で、ごくごく醒めているのですが。
放課後、生徒と黒板で方程式を。
私は現在、クラス担任をしている。
昨年度からもっている学年で、日に日に愛着が増してくる。
私はある教科の専門家であるという自負から、授業に力を入れている。
授業研究をしっかりと行っている成果で、生徒による授業のアンケートも上々の結果が出ている。
単純に教科書をなぞるのではなく、生徒の興味関心に応じた導入を工夫し、板書計画をしている。
授業研究はたいへんなので辛いことも多いが、生徒の輝く顔を想像しながら楽しんでやっている。
極論になるが、もっている教員免許は一つの教科の免許であるから、最低限授業さえきちんとやっていればいいのである。
そして、もちろん学力をつけて次の学年へ、そして次の高校へと進学させるのが我々の責務である。
これだけははき違えてはならない。
土日の部活動に没頭し、月曜日から体調を崩して休む教員がいるが、論外である。
それは自己管理の問題ではないか。
話を戻します。
日々の学校生活で、放課後になると生徒は部活動に行くことになる。
私は部活動の指導に行く前に、クラスの生徒の自主的な学習を支援している。
具体的には、中学校の早い段階で学習につまづいてしまった生徒に、家庭で問題集を解かせ、放課後に解説をするというものだ。
生徒については完全に自由参加なので強制はしていないが、いっしょに放課後に黒板を使って考えるとわかりやすいし、とても楽しい。
私の専門外である英語や数学(教科がばれそうですが 笑)でも何の教科でも教えるようにしています。
こういったときに、学生時分に塾や家庭教師でアルバイトしておいてよかったと思えます。
これから教員を目指す学生の方々、いろいろなアルバイトをしておいてください。どんなアルバイトでも将来の肥やしになりますよ。
いっしょに問題を解いていくなかで、「なるほど!こうやればいいんだ」という生徒の笑顔が好きです。
学習につまづいている生徒に手を差し伸べて、そしてそれを自信にしていく過程が手に取るようにわかるのです。
授業以外の場面で、教師冥利に尽きるというのでしょうか、うれしい瞬間です。
それでも部活動の指導にもいかねばなりません。
そしてそういった自主学習をする生徒にも部活動があります。
まだまだ解説をしてあげたいのですが、私も生徒も部活動へと散っていくのです。
「もっと時間があったら・・・」と思います。
学力をあげるという本来の目的は、授業以外の補充学習においてもなされるべきです。
特に、英語や数学を初期段階でつまづき、諦めている生徒にとってはなおさらです。
積み上げが大切な教科はなおさらです。
だけれども、そういった生徒は、その現状に気づくことなく自分の好きな部活動に没頭していく。
正直、「あなたは部活動をするよりも先に、英単語を覚えなさいよ」と思ってしまいます。
部活動はそりゃ大切です。
ですが、私のような学力を下支えする役割の教員がいてもいいのではないでしょうか。
実際、自主学習をしている生徒には好評ですし、保護者からも感謝の言葉をよくいただきます。
部活動へと手を広げすぎた挙句、生徒の学力が野放しの現状があると思います。
生徒の将来に大きくかかわるのは部活動もそうかもしれませんが、なによりも学力です。
部活動が教員にとっても生徒にとっても、「学習という嫌いなことから逃げて、好きなことだけをやる」という逃げ道になっていることが往々にしてある。
部活動は生徒の心のオアシスでなければなりません。
しかし、学校生活のすべてであってはならないと思うのです。
忌憚なきご意見をお願いします。
激論、戦わせましょう(笑)
平等=不平等?
更新が滞っており、申し訳ありません。
以前よりも、このブログへのアクセス数が増え、少しずつ部活の現状への認知度が上がっていると感じます。まあ、まだまだですが。
今回は、どの部活を担当しているかによって、負担度がまるで違うという話題です。
部活の顧問は、年度当初に部活担当教員が本人の意向を考えながら調整します。
実際は、全員の教員で全ての部活顧問をせねばならないのですから、無理やり決めることもあるわけです。
部活によって、その大変さは千差万別です。
楽なものは、吹奏楽部以外の文化部でしょうか。
例えば美術部。
いろんなケースはあるでしょうが、まず土日に活動することはありません。
平日もつきっきりということはなく、楽といえるでしょう。
あとは放送部。
部活が盛んかどうかにもよりますが、運動部の比ではないことが多いです。
吹奏楽部は、個人的にはとても大変だと感じます。
文化部といいながら、トレーニングは運動部なみ。
土日の練習も多く、保護者の期待も高い。
さらに、女子部員が多いので、トラブルも多い。
全国の吹奏楽部顧問の先生方、頭が下がります。
運動部は全般的に大変ですが、楽なものもあります。
それは中総体前にのみ活動する部活です。
つまり、水泳部・空手部などなど。
中学校には部はなく、普段は個人で活動しているが、中総体に参加するために学校の名を借りるという形のもの。
部活という形式上、顧問がつきます。
しかし、これらの顧問は期間限定であり、楽です。
しかも土日に活動することは、数少ないです。
部活は生徒の自主的な活動。
教員の部活顧問も、自主的な活動であり、ボランティアです。
であるからして、教員に労働の不公平感が生じてはならないのです。
しかし、現実にはありありとした不公平感がある。
なぜ同じ給料で、この有様なのか。
自分の気持ちとは関係なく、勤務時間過ぎても部活を指導し、夜遅くなってから本来の仕事をせねばならないのか。
楽な部活の顧問になった教員は、定時になると「お疲れ様でした」と帰っていく。
これが一年間続けられるのです。
これを不公平と言わずして何というのか。
教員の熱意だけでは、とても納得できない現実がここにあるのです。
管理職はきっと、「一部の人だけが顧問をしたら不満に思うだろう。だから、全員で顧問をさせよう」ということだろう。
その考えがオートマティックで、率直に言えば浅はかそのものだ。
一言物申したい。
「表面上の平等は、実質上の不平等を生む」
ということを。
現場はどんどん疲弊していく。
もちろん、私のような教員ばかりではなく、部活こそが生きがいで楽しくて仕方ない教員もいる。
それは分かっている。
だからこそ、「実質上の平等」をもたらされなければならない。
そのためには、全員顧問をやめることではないだろうか。
…もっとも、おそらく、これから簡単に部活制度が変わるとは思えない。
今年度中に自分の進退について考えるつもりです。
職を変えるのも負けじゃない。
そして、広い視野をもって広い空を飛ぶ者こそが、次のステージに行ける。
ご意見、愚痴、反対意見、感想、つぶやき、なんでも募集しています。
お気軽にどうぞ☆
部活の問題点を指摘する動画の紹介《YouTube》
マスコミが伝えていない部分をクローズアップして報道しており、とても嬉しかったです。
興味があればご覧ください。
http://m.youtube.com/watch?v=zyAZErKSajU#
悲しいかな、まだ再生回数が2000回と少ないです。
もっと再生回数が上がるといいと思います。
さあ、明日から新学期。
気合いを入れて日々を過ごしたいと思います。
追伸、このブログをきっかけに丁々発止の議論が生まれており、嬉しく思います。
もっともっと書き込んでください。
それが私のためになり、みなさんに貢献することにもつながります。
「中学校教員不適合者」
最近あたまをよぎるのは、この言葉です。
私は自分なりに授業をきちんとやり、学級経営も円滑にやり、また生徒指導もちゃんとやっているつもりです。
