第八十八条について
本条は、憲法第七十六条をほぼ承継したものであるが、憲法第七十六条第二項中「特別裁判所は、これを設置することができない。」の部分は削除されている。この点は別として、同項が「行政機関は、終審として裁判を行うことはできない。」と規定していることが問題である。なぜならば、これでは「行政機関」だけを規定しているため、それでは「立法機関」は「終審として裁判を行うことができる」と解釈される余地があるからである。もっとも、第一項と併わせて解釈するならば、行政権及び立法権だけではなく他の国家機関も終審として裁判を行うことはできないと解釈することができるであろうが、誤解のないように「第一項に規定する裁判所以外の国家機関は、終審として裁判を行うことはできない。」と規定すべきである。
第三項は「すべて裁判官は、・・・この憲法及び法律にのみ拘束される。」と規定しているが、「この憲法及び法律にのみ拘束される」と規定することには若干の疑義を生じかねない。このように「憲法」と「法律」を並列にならべていることから、この「法律」とは「法」というような一般的な「法規範」を指すのではなくて、国会の制定する狭義の「法律」を指すものと考えられるのである。そうなると「この憲法及び法律にのみ拘束される」ということは、裁判官は「憲法」及び「法律」だけに拘束されるのであるから、「法律」以外の法規範である「政令」、「内閣府令」、「省令」、「衆議院規則」、「参議院規則」、「最高裁判所規則」、「委員会規則」、「条例」等には拘束されない、という解釈をされる余地があるわけである。勿論、これは「第六章 司法」の章全体の趣旨からしてそのように解釈することは認め難いであろうが、この第三項はいささか「舌足らず」の規定ではなかろうか。従って、本項は「すべて裁判官は、・・・この憲法及び法律その他の法規範に拘束される。」と規定すべきではなかろうか。
第八十九条について
本条は、憲法第七十七条の規定の引き写しであり、同条には問題があるのであって、従って、本改正草案もその問題点を引き継ぐこととなるわけである。
先ず、問題となるのは、最高裁判所は、1)訴訟に関する手続、2)弁護士に関する事項、3)裁判所の内部規律に関する事項、4)司法事務処理に関する事項について「規則」を制定することができる旨を規定しているわけであるが、これらの事項については「法律」で規定することも可能であると一般に解されている。そうなると、例えば「1」訴訟に関する手続」について最高裁判所規則と法律とが共に規定した場合に、この両者が異なる内容を定めた場合には最高裁判所規則と法律のいずれの規定に従うべきなのかということの問題である。この問題について具体的な例を挙げると以下のようである。
刑事訴訟法(昭和二十三年法律第百三十一号)第三百五条第一項と、最高裁判所規則である刑事訴訟規則(昭和二十三年最高裁判所規則第三十二号)第二百三条の二第一項とは共に「証拠書類等の取調方式」について規定しているのであるが、刑事訴訟法第三百五条第一項は「検察官、被告人又は弁護人の請求により、証拠書類の取調をするについては、裁判長は、その取調を請求した者にこれを朗読させなければならない。但し、裁判長は、自らこれを朗読し、又は陪席の裁判官若しくは裁判所書記にこれを朗読させることができる。」と規定している。これに対して、最高裁判所規則である刑事訴訟規則第二百三条の二第一項は「裁判長は、訴訟関係人の意見を聴き、相当と認めるときは、請求により証拠書類又は証拠物中書面の意義が証拠となるものの取調をするについての朗読に代えてその取調を請求した者、陪席の裁判官若しくは裁判所書記官にその要旨を告げさせ、又は自らこれを告げることができる。」と規定している。このように、証拠調べの方法としては、「法律」では、証拠書類の朗読を要求しているのに対して、「最高裁判所規則」では、朗読に代えてその要旨を告げ、又は告げさせることができるとしているのであるから、これは明白に「法律」と「最高裁判所規則」とが矛盾抵触する場面なのである。
次に、もう一例を挙げるならば、人身保護法(昭和二十三年法律第百九十五号)第二条第一項と、最高裁判所規則である人身保護規則(昭和二十三年最高裁判所規則第二十二号)第四条との矛盾抵触の場面である。人身保護法第二条第一項は「法律上正当な手続によらないで、身体の自由を拘束されている者は、この法律の定めるところにより、その救済を請求することができる。」と規定している。これに対して、人身保護規則第四条は「法第二条の請求は、拘束又は拘束に関する裁判若しくは処分がその権限なしにされ又は法令の定める方式若しくは手続に著しく違反していることが顕著である場合に限り、これをすることができる。但し、他に救済の目的を達するのに適当な方法があるときは、その方法によって相当の期間内に救済の目的が達せられないことが明白でなければ、これをすることができない。」と規定している。このように、最高裁判所規則である「人身保護規則」第四条は、法律である「人身保護法」第二条第一項に規定するよりも「人身保護請求の要件」を限定しているのであるから、その限定している限度で「最高裁判所規則」は「法律」に矛盾抵触しているわけである。
現行憲法の下でこのように法律と最高裁判所規則が同一事項について規定している場合で、その規定内容が法律と最高裁判所規則が矛盾抵触するときの、この両者の効力の優劣についてはどのように解すべきなのか種々の議論がある。これらの議論は、1)法律優位説、2)最高裁判所規則優位説、3)同等説、4)「訴訟に関する手続、弁護士に関する事項」については、法律が優越し、「裁判所の内部規律及び司法事務処理」に関する事項については最高裁判所規則が優越すると言う説に大別される。1)説については、「法律」と「最高裁判所規則」との形式的効力を比較するならば一般的に見て「法律」が形式的効力の点で「最高裁判所規則」に優越することは当然であるとする考え方である。しかし、そうなると憲法第七十七条が最高裁判所に規則制定権を認めたことの意義が没却される虞がある。このため、最高裁判所規則があって、すべての事項について規定し得るわけではないので、最高裁判所規則は、2)説のように「訴訟に関する手続、弁護士、裁判所の内部規律及び司法事務処理に関する事項」に限定されているのであって、これらについては正に司法に関する極めて専門的な事項なのであるから、その筋の専門家である最高裁判所の制定する規則に「法律」に対する優越性を認めることの方が適切ではないかというわけである。これは傾聴に値する説であるが、そうはいってもここで「訴訟に関する手続、弁護士」に関する事項については、事の性質上広く国民一般の利害に関する事項なのであるから、やはり国民の代表者で構成する立法府の制定する法規範である「法律」で規定するところが「最高裁判所規則」の規定に優越すると解すべきであり、一方、「裁判所の内部規律及び司法事務処理に関する事項」については、これらは三権分立制度中の権限分配における、専ら「司法権」固有の事柄なのであるから、ここには立法権の介入は排除されるべきであり、従って、これらの事項については最高裁判所規則の定めるところが法律の定める規定に優越すると解する4)説がかなりの説得力を持つように思われる。一方、法律と最高裁判所規則とのいずれが優越するのかという観点からではなく、あえて憲法が最高裁判所に規則制定権を認めたことの趣旨を生かした点を考慮して、このような限定された事項について規定する「法律」と「最高裁判所規則」とは形式的効力においては全く同等であるとする3)説がより適切なように思われる。3)説によれば、「訴訟に関する手続、弁護士、裁判所の内部規律及び司法事務処理に関する事項」について定めている「法律」と「最高裁判所規則」がその規定内容が両者で異なる場合には「後法は前法を廃する」の法諺によるべきであると考えるわけである。この3)説に立つならば、「法律」の規定するところが不都合であると司法権が判断した場合には、最高裁判所はいつでも最高裁判所規則を制定又は改正すれば良いわけである。もっとも、その最高裁判所規則がその後に制定又は改正される「法律」によってその効力を否定されることは有り得るが(前述の「後法は前法を廃する」)、その場合には、またその「法律」の規定内容と矛盾抵触する最高裁判所規則の制定又は改正をすれば良いわけである。もっともこれでは「法律」と「最高裁判所規則」の両者の否定の応酬、繰り返しのような状態となり何等の解決にもならないようにも考えられるが、「最高裁判所規則」の方が「法律」よりも機動的にその制定又は改正がなされる点において問題はそれほど深刻ではないように思われる。
以上のような諸説の生ずる憲法第七十七条の規定を引き写したのでは依然としてこの問題の解決は図られないわけであるから、憲法改正においては、最高裁判所規則と法律の両者の関係を明確にし、立法的解決を図るべきである。
本改正草案第八十九条第二項も、前述のように憲法第七十七条第二項を引き写したものであるが、「検察官は、最高裁判所の定める規則に従わなければならない。」と規定することはやはり「舌足らず」の感を否定し得ない。ここでなぜ「検察官」だけを取り出して規定するのか合理的な説明が付き難いように思われる。本来、このような規定は当然のことをいっているのであり、言わば確認的規定であり、無くてもよいと思われるが、敢えて規定するならば、同項は「検察官、弁護人又は証人その他の訴訟関係人は、最高裁判所の定める規則に従わなければならない。」と規定すべきものである。
第九十条について
