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国際
【話の肖像画 フィギュアスケートコーチ タチアナ・タラソワ(上)】「真央は天才児で音楽的なスケーター」 浅田選手との深い絆
--浅田さんは五輪出場の年齢制限にひっかかり、トリノには行けませんでした
「真央の五輪は実質的には今回のソチで3度目になるのよ。トリノのときはたった数カ月、出場資格年齢に達していなかっただけ。私はまだそのとき、真央と一緒のチームじゃなかったのだけれど、彼女がトリノに出場できず、次のバンクーバー五輪まで4年間待たなくてはいけないということを悟り、大会関係者に「この子をオリンピックに出すべきよ」と提案したの。私は自分の考えをはっきりと述べる人だから、年齢は関係がないと言ったのね。でも、認められなかった。出場は許されなかった」
--トリノ五輪後、2007・08年のシーズンから浅田さんはタラソワさんの本格的な指導を受け始めました
「私が日本を訪れたとき、とても暑かったことは覚えています。それ以降、私たちは練習を積んでいきました。真央がいつもモスクワへやってきました。お母さんと一緒でしたね。真央がまだ別のコーチに師事していたとき、私が曲の振りつけを行ったのね。そのコーチが私のもとへ真央を何週間か派遣したとき、後から『真央は別人になって帰ってきた』と電話があったの。でも私は特別なことをしたわけではない。真央はそばでいつも、私のエネルギーを感じていて、そのエネルギーを吸収したまで。真央は練習の虫ね。とにかく真面目に取り組む人だった。私は真央が自分に打ち勝って、実力以上の演技をしたときが大好き。それはコーチとしての誇りなんです。真央は男子の選手がするような演技をして、私のコーチとしてのイメージを広げてくれました」
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