【ソチ五輪】「弱気」の町田を変えたコーチ 大西勝敬さん、2度目の五輪挑戦 フィギュア
産経新聞 2月10日(月)15時15分配信
9日夜(日本時間10日未明)のフィギュアスケート団体で、日本は期待された男女フリーで挽回できず、5位に終わった。男子シングル・フリーに出場した町田樹(たつき)(23)=関大=は「とても悔しい。この借りは個人戦で返したい」と前を向く。昨季までは弱気な面も見せていたが、今季は五輪で団体戦のフリーを任されるまでに急成長した。背後には、関西で指導者を38年間続け、2度目の五輪挑戦となるコーチの大西勝敬(よしのり)さん(59)の存在があった。(大宮健司、吉原知也)
◆「僕は6番目の男」
2人の師弟関係が始まったのは約1年前。大西さんは、平成24年12月の全日本選手権で大敗した町田から直訴され、昨年2月から指導を始めた。
「発する言葉すべてが弱気だった」と振り返る。4月、面談で最終目標を紙に書かせたところ、町田はためらうそぶりを見せた。最後には「オリンピック出場」と書いたが、積極的に目標に向き合っているようには見えなかった。
「このレベルなのにえらい弱気やし、遠慮していた。目標も『できればソチ五輪に出たい』とか『僕は(代表候補6人中)6番目の男』なんて言うしね」と大西さん。伸び悩む町田の課題は精神面にあると思い、「できればじゃ一生できへんぞ。有言実行で自分で責任を取る、それが男や」と、あえて厳しい言葉を投げかけた。
この言葉が町田を変えた。
メディアの前で堂々と語り、「氷上の哲学者」と呼ばれるほど独特な表現が話題になった。昨年10〜11月のグランプリで2勝を挙げたほか、12月の全日本選手権で2位となり、五輪代表に選ばれるなど成績も安定した。
大西さんは「少ししゃべりすぎやな」と苦笑いしながら、「男らしくなった」と急成長に目を見張る。
◆関西勢指導し38年
大西さんは大阪市大正区出身。小学2年からフィギュアを始め、法政大時代には全日本3位に。フィギュア指導の第一人者で現在は浅田真央(23)のコーチを務める佐藤信夫氏(72)の指導を受けていたが、大学卒業後はスケートに区切りをつけ、銀行へ就職するつもりだった。
人生の選択を変えるきっかけは、大学卒業前に観客として訪れた全日本選手権だった。関西勢が軒並み下位に沈む光景にいてもたってもいられなくなった。大阪で指導者になる道を考えるようになり、銀行の内定を辞退。「どうせなら絶対日本一を育ててやろう」と誓い、大阪へ戻った。
◆選手の駆け込み寺
子供から大人まで教え子は数え切れない。熱心な指導が評判で、生徒は近隣府県からも集まった。町田のように、悩んだ選手が助けを求めるように集まってくることも多く、「駆け込み寺」と呼ばれた。
初めて五輪に挑んだのは1988年のカルガリー五輪。中学時代から指導した加納誠元選手と入賞を目指したが17位に終わった。当時は33歳。「選手村で年配の偉い先生方が一緒で、舞い上がっていた。選手にリラックスさせてやれなかった」と悔いが残っている。
「町田は物おじしないタイプ。カルガリーの失敗を教訓に、うまく滑らせてやるのが僕の仕事です」
13日(日本時間14日)からの個人戦に向けて意気込んでいる。
最終更新:2月10日(月)19時15分
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