本条は、憲法第七十八条を引き写したものである。ここで「裁判官の懲戒処分は、行政機関がこれを行うことができない。」とあるが、このように「行政機関」だけを規定すると、それでは他の国家機関、例えば「立法機関」は裁判官の懲戒処分を行うことは禁止されていないのではないか、という解釈がなされる余地を残すわけである。勿論、本条は「司法権の独立」就中、「裁判官の身分保障」を規定したものであるから、「立法権」による裁判官の懲戒処分も否定されると解すべきものであると考えられるが、このことを明記すべきである。例えば、「裁判官の懲戒処分は、司法権を行使する裁判所以外の国家機関がこれを行うことはできない。」と規定することができるのではなかろうか。
第九十一条について
本条は、憲法第七十九条第一項、第五項及び第六項を引き継いだものである。ここで第一項が最高裁判所の長である裁判官以外の最高裁判所裁判官は、「内閣総理大臣」が任命すると規定しており、憲法では「内閣」が任命するとしている点で異なっている。また、憲法第七十九条第五項を承継した本改正草案第九十一条第三項が「この報酬は、在任中、これを減額することができない。」と規定していることは、司法権の独立ないしは裁判官の身分保障のための規定として意義のあるものではあるが、規定の仕方としては、若干、大まかなように思われる。
裁判官の報酬については、「裁判官の報酬等に関する法律(昭和二十三年法律第二十三号)」が規定するところであるが、この報酬金額(月額)は従来から他の国家公務員の給与と同様に、毎年「人事院勧告」を受け入れて、法律で規定している国家公務員の給与金額の増額改定又は減額改定(増額改定の場合が多い)がなされて、裁判官の報酬についても同様の法的措置がなされて来たところである。そこで問題は、裁判官の場合には、その報酬金額が「増額改定」される場合は良いとして、「減額改定」される場合には、これはまさに憲法第七十九条第三項の「この報酬は、在任中、これを減額することができない。」に抵触するのではないかということである。
この点について、最近の具体的な例を挙げると、人事院勧告に基づいて「一般職の職員の給与に関する法律」などの一部改正法により、国家公務員の「一般職の給与の減額」が行われたことと並行して、「裁判官の報酬等に関する法律の一部を改正する法律(平成十五年法律第百四十三号)」及び「裁判官の報酬等に関する法律の一部を改正する法律(平成十七年法律第百十七号)」により、「裁判官の報酬」は平成十五年及び平成十七年の二度にわたり「減額」されることとなったのである(注)。このことについては、国家公務員の給与制度そのものが人事院による「民間給与の実態調査」に基づき策定された「人事院勧告」が内閣及び国会に対してなされ、その勧告に従って国家公務員の給与が改定される(これには増額改定の場合と減額改定の場合がある)仕組みとなっており、「裁判官の報酬」も従来からこの仕組みに基づいているわけである。このような理由からすれば、この二度にわたる「裁判官の報酬の減額」は、格別に「司法権の独立」を侵害するとか、あるいは憲法第八十条第二項の「裁判官の身分保障」のための規定と解される「この報酬の額は、在任中、これを減額することができない。」には違反するものとは解されないと思われる。しかし、この憲法第七十九条第六項及び第八十条第二項の規定は、絶対無制限に裁判官の報酬の減額を禁止しているように見受けられるものであるから、その表現に工夫が必要なのではなかろうか。この点について、平成十七年十一月二十九日付け読売新聞朝刊に掲載された「自民党新憲法草案」第七十九条第五項第二文は「この報酬は、在任中、やむを得ない事由により法律をもって行う場合であって、裁判官の職権の独立を害する虞がないときを除き、減額することができない。」と規定しており、これは、実際の事例に則した実に適切な立法であるといえるのである。
(注)裁判官の報酬等に関する法律は、最高裁判所の裁判官を始め、下級裁判所の裁判官に至る迄の全裁判官の報酬などについて規定している。
第九十二条について
本条は、憲法第八十条の規定の引き写しである。第一項は、本改正草案では執政権を「内閣」ではなくて「内閣総理大臣」に属せしめた(第七十五条)関係上、「内閣でこれを任命する」ではなくて、「内閣総理大臣がこれを任命する」としなければならないであろう。 第二項は、前述のような問題があり、自民党新憲法改正草案第七十九条第五項第二文が参考となるわけである。
第九十三条について
本条は憲法には無い新設の規定である。本条では「憲法裁判所」が具体的な裁判事件においてそこで適用される法令の憲法適合性の判断をする権限が「最高裁判所及び下級裁判所」には無く、これは専ら「憲法裁判所」に属することを明記している。このことは、「憲法裁判所」は「司法裁判所」であることを明記しているわけである。そうなると、最高裁判所の上に憲法裁判所が置かれて四審制(場合によっては五審制)となるのであり、従来の「最高裁判所」は「裁判権行使」としての国の最高の裁判所ではないこととなってしまうわけである。この点については、「第六章 憲法裁判所」のところで触れることとする。
第九十四条について
本条は、憲法第八十二条の規定のほぼ引き写しである。憲法第八十二条第二項但し書きは「但し、・・・第三章で保障する国民の権利が問題となつている事件の対審は、常に公開しなければならない。」と規定している部分が解釈上実に難解なものなのであるが、本憲法改正草案第九十四条第二項但し書きも憲法のほぼ引き写しであり、従って、「但し、・・・この憲法第二章で自由および権利が問題となっている事件の対審は、常にこれを公開しなければならない。」と規定しており、同様な難解な表現を引き継いでいるのである。そこで、現行憲法の規定によってこの難解な部分の解釈を紹介することとする。憲法で「第三章で保障する国民の権利が問題となっている事件」というものは、考えようによれば、国民の権利義務について規定している第三章のすべての規定に係る事件が含まれることになると解することができるのである。そうなると、この但し書きのうちの「政治犯罪」及び「出版に関する犯罪」も含まれ、さらには国民の権利に関する一切のものが含まれることになり、但し書きの意味がないことから、このような考え方は採れないわけである。
そこで、この点に関して宮沢俊義教授は、以下のように論じている。
・・・本条にいう「第三章で保障する国民の権利が問題となつている事件」とは、そこで保障されている国民の基本的人権に対して、法律で制限が課され、その制限に違反したことが犯罪の構成要件とされている事件をいうと解すべきである。そこでは、そういう罪を定めた法律が憲法に違反していないかどうか、それが憲法に違反していないとして、犯人の行為がはたして法律の定める制限ないし禁止に違反するものであるかどうか、が争われるのであるから、そこで第三章で保障する権利が不当に侵されることがないように、その事件の対審を絶対に公開しようというのである。たとえば、名誉に関する罪(刑法二百三十条以下)の規定は、「第三章で保障する国民の権利が問題となっている事件」に含まれるといえよう。また、弁護士でない者が法律事務を業とすることを禁じ(弁護士法七十二条)、医師でない者が医業をなすことを禁じ(医師法十七条)ているのは、それぞれ憲法第三章の保障する職業選択の自由に対する制限と考えられるから、それらの禁止に違反した犯罪(弁護士法七十七条、医師法三十一条)に関する事件も、それに含まれるといえよう。また、土地収用法による事業の準備のための立入権は、土地所有権に対する制限と考えられるから、その立入を拒み、または妨げる罪(土地収用法十一条・百四十三条)に関する事件も、それに含まれるといえよう。これに反して、憲法第三章の保障する国民の権利をかくほするための法律に違反する犯罪は、ここにいう「憲法第三章で保障する国民の権利が問題となつている事件」には含まれない。たとえば、財産権の不可侵を守るための窃盗罪(刑法二百三十五条以下)はもちろん、信書の秘密を守るための信書の秘密を犯す罪(郵便法八十条、刑法百三十三条)、身体の自由を守るための公務員による暴行凌虐の罪(刑法百九十五条)、投票の秘密を守るための投票の秘密を犯す罪(公選法二百二十七条)などは、それに含まれないと解すべきである。・・・かような意味で、「憲法第三章で保障する国民の権利が問題となつている」とは、すなわち、犯罪人の国民としては保障されている権利が、それに対する制限に違反したため犯罪として罰せられることにより、侵害されないかどうかが問題となつている意であるから、その審理の手続の過程において、第三章で保障する国民の権利が侵されているかどうかの問題は、それに含まれない。したがって、ある殺人事件の審理の過程において、被告人の「公費で自己のために強制的手続により証人を求める権利」(三十七条第二項)が問題になったとしても、その審理の手続きを本条により公開しなくてはならないとする趣旨と解すべきではない。本条但書の文字からいっても、またその精神からいっても、そこまでを本条が要求していると解すべき根拠は見出されない。」と説いている(宮沢俊義著・芦部信喜補訂『全訂日本国憲法』702頁から704頁)。
