■中央線の発着駅は東京駅ではなかった
ちなみにこの中央線、今は東京駅が発着駅となっているが、初めからそうだったわけではない。1912年から1919年までは万世橋駅が発着駅だった。現在の秋葉原駅の近くだ。
万世橋駅の駅舎は東京駅と同じく、辰野金吾設計のレンガ造り。当時周囲は繁華街としてにぎわっていたという。しかし1923年の関東大震災で大部分が焼失。1919年に中央線が東京駅まで開通したことでターミナル機能も東京駅に移り、1943年に駅は休止となった。
駅の跡地には長らく交通博物館があったが、2006年に閉館。代わりにさいたま市に鉄道博物館がオープンした。そして昨年、階段など万世橋駅の遺構を活用した商業施設、「マーチエキュート神田万世橋」が開業した。
■東京発の新幹線、東海道の1号車は先頭 東北・北陸は最後尾
1997年に東京駅に乗り入れた北陸(長野)新幹線。東海道新幹線に乗り慣れた人には、一瞬戸惑うことがある。東京駅を出発する下り列車の場合、東海道新幹線では先頭が1号車なのに、北陸(長野)新幹線では最後尾が1号車になっている。東北や上越新幹線も1号車は最後尾だ。1号車の位置が路線によって違うのだ。
気になったので在来線も調べてみると、中央線や東海道線、山手線などすべての地上路線で有楽町駅方面、つまり南側が1号車となっていた。何か理由があるのだろうか。
JR東日本に聞いてみたが、国鉄時代から続いていることで、理由は分からないとのこと。鉄道ジャーナリストの梅原淳さんは「その方が車両の管理がしやすかったのでしょう」と指摘する。
路線ごとに1号車の位置が違ってしまうと、他の路線に乗り入れたときに車両の号数を変更しないといけなくなる。「今と違って昔は『1』『2』などの号車札で何号車かを示していたので、変更には手間がかかる」といった事情もあるようだ。
東京駅を基準に南方向を1号車とするやり方は、国鉄時代は全国で採用されていた。しかしJR発足後、北海道など各地で1号車の位置を入れ替える動きが広がった。梅原さんによると、その多くは「下りの先頭車両を1号車」とする変更だったという。
ではなぜ東北・山形・秋田・上越・北陸(長野)新幹線では下りの最後尾が1号車のままなのか。
東北新幹線が大宮―盛岡間で暫定開業したのは1982年。当時はまだ国鉄時代で、それまでの法則が踏襲された。
JR各社が発足したのは1987年のこと。梅原さんは「号車番号を変えると各停車駅のホーム上の表示も変更することになり、手間とコストがかかる」と指摘する。加えて「東海道新幹線との将来的な直通運転も念頭にあったのかもしれない」とも。こうして1号車の位置はそのまま維持された。
東日本旅客鉄道、中央線、東京駅、北陸新幹線、東海道新幹線、東北新幹線
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