ダークツーリズム:福島と原発は観光地化すべきか…チェルノブイリで考えた

2014年02月19日

記念撮影スポットとなっているチェルノブイリ4号機前
記念撮影スポットとなっているチェルノブイリ4号機前

 ◇ここまで見せる

 昨年の「新語・流行語大賞」にノミネートされた「ダークツーリズム」という言葉をご存じだろうか。「負の遺産」を観光に生かそうという試みで、東京電力福島第1原発とその周辺の観光地化が提唱されている。3年前から観光地化を進めているチェルノブイリ原発(ウクライナ)の現地取材を通じて、福島と原発の観光地化を考えた。【石戸諭】

 ◇福島でも「海上から」計画

 福島原発の観光地化を唱える東浩紀さんが監修したツアーに申し込み、昨年11月下旬、チェルノブイリに向かった。参加者は学生ら約30人。福島県在住者もいた。キエフから車で約2時間。原発30キロ圏内の立ち入り禁止区域、通称「ゾーン」を見学する。原発自体は00年に運転を停止したが、廃炉作業は終わっていない。ゾーンの入り口で、ガイガーカウンターを1人ずつ受け取る。入り口付近の放射線量は0・1マイクロシーベルト毎時前後だ。

エブヘン・ゴンチャレンコさん
エブヘン・ゴンチャレンコさん

 ガイドを務めてくれたウクライナ立ち入り禁止区域庁のエブヘン・ゴンチャレンコさん(40)はこう話す。「(ゾーン内の)土地は元々、農業に向かず、畜産が主産業。若者が村を出たチェルノブイリに、原発は新たな産業として命を吹き込んだが、その原発が土地の命を奪った」。原発ができる理由は、どこも同じようだ。

 「ここは線量が高いですよ」。10キロ圏内に入り、ゴンチャレンコさんが線量計を見るよう促す。多くの観光客が訪れるコパチ村幼稚園の周辺だ。線量は7、10と段々上がり、方々のガイガーカウンターからピーと警告音が鳴る。幼稚園には、ぼろぼろになった教材や人形が放置されている。椅子やベッドも当時のままだ。

 約5万人の原発労働者と家族が住んでいたプリピャチ市内は、ほぼ事故当時のままの姿で残る。事故から5日後の1986年5月1日に開園予定だった遊園地の観覧車は、1人の客も乗せることなく、さびついた姿をさらしていた。

イワン・イワヌミッチさん
イワン・イワヌミッチさん

 翌日、「サマショール」(ロシア語で「自ら住む者」の意)と呼ばれる人たちをゾーン内に訪ねた。避難先から自主的に戻った住民だ。イワン・イワヌミッチさん(76)は鶏や豚を育てていた。避難生活で体調を崩し、帰還を決意した。精神的に楽になり、体調は回復したという。「ずっと暮らしていた土地から引きはがされるのはつらいこと」と話し、福島県からの参加者に「いつか問題が解決し、帰れる日がくる」と声をかけていた。

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