このようにして「裁判の対審を絶対に公開しなければならない事件」である「第三章で保障する国民の権利が問題となつている事件」とは、宮沢教授の説くところがまさにその通りである。憲法第八十二条但し書きは、その裁判の対審が絶対に「公開」でなければならないものを規定しているのであり、この部分の表現に注目すべきである。そこでは「この第三章で保障する国民の権利が問題となっている事件」という表現の前に「政治犯罪」と「出版に関する犯罪」という具体的例が挙げられており、この「政治犯罪」とは、時の政権、政策に対する批判を禁止することが犯罪の構成要件とされ、それに違反する者を処罰する犯罪がその典型と考えられる。そうであれば、この「政治犯罪」とは、憲法第三章で保障する国民の基本的人権である表現の自由や思想信条の自由を制限することをその構成要件とする刑罰に違反した犯罪事件ということであり、「出版に関する犯罪」とは、まさに出版の自由を制限することをその構成要件とする刑罰に違反した犯罪事件ということになると考えることができるわけである。そして、これらの具体的事案を例示して、これに続いて「この憲法第三章で保障する国民の権利が問題となっている事件」と文章が続くのであるから、「この憲法第三章で保障する国民の権利が問題となっている事件」という規定の意味は前掲の宮沢教授の解釈が正にその通りなのである。しかし、問題は、このような条文規定の表現が果たしてどれだけ国民一般、特に、法律には全くの素人の国民に理解できるものなのであろうか。このような難解な論理の展開の果てに始めてその意味が理解できるかも知れないような条文の表現は、憲法改正の折りには是非とも改められるべきなのであり、それを今回の本改正草案ではいとも簡単に憲法第八十二条を引き写してしまっているのである。なお、憲法第八十二条但し書きは「但し、政治犯罪、出版に関する犯罪又はこの憲法第三章で保障する国民の権利が問題となっている事件の対審は、常にこれを公開しなければならない。」と規定しているが、ここで「政治犯罪」と「出版に関する犯罪」と「この憲法第三章で保障する国民の権利が問題となつている事件」とは、前述のように前二者は「この憲法第三章で保障する国民の権利が問題となつている事件」の具体的例示を列挙したものであり、そうであるならば「政治犯罪、出版に関する犯罪又は」とあるような、この「又は」というような「選択的な接続詞」を用いるべきではなく、「並列的な接続詞」である「及び」を用いなければならないのである。
第九十五条について
本条から第九十九条にかけての五箇条は「第六章 憲法裁判所」の章名の下に、「憲法裁判所」について規定している。そこでこの「憲法裁判所」が本来の意味での「憲法裁判所」なのかといえば、第九十八条第一項によれば「具体的訴訟事件に関し条約、法律等の合憲性審査権」を有することとなっており、これは現行憲法における「最高裁判所の権限」を有するものであ。本改正草案では既に「第五章 司法権」の章の中に「最高裁判所」について規定しており、この「憲法裁判所」は「司法権」とは別個の「第六章」に規定しているが前述のように「具体的裁判事件に関して条約、法律等の憲法適合性」を審査するわけであるから、純然たる「憲法裁判所」ではなく、やはり「司法裁判所」の権限も包含するものである。
問題は「最高裁判所」を頂点とする「司法機関」の他に「憲法裁判所」設けることの必要性ないしは立法政策的な実益はあるのだろうか。これは従来からの「三権分立」の統治機構の一つであるところの「司法権」が「憲法裁判所」をも包含することによって、この三権相互間の均衡、特に「立法権」と「司法権」との抑制均衡が失われることとなるのではなかろうか。
本条で特に問題となるのは、第一項で憲法裁判所の構成員(裁判官)について定めているが、その構成員の四分の一は「最高裁判所の長たる裁判官」が指名することとなっている点であり、第九十八条第一項によれば、法規範の憲法適合性の判断をする権限から見て、「憲法裁判所」は「最高裁判所」の上位にあるわけだから、このような指名の仕方は不適切ではなかろうか。第二項以下は格別の問題とするところではない。
第九十六条について
本条の淵源は、憲法第七十八条に求めることができ、格別に問題とするところではない。
第九十七条について
本条は第八十九条第一項を準用しているが、同条のところで問題としたように、この「憲法裁判所の制定した規則」と「法律」とが抵触した場合の両者の効力の優劣が同様に問題となる。この点は、憲法改正に際して立法的解決が必要なところなのである。次に本条で、憲法裁判所に規則制定権が認められているのであるから、それならば敢えて最高裁判所についての規則制定権を認めなくてもよいのではなかろうか。
つまり、本改正草案では、憲法裁判所は具体的事件における法令の憲法適合性をも判断する「司法裁判所」として、「最高裁判所」の上位にあるわけなのだから、憲法裁判所に先ず「裁判所規則制定権」を認め、次に最高裁判所及び下級裁判所に関する規則を定める権限を当該裁判所に委任することができる旨を規定することで十分なのである。
第九十八条について
本条第一号は、「憲法裁判所の合憲性審査の対象」を列記しているのであるが、ここで「命令、規則」とあるが、「条約、法律」という具体的な国法の形式と並べて規定することから、このような「命令」ではなく具体的な国法の形式の名称を記述する必要がある。なぜならば「命令」とは、一般的に行政機関の制定する法規を総称するものだからである。行政機関の制定する法規範とは具体的には、政令、内閣府令、各省の省令、行政委員会の制定する「委員会規則」などである。しかし、そうなると同じく「規則」といっても「衆議院規則」、「参議院規則」、「最高裁判所規則」、最高裁判所の委任を受けた「下級裁判所規則」、「憲法裁判所規則」は立法機関や司法機関の制定する法規範であるから、この「命令」には含まれず、従って、「合憲性審査」の対象とはならないということになるのではなかろうか。さらには、本条第一号の審査対象が国家機関の制定する法規範に限られているように思われるが、地方公共団体の議会の制定する「条例」とか、地方公共団体の長の制定する「規則」ないしは地方公共団体の委員会の制定する「規則」及び「規程」などは明記されてはおらず、合憲性審査の対象とはならないのか否かは明確ではないことになり、不適当である。
第二号は、「内閣総理大臣」及び「国会各議院の三分の二以上の議員」による条約、法律等の「合憲性審査の申立権」を規定しているが、これは奇妙なことである。
先ず、「内閣総理大臣・・・の申し立てにより、条約、法律、命令、規則または処分が憲法に適合するかしないかを審査すること。」と規定している点について検討する。この規定によると、内閣総理大臣は、自ら「国会の承認」を求めるために国会に提出し、国会の承認を得た「条約」について、それが具体的な裁判事件に関係なく、その条約の憲法適合性の審査を「憲法裁判所」に申し立てることができるわけである。しかし、内閣総理大臣が「条約」を「国会の承認」にかけることの意味を考えるべきである。内閣総理大臣は、自らがあるいは内閣が締結した条約を「国会の承認」にかけるということは、その前堤として、当然にその「条約」には憲法適合性があるという内閣総理大臣又は内閣の判断、ないしは確信があってのことと考えるべきである。次に、国会がその「条約を承認した」ということはその条約の政策的な利害得失の判断は当然に行った上で、その条約の「憲法適合性」をも認めたものであると考えるべきである(本改正草案第百十六条参照)。それにもかかわらず、具体的裁判事件とは無関係に、また改めて当該「条約」の「憲法適合性」の審査を「憲法裁判所」に求めると言うことは、内閣総理大臣として、また、国会としてもこれは自己矛盾であり、一方では、「国会の承認」が極めて意義の乏しいものとなってしまうであろう。
次に、第二号では内閣総理大臣に抽象的な、つまり、具体的な裁判事件とは別に「法律」の「違憲性審査請求権」を認めているが、これは「執行権」による「立法権」に対する不当な干渉となり、「三権分立」における「執行権」と「立法権」との間の抑制均衡を乱すこととなるのではなかろうか。
次に、内閣総理大臣には「規則」の「違憲性審査請求権」を認めているが、この「規則」とはその意味する範囲が明確ではないために問題である。本改正草案で「規則」と明記されているものを挙げると、両議院の規則(第六十七条第二項)、最高裁判所規則(第八十九条第一項及び第二項)、下級裁判所規則(第八十九条第三項)、最高裁判所規則(第九十七条)があり、仮に、これらの「規則」と名のつくものすべてについて、具体的裁判事件とは別個に、抽象的な「違憲性審査請求権」を内閣総理大臣に認めることは、やはり「執行権」による「立法権」及び「司法権」に対する強力な干渉となり、執行権が異常に強大化し、前述のように「三権分立」を危うくするものであると思われる。
次に、本条第一号及び第二号に掲げられている「条約、法律」以下の法規範は、例示的列挙であると考えられるが、そうであれば、ここに掲げられていない法規範である「条例」も内閣総理大臣の「違憲性審査請求権」の対象となるものと考えられる。そうなると、内閣総理大臣は、具体的な裁判事件とは別個に、「条例」の抽象的な「違憲立法審査請求権」を有することとなるわけであるが、これは国(「執行権」)の地方公共団体に対する重大な干渉となることであり、本憲法改正草案第百八条の「住民自治」との整合性がないこととなると思われる。
さらに問題は、本条第二号は、「内閣総理大臣または国会のいずれかの議院の総議員の三分の二以上の申し立てにより、・・・または処分が憲法に適合するかしないかを審査すること。」と規定しており、これは第一号と対比してみると前述のように「法規範の抽象的な合憲性審査の申し立て」について規定しているわけであるが、最後に「処分」が掲げられてあり、この「処分」とは「抽象的な処分」というものを想定することは困難であり、「処分」という事の性質上、これは「具体的な処分」を意味するものと考えるべきものと思われる。そうなると、この「処分」についての合憲性審査については既に第一号に規定されているわけであるから、第二号においても規定することは無用な重複となるであろう。