事務的な仕事も遅れることなく行い、提出物等の煩雑なものにも迅速に取り組みました。
だから、それなりに周囲からの信頼を集めているという自負があります。
しかし、部活の一点において、どことなく「中学校教員不適合者」と思ってしまうのです。
他の先生方が年末年始もなく部活に出て行く。
「すごいなあ」とは思うものの、「自分もああいう風に頑張ろう」とは露ほども思いません。
他の大多数の方がやっていることを、自分はやっていない。
こう思うと、肩身が狭いのです。
そして、そうしている自分は「中学校教員不適合者」ではないかと感じてしまうのです。
結果から言えば、決してそんなことはないのでしょう。
なぜなら、部活は本務ではないのだから。
あくまでも奉仕の域を脱しないのだから。
頭では分かっているのです。
でも、職員室で肩身が狭いのです。
部活生の前で肩身が狭いのです。
それだけなのです。
きっとそれだけの問題なのです。
きっとこれまでの諸先生方は、ある程度は部活問題について悩んできたことでしょう。
しかし、日々を過ごす中で、部活問題について思考し疲弊するよりも、何も考えずに部活に一生懸命取り組む方を選んだのだと思います。
その方が周囲からのウケもいい。
体力的には疲れるけれども、結果的には「楽」なのです。
私は、頑として部活問題を根っこから考えたい。
納得できていないことには、簡単に首を縦に振らない。
年末年始、予告していた通り、追加分の部活には行っていません。
それは私なりの意地であり、私なりのプロ意識であるからです。
なにも悪いことはしてない。
きっと、きっと、自分は間違ってない。
今年もお世話になりました☆
本格的に記事を書き始めたのは9月。
様々な観点から記事を書いたつもりです。
いろいろなコメントやご意見をいただき、考えることがたくさんありました。
共感しますという声、応援しますという声も多くあり、心励まされたことも多くありました。
まだ部活については考えることが多くあると思います。
多くの矛盾をはらみながら、今まで継続してきた制度ですから、変えるのは一筋縄ではいきません。
「考えることをやめないこと」、これが私の考えです。
自分と部活について、どうすればいいのかまだ考える必要がありそうです。
どうかみなさん、良いお年を。
そして、来年もよろしくお願いします^_^
年末年始ですから、どうかゆっくり心と身体を休めてくださいね☆
戦時中と部活動のあり方の類似性について
先日、映画「永遠のゼロ」を観ました。
内容は、第二次世界大戦の日本。そこでのゼロ戦乗りのお話。
超人的な飛行操縦術を持つ小隊長が主人公。
小隊長はすぐれた飛行技術をもっているにも関わらず、米機との乱戦になるといつも遥か上空を飛び、被弾を明らかに回避していた。
そんな小隊長を周囲の軍人は「卑怯者」・「国のために命を捨てることができんのだ」と陰口をたたき、非難する。
実は小隊長には愛する妻と、生まれたばかりの娘がおり、そのために「絶対生きて帰ることが大事なんだ」という信念をもった人物であった。
が、ある日、小隊長にも特攻隊の召集令状がやってきて・・・というもの。
あまり戦争映画は好みではないのですが、内容がどっしりとしていて、いい映画だったと思います。
みんな心の中では「命が大事なんだ、死にたくない」と思っていても、口が裂けても言えなかったんだろうなあ・・・と思いました。
言ってしまうと「非国民」と言われるのかな、上官からひどい仕打ちを受けるんだろうな、と考えると、つらかっただろうと思います。
いろいろ考えるところの多い映画でしたが、ふと自分の身の上を考えてしまいました。
つまり、「戦争における戦闘」と「公立学校における部活」の類似性についてです。
戦時中は戦争教育や情操部分の好戦的な教育もあり、国全体が「戦いに向かう」姿勢だったのでしょう。
だから、本当は戦争が嫌だと思っていても、絶対に口外できなかった。
命が大切だと思っていても、お国のために死ににいくことが美徳だったのです。
公立学校も似ています。
教員は昔から脈々と受け継がれてきた部活動のあり方と、諸先輩方の訓示により、学校全体が「部活動をすすんでやる」姿勢なのでしょう。
だから、本当は部活動の土日を休みたいと思っていても、絶対に口外できない。
自分の家族が大切と思っていても、部活のために、生徒のためにプライベートを割くことが美徳であるのです。
こんな風潮だから、息苦しいのかなと思います。
教員全員で、また生徒全員で部活をやろうとするから苦しくなる。
いろんな価値観が認められて然るべき時代。今は戦時中ではないのですし、選択の幅をもたせなければ。
私は「部活動をしたくない、自分の家族や自分の時間のほうが大切だ」と声高に主張して、「非国民」(この場合は非教員というのでしょうか)と非難されるのが、まだ怖いです。
だから、ある程度部活に行っています。
今年の部活はもう終わりましたが、来年からまた憂鬱な部分が大きいです。
米国に勝つという大きな目標のために国全体で動いていた戦争。
子どものために部活をするという大きな目標のために学校全体で動いている今の現状。
風潮が、雰囲気が、時流が、否応なく部活をする空気をつくりだしていると思います。
来年は、よい年になりますように。
願わくば、部活動が正しい方向へ進まんことを。
そして、みなさんが、心身ともに余裕をもって過ごせますように。
あと1回は年内に更新したいと思います(笑)
空気を読まない力をもつこと
会場準備の時間ぴったりに向かうと、会場には既に多くの顧問の姿があった。
必要な道具をてきぱきと指示して準備していく。
そして試合が始まる。
審判着を着て、きっちりとジャッジを下していく顧問。
自分のチームの試合でなくても、他の試合を見ながら試合状況について他の顧問と談笑する顧問。
生徒たちに今日の試合の内容について30分近く熱弁する顧問。
ベンチに入り、大きな身振り手振りを駆使して選手を鼓舞する顧問。
とにもかくにも、試合会場はただならぬ熱気を帯びていったのだった。
私は新人戦の駐車場係を命じられており、寒空の下、駐車場の整理を行った。
試合会場に行くといつも思うことがある。
私と他の顧問の、情熱のギャップである。
私は生徒が頑張ることはいいことだと思う。
勉強とは違う角度で生徒を見ることができ、新しい発見があるからだ。
その点は置いておいて、私にはどうしても部活にやる気が起こらない。
単なる苦痛でしかない。
それは私の専門分野ではなく、自信がないからだろう。
私にとっては、私の受け持つ種目の指導をすることは「生徒にアラビア語を教えなさい」という指令と変わらない。
つまり、指導ができないのだ。
「それならば、その競技について勉強すればいいじゃないか」という声もあるかもしれない。
その気概も起きない。
なぜボランティアのために、自費をはたいて関連書籍を購入し、審判講習会に赴き、作戦を練らなければならないのか。
私のプライベートの時間を奪わないでほしい。
だから私は、他の顧問とは違う、と感じる。
自分は、自分の土日という貴重な時間を侵されたくないのである。
それ以上でも以下でもないのである。
生徒のために云々、それは関係ないのではないか。
私たち教員には、それほどの自由も権利も与えられないのか。
公式戦になれば、とにかく試合会場に行かなければならないのか。
年末も、年始も、盆も、とにかく部活部活部活部活。
部活をガンガンやる教員を崇める風潮が悪だ。
私は年末年始は「空気を読まない」。
読めないのではない、読まないのだ。
空気を読むのであれば、周りに合わせて部活をするべきだ。
