集団自衛権を認める事によって、日本がアメリカの起こす戦争に巻き込まれると言うのです。
この話は遠い遠い昔から、ワタシがまた若く美しかった?1970年代以前から、ここで止まっていました。
そしてその頃はベトナム戦争に際中であり、集団自衛権を認めている普通の国々は、アメリカに協力してベトナムに兵士を送っていました。
それらの国々はその後も、アメリカが起こす戦争に付き合って、自国の軍隊を戦場に送り続けました。
特に付き合いが良いのはイギリスです。 イギリスは今もアメリカに付き合って、アフガニスタンで戦っています。
そして王子様までが従軍したのです。
当然これらの国々からは沢山の戦死者が出ているのです。
一方日本は憲法9条があり、集団自衛権を認めて来なかったので、これらの戦争には一切参戦しないで済みました。
だから自衛官の方達が戦死戦傷しないで済んで来ました。
また自衛官が他国の兵士を殺すと言う事もしないで済みました。
道義的はこれは全く素晴らし事です。 だからこの状態が永遠に続けられるとしたら、集団自衛権は認めない方が良いでしょう。
しかしそれにしても日本以外の国々は何であんなに付き合いが良いのでしょうね?
幾らアメリカの同盟国だからと言って、直接自国の防衛に関係するわけでもないような戦争に自国の若者を送る必要はないじゃありませんか?
ワタシはこれをずうっといぶかしんで来ました。
でも数年前、たまたまYou Tubeで戦車の動画を見て居た時こんな解説があったのです。
「イギリスの〇〇戦車はこれと言って目立つ性能は無く特に注目されていなかったが、湾岸戦争に参戦した時に、装甲が頑丈で被弾しても乗員に全く被害が出ない事がわかった。 これで一気に注目されて、世界各国に売れるようになった。」
それでワタシは初めて、多くの国がアメリカの戦争に付き合う理由がわかったのです。
戦車にとって装甲は非常に重要ですが、しかし普通に性能を並べたらスピードや武装に目が行きます。 装甲の重要性は被弾して初めてわかるのです。
勿論戦車を開発する時に、装甲の強度はテストするでしょう。
それでも単なるテスト結果と実戦での結果では、重みが全然違うのです。
戦車だけではないでしょう。 どんな兵器でも幾ら演習や性能試験のテストを重ねても、戦場で実際に使って見なければ、本当に能力はわからないのです。
戦場で実際に使って思いがけない欠陥や問題点が出る場合もあるでしょう。
そしてそれは兵器だけでなく、兵士の訓練の仕方や指揮命令系統、補給ラインなども実際に戦場に出て初めてわかる問題が沢山あのではないでしょうか?
さらに実戦と演習ではもっと深刻な違いもあります。
地政勢学者奥山さんのブログが自衛隊のセミナーに参加された時の事として、にこんな事が書かれていました。
興味深かったエピソードとしては、たとえば今回の震災後の遺体収容のノウハウについて。
海の現場レベルでは、実はスマトラ沖自身での遺体収容作業の体験が非常に役に立っており、これが活かされたとか。
どういうことかというと、遺体収容の際に船の全員が遺体を生で見てしまうと精神的ショックが大きいので、遺体収容を行うのは小舟に乗った数人だけの専門の係の人間だけにしておき、彼が海に浮いている遺体を発見して小舟の上に収容したらすぐさま遺体用のバッグ(←数が少ないのですぐなくなった)や毛布にくるみ、それを大きな船のほうに収容する段取りにしたとのこと。
こうすれば大きな船のほうで仕事をしている乗組員たちにとっては遺体はたんなる毛布のまとまりであり、腐ったり白骨化したものをみなくてもよいわけです。
このやりかたをマスターしていたスマトラに派遣された人々は、海の実力組織の現場のレベルでこのやり方を共有したそうで、それが今回の震災の時に活きたとか。
日本の実力組織の現場レベルの柔軟性がよく発揮された好例であると感じた次第です。
http://geopoli.exblog.jp/21998020/
津波で亡くなった方の遺体を見る事は、自衛隊員にとっても大変なショックなのです。 これを読んでワタシもショックでした。
でも自衛隊員の方達だってワタシ達と同じ人間です。 無惨な姿になった遺体を見ればショックで精神的に参るのです。
だって自衛隊員の方達だって、災害の遺体収容作業でもない限り、実際に人の遺体を見る事はないのですから。
幾ら厳しい戦闘訓練をしても、訓練では死体はないのです。
だったら戦場では?