第三号は、「国と地方自治体との間、または地方自治体相互間の権限をめぐる争訟を裁定すること。」と規定しているが、これは現在「司法裁判所」の所管であるものを、本改正草案では「憲法裁判所」の管轄とするわけであるが、それはこの「憲法裁判所の専属管轄」とするつもりなのか、それとも、「最高裁判所」の上に立つ「司法裁判所」としての「憲法裁判所」の所管とする意味なのであろうか。
次に、第四号は「法律で定めるその他の事項」と規定しているが、これはどのような事項を「法律」に委任するつもりなのであろうか。このような「委任」はほとんど「白紙委任」ないしは「包括委任」に近く、極めて不適切な規定である。
第九十九条について
本条は「憲法裁判所の合憲性判決の効力」について規定しているものであるから、当然のこととして現行憲法には無い規定である。そしてこの「違憲判決の効力」は「一般的効力」と規定されている。憲法裁判所を設けて条約、法律等の法規範の合憲性判断を行う以上、その憲法裁判所の判決が「一般的効力」を持つとすることは当然の成り行きである。
現行憲法の下にある最高裁判所を頂点とする裁判所は「司法裁判所」であり、その司法裁判所が法律等の法規範の合憲性審査権を行使する場合とは、具体的な裁判事件を前提として、当該裁判事件を法令等を適用して解決するときの、その適用すべき「法令」について合憲性審査権を行使する場合に限られるわけである。そうなると、その「法令」についての裁判所の合憲性ないしは違憲性の判断は当該裁判事件限りにおいて効力を有するに過ぎないこととなるわけである(個別的効力)。従って、当該「法令」が別の具体的な裁判事件に適用される場合において、当該「法令」の合憲性審査権が行使された場合には、先の合憲性又は違憲性の判断とは異なる判断がなされることは十分あり得ることなのである。これは法的安定性を欠くことであり、この点が従来の「司法裁判所」に認められた「違憲立法審査制度」の短所と言うべき点なわけである。このため、この短所を払拭する目的で考えられたのが、具体的裁判事件を離れて、抽象的に法令等の合憲性審査がなし得る制度であり、ドイツやフランスの「憲法裁判所」である。これらの国の「憲法裁判所」は一種の「行政機関」であり、本改正草案の「憲法裁判所」のような「司法裁判所」でもあるという「憲法裁判所」(第九十八条)は極めて異例なことである。
「憲法裁判所」によって具体的裁判事件とは別に法令等の一般的、抽象的な合憲性審査権の行使がなされた場合の当該憲法裁判所の判決は、当然に一般的効力を有するものであり、さらにまた、憲法裁判所により具体的裁判事件におけるある「法令」が憲法違反であると判断された場合にも、その判断(判決)の効力は当該裁判事件だけに限られず、一般的に当該法令が違憲無効となるものである。特に後者の場合、前述のようにある裁判事件においてはある「法令」が憲法違反と判断されたが、別の裁判事件においては当該「法令」が合憲と判断される(個別的効力)と言う不合理性がこの「憲法裁判所」制度ではあり得ないというわけである。
確かに、理論の上ではその通りなのであるが、それでは現行憲法の下における「司法裁判所」が具体的裁判事件において下した憲法違反の判決の効力が当該裁判事件限りのものである(個別的効力)ことから実際にこのような不都合が生じたであろうか。
以下、この点について、具体的裁判事件を通して最高裁判所が憲法違反と判決した「法律」及び「処分」に対する立法府(国会)及び行政府(内閣)の対応について検討することとする。
(第一点)
昭和三十七年十二月二十八日最高裁判所大法廷判決は「関税法違反事件に関して、第三者が被告人に対する附加刑の効果として所有物を没収される場合には、その第三者についても、告知、弁解、防御の機会を与えることが必要であり、これなくして第三者の所有物を没収することは適正な法律手続によらないで財産権を侵害する制裁を科するにほかならない。したがって、かような手続に関する規定が設けられていない現行法制の下で第三者の所有物を没収することは、憲法第三十一条に違反し、ひいては同第二十九条違反の結果となる。」というものであり、この判決を承けて、「刑事事件における第三者所有物の没収手続に関する応急措置法(昭和三十八年法律第百三十八号)」が制定され、同法は、同年七月十二日に公布、同年八月一日施行された。このような国会の早急な立法措置により、違憲判決の「個別的効力」から生ずるであろう不都合さは顕在化しなかった。
(第二点)
昭和四十八年四月四日最高裁判所大法廷判決は「刑法二百条は、尊属殺の法定刑を死刑又は無期懲役のみに限っている点で、普通殺に関する刑法百九十九条一項に比し著しく不合理な差別扱いをするものであり、憲法十四条一項に違反するものといわなければならない。」としている。この判決を承けた刑法の改正は、平成七年に至るまでなされなかった。もっとも、この最高裁判所の判決を承けて、直近の第七十一回国会において、「刑法の一部を改正する法律案」が衆議院議員立法として提出された。この法律案は二種類あって、その一は日本共産党議員から、その二は公明党議員から提案されたものであり、各々、昭和四十八年七月十一日、十二日に衆議院法務委員会に付託されたが、いずれも第七十一回中には審査未了(廃案)となった。この日本共産党議員提出の刑法改正案は、刑法第三条第六号及び第二百三条中「第二百条」を削ること、第二百条、第二百五条第二項、第二百十八条第二項及び第二百二十条第二項を削除するという内容のものである。これは、憲法第十四条の「法の下の平等」の見地から見て、尊属殺、尊属致死傷、尊属に対する保護責任者遺棄、尊属に対する逮捕監禁の規定を削除するというものであり、公明党議員提出の法律案もほぼ同趣旨のものである。
このようにして、国会は最高裁判所の違憲判決を承けた刑法第二百条の改正をしなかった理由としては、同判決が尊属殺と普通殺とで刑罰に差異を設けること自体を憲法違反とするものではなく、この両者の刑罰の重さ程度が甚だしいことが「法の下の平等」に違反し違憲無効であると言うものであると考えられたからである。事実、その後の「尊属傷害致死」に関する最高裁判所は、尊属致死傷の罪(刑法第二百五条第二項)は、(普通)傷害致死の罪(同法同条第一項)に比して憲法第十四条に違反しない旨を判決している。これは、尊属致死傷の罪と普通致死傷の罪とはその罰則の程度には差異があるが、その差異は憲法の規定する「法の下の平等」に違反する程のものではないとの判断があるわけである。このような最高裁判所の憲法判断から見て、刑法第二百条の「尊属殺」の刑罰については、同法第百九十九条の「普通殺」の刑罰と差異を設けること自体は許容されるとして、それではどの程度の差異であるとするならば両者の刑罰が均衡がとれて「法の下の平等」に違反しないのかが問題であったわけであった。一方、最高裁判所の下した刑法第二百条の憲法違反判決を承けて内閣としては、以後、同様な刑事事件裁判において検察官は刑法第二百条による起訴はしない方針としたこともあって、刑法第二百条の改正は立ち消えとなってしまったのである。従って、裁判所の違憲判決の効力が「個別的効力」であることは格別の不都合を来すことはなかったわけである。
(第三点)
昭和五十年四月三十日最高裁判所大法廷判決は、「薬局の開設等の許可基準の一として地域的制限を定めた規定は、不良医薬品の供給の防止等の目的のために必要かつ合理的な規制を定めたものということができないから、憲法第二十二条第一項に違反し、無効である。」とした。この判決を承けて、第七十五回国会で衆議院議員立法である「薬事法の一部を改正する法律(昭和五十年法律第十三号)」の制定を見、同法は昭和五十年六月十三日に公布された。
(第四点)
昭和六十年七月十七日最高裁判所大法廷判決は、「公職選挙法第十三条第一項、同法別表附則第七項ないし第九項の衆議院議員の議員定数配分規定は、昭和五十八年十二月十八日施行の衆議院議員選挙当時、全体として憲法十四条一項に違反していたものである。衆議院議員選挙が本条一項に違反する議員定数配分規定に基づいて行われたことによって違法な場合であっても、選挙を無効とする結果余儀なくされる不都合を回避することを相当とする事情があるときは、いわゆる事情判決の制度の基礎に存するものと解すべき一般的な法の基本原則に従い、選挙無効の請求を棄却するとともに主文において当該選挙が違法である旨を宣言すべきである。」とした。この判決を承けて、第百四回国会で「公職選挙法の一部を改正する法律(昭和六十一年法律第六十七号)」が制定され、同法は同年五月二十三日に公布された。
(第五点)
昭和六十二年四月二十二日最高裁判所大法廷判決は、「森林が共有であることと、森林の協同経営とは直接関連するものではなく、共有林の共有者間の権利義務についての規制と森林経営の安定という立法目的との間に合理的関連性があるとはいえないから、共有林についてその経営の安定を図るため、持ち分価額が二分の一以下の共有者からの分割請求を禁止している森林法第百八十六条の規定は、憲法第二十九条第二項に違反し無効である。」とした。この判決を承けて、第百八回国会で「森林法の一部を改正する法律(昭和六十二年法律第四十八号)」が制定され、同法は、昭和六十二年六月二日に公布された。