しかし、私は今回は信念を持ちたい。
当初の練習日以外はやらない。
のんびりするのが、私のマニフェストだ。
信念をもって、休みたい。
年末も、そして新年もだ。
続 ・ 年末の憂鬱
お久しぶりです。
前回の記事の反響がものすごく、コメント数に驚いています。
なんとか返信することができました。
コメントする方も、同業の方、来年から教員になる大学生、理解ある保護者の方、部活動が大好きな教員の方、などなど様々でした。
貴重なご意見、ありがとうございます。
話によれば、このブログもツイッターで話題とのこと。
ぜひぜひ拡散してください☆
さて、明日は終業式。
同業の方々、きっと苦労していらっしゃることと思います。
そう、通知表です。
私はなんとかすべて終えてきました。あとは生徒に渡すだけ。
だからこうしてブログ執筆ができるわけです(笑)
閑話休題。
以前に年末の部活動について書きました。
今回はその続編です。
私は某運動部の顧問です。ちなみにもう一人顧問がおり、その顧問は『専門』バリバリの教員。
その教員から「年末の予定、あなたの負担にならない程度に計画出しといて」と言われました。
私はいろいろと考えました。脳裏に様々な顔が浮かびます。
生徒の顔、保護者の顔、年末に変える実家の家族の顔、。そしてなによりももう一人の顧問の顔を。
逡巡した結果、「世の中の常識から考えて、また自分の常識と照らし合わせて決めよう」と心に誓いました。
それは以下の通りです。
〇 12月は、学校の仕事納めの日、27日まで練習。あとは休み。
〇 1月は、3が日(1日から3日まで)プラス2日間を休みとし、6日から練習。
といったものでした。
生徒にもそれでプリントを出しました。
なんとか自分の意見を通し、休みを決めたぞとほっとした矢先のことです。
一人の保護者からの電話。
「年末年始の練習日が少なくないですか?もっと練習日を増やしてください」
とのこと。
予測された事態ということもあり、私は自分の用事もありますから、となんとかかわしました。
しかし、まさかの展開に。
もう一人の顧問から、「これじゃ練習が少なすぎるから、ほかにも練習日を増やそう」という言葉。
「増やした日の練習は、自分が指導するから」ということでしたが、年末は12月29日まで練習に変更になりました。
1月は4日からずっと練習。
つまり、お休みは12月30日・31日・1月1日・2日・3日の5日のみに変更になってしまいました。
12月29日まで練習。そして1月は4日から練習です。
ほかの部活動の練習予定も見てみましたが、概ね似ているものでした。
そんなに年末も年始も部活動をしなければならないのでしょうか。
もう一人の顧問は言います。
「生徒は12月は30日・31日だけ休ませれば、それで十分だろう。1月も4日からしないと体がなまっていく」と。
学校の仕事納めの日から部活動を休みにして、何が悪い。
3が日プラス2・3日を部活動休みにして、何が悪い。
もう一人の顧問も、保護者も、生徒も、そんなに部活動をしてほしいのでしょうか。
私には、年末に十分休む権利すらないのでしょうか。
もう一人の顧問は、私よりも年上です。
だから、その決定には従わざるを得ません。
生徒にとって、年末年始に実家に帰って家族団らんをしたり、年賀状を書いたり、一年の計を立てたりすることは大事ではないのでしょうか。
この寒い中、グラウンドや体育館に行って、部活動に励むことがそんなに偉いことなのか。
今から憂鬱の一言です。
私は世の中の常識、自分の中の常識と照らし合わせて計画したつもりです。
しかし、部活動という狭い枠の中の常識としては、それはサボタージュとして捉えられるようです。
追伸、追加された練習日は、私は行かないと決めています。
もう一人の顧問に任せて、逃げ散らかそうと思います。
それが、私の主張です。
通知表の作業の合間、部活動の指導の休憩中にでも、当ブログをご覧ください。
そして「あるある」と共感していただいたり、「そんなこともあるの?」と不思議に思ってください。
さあ、明日は終業式。
願わくば、生徒のはじけるような笑顔に出会えることを。
ブログへのアクセス急増中 (月間アクセス数6000超)
前回の記事では、21連勤が決まってしまったという報告をしました。
その後、なんとか日曜日を休みにし、21連勤は阻止することができました。
みなさん、ご心配をおかけしました。
話は変わりますが、このブログの反響はものすごいものがあります。
毎日全国からアクセスがあり、平日は平均して230アクセスほど。
休日は300を超えるアクセスがあり、最高のアクセス数は570ほどです。
月間アクセス数は6000を遥かに超え、どんどん記録を伸ばしています。
同じ思いを抱えている同志がいるのかもしれないな、と思わざるを得ません。
いつもご覧いただき、感謝です。
忙しい勤務が終わり、部活に行かなければならないみなさんが、少しの空き時間にこのブログをご覧になっていることを想像します。
このブログをご覧になっている方の中には、いろんな方がいらっしゃると思います。
そして、部活への思いもさまざまでしょう。
いろんな価値観があっていいと思うのですが、それをなかなか発言できない環境があります。
もし、よろしかったら、短くてもコメントを頂けると、さらに考えを深めることができると思います。
お暇でしたら、コメントよろしくお願いいたします。
どんどん冬の寒さが厳しくなります。
グラウンドで、体育館で、風邪などひかれませんよう。
お互いに、頑張らず、頑張っていきましょう☆
ブラック企業か?めでたく21連勤突入。
それは県規模の大きなもので、県外からも見学者が大勢来ていた。
朝早くから授業があり、協議会、研究発表、講演と、内容も盛りだくさんであった。
授業はもちろんよく練られたものであり、また生徒もよく頑張っていた。
指導案やワークシートなども、流石の仕上がりだった。
私は素直に感銘を受け、「すごいな、こういう授業をしてみたい」と思った。
そして、そのやる気が腹の底から湧いてこようとしたとき、そのやる気の温度は急激に下がっていった。
その理由。
その理由は、こういう疑問である。
「その授業に必要な授業研究を、いつやれるのか?」
ということだ。
大掛かりな準備、電子黒板を用いた授業。
それらのためには授業研究が必要だ。
だから畢竟、時間が必要になる。
しかし、現状は…。
毎日の授業で手一杯。
生徒指導にてんやわんや。
学級経営に四苦八苦。
だから、授業をゆっくり考える余裕がない。
だから、土日の間に授業研究をしようとすると、立ちはだかるのが部活動。
土日さえも埋められてしまい、あとはチェックメイト。
月曜へと、振り出しに戻る。
これを年中繰り返しているのだから、授業の質が上がりにくい。
いや、授業の質を上げようとさえしていない教員もいるか。
私が言いたいのは、ブログ立ち上げから一貫しているが、土日には私を仕事から解放してほしいということ。
そして、その土日に授業研究をゆっくりしたいということ。
さらに、その過程がうまくいっていれば、月曜から始まる一週間にも余裕が生まれるということ。
これは悲痛な叫びだ。
ただし、叫びを上げようとすると、口を塞がれる。
部活が大好きな教員が、大きな地位を占めているのだ。
そんな変な現場が、いまの職員室だ。
明日と明後日も、部活。
このままいけば、めでたく21連勤。
ブラック企業も顔負けだ。
ブラックどころか、暗黒だ。
明日は練習試合。
練習試合会場に、7:30着である。
普段の勤務開始より早い。
そして終わるのは勤務終了と同時刻。
だれが間違ってますか?
