記憶と想像の対比、あるいは衝突…もしくは結婚と出産…?ジョルジュ・ペレック『Wあるいは子供の頃の思い出』
posted by Book News 編集:ナガタ / Category: 新刊情報 / Tags: 文学, 歴史,
今回はジョルジュ・ペレック『W(ドゥブルヴェ)あるいは子供の頃の思い出 (フィクションの楽しみ)
さきほど触れたように、同じ作者による『煙滅』ではフランス語でもっとも多く使われる文字「E」を敢えて使わないという手法(翻訳では「い」段を使わないことで対応)が採用されていました。本作でも、そもそも国の名前を「W」としたり、そのほかにも著者が逗留する町の名前も「H」とか「∨」とか「T」といったアルファベット1文字で表されたり、登場人物から著者宛に届く手紙の署名末尾に添えられた「MD」という2文字の略号を辞書を使って読み解こうとしたり、著者自身が覚えている幼少期の最初の記憶のひとつが「ガメト(あるいはガメル)」というヘブライ文字にまつわるものだったり、文字に対する言及は枚挙にいとまがありません。
なお、「文字が消える」という設定の実験小説としては筒井康隆の『残像に口紅を
それに対して、ペレックはむしろ「何かが欠けている状態」で描けるものを模索していると言うべきなのかも知れません。『Wあるいは』で作者は、自分は両親を早くに亡くしたと書いています。『煙滅』での「E」の欠落は、ホロコーストによるユダヤ人虐殺に関連しており、この暗い記憶は『Wあるいは』にもベッタリと貼り付き、重い影を落としていました。『煙滅』で「E」が使われないことで、この文字が特権的な意義を帯びるようになったのと同様に、『Wあるいは』でペレックは欠けた「自分の親」の面影を辿り、やがて略号の解読のように自身の系譜を辿り始めます。『Wあるいは』は系譜小説という側面も持たされているのです。
なお、上掲の書影は本書の英訳版のもの。この表紙でデザイン化されているように、「W」という字はフランス語で「ドゥブルヴェ(「二重の∨」の意味)」と読みます。あとがきで解説されているように、この文字が帯びている二重性は本作を文字通り象徴していると言っていいと思います。
略号の解読のように紡ぎ出されるのは、事実だけではありません。「W」という架空の国家そのものも、「自身が少年期に想像した」ことから再構築され書き付けられることで現出したものなのです。事実と虚構、一般的には対比的に語られ、せいぜい二項対立の解消という第三項が想定されるだけのこの2つが、本書の中ではさまざまな仕方で交錯します。まったくの架空の世界と、現実ではあるけれどもさだかではない記憶のなかの世界、幼少期の夢の記憶、伝聞する自分の祖先たちの話、そして自分が名乗っている名前と同じ名前の失踪した少年の話、こういった諸々が互いに平行したり、ときに衝突したりするように描かれているのです。
それは、別々の道を歩んで結婚し、作者を産んで夭折した彼の両親のそれぞれの記憶であり、またその記憶を担った2人から生み出され、彼らの記憶を育んだ家族や国家や社会あるいは歴史といった「環境」のなかで生きる作者自身の生き方を描いているようでもあります(自伝的小説なので、実際そのとおりなのですが)。