以上のような最高裁判所の「違憲判決」は、「司法裁判所」としての「最高裁判所の判決」であるから、具体的な裁判事件における「違憲判決」であり、この判決の効力は、当該裁判事件限りのものである(個別的効力)。しかし、そのことから招来するであろうと予想される法的不安定さは、前述のように、違憲判決を承けた立法府や行政府の早急な対応により払拭されて来ているわけである。従って、裁判所の権限としての「違憲判決」制度は、従来からの「司法裁判所」で十分であって、違憲判決に「一般的効力」を持たせるための「憲法裁判所」を新たに設ける必要はないのである。
第百条について
本条第一項は、憲法第八十三条の規定を引き写したものであるが、格別の問題はない。
第二項は、現行憲法には無い新設の規定であり、適切な規定である。
第百一条について
本条は、憲法第八十四条の規定を引き写したものであるが、格別の問題はない。
第百二条について
本条は、憲法第八十五条を引き写したものであるが、格別の問題はない。
第百三条について
本条第一項は、憲法第八十六条を承継したものであるが、憲法では「内閣」とあるのを「内閣総理大臣」と、「予算」とあるのを「予算案」と改めている。前者については、本改正草案では「執政権(行政権)」が内閣総理大臣となっていることからそのように改められるべきものである。問題は、「予算」を「予算案」と改めたことである。このような改正は、読売新聞社の「2004年憲法改正試案」や、平成十七年の「自民党新憲法草案」においても見受けられるものである。現行憲法においては「予算案」ではなく「予算」が「国会に提出」されて、国会は、当該「予算」を審議し、かつ、議決することにより「予算成立」に至るという説明がなされているのであるが、「国会の議決」で「予算が成立する」ということは、内閣から提出され「国会の審議、かつ、議決」に供される「案件」は「予算」ではなく「予算案」であるとした方が納得し易いものである。そうなると、憲法第七十三条が、内閣の職務として第五号で「予算を作成して国会に提出すること。」とあるのは、「予算」ではなく「予算案」としなければならないわけである。この点について本改正草案では第八十二条が「内閣総理大臣の職務」として、第五号が「予算案を作成して国会に提出すること。」と規定していることは首尾一貫しているわけである。ところで「予算案の作成及びその国会提出」権限は「執行権」に属し、「予算制定権」は「立法府(国会)」に属すると言うことが合理的であるか否かは疑問である。民主主義を強調する立場からは、国民の代表者で構成する「国会(立法府)」に「予算制定権」(国会の議決により初めて「予算」が成立すると言う意味)あるとすることは「当然の理」のように思われる。しかし、この考え方で行くと現行憲法の下で、「国会による予算の修正」については、「内閣の予算編成権を侵害しない限度で認められる」という見解ですら不適当に思われるのである。
この点について、本改正草案では「国会の審議及び議決」の対象となる「案件」としては、明確に「予算案」(「予算」ではない)となったわけであるから、当該案件(つまり「予算案」)に対して国会の修正には限度がないこととなろうか。なぜならば、「国会」が「予算を作成する」わけであるから当然にそのように解することができるからである。
しかし、そうなると、実質的な「予算の作成」権限を有する国家機関が「内閣(あるいは「内閣総理大臣」)」と「国会」ということとなり実質的な権限の重複、競合を来たし、極めて不合理である。「予算の作成」までをも「国会」(立法府)の権限とすることは民主主義の過度の強調であり、実質的にみれば非現実的であり、民主主義を不合理なまでに擬制するにすぎないと思われる。現行憲法のように、内閣(あるいは内閣総理大臣でもよいが)は「予算を作成して国会に提出すること」であるべきではなかろうか。つまり、内閣限りで「予算」は制定(作成)できるのであり、従って、それを「国会が議決する」ということは「予算の成立要件」ではなくして、「予算の効力発生要件」と解すべきではなかろうか。
このように考えることができるのであるから、本改正試案において「予算案」とあるのは「予算」と改めるべきである。
ところで、この第百三条第一項は、予算案は毎会計年度毎に作成し、国会の議決を経るという制度であり、このことは現行憲法と同じである(第八十六条)。これは財政民主主義の観点からは望ましいものであるが、一方では、新会計年度が始まるまでに政治的理由から当該会計年度予算が成立していない事態が生ずることがあり、この場合においては、財政法(昭和二十二年法律第三十四号)第三十条が「暫定予算」の制度を規定しており、これによって予算不成立の不都合さを回避している。しかし、このような法律の次元で制度を設けるためにもやはり憲法上にその根拠を規定すべきである。この点において、「自民党新憲法草案」は以下のように規定しており、これは大いに参考になると思われる。
(予算)
第八十六条 内閣は、毎会計年度の予算案を作成し、国会に提出して、その審議を受け、議決を経なければならない。
2 当該会計年度開始前に前項の議決がなかつたときは、内閣は、法律の定めるところにより、同項の議決を経るまでの間、必要な支出をすることができる。
3 前項の規定による支出については、内閣は、事後に国会の承諾を得なければならない。
この第二項及び第三項は、前述の財政法第三十条に規定する「暫定予算」制度の憲法上の根拠規定となるわけであるが、ここで、財政法第三十条について検討が必要である。
財政法第三十条は、「暫定予算」について以下のように規定している。
第三十条 内閣は、必要に応じて、一会計年度のうちの一定期間に係る暫定予算を作成し、これを国会に提出することができる。
2 暫定予算は、当該年度の予算が成立したときは、失効するものとし、暫定予算に基く支出又はこれに基く債務の負担があるときは、これを当該年度の予算に基いてなしたものとみなす。
このように第一項では「必要に応じて、・・・暫定予算を作成し、これを国会に提出することができる。」とあることから、この「暫定予算」の「作成及び国会提出」は内閣の権限として規定されているわけであり、従って、この「暫定予算」が内閣によって作成されない場合、又は暫定予算が国会に提出されたが国会の議決を得るに至らなかったという場合が有り得るのである。仮にそのような事態になれば、新会計年度が到来したにもかかわらず(当該会計年度予算が存在しないことは言うに及ばず)「暫定予算」も成立しないわけだからその期間は我が国に「予算が存在しない」ということである。これが「予算の空白」と呼称するものである。そして、このような「予算の空白」は観念上の事態ではなく、過去において何度か出現した事態なのである。そこで、昭和五十三年度から昭和五十七年度にかけて、「予算の空白」が生じた例を挙げてみると、以下のようである。
1)昭和五十三年度予算は、同年三月三十一日迄に成立せず、また、「暫定予算」も成立せず、昭和五十三年度予算の成立の日は、同年四月四日であり、従って、四月一日から同日に至る間は「予算の空白」と言う事態を生じたわけである。
2)昭和五十四年度予算は、同年四月三日に成立したため、四月一日から予算成立の日までの間は、「予算の空白」を生じたのである。
3)昭和五十五年度予算は、同年四月四日に成立したため、四月一日から予算成立の日までの間は、「予算の空白」を生じたのである。
4)昭和五十六年度予算は、同年四月二日に成立したため、四月一日から予算成立の日までの間は、「予算の空白」を生じたのである。
5)昭和五十七年度予算は、同年四月五日に成立したため、四月一日から予算成立の日までの間は、「予算の空白」を生じたのである。
このようにして、「予算の空白」が生じる場合が現実に有り得るのであり、問題はその「予算の空白」の間において、法的に「国費の支出」を要する場合には国としてはどう対処すべきかということである。とにかく、この間は「国家の予算」が全く存在しないわけだから、「国費の支出」は一切認められないわけである。しかし、一方では、法的に国は一定の支出をしなければならないのであり、もし国がこの支出を為さないとするならば、国は違法行為あるいは債務不履行を行ったということになるわけである。このため、過去において国としては以下に掲げるような対応をして来ているのである。
1)被収容者作業賞与金等 監獄法等に基づき支給される被収容者作業賞与金等については、第三者による立替え(矯正施設ごとの職員会の積立金)で対処した。
2)供託金利子供託法に基づく供託金の利子の支払については、予算決算及び会計令により供託金(歳入歳出外現金)の繰替使用で対処した。
3)郵便貯金の支払利子、簡易生命保険等の還付金等郵便貯金法に基づく支払利子、定額貯金割増金及び簡易生命保険法に基づく還付金等の支払については、予算決算及び会計令による郵政官署における現金の繰替使用で対処した。
4)失業給付金等雇用保険法等に基づき四週間に一回ごと指定された日に支給されることになっており、前年度歳出予算の残を使用して支払い、予算成立後に年度更正、科目更正を行って対処した。
5)生活保護費受給者への支払及び支払日の決定は、各都道府県等が行っており、毎月五日が大半を占めている。支払日から補助金交付決定の日までの間の国庫負担分については、予算成立後速やかに交付決定することとしている。
6)証人及び参考人等の旅費刑事訴訟費用等に関する法律に基づいて出頭する証人等の旅費については、予算成立後精算払した。
7)国選弁護人報酬刑事訴訟費用等に関する法律に基づいて出頭する証人等の旅費については、予算成立後に後払した。