私が仕事をサボってますか?
子どもが好きなら、年中休みなしでやれますか?
同業者の方々、テストの採点や成績処理にお忙しいとは思いますが、コーヒーブレイクのお茶受けにでも読んでください。
そして気が向いたら、なにか書き込んでみてください。
愚痴でも、私への批判でもなんでもかまいません。
ちなみにコメント返信率は100%です(笑)
お身体、ご自愛くださいね☆
リーガルハイ第7話と、中学校教員の関係
ご覧になっていますか?
堺雅人演じる金第一主義の最強弁護士と、新垣結衣演じる正義感あふれる新米弁護士のコメディタッチの裁判ドラマです。
このドラマが好きで、毎回見ています。
立て板に水を流すようなセリフ回しやキャラクター設定もさることながら、特筆すべきはその内容。
隣人トラブルや整形手術など、さまざまなトラブルが起こるのですが、その裁判内容に深く考えさせられるのです。
そして、先日の第7話。
伊東四朗演じる天才アニメーション監督が、その制作スタッフたちを劣悪な労働環境に置き、酷使する。
その末に、スタッフの一人が蒸発してしまい、心的身体的な疲労を裁判で訴えるという内容でした。
ネタバレになるので内容の核心は伏せますが、話の最後で堺雅人演じる古美門弁護士は言うのです。
「一人の天才の崇高な業績のためであれば、周囲の人間の労働条件などは些末な問題であり、その偉業に尽くせるのであればそれが本望ではないでしょうか」
セリフは私の聞いた概要ですので悪しからず。
それを聞いて私は、確かに、とうなずいた。
偉大な仕事を成し遂げる天才や思想が核にあり、それを成し遂げるためのピースとして、そのための手足として、周りのスタッフを動かす。
たとえ劣悪な環境であっても、本人が偉業達成のためであれば、本人がそれを望んでいるのであれば、それも可とするのだと。
また、私は考えました。
中学校教員も、似て非なる労働環境だということ。
中学校教員は、「子どもを育てる」という崇高な理想のもと、業務に日々当たっている。
皆が皆、それを自覚し、教育公務員としての職務を全うする。
劣悪な労働環境であろうと、崇高な業務のためなら何とやら。
平日夜遅くでも、土日両方でも、朝早くからでも、いつでも仕事をしましょう。
なぜなら、すべては「生徒のため」
この「生徒のため」という紋所が出てしまうと、中学校教員は途端に弱くなる。
さながら水戸黄門に出会った悪代官のように「ハハー」と、勤務に従わざるを得なくなる。
ここまでは、リーガルハイの条件と似ています。
違うのは、「生徒のため」に部活動が純粋に良いことなのかを疑う余地があること。
リーガルハイの件では、アニメ制作プロダクションとして、「素晴らしいアニメーション作成」が目的なのです。
だから、ほかのことは余談でしかない。
ただし、中学校教員にはいろんな考えが存在していいと思う。
「部活動絶対論者」がいてもいいだろう。
一方で「部活動猜疑心教員」がいてもいい。
そして私のような「部活動全員顧問制度反対論者」がいてもいい。
だからこそ、この劣悪な労働環境を訴えていかなくてはならない。
リーガルハイのように、スタッフが蒸発してしまうその前に。
心の中に、疲労という名の澱がたまっていかないように。
先週土日が両方とも部活であり、今週末も土日両方とも部活です。
まさに切れ目ない勤務が続きます。
今週日曜日は、なんとかして一日フルで休む所存。
潤沢な金さえあれば、古美門弁護士を雇って、部活動制度の矛盾を法廷で争うのに。
などと、過激なことを考えてしまう疲れた筆者でございました。
敬具。
マスコミさんは、部活が大好きですから
高校の野球部、つまり甲子園は言わずもがなである。
サッカーにしても、やたらテレビで熱をあおる。
吹奏楽部やマーチングバンドにしても、テレビ番組で密着してまで熱をあおるあおる。
さらにはロボット甲子園や書道パフォーマンス、百人一首やダンスなどなど、その数は枚挙にいとまがない。
確かに、若者が青春を謳歌し、全身全霊をかたむける姿は感動を呼ぶ。
そして、人々を勇気づけ、国民の活力になる。
それは分かる。
重々分かる。
むしろ、私はベタな若者の青春ストーリーを好きな方である。
映画「ピンポン」や漫画「スラムダンク」など大好きである。
しかし、である。
マスコミは部活のプラスの部分のみを映し出すことばかりする。
「若者はこんなに部活に燃えているんですよ」
「学校をあげて、国をあげて、部活に燃えているんですよ」
といった具合だ。
マスコミは、盛り上がる対象があればそれでいいのだ。
私が要望するのは、部活の問題点も同様にマスコミに取り上げてほしいということだ。
若者が青春を捧げることができている裏には、教員の時間も捧げているということ。
教員の中には、自ら進んで自分の時間を捧げることが嫌な教員もいること。
さらに、教員の中には、部活が原因で心の病になったり、離婚したり、夫婦不和になったりした人も、少なからずいるということ。
そういった、部活の負の側面には、ほとんど触れてくれない。
だから、学校の教員のすべてが、諸手をあげて部活に賛同しているという都市伝説を生んでいるのだ。
もっと、みなさん、現実を見てほしい。
土日が来るたびに憂鬱になる教員もいるんです。
できれば、やりたくないんです。
でも、やらざるを得ないんです。
そして、それが原因で、転職を考え始めている教員もいるんです。
私です。
マスコミのみなさん、このブログに気付いたら、少しでも「こりゃいかんぞ」と思ってください。
現状を知ってもらえることが、今後を変えるかもしれない。
部活動の問題点13 土日を管理しない管理職
つまり、勤務に関する監督をし、その責任を負う役職だ。
現在部活動は、土日休み関係なく行われていることが多い。
年度当初に職員会議が開かれ、全員が顧問を割り当てられることが多い。
部活動担当という校務分掌もあり、その担当者は部活動の管理を行う。
勤務時間は設定されているが、その時間外に部活動の終了時刻が決められている。
つまり、部活動はボランティアと口では言いながら、実質上は間違いなく勤務なのである。
実質上は勤務なのに、土日の部活動に管理職などが来たためしがない。
実質上は勤務であるが、土日の管理は管理職はしないのだ。
生徒に万が一の大きな怪我があったとしても、その責任は管理職はとってはくれない。
ここがとっても狡猾なところなのだ。
実質上勤務だが、制度上勤務ではない。
勤務ではないから、顧問が自分の意思によってやっている部活ということになる。
