さて、ではここから私たち日本人が住んでいる日本における死生観について話をしていきましょう。現代の日本においては多宗教となっているため人によっては信奉している宗教によって同じ日本人でも、キリスト教を信仰しているから死生観においては古来のものとは一線を画しているということもありえるでしょう。日本独自の宗教を築くということを教育としても行わなかったこともあるせいか、現代の若者は日本における宗教的な教養は特に薄いと思います。もちろん家庭によっては洗脳的に教え込んでいる親御さんもいるとは思いますが、熱心に宗教的な考えを教えている人など早々いないでしょう。独自性がなくなったために一致団結しなくなったと考えられますが、反対に自由に個人の意志を尊重している社会へと変化しているとも取れます。世界的に見たら日本ほど国を挙げての宗教的な価値観を国民一人一人異なっているというのは、異常なことなのかもしれませんね。
私も小学校時代、中学と高校と見ても宗教というものを一つの授業として受講した記憶はありません。専門的にそうした学校に通っていれば仏教で言うところの儒教などを学ぶ機会に恵まれることもあるのかもしれませんが、一般的な公立学校や私立などにおいてはそういった宗教染みた教えを説くというのも早々ないでしょう。教え込むことはしても、その教えになじむという若者というのも存在しないと思います。私の学校もどちらかといえば学校独自の完成というものが非常に強いことを含めても、生徒個人という単位で考えたらその色に染まりきっているという人はほとんど見られませんでした。そういう意味では現代の日本では宗教的な考えを教育に持ち込むということに対して強い抵抗感を覚えているといった固定観念が渦巻いているのかもしれません。
さて、そうした中で日本において最も古い記述として残されている死生観としては、日本神話における黄泉之比良坂等がいい例でしょう。この黄泉之比良坂と葦原中国との間には異次元の断層という、生者と死者を分かつ境界線というものが明確に存在している。代表的な話としては日本を作り出した創造主であるイザナギとイザナミの二柱の話でしょう。二人は神産みをしている中で、最後に生まれたカグツチによってイザナミは死に絶えてしまいます。その後イザナギは黄泉之国へと趣いてイザナミをつれて帰ろうとするのですが、既に異形なる姿に変貌してしまったため、イザナギは恐怖を覚えてそこから逃げてしまうのです。なんとか命からがら逃げることに成功したイザナギは黄泉之比良坂と中国の間に巨大な岩を置いて、黄泉之国と現世を繋ぐ道を断ってしまうのです。この瞬間、人の生死において死者は現世へと這い上がってこれなくなってしまうと考えられています。
古代の日本において死生観というものは、学術的な見解で考えたときには非常に曖昧なものであったといわれています。人はどのあたりで死んでいるのか、またどの程度で市というものに当てはまるのかということを考察されていながらも、明確に当時の人々はそのことに対して理解するということは出来ていなかったのです。そもそも人の死というものは非常に不確かなもので、死するとしてもその命は現世にある物質に魂が宿るという『アニミズム』という考え方があったのです。こうした死生観としての考え方もまた日本神話において代表的なものとして考えられていたのです。
この考え方で特に例としてあげるなら八百万の神々による、天岩戸に引きこもってしまったアマテラスをどのようにして引っ張り出すのかということにおいて実は死生観が関わってくるのです。太陽神であるアマテラスが岩戸の中にひきこもってしまった為に、世界は暗闇へと閉ざされることになります。それは同時に黄泉之国による影響を中国にまで与えることになるという事態を引き起こすことになります。何とかして事態を打開するために八百万の神々はアマテラスに訴えかけるも中々うまく行かないために途方に暮れてしまいました。結果的にアマテラスを岩戸の外へと出すことに成功するのですが、この岩戸から出る瞬間というものがあることを象徴として意味していると考えられているのです。
太陽の化身であるアマテラスが岩戸の中に隠れることで死というものは概念から具現的なものへと慢性的に広がっていくことになり、その後出てきたことで死者は復活する、つまりは黄泉がえりするという考え方に繋がって行くのです。
ここまで相対的に考えると、古代の日本において死というものに対して実は善でも悪でもないという前引きをしているのです。日本神話においても死ぬことにおいて死者が完全に悪者であるという考え方を明確にしていないという点があることを考えると、古代の日本人からすれば死というものは身近にあるものだということを考えられていたようですね。
輪廻などの死生観については様々な見解を巻き起こすことになるテーマとなっています。
世界的にどのような考え方となっているのか、世界各地に根付いている死生観について考察をしてみましょう