8)資金運用部預託金利子資金運用部資金法に基づく利子の支払については、予算成立後に後払した。
9)立法事務費国会における各会派に対する立法事務費の交付に関する規程により毎月一日に交付されることとなっているが、両院議長決裁により、予算成立の日の翌日まで交付期日を延期した。
10)国会職員の給与費国会職員の給与等に関する規程により毎月五日に支給されることになっているが、両院の事務総長及び国立国会図書館長の決裁により、予算成立の日の翌日まで支給日を延期した。
11)参議院速記生徒手当国会職員の給料等の支給期日の延期の取扱いに準じて対処した。
12)食糧費(刑務所等被収容者、国立更生擁護機関入所者、国立病院患者等)前年度からの持越食糧により対処した。
13)医薬品等購入費(国立学校、国立病院等)前年度からの持越医薬品等により対処した。
14)年金給付のうち脱退手当金、死亡一時金等厚生年金保険法、国民年金法等に基づき支払われるいわゆる随時払分については、予算の空白期間に裁定されたものがない。
以上のような「予算の空白」について内閣はどう考えているのか、参議院議員の「予算の空白に関する質問趣意書」(国会法第七十四条)に対して、内閣総理大臣臨時代理国務大臣中曽根康弘は、昭和五十七年六月十五日の「答弁書(内閣参質九十六第十五号)」で以下のように答弁している。
「いわゆる予算の空白は、現行財政会計制度上は予定されておらず、好ましい事態ではないが、各般の事情から予算の空白が生ずる場合がないわけではなく、これまでにも遺憾ながら予算の空白が生じた事例があることも事実である。予算の空白を生じた期間中は、新年度の予算の執行は行い得ないが、この間の国政の円滑な運営に支障を生ずる、立替払等の方法により、新年度の予算の執行とならない形でやむを得ず必要最小限度の財務処理を行っている。このような方法により対処可能な限界については、支払等を必要とする経費等の状況により一概に言えるものではないが、新年度予算の執行が行い得ないという面からみると、このような処理が可能な期間はごく短い限られたもので、その間の経費の支払等も、このような処理が可能な最小限度のものであると考える。いずれにしても、政府としては、財政法の趣旨に沿い、予算の空白によって国政の円滑な運営に支障を生ずることのないよう、国会の予算審議を尊重しつつ、適切に配意してまいりたい。」
このような「予算の空白」という事態を生ずることがないように、前述の「自民党新憲法草案」第八十六条のような規定が設けられなければならないと思われる。
第百四条について
本条は、憲法第八十七条の規定の引き写しであるが、憲法では「内閣」とあるところを本改正草案では「内閣総理大臣」としているところが相違点である。これは、本改正草案では「執政権(行政権)」が「内閣」ではなく「内閣総理大臣」としていることに由来するものである。第一項は「・・・予備費を設け内閣総理大臣の責任でこれを支出する」とあり、第二項は「すべて予備費の支出については、内閣総理大臣は、事後に国会の承諾を得なければならない」と規定しているが、この両項を見ると、ここで規定している「予備費」はすべて「執行権に所属する予算の予備費」であり、それ以外の国家機関、例えば、「立法府」及び「司法府」が所管する予算の予備費については規定していないのである。このことは、改正草案第百四条が「引き写した」現行憲法第八十七条についてもいえることであるので、憲法第八十七条について問題とすることとする。憲法は三権分立の国家統治機構としているのであり、このため、これらの三権は各々独立して自らの「予算」を所管しており、従ってその「予備費」もその独立して所管する「予算」について設けられるものである。ところが、内閣所管の「予算」についてのみ「予備費」が憲法上に明文の規定を設けており、一方では「立法府所管の予算」についての「予備費」及び「司法府所管の予算」についての「予備費」は憲法上に明文の規定が設けられていないのである。それでは、これらの「予備費」については法的な根拠規定が無いのかといえば、そうではなく、立法府(衆議院及び参議院が各々独立して所管する)所管の「予算」の「予備費」は、「国会法(昭和二十二年法律第七十九号)」第三十二条の二及び「国会予備金に関する法律(昭和二十二年法律第八十二号)」が「予備金」という名称で「予備費」と同趣旨の規定を設けているのである。また、司法府(裁判所)所管の「予備費」についても前述のように憲法には明文の規定はなく、「裁判所法(昭和二十二年法律第五十九号)」第八十三条第二項及び「裁判所予備金に関する法律(昭和二十二年法律第百十七号)」が「予備金」という名称でやはり「予備費」と同趣旨の規定を設けているのである。このようにして、憲法は三権分立の統治機構を規定していながら、このうちの「内閣」所管の「予算」についての「予備費」だけを憲法上に明文の規定を置き、一方では、国会及び裁判所の所管する「予算」の「予備費」については憲法よりも下位の法規範である「法律」に規定しているのである。これは、「三権分立」の上から均衡を失するものであり、憲法改正においては「立法府」及び「司法府」の「予算」の「予備費」についても憲法上に明文の規定を設けるべきものである。
第百五条について
本条は、憲法第八十八条の規定の引き写しであるが、格別の問題はない。
第百六条について
本条は、憲法第九十条を引き写した部分と新設の「項」を追加した部分とで成り立っている。先ず、第一項は、「会計検査院は、参議院の委任に基づいて国の財務を検査する最高監査機関である。」と規定する点は、現行憲法が「国の収入支出の決算は、すべて毎年会計検査院がこれを検査し、」と規定することと異なるところである。今回の改正草案がなぜ、会計検査院の権限の行使が「参議院の委任に基づく」こととするのか理由が明らかでない。あるいは参議院に憲法上新たな権限を付与することとよって、参議院の特色を際だたそうとする立案者の意図のようであるが、そのためにはそれだけの実質的な理由が必要ではなかろうか。
次に、第二項は「国の収入支出の決算は、すべて毎年会計検査院がこれを検査し、次の年度に参議院に報告書を提出して、その承認を得なければならない。」と規定するが、これは、現行憲法が「国の収入支出の決算」及びその「検査報告」は「国会に提出しなければならない」と規定しているのとの相違点である。このように改正草案では「国会」ではなく「参議院」に提出し、参議院の承認を得なければならない旨を規定している点が甚だ奇異である。国民の代表者で構成する両議院のうちの第一院である「衆議院」への提出及び衆議院の承認については何ら規定していないのはいかなる理由によるものであろうか。
さらに第三項は「参議院は、決算の審査に際して、内閣総理大臣に対する勧告を決議することができる。」と規定する。これも現行憲法には無い新設の規定であるが、第二項を承けていることから、ここでも「参議院」が「決算の審査に際して、内閣総理大臣に対する勧告を決議することができる」として、「衆議院」には無い権限を付与することとしているのである。このように参議院が、「決算の審査に際して・・・勧告を決議する」ということは、どういう意味なのか。「衆議院」にはこの「決算の審査」権限は無いと言うことのように思われるが、これは立法政策的に見て極めて不合理なものではなかろうか。
このように見てくると、改正草案第百六条については、立案者は、現行憲法と比較して何としても参議院の特徴を引き出そうとすることに急な余り、合理的な説明のつかないような権限を参議院に付与しているように思われる。
第百七条について
本条は、憲法第九十一条を引き写したものであるが、憲法では「内閣」とあるのを「内閣総理大臣」としている。これは本憲法改正草案が「執政権(行政権)」が「内閣」ではなく「内閣総理大臣」に在ることからくる相違点である。
第百八条について
本条は、憲法第九十二条に相当する規定であり、憲法第九十二条が「地方自治の本旨に基いて」とあるのを、「基礎自治体による住民自治の原則に基づいて」と改めているのが憲法との相違点であり、このように改めた方がより明快であり、適切である。
第百九条について
本条は、憲法第九十三条に相当する規定である。本条の条文の「見出し」が「基礎自治体の組織」とあり、第百十条では条文の「見出し」が「広域行政の組織」とあることから、この両者を対比して考えると、第百九条の「基礎的自治体」とは、「府県」及び「道州」よりは規模が小さいことが伺われ、現在の「市町村」に相当するものであろうか。しかし、敢えて「市町村」と明記しなかったので明らかではないが(次条では「広域行政組織」については「府県」及び「道州」と言う「熟した用語」を用いている)、「市町村」よりは大規模な自治体を想定しているのであろうか。例えば、現在地方自治法に規定する「特別地方公共団体」である「一部事務組合」、「全部事務組合」、「役場事務組合」あるいは「広域連合」のようなものを想定しているのであろうか。
ところで、基礎自治体の議事機関は、第一項により住民の直接選挙によるが、首長は、第二項により、住民の選任によるか、または議事機関の選任によることとしている。つまり、大統領制か又は議院内閣制的であるかのいずれかによるとしているわけである。