であるからして、管理職が管理責任を問われないということだ。
こうやって論理的に考えていくと、今の部活動制度がおかしいことがよくわかる。
結局は行き当たりばったりの、なあなあの、昔ながらの制度が未だに脈々と受け継がれているのである。
管理職は見て見ぬふりだ。
そして、疲弊していく教員たちに「なるべく早く帰宅しなさい」と促すのだ。
その気持ちはありがたいが、物理的に不可能だ。
何せ土日がないのだから。
土日にできない仕事を、平日でさばかなければならないのだ。
管理職にそういういたわりの気持ちがあるならば、制度を変えてほしい。
それが本当の意味での私たちへのいたわりの行動だ。
この制度がおそらく全国的に継続されているのだから、末恐ろしい国ということになる。
同僚 「年末、いつまで部活するよ?」
明後日から、通常の部活が始まる。
もちろん、土日も。
冬を迎え、新人戦の季節がやってきた。
運動部各部は、新人戦に向けて必死に練習をする。
私が受け持っている部活も、同じだ。
もう一人の顧問により、今週さっそく土日両方とも試合や練習試合がいれられた。
今から憂鬱で仕方が無い。
閑話休題。
冬休みの部活練習について、計画を練っていたところ、他の部活の顧問の会話が聞こえてきた。
「12月、いつまで練習する?」
「30日まで。どうせすることないし、部活した方がましだろう」
「じゃあ年始は4日からしようか」
といった具合だ。
部活大好き教員というのは、土日の部活自体が趣味なのだ。
だから、ヒマな時間があれば、部活をしたいということになる。
それは年末でも年始でもおかまいなしだ。
ある意味、羨ましいと思う。
しかし、全員が全員、そういう人間ではない。
そういう状態に、「勤務」として嫌々付き合っている人間も大勢いるのだ、きっと。
私は、ヒマな時間は、自分のために使いたい。
家の洗濯物もきれいに洗いたいし、干したい。
買い物もしたいし、部屋の模様替えもしたい。
土日のうちだからこそできる授業研究もしたいし、たまっている生徒の提出物もチエックしたい。
たとえば土日に部活があると、それに時間を割かなくてはならず、当然ながら他の活動はできなくなる。
そして、月曜が始まる。
当たり前の休みをください。
それ以外に、何の不満もありません。
給料が減らされていくことも、勤務時間を超えて勤務があることが日常茶飯事なのも、理不尽な保護者から罵倒されることも、生徒指導で日付をまたいでしまうことも、すべて飲み込んでいる。
それは、それらが仕事だからだ。
仕事だから、乗り越える。
それこそ、給料をもらう者の務めだからだ。
部活は、やっぱり、私には納得できない。
こうやってブログに書き込んで発信することしかできないのが辛い。
みなさん、どうにか、この冬乗り越えましょう。
年に数回の、純粋なお休みの日。
つまり純粋な休みとしての休みである。
貴重な休みだった。
朝、なにも考えずにゆっくり寝ていられる。
普通の休みが年に数回しかない。
そう考えたら、この現状が異常だということがお分かりだろう。
土日の部活動さえなければ、といつも思う。
全国の部活動の顧問の方なら、一度は思ったことがあるだろう。
土日の間に季節遅れのコスモスを見て、真っ盛りの紅葉を見て、のんびりと時間を過ごし、これが本来の休みなんだな、と改めて思った。
私が中学校教員をやめなければならないと思った理由はここにある。
つまり、他の部活動大好き教員の方々は、部活動がある土日が日常なのだ。
部活動がない土日は非日常なのだ。
そしてその日常以外は、土日のパターンとして考えられないことなのだ。
非部活動大好き教員の方々は、誰に話しても改善される見込みがないことなので、誰も言わなくなってしまったのだろう。
そして、ズルズルと部活動をやり過ごしてきたのではないか。
今週末で部活動休止期間が終わる。
また部活動のある土日が始まる。
嫌な思いを抱きながらも試合会場に向かわなければならないのだろう。
そして生徒の前では、先生を演じながら、やる気のある顔をしなければならないのだろう。
何が正解で、何が不正解なのか。
この現状に疑問を持つ、それ自体がやったらいけないことなのか。
せめて部活動休止期間が終わるまで、早めに家に帰ろう。
ささやかな、ささやかな願いである。
部活指導は教員の仕事?(友達の教員の考え)
テーマは専ら、部活動にどう向き合っていったらいいかということだ。
その中で、ある中学校教員の友達の考えが印象的だった。
それは、
「教員は教え育てるのが仕事。つまり、本務の第一が生徒指導であり、生徒指導という大きなカテゴリーの中に教科指導・学級経営・部活指導があるのだ。だから部活指導も本務の一環であり、生徒のために仕事として取り組むべきだ」
というものだった。
確かに、と思う部分もある。
部活指導が独立した分野ではなく、部活指導は生徒指導の一翼を担う分野であること。
そして、言うまでもなく、部活指導は生徒にとって有意義な部分があるということ。
そして、その友達の教員は、一生をかけて部活指導を続ける覚悟だそうだ。
正直、すごいと思った。
でも、と思う。
確かに生徒指導の一環として取り組む意義はあると思う。
しかし。いや、だからこそ、きちんとした制度がないといけない。
その友達の教員は、その矛盾した制度さえも飲み込んで、部活に邁進するのだそうだ。
立派だと思う。
だけど私は、この曖昧で、教員のプライベートを全く考えていない制度が気にくわない。
ずっとこんなもやもやを、かかえていくのは御免だ。
なんでこんなことに悩んでいるのだろう。
部活指導できないと、それはもはや中学校教員失格ということか?
世の中の認知は、部活指導までが中学校教員の仕事だと思う。
あくまで、私は、自分の信念は曲げない。
頑なで、そして融通が効かないと思われるだろう。
でも、制度としておかしいのだ。
勤務時間外に、ほぼ無償で、ほぼ義務としてやらねばならぬのだ。
前述の通り、生徒指導の観点からは必要かもしれない。
ただし、私は一生を費やして部活に付き合って行く気概はない。
断定する。
私には、そんな気概はない。
そして、この嫌いな部活顧問制度のまま、心をごまかし続けることはできない。
やはり、私は中学校教員を辞するしかないのだろうか。
もう辞める決心は、ほぼ固まりつつある。
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審判、どこ見てんだ!