戦場では自分が敵を殺さなければなりません。 自分が憎んでいるわけでもない、恨みも何もない相手でも殺さなければなりません。
だから戦争は悲惨なのです。
しかし悲惨だからと言っても避けられないのが戦争なのです。
だったら兵士が実際に戦場で人を殺し、その遺体を見たら、或は自分の仲間が殺されて遺体になるのを見たら、そう言う事が日常的起きる状況下で、どうやって兵士達の精神の健康を管理して、士気を保てるかも考えて置くしかないのです。
結局そのためには実際に戦場を経験して、ノウハウを積むしかないのです。
自衛隊がインド洋大津波の救援の為に、インドネシアに行った事は東日本大震災の救援ノウハウを得る事に役立ちました。
去年フィリピンの台風被害の救援に行った事でも、イロイロと役立つ事を学んだでしょう。 あの時はアメリカ軍がオスプレイを投入しましたから、オスプレイの能力を間近に見る事ができたはずです。
では本当の戦争では?
本当の戦争で必要なノウハウを学ぶには、結局本当に戦争に出るしかないではありませんか?
勿論そうすれば自衛官からも戦死者が出るでしょうし、また自衛官が人を殺す事にもなります。
でもそれで自衛隊の様々な問題を炙り出して解決する事ができます。
兵器の改良もできます。
しかもアメリカのお付き合いの戦争ですから、負けても日本が本当に危険になる事はないのです。
つまり練習試合ができるのです。
しかしそう言う実戦を全く経ないまま、本当に日本が防衛戦を行うハメになったら?
本土に上陸した敵を迎え撃つ時になって、兵器の欠陥が出てきたらオシマイです。
幾ら指揮命令系統が実戦に合わないとわかっても、本土防衛の最中ではそれを変えるどころではありません。
集団自衛権を拒否して、同盟国の戦争にも付き合わないで、専守防衛だけに徹すると言う事は、一切練習なしのぶっつけ本番だけに日本の運命を掛ける事になるのです。
考えてみればこれほど恐ろしい話も無いのです。
だからそんな恐ろし事を防ぐためにも、他の国々はこまめにアメリカの戦争に付き合っているのではないのですか?
幾ら自国兵に実戦経験を積ませたいと言っても、それだけの理由で他国と戦争をするわけにはいきません。 だから同盟国アメリカが誘ってくれるなら、渡りに船とばかりに付き合って戦場に兵士を送るのではありませんか?
それで自国兵に実戦経験を積ませて、アメリカに恩も売れるなら一石二鳥です。
勿論これは人の命が地球よりも重いと言う倫理から言えば不道徳極まりない話です。
でも多くの国にとって、現実の自国の防衛の方が、そんな道徳より遥かに大切なのです。
ソクラテスは「悪を為すよりも、為された方が良い。」と言いました。
キリストは「汝右の頬を打たれたら、左の頬を差し出せ。」と言いました。
勿論これらは個人の道徳としては大変立派です。
だから個人的に暴力に暴力で抵抗しない人は心から尊敬します。
しかし自分個人の為に非暴力を貫くのは立派でも、自分の家族や友人を守る為に戦う事をしないのが同様に立派と言えるでしょうか?
国家を守ると言うのは、自分の家族や友人を守る事です。
それを考えれば「戦争は悲惨だから絶対参戦はしない」と言うだけで思考停止が本当に良い事なのでしょうか?
戦争は悲惨だし、自衛官の方が戦死するのは見たくありません。
しかし本当に大量の自衛官が戦死して日本が破滅しない為には、恐ろしい事でも辛い事でも正面から考え直すしかないのではないでしょうか?
今日2チャンにこんなスレが経っていました。
【話題】 自衛隊の兵器&装備は欠陥品だらけだった!
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1392686974/
ワタシはミリオタじゃないので、この記事の真偽はわかりません。
しかしこの記事がインチキであったにしても、自衛隊は一度も実戦経験のない軍隊なのです。 実際に戦争になれば、演習ではわからなかった問題や兵器の欠陥は必ず出てくると思います。
それが致命的な物でないと言う保障もないのです。
本土決戦の最中に自衛隊の致命的な欠陥が明白になっても、その時はもうどうする事もできないのです。