なお、現在、地方自治法第九十四条は「町村は、条例で、第八十九条の規定にかかわらず、議会を置かず、選挙権を有する者の総会を設けることができる。」とあり、これが「町村総会」と称するものである。これは、憲法第九十三条第一項が「地方公共団体には、法律の定めるところにより、その議事機関として議会を設置する。」と規定しているところが、やや憲法違反の疑義があるが、憲法の規定する代表民主主義を一歩進めた「直接民主主義」を実現したものとして違憲ではないものと考えられる。この点、本憲法改正草案の立案者は「基礎自治体」において、「議会」の代わりにこのような「住民総会」が認められるための明文の規定を設けようとする意図はないのであろうか。
第百十条について
本条は、憲法にはない新設の規定である。本条は「府県または道州の組織には、法律の定めるところにより、住民の直接選挙に基づく議事機関としての議会および首長を置く。」と規定しているが、ここで「府県または道州の組織には」ということの意味するところが明白ではない。これは地方公共団体のうちの「広域行政の組織」としては「府県」か、あるいは「道州」かのいずれかに限られ、そこには議事機関としての議会、及び首長を置くという意味なのか、それとも「広域行政の組織」としては「府県」及び「道州」のいずれも置くが、その中で「府県」又は「道州」のいずれかには議会と首長は必置の機関であるという意味なのか明確ではない。とにかく、「府県または道州の組織には」と表現する場合には、広域行政組織としての「府県」と「道州」の両者は「または」という選択的接続詞で結ばれていることから、「広域行政の組織」としての「府県」を設置する場合には、同じく「広域行政の組織」としての「道州」は設置しないし、その逆も有り得る、つまり、「広域行政の組織」としての「府県」と「道州」とは併存しないと解される余地があるわけである。あるいは、日本全域のある地域は「府県」を設け、他のある地域には「道州」を設けるという意味なのであろうか。「府県」あるいは「道州」か、そのいずれかしか認めないと言うことであるが、しかしこれにはどのような合理性があるのであろうか。
現行憲法においては、地方公共団体の具体的な形態については明記していないのであり、それは法律に任されていると解することができるのである。従って、現在、「道州制」の構想が何等憲法問題の議論を要しないで自由に議論されているのである。この点、本改正草案では敢えて憲法上に「道州」に関し明記するのであるから、それならばこの「道州」自体について及び「道州と府県」の関係についてより具体的で明確な規定を設けるべきではなかろうか。
本改正草案第百九条及び第百十条に共通して問題となる点は、基礎的自治体の議事機関及び首長は住民の直接選挙又は選任によるとし、府県、道州の議会及び首長も住民の直接選挙に基づく旨を定めていることであり、これらは基本的には現行憲法第九十三条第二項が「地方公共団体の長、その議会の議員・・・は、その地方公共団体の住民が、直接これを選挙する」と規定するところを承継したものである。この場合の「住民」とは日本国籍を有しない者(外国人である者)をも含むものであるか否かが問題なのである。もしそのような者をもこの「住民」に含まれると言うのであれば、日本国籍を有しない者である「住民」にも当該地方公共団体の議会の議員及び長の選挙権が認められるということになるわけである。この点について、平成七年二月二十八日の最高裁判所第三小法廷判決は以下のような判決を下している。
・・・我が国に在留する外国人のうちでも永住者等であってその居住する区域の地方公共団体と特段に緊密な関係を保つに至ったと認められるものについて、その意思を日常生活に密接な関連を有する地方公共団体の公共的事務の処理に反映させるべく、法律をもって、地方公共団体の長、その議会の議員等に対する選挙権を付与する措置を講ずることは、憲法上禁止されているものではないと解するのが相当である。しかしながら、右のような措置を講ずるか否かは、専ら国の立法政策にかかわる事柄であって、このような措置を講じないからといって違憲の問題を生ずるものではない。
本改正草案の起草者は、外国人の地方自治体の議会の議員及び長に対する選挙権についてはどのように考えているのであろうか。憲法改正に際してはこの点を明確にしておくべきではなかろうか。
第百十一条について
本条第一項は、現行憲法第九十四条を引き写したものである。ここで「法律の範囲内で条例を制定することができる。」とある点については、若干の工夫が必要ではなかろうか。
地方公共団体の議会の制定する条例には、いわゆる「公害防止条例」とか、「環境保全条例」と総称される種々の条例があり、これらの条例には法律又は法律の委任を受けた政令等が禁止している環境汚染物質以外の物質をも環境汚染物質としてその排出を禁止又は規制しているものがあり(これを「横出し条例」と称する)、及び法律又はその委任を受けた政令等で定める排出基準よりも厳格な排出基準を規定しているもの(これを「上乗せ条例」と称する)がしばしば見受けられるのであり、これらの条例は「法律の範囲内」を超えた「条例」ということになり、従ってこれは憲法違反ではないかとの問題が生ずるのである。この点、環境基本法を具体的に実施する法律について見るならば、例えば、化学物質が大気、水質又は土壌等を汚染するものである場合に、それらの汚染物質の特定、限定及びそれらの物質の排出限度が法律又は法律の委任を受けた政令等で規定される場合に、環境保全条例によっては法律においては環境汚染物質には含まれないものまでも環境汚染物質として排出規制の対象としたり、また、環境汚染物質の排出規制を法律よりも厳格にすることが規定されているのである。現在このような「条例」の憲法適合性については、環境保全の特殊性からして、環境保全立法の規定は、言わばナショナルミニマムを設定したものであるから、個々の条例においてはその地域の特殊性に即応して、法律では規制の対象とはならない化学物質を環境汚染物質として排出規制の対象とし、又は環境汚染物質に対して法律の規制よりも厳しい排出規制を行うことも環境保全立法の趣旨目的に適うものとして、憲法第九十四条の「法律の範囲内で条例を制定する・・・」には違反しないと解されるに至っている。このことは、格別に環境保全立法と環境保全条例との関係だけに妥当するものではなく、その他の特定の分野における「法律」と「条例」の関係においても是認されるべきものであると解されている。
そこで、「法律」と「条例」との関係を前述のように解釈することがより一般的に受け入れられるものであるためには、今回の改正草案のように憲法第九十四条の引き写しであってはもの足りないのである。この点について、前述の読売新聞社の「憲法改正2004年試案」第百十三条第一項は「地方公共団体は、・・・、法律の趣旨に反しない範囲内で条例を制定することができる。」と規定しており、この規定が大いに参考となるものと考えられる。
改正草案第百十一条第二項は「地方自治体は、条例により租税を課すことができる。」と規定しており、これは憲法には無い新設の規定である。しかし、このような規定内容であるとすると、具体的な場合においては、この租税に関する「条例」と「法律」とが抵触することが考えられるわけであり、また、本改正草案第百十一条第一項では「・・・法律の範囲内で条例を制定することができる。」と規定しているわけであるから、敢えて「・・・条例により租税を課すことができる。」と規定する必要もないのではなかろうか。それを敢えて規定したとするならば、「租税」の重要性から確認的に規定したものとも考えることができるのであり、もしそうであるならば、第二項は、「地方自治体は、法律の範囲内で条例により租税を課すことができる。」と規定すべきではなかろうか。
なお、地方税法(昭和二十五年法律第二百二十六号)第三条第一項は「地方団体は、その地方税の税目、課税客体、課税標準、税率その他賦課徴収について定めをするには、当該地方公共団体の条例によらなければならない。」と規定しており、この規定に基づいて「条例」が制定されている。
第百十二条について
本条は、憲法には無い新設の規定である。ここで「国の専権事項」として、第一号から第十二号までに、「国が排他的に処理する権限事項」を列挙しているのであるが、この規定からみると、これら十二の事項は「限定的列挙」と解することができるのであるが、このように具体的に「国の専権事項」を規定すると、これ以外の事項について「国が排他的に処理する」ことの必要が生じたときには、その都度同条を改正(憲法改正)しなければならないこととなり、これは立法政策的に見て極めて不適切ではなかろうか。特に、第八号が「刑法、民法、商法、労働法および訴訟法」と規定している点を問題に取り上げてみる。ここで、「刑法」と具体的な法律の題名を挙げているようであるが、この「刑法」とは、「刑法(明治四十年法律第四十五号)」を指すのか、それとも一般的に「刑事法」ということを意味しているのか疑義が生ずるのである。かりに、前者であるとすると、この「刑法」には規定されていない他の犯罪に関する法律、例えば、「サリン等による人身被害の防止に関する法律」、「流通食品への毒物の混入等の防止等に関する特別措置法」、「航空機の強取等の処罰に関する法律(俗に「ハイジャック防止法」)」、「組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律」なども掲げなければ均衡がとれないこととなるわけである。
また、例えばここで「商法」とあるが、これは「明治三十二年法律第四十八号」を意味しているとするならば、同法の主要な部分、つまり「株式会社」等の会社について規定している部分については「会社法(平成十七年法律第八十六号)」に規定されることとなって、「商法」から抜けてしまっており、このため本憲法改正草案第百十二条第八号には「会社法」を加えなければならないこととなる。このようにして、法律の改正によっては、その法律改正に随伴して憲法(第百十二条)自体を改正をしなければならないという極めて不便、不都合な事態を招来することとなるわけである。