例により、朝7:30から移動開始。
もちろん、交通費は自腹。
移動中の事故があっても、何の手当てもない。
私はいま、ある運動部の顧問である。
詳しくは書かないが、接触プレーのある競技である。
顧問であるからして、生徒同士の試合の審判もしなければならない。
これが、なかなか大変なのである。
審判、といっても、ライセンスや免許を持っている人など、ごく一部。
あとは私のように、プレーはかじったことがあるものの、審判はしたことがない、初心者審判ばかりである。
しかし、生徒や保護者の前では、初心者審判などと言っている場合ではない。
審判着を着て、笛を首にぶら下げて、シューズを履いて、走り回る。
休日の、朝早くから。
この時点で、とてもしんどいのだ。
部活大好き教員でない人には、この気持ちを共感していただけることと拝察する。
とりあえず、一生懸命に審判をする。
汗水垂らして、審判をする。
しかし、どの競技にも、口汚い保護者や顧問はいるものだ。
「審判、どこ見てんだ!」
「今のはどう見てもファウルだろう!」
…勘弁してよ。
こっちはその競技の専門家でも何でもない。
ただ、ある教科の免許を持つ、教科指導の専門家なのだ。
勤務でもなく、勤務時間外に、休みの土日に、わざわざ遠方まで、しかも自腹の交通費で、給料は出ないのに、自分のプライベートを潰してまでやっているのに、
「審判、どこ見てんだ!」
である。
そのときに、やっぱり部活なんて糞くらえと思う。
部活指導にあたる教員の、一体何%が「自ら望んで部活をする教員」なのだろう。
なにが悲しくて、ボランティアの部活指導で、不快な思いをしなければならないのだ。
私は思う。
そんな口汚い保護者や顧問こそ、
「お前、私たちの頑張りのどこを見てんだ!」
と。
きっと、裏の事情なんて、全く知らないのでしょう。
みんな、全ての教員が嬉々として部活指導をしていると思っている。
この現実を全体に伝えずに逃げている教育委員会や国が、諸悪の根源だ。
改革が起こり、その時こそ、教育委員会や国に「審判」が下るはずだ。
願わくば、このブログにより、部活指導のリアルが、一人でも多くの方に伝わりますように。
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中学校教員、辞めます。
ずっと部活動のことを考えてきました。
授業準備をしなければならないのに、部活の時間が来たから平日勤務時間外でも指導に行かなければならない。
月曜日から金曜日まで、勤務時間など関係なく必死で働いたのに、土日も部活があるから休めない。
土日に授業研究をできないから、月曜日からの授業の内容は、いつも自転車操業。その場で考えて授業をしてしまう。
土日も部活があり、生徒の目がある。だから、いつも「先生」でいなければならない。だから、オンとオフのスイッチが麻痺する。
年度当初に、全員顧問制であるゆえに、部活の担当が割り振られる。担当になってしまうと、もはや「勤務」になってしまう。保護者も、「その部活の専門家の先生」として接してくる。
だから、土日も行かなくてはならない。
さらに、職員室でこの件について相談できる人はほとんどいない。
管理職など、特に相談できる相手ではありません。
このままジリ貧なのは嫌です。
平日で疲れて、土日で気疲れする連鎖を切りたいと思います。
公立中学校の教員を辞めます。
担当学年の関係もあって、来年度までは続けますが、その後は辞める予定です。
辞めたあとは、他府県に異動して、小学校の教員になりたいと思います。
自分のやりたいことは、子どもを育てることです。ですが、今の中学校の部活動顧問制度には納得がいきません。
どんな理想や情熱があっても、このまま仕事を続けていくのは、私の本意ではありません。
自分の一生を見据え、小学校の先生になる道を選びたいと思います。
来年度まで、つまり今年と来年は中学校の教員です。
しっかりと本務を全うしながら、部活とうまく付き合わなければなりません。
そして、来年度の終わりまで、このブログを通じて、部活動制度をどうしたらいいか考えようと思います。
ただ、やっぱり、残念ながら、20年先も50年先も、この部活動制度は変わらないのではないでしょうか。
なんだか、制度に負けた気がして、そこだけは癪です。
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校内研修は、ハリボテのビルと一緒
よく「授業力アップの研修」、「メンタルヘルス研修」などが校内研修の一環で行われる。
授業後、帰りの会を済ませて、なんとか勤務時間内に行われる。
1時間前後の時間をとり、まあそれっぽいことをやるのである。
私は型通りの研修を受け、いつも思う。
「こんなもん、意味がない」と。
「根本的な部分から変えないと、枝葉だけいじくっててもしょうがない」と。
「授業力アップの研修」を年に数回受けて授業が飛躍的に上がるとは思えない。
現場の教員に足りていないのは「授業力アップの研修」でもすぐれた指導書でもない。
【時間的・精神的・物理的なゆとり】である。
朝も早くから部活動、そして授業、学級経営、生徒指導、校務分掌。
なんとか1週間を切り抜けても、土日も部活の試合や練習で休む暇さえ与えてくれない。
教えてくれ、どこのどの場面で授業研究ができる?
わずかなプライベートの時間も削れというのか?
そんな根本の【時間的・精神的・物理的なゆとり】を与えないままに、「授業力アップの研修」などをやるのである。
【時間的・精神的・物理的なゆとり】がなければ、授業はよくならない。
ゆとりがなければ、「授業研究するぞ!というやる気」も、「生徒を引き付けてやまない導入のアイディア」も、「生徒に分りやすいビジュアル化した掲示物」も生まれないのである。
そんな状態で「研修はやりました」と教育委員会に報告したところで、まさにやっつけ仕事。
研修の時間に、英気を養うために寝ているほうがよっぽどマシだ。
月曜から日曜まで、フルスロットルに生活をし、いつも頭の中には仕事でいっぱい。
1週間のサイクルを終えても、エンドレスリピートが繰り返される。
だから、うつ病などのメンタルヘルスに問題を抱える人が増える。
当然の帰結というものだ。
ゆとりがないのに、「メンタルヘルス研修」などしても意味がないのだ。
むしろ「メンタルヘルス研修」の時間が、教師のゆとりをうばっている皮肉な結果である。
教育委員会、および現場の長は、この単純な図式をなにも分かっていない。
または、分ってはいるが、見て見ぬふりを続けている。
いじめにおける「傍観者」となんら、変わらないといえる。
生徒の学力アップ、教師の授業向上・メンタルヘルス向上のために必要なのは、ゆとりだ。
だから、これからはゆとりを生み出すための、抜本的な改革が必要だ。
これだけゆとりがない状況で、さらに給料も減っているのである。
モチベーションの「モ」の字もなくなるというものだ。
教師がただただ黙っている時代は終わりなのかもしれない。
だんだん書いていくにつれて、いらいらしてきました(苦笑)。
寝ます。
良い夜を。
願わくは、みなさんの夢が素晴らしいものになりますように。
PS.いつもコメントありがとうございます。
みなさまのコメントがブログ継続の原動力です。
愚痴でもいっこうにかまいません。
どんどん愚痴りましょう。
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部活動の問題点12 試合中、暴言を吐く顧問の存在
私が部活動に違和感を感じるのは、報酬の面だけではない。
今回は、報酬以外の面の話である。
教師という職業は、まぎれもなく「聖職」である。
まだ何色にも染まっていない子どもを、良き方向へ導く重大な任務を背負っている。
であるからして、教師は子どもに対して、行動面や態度面に細心の注意を払わねばならない。
程度の差はあるだろうが、子どもを無意味に傷つける行動や態度は無用である。
そして、子どもを指導する際の発言についても然りである。
しかし、その発言の質や内容について、治外法権の場所がある。
それが、部活動である。
他校に行って練習試合や公式戦がたくさんあるが、その中で気になる発言が多々ある。
「お前は馬鹿か!」
「お前なんてこの部にはいらないんだよ!」
顔を真っ赤にした部活顧問が、生徒に罵詈雑言を浴びせる。
生徒は真剣な眼差しでそれを聞く。
ときには、生徒は涙を流しながらのこともある。
私はこのシーンが、死ぬほど嫌いだ。
普段の学校生活では、「他人を気遣って発言をしよう」・「周りの人を傷つけないようにしよう」とお題目を上げているにもかかわらず、部活の試合現場では、これが日常茶飯事なのだ。
人権学習なんて、ちゃんちゃらおかしい。
上述したものなど、まだまだ生ぬるいものであり、もっとひどい発言もある。
きっと顧問はこう言うに違いない。
「試合に勝つためには仕方がない」と。
・・・本当にそうか?
