世界的に考えられている死生観

死生観について

生まれ変わりという話からイアン氏のような人が研究材料として長年取り上げたという事例があることをみれば、世界的に人は死んだ後にどうなってしまうのかというのは永劫続くことになる問題といっても過言ではないでしょう。実際問題としてこの点について悩んだりした人もいるでしょう、人は死んだらどうなるのか、そして死の先には一体何があるのかなどと哲学的に悩んだりすることもあるでしょう。持論から言わせて貰うと、これについては一般論としてはそれなりに価値観は用意されていると思いますが、あくまで一つの意見に過ぎません。答え云々を求めている人からすれば、こういった死後に待ち構えているものに明確な一つの結論を求めること自体が無粋というものです。分からなければ正直、わからないに越したことはありません。死後、人間がどうなるかなど死んだときにようやく分かるものです。生きているときに死後の先など検討がつくわけないのです、こうした『死生観』については人それぞれで答えを求めた方が一番手っ取り早いのかもしれません。

難しい事を考えることが苦手な人からすればこういった難解すぎる考え方を理解するのは中々困難かもしれません、だからこそ死生観というものを第三者から明確とも言えるような答えを求めるためにそういった宗教団体があると考えれば話としては通じるところもあるでしょう。ただこうした考え方については日本や中国、そのほかの国によっては宗教上の違いなどから全く異なる考え方を持っているところもあるのです。

死生観の中から更に派生した考え方に分かれる

国によって死生観は異なっていますが、それは死後の先といわれている輪廻というものにも大きく関わってきます。この輪廻という考え方は古代の時代バラモン教から登場する、人の魂は死んだ後に人以外の生き物を含めて転生するという考え方がなされています。死後の先、つまり必ずしも人として転生するとは言えないのです。そう考えると生まれ変わりの村における生まれ変わりをしたという人々は転生というより、どちらかといえば『復活』という概念に近くなってしまいます。少し妙ですよね、中国でも現代ではそれなりにキリスト教が容認されていると考えられていますが、中国奥地という都心部から離れた場所ともなれば昔から続く考え方というものが根付いているでしょう。つまり、この生まれ変わりの村では輪廻というものではなく、復活していると言った方が概念的に近くなりますがありえないでしょう。都市部ならまだしも、僻地ともなればキリスト教やイスラム教などという外部の宗教信仰を信奉するとは到底思えません。可能性として考えるなら人間以外にも生まれる可能性はありますが、それは言葉でそのままたまたま人間になれたとはいえるでしょうが逆に言えば人間に転生しやすいと言う極論にも至ります。確率の問題から考えるとどの生物へと転生するのかというのもある種均等な可能性を持って転生することになると考えたほうがより自然な事となるでしょう。

因果応報と輪廻転生

生まれ変わりの村という存在

こうして考えると生まれ変わりの村というそのものが怪しくなってしまいますが、そういう点については今回は省かせてもらいます。こうした輪廻の中において人の業というものも大きく関わってきます、生前に殺生を含めた罪を背負っているならそれは魂が負うことになる罰として負担となり、人として転生することへの可能性を低くすることになります。実際に考えられていることですが、生まれ変わりの村にいる人々のほとんどが無事に人間として転生している事を考えると、彼らは常に前世で善行しか行なっていないということになります。ありえません、人でも動物にしても必ず何かの命を必然的に奪っています。それが生きるために必要という点であれば多少なりとも例外は存在するでしょう、ですがそれを抜かしても善行のみを働いている存在などこの地球上にあるわけがないということだけは言えます。いくら奥地の村だからといって穏やかに暮らしているという点を含めても、業を背負うことのない人生を過ごしたことがあるという人がいるなら、その人は人間としてではなく神に近い存在としてこの世界とは違うところへと誘われることになります。

人が背負うべき罪というものは予め決まっています、キリスト教でいうならば『原罪』というべきでしょうか、その原罪を浄化することで神へと近いところへと重くことの出来る考え方を見習うとするなら、その中国奥地ではそういった完璧な人間を作り出すための儀式のために、人間ではない物を作り出そうとしているか、あるいは単純に人を騙そうとしているだけということになります。何が正しいのかというのは私が判断することではありませんが、価値観を見出している人が導く答えでもありません。最終的には自分で自分なりの答えを導かなければいけないのです。正しいことも、間違っていることも、誰かに決められたから正解だなんて考え方は非常に前時代的な古すぎる価値観だと考えられませんか?

ポケットのカルマよ 自信が足りないの?

スープ~生まれ変わりの物語~から見る、死生観について

輪廻などの死生観については様々な見解を巻き起こすことになるテーマとなっています。
世界的にどのような考え方となっているのか、世界各地に根付いている死生観について考察をしてみましょう

スープ~生まれ変わりの物語~
輪廻転生は存在する?
生まれ変わり研究の権威
世界的に考えられている死生観
世界によって異なる死生観
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死生観に対する様々な価値観
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神は死んだ