そこまでして、普段の学校生活の指導の方針を無視してまで、生徒に暴言をしてまで、勝ちにいかなければならないのか?
部活の本来の目的から逸脱してはいないか?
そして、そういったタイプの顧問ほど、部活にやり甲斐を感じており、試合現場でも偉そうに踏ん反り返っているのである。
正直、もう疲れました。
そんな顧問の先生達を見るのも、そしてそれに付き合って自分もそのスタイルを踏襲するのも。
もう部活はやめてやる。
そのための方法を考える日々です。
PS. 生徒に暴言を吐く部活指導スタイルは、きっと保護者の心象もよくないはず。
どうか、保護者の方々もご意見をお聞かせ下さい。
それとも、こんなことに疑問を抱く私の意識が、「常識」から外れているのでしょうか?
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今朝の朝日新聞、読みましたか!?
そこで、ある発見があった。
本日付けの朝日新聞にて。
長野県教育委員会が、部活の朝練習について見解を発表した。
以下は、その新聞記事の抜粋である。
【同県によると、中学校で運動部に参加する生徒の比率は全国の66%に比べて同県は59%にとどまる。県教委は、スポーツ医療関係者や体育教師らで「適切で参加しやすい運動部」を目指す検討委員会を設け、昨秋から各中学校に示す基準案を検討してきた。
21日の会合で示された基準案には「食事と睡眠、生活リズムを考慮し、原則として、朝練習は行わない」と明記。「完全休養日を週2日以上」「勝利至上主義に偏らず、生徒のニーズを生かす」なども盛り込んだ。】
簡単に言えば、
【朝練習は行わないと明記】
【完全休養日を週2日以上】
【勝利至上主義に偏らない】
とのことだ。
朝日新聞紙上でこの記事を読んだとき、
「こういう時代がくるべきだ」
と実感した。
もう、雰囲気だけで朝練習や部活をやるべきではないのだ。
そして、盲目的な勝利至上主義に走る部活だけでは、生徒へのデメリットも大きいのだ。
しかし、よく記事を振り返ってほしい。
そこには大きな壁が立ち塞がる。
記事には、
【原則として】
という前置きが示されている。
公立中学校の部活において【原則】ということばほど、効力を発揮しないものはない。
「あくまで原則だから、うちの部活だけは原則を破ってでも朝練習するんだ」
「あくまで原則だから、勝利にこだわって土日も一生懸命練習します」
というような事態にきっとなる。
いや、必ずと言っても過言ではない。
【原則として】は、原則、破られることが多いのである。
教師各位が、部活について客観的に見つめ直し、この【原則】を守り始めたとき、部活の改革が始まる。
朝練習も効果は薄い。
そしてなにより教師の勤務時間外であり、ボランティアであるのだ。
まずは長野県教育委員会に敬意を表したい。
そして、この報道ついて、みなさんの意見をお聞きしたいと思います。
10月とはいえ、まだまだ暑い時間帯もあります。
全国の教師の方々、どうか心身ともにご自愛ください。
そして、日々の教育に勤しみましょう。
そして、自分自身のプライベートも楽しみましょうね☆
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「気まずさ」包囲網
土日、二日とも試合だった。
その間、部活の指導は、もう一人の顧問がやっていた。
家で休みながら、布団の中で申し訳ない気持ちになった。
誰に申し訳ないかというと、第一に、もう一人の顧問にである。
第二に、部活の生徒にである。
今朝、もう一人の顧問と職員室で顔を合わせづらかった。
部活の生徒と、廊下ですれ違うのが気まずかった。
が、
ふと気付いた。
なにも、根本的には気まずくならなくてもいいのだ、と。
本来、責任ある仕事ではないのだ、と。
今までの点がつながり、線になった。
全員にくまなく顧問の任を負わせることで、もしあなたひとりが指導をしなかったら、この「気まずさ」を味わうという脅しなのだ。
とにかく、この気まずい雰囲気が苦手なのだ。
私も、そしてあなたも。
だから、嫌々ながら休みも学校に行ってしまうのだ。
今週末、なんとかかんとか、部活を休みたい。
体調も芳しくないし、部活以外に、分掌の仕事の山場が待っている。
もう一人の顧問に話して、根本的な部活へのやる気のなさ、部活への猜疑心を理解してくれるだろうか。
話したとして、それも、気まずい。
話さないとして、部活に行かないのも、どちらにしても、気まずい。
「気まずさ」とモラルと、その場の空気に流されていきそうだ。
なにが最良の選択か。
その選択を迫られている気がする。
この生活を50代まで続ける気は、毛頭ないからだ。
ps. 体調は、少しはよくなりましたよ。
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お・も・て・な・し (おもてなしの精神)
夜1時ごろ、終了。
そして、今朝の部活は試合なので、学校に6:50集合である。
必死に起きて学校に行ったのだが、頭痛がひどい。
熱もあるようだ。
学校に着くと、もう一人の顧問が嬉々として部活の準備を進めていた。
私は発熱していることを告げ、今日の部活を休んだ。
もう一人の顧問は、私のことを気にかけてくれており、
「具合を治すのが大事だから、早く治してね」
と言った。
月曜から金曜までフルで働いて、大きな学校行事もあり、その飲み会もあった。
その次の日に、つまり休みの日の時間外の早朝に部活に行かなくてはならないのである。
休みの日の時間外の勤務、しかも報酬はゼロに近い。
これでは、頭も痛くなるというものだ。
正直、身体が悲鳴を上げている。
しかも、今日だけでなく、明日も部活をするらしい。
「日曜はやめませんか」
と勇気をもって提案したものの、
「自分が指導するから、いいよ」
と却下された。
日曜も、もう一人の顧問に甘えて休んでいいんだろうか。
それとも、日本人らしく、歩調を合わせて部活に行くべきか。
最近思うのは、もっとズル休みしていいのではないかということだ。
目の前の子供のために、自分のプライベートを犠牲にして、さらに自分を痛めつける必要はない。
明日も、可能なら、一日プライベートを楽しみたい。
閑話休題。
東京オリンピック招致で一躍有名になった「おもてなし」。
確かに「おもてなし」の精神は素晴らしい。
「もてなし」に丁寧な意味の「お」をつけたものである。
異説には、「表も裏もない、おもて無しの奉仕精神」というものもあるそうだ。
教員は、過度な「おもてなし」をしている。
目の前にいる子供のために、強制ボランティアをされている。
部活という「おもてなし」をやりたい教員が多いのだ。
教員は聖職だ。
だから子供のために何かしらやりたい、という気持ちは分かる。
ただ。
教員にもプライベートが存在する。
「表も裏もない」のではない。
「表も裏もある」のである。
裏、つまり自分の時間が切迫され、精神的に追い詰められていく気分だ。
この現状を、見て見ぬ振りをし、「生かさぬように、殺さぬように」働かせている国や教育関係者を激しく憎む。
私は、過度な「おもてなし」はしない。
たとえ部活に、どんな教育的効果があろうと。
風邪で寝ている、布団の中から。
みなさんも、どうかお身体と心を御自愛ください。
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誰にも嫌われたくない人のバラード
今週末には大きな学校行事が控えている。
その日の夜には、その打ち上げとして飲み会も控えている。
しかし土曜日には一日中、朝から部活が控えている。
さらに、日曜日にも部活を朝から入れようと、もう一人の顧問が提案をしてきている。
そして来週一週間が控えている。
とにかくもう、何が何だかわからないが、とにかく予定が控えているのである。
控えまくりである。
もう少し予定が控えるのを、控えてほしい。
花金の飲み会の中でも、きっと次の日の部活の朝の時間が気にかかる。
万が一、朝、車を運転して行って警察に引っかかると、飲酒運転の疑いがある。
公務員の飲酒運転には、人一倍厳しい時代である。
だから一週間の苦労をねぎらう飲み会でも、自分なりに加減をして、酒を飲まねばならない。
最初から加減をして酒を飲む飲み会など、楽しいものであるはずがない。
そしてその次の日曜日も、朝から部活がある。
とにかく勤務の切れ目がないのである。
今から気が重いのである。
この想いを、誰かにぶちまけたいのである。
何とかせめて、日曜日の部活だけは回避したい。
一週間、つまり七日間のうち、全く学校に通わない日を作らなければ、気持ちがリセットされない。
かくなる上は、明日朝一で、日曜日の部活のキャンセルを、もう一人の顧問に打診する所存である。
今のうちにそれを覚悟しておかなければ、純然たる日本人である私は、空気を読みすぎるあまり、言えない結果に終わる可能性大なのだ。
こんな、些細だけど切実な、部分的だけど普遍的な気持ちになっている中学校教員は、全国どれぐらいいるのだろうか。
同僚の教師にも「怠け者!」と嫌われたくない。
部活の保護者にも「サボってる!」と嫌われたくない。
管理職にも「やる気がない!」と嫌われたくない。
嫌われたくないあまり、自分のプライベートを費やして、自分の家族や交際相手から嫌われてしまうのもいとわない教員が多いのではないだろうか。
そして、そうなりつつある自分が嫌いである。
明日の朝、気合をもって、日曜日の部活を回避する。
こんな些細な宣言でさえ、沢山の心の労力が消費されるのだ。
続報を待て。
些細だけど切実な、部分的だけど普遍的なストーリーである。
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透明人間のひとこと
強いていえば、着色人間というところか。
授業研究やちゃんとした授業の実施は、言うなれば透明人間なのだ。
いかに時間を割こうが、いかに生徒といい授業を作り上げていようが、誰にもきちんと評価されない。
なぜなら、教室には基本的に教員ひとりだし、それが如実に数的に表されることは少ないからだ。
だから誰にも認められない、つまり透明人間。
一方、部活指導は言うなれば着色人間というべきだろう。
【◯◯競技、県大会、3位】
や、
【△△選手、全国大会出場】
なんて成績を残せば、見た目にもわかりやすいし、地域にも評判がいい。
まして、校長や教頭といった管理職も鼻高々である。
誰の目にも明らかで、わかりやすい。
言い換えれば、着色人間である。
目の前に部活をしたがる生徒はいるし、それを望む管理職や地域の姿が透けて見える。
しかも、分かりやすく評判を上げられる。
だから、土日を捨ててでも部活をしたがる教員がいるのではないか。
無論、単純に生徒の喜ぶ顔が見たいという教員もいるだろう。
増して、体育の専門家である保健体育の教員ならひとしおである。
体育の専門家として、ひとつの競技で成績を出すことには意味がある。
だから、特に文句も言わずに取り組むのではないか。
そして、それはひいては授業研究にもつながる。
私は考える。
誰にもきちんと評価されなくても、そこに生徒と学ぶ喜びがあれば、本来の本務でもあるし、授業研究にしっかりと取り組むべきなのだ。
部活はしてもいいが、希望者の教員のみが躍起になって取り組めばいいのだ。
私は透明人間でいいのだ。
透明人間であったとしても、一緒に授業を行う生徒は、私の存在に気付いてくれる。
そして、本務をなおざりにした着色人間は、その着色がすぐに剥がれ、空っぽの内面がさらされることになるだろう。
部活のみを頑張る着色人間しか見えない生徒がいることに、一抹の不安を覚える秋の夜でした。
※名誉のために言っておきますが、授業研究も部活も、どちらもきちんとされている先生もいらっしゃいます。ただし、部活を全員に強いるのは問題だと提起したいのです。
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君は職員室でくすぶっているんだね?
学校の朝は早い。
7:00には職員室には員がいる。
私も早めに学校に行く教員の部類だ。
自席で授業の準備をし、校舎の周囲の清掃をする。
時間が経ち、部活の朝練の時間になる。
朝練とは朝の部活練習のことで、任意ではあるが、多くの部活が朝練を行っている。
部活の練習には顧問が付き添わねばならないので、顧問が各練習場所に行く。
しかし、朝の忙しい時間ということもあり、朝練に付き添えない教員もいる。
私は、朝練自体に疑問を感じていること、そして朝は授業準備に充てたいので、頑として朝練には行かないようにしている。
他の教員がいそいそと朝練に行く中、私は自席で準備をすすめる。
◎ 職員室の放課後の雰囲気。
6時間目が終わり、16:30ごろ。
教員の勤務時間が終わるころ、部活の活動時間が始まる。
担任は一日の出席簿をまとめ、学級の提出物をチェックする。
授業の提出物のチェックもあり、また明日の授業準備もある。
さらには校務分掌の仕事もこなさねばならない。
ちなみに、この時点ですでに勤務時間はおわっている。
そんな中、他の教員はいそいそと部活の指導に行く。
部活の指導は任意なのだが、職員室の雰囲気がそれを許さなくする。
以前、朝練にも放課後の練習にも、まったく部活の指導に行かなかった時期が半年ほどあった。
どこまで部活の指導に行かないでおれるのかを試したかったからだ。
その私の状態を見たベテラン教員は、私を呼んでこう言った。
「君は朝練の時間も、放課後の部活の時間も、職員室でくすぶっているね。若いんだから、職員室にいないで、部活の指導に行きなさい」
と。
そのときに、「これは、なんだか根本的に不適切な発言だ」
と直感で感じた。
私は、職員室でくすぶっているのではない。
本務を、本来の仕事を全うしているだけなのだ。
しかも、どちらも勤務時間外なのである。
誰に何を言われる筋合いも、義理もない。
それくらい部活はあいまいな存在なのだ。
あいまいな存在ゆえに、あいまいなアドバイスを頂けたりする。これはもちろん皮肉だが。
授業準備をほっぽり出して、部活に行くことが全てではない。
職員室でくすぶっていると捉えられてしまう授業準備こそ、大切なことであり、基本なのだ。
本当の意味でくすぶっているのは、どっちなんだ。
今日も私の思いは、誰にも言えないまま、一人きりの頭の中で不完全燃焼であり、自宅でくすぶり続けるのであった。
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