さらに、第八号は「労働法および訴訟法」とあるが、その前の「刑法、民法、商法」は具体的な法律の題名であるのに比して、この「労働法」及び「訴訟法」という表現は、具体的な法律の題名ではないのである。「労働法」という場合には労働基準法、労働組合法、労働関係調整法をいわゆる「労働三法」と呼称するのであり、これに限らず、労働安全法、労働契約承継法、労働者災害補償保険法、労働審判法等も含むとする考え方もあり、具体的にはどのような題名の法律までをもこの「労働法」に包含するのか明確ではない。また、ここで「訴訟法」という場合にも同様に、どのような法律までをも包含するのか明確ではない。
この第百十二条は、「国の専管事項」として「国は、左の事項を処理する排他的な権限を有する。」と規定するのであるから、そうであれば、なお一層この「排他的権限事項」の範囲ないし限界は明確でなければならないのである。
第百十三条について
本条は、憲法第九十五条の規定の引き写しである。憲法第九十五条は「一の地方公共団体にのみ適用される特別法は、法律の定めるところにより、その地方公共団体の住民の投票においてその過半数の同意を得なければ、国会はこれを制定することができない。」と規定しており、ここで「一の地方公共団体にのみ適用される」とあるところを本改正草案では誤解のないように「特定の地方公共団体にのみ適用される」と改めているのである。
ところで、この憲法第九十五条は問題のある規定とされている。これについて宮沢俊義教授は以下のように説いている。
本条にいう「一の地方公共団体のみに適用される特別法」の意味は、はなはだしく明確を欠く。そこで、ある法律が制定される場合にそれがはたして本条にいう「特別法」に該当するかどうかについては、だれかが公権的にそれを判断することが、実際問題として、きわめて望ましい。この点について、本条はなんら規定するところがないが、本条の趣旨からいって、ある法律がはたして本条にいう「特別法」に該当するかどうかは、もっぱらそれを制定する国会が判断すべきものであろう(宮沢俊義著・芦部信喜補訂『全訂日本国憲法』777頁から778頁)。
宮沢教授の説くように、憲法第九十五条の実際の運用は、ある法律がこの「特別法」であるか否かの判断はそれを制定する国会がなしてきており、例えば、この「特別法」として最初に制定された「広島平和記念都市建設法(昭和二十四年法律第二百十九号)」は、衆議院議員提出法案第七号として、昭和二十四年五月十日に国会に提出され、衆議院先議の法律案として、衆議院の委員会審議省略、五月十日衆議院本会議可決、参議院に送付、参議院の委員会審査省略、五月十一日参議院本会議可決、五月十四日内閣へ送付、七月七日住民投票、八月四日内閣から確定通知、八月六日同法公布、という経過をたどっている。これ以降の次に掲げる諸々の「特別法」も同様な制定手続及び経過を辿っている(昭和六十三年版『参議院先例諸表』401頁から404頁による)。
1) 広島平和記念都市建設法(昭和二十四年法律第二百十九号)
2) 長崎国際文化都市建設法(昭和二十四年法律第二百二十号)
3) 別府国際観光温泉文化都市建設法(昭和二十五年法律第二百二十一号)
4) 熱海国際観光温泉文化都市建設法(昭和二十五年法律第二百三十三号)
5) 伊東国際観光温泉文化都市建設法(昭和二十五年法律第二百二十二号)
6) 首都建設法(昭和二十五年法律第二百十九号)
7) 旧軍港市転換法(昭和二十五年法律第二百二十号)
8) 京都国際文化観光都市建設法(昭和二十五年法律第二百五十一号)
9) 奈良国際文化観光都市建設法(昭和二十五年法律第二百五十号)
10) 横浜国際港都建設法(昭和二十五年法律第二百四十八号)
11) 神戸国際港都建設法(昭和二十五年法律第二百四十九号)
12) 松江国際文化観光都市建設法(昭和二十六年法律第七号)
13) 芦屋国際文化住宅都市建設法(昭和二十六年法律第八号)
14) 松山国際観光温泉文化都市建設法(昭和二十六年法律第百十七号)
15) 軽井沢国際親善文化観光都市建設法(昭和二十六年法律第二百五十三号)
16) 伊東国際観光温泉文化都市建設法の一部を改正する法律(昭和二十七年法律第三百十二号)
以上が、過去に制定された憲法第九十五条の規定に基づく「地方自治特別法」のすべてであり、このうちの6)「首都建設法」は、首都圏整備法(昭和三十一年法律第八十三号)附則第四項によって廃止された。この「首都圏整備法」それ自身は憲法第九十五条の「特別法」とはされなかった。また、16)「伊東国際観光温泉文化都市建設法の一部を改正する法律」は、「一部改正法」ではあるが、「一部改正法」とは、それによって改正される法律といわば一体であると考えられるのであり、従って、改正される法律が「特別法」であればその一部改正法も当然に「特別法」なのである。
以上の1)から16)までの法律の題名を見れば明白であるが、これらは「都市建設」を内容とするものないしは都市建設に関わる内容の法律であり、昭和二十四年から昭和二十七年にかけて制定されたものであるが、前掲の16)「伊東国際観光温泉文化都市建設法」の一部を改正する法律の制定を最後として、以来、今日に至るまで五十有余年に渡って特別法は制定されていないのである。この昭和二十七年という年は、第二次世界大戦後の連合国の日本占領が終結し、GHQの支配から日本が解放された年である。この「地方自治特別法の住民投票制度」は元々GHQのマッカーサー元帥の肝煎りで同元帥のスタッフの作成した「マッカーサー草案」に淵源が存するのであり、アメリカ合衆国の若干の州において見られる制度であると言われている。このため、我が国においては全く存在しなかった制度であり、それでも、日本国憲法施行後でGHQ支配下にあった期間は、前掲のような「地方自治特別法」の制定を見たのであるが、元々我が国に無かった制度であり、どのようにして他の法律とこの「地方自治特別法」とを区別するのかという確固たる基準のないままに経過するうちに、我が国と連合国側との間で締結された講和条約の発効及びGHQの日本支配の終焉に伴って、この「地方自治特別法」と称される法律が制定されることが無くなったという経緯を辿って来ているのである。
またこの「地方自治特別法」は、前述のように「地方自治特別法」と、その他の法律との区別する基準が明確でないことに加えて、仮に、国会がある法律を「地方自治特別法」として議決した場合の、それ以後のその法律を当該地方公共団体の「住民投票」に掛けるまでの手続の煩雑も、この「地方自治特別法」が「法律案」として国会に提案されない大きな理由にようにも思われる。
なお、「地方自治特別法」とそうでない法律との差異について、宮沢俊義教授は、さらに以下のように説いている(同著781頁から782頁)。
ある法律がはたして「一の地方公共団体のみに適用される特別法」と見るべきかどうかについての客観的な基準がないので、従来の実例においても見られるとおり、本条の実際的適用は、はなはだしくすっきりしないものがある。本条に該当する法律として取り扱われたものについて見ても、はたしてそれらが本条に該当すると見るべきであるか、また、それらについて国会の議決のほかに住民投票を行うだけの合理的な理由があるか、甚だ疑わしいものが少なくない。これらの事情を考慮した結果、本条は、全体として、次のように解するのが、おそらくもっともその精神に合致するゆえんであろうか。
ある種類の地方公共団体に一般的に適用される法律の規定に対し、その種類に属する特定の地方公共団体に関し、法律で、その地方公共団体としての本質にふれるような重要な例外ないし特例−特に不利益を与える場合−を定めようとするときは、国会は、これを本条にいう「特別法」として、国会の議決を経た後、さらにその地方公共団体の住民の投票に附し、その過半数の同意を得なければ、法律として成立しないものとすることができる。
この宮沢俊義教授の説くところは憲法第九十五条の一つの有力な解釈ではあるが、そうなると本条は極めて奇妙な規定であると言わざるを得ない。なぜならば、この「地方自治特別法」であるか否かは前述のように立法府である「国会」が決定するわけであり、国会は、ある法律が特定の地方公共団体に特に不利益を与えるような(内容の)ものであると判断したときは、当該地方公共団体の住民投票にかけて住民の意思を問うこととするのであり、そのような性質の「法律」が「地方自治特別法」であるというわけである。しかし、本来、ある「法律」が特定の地方公共団体に特に不利益を与えるようなものであると国会が判断したならば、国民の代表者で構成する「国会」は、その法律(案)の是非を住民に問うよりも前に、その法律案の国会審議の過程において、そのような不利益を解消すべく当該法律案の廃止又は修正を行うべきなのであり、まさにそのような権限を有し、職責を負っている国家機関が立法府たる「国会」なのではないのか。そしてこのような「立法府」に与えられた「権限と責務」があるにもかかわらず、その法律の是非を「住民投票」に付するということは、一見、民主主義の極みである「直接民主主義」の実現のようではあるが、むしろこの「直接民主主義」という美名の下に「立法」の最終的責任を当該地方公共団体の住民に委棄してしまうわけであり、これは立法府たる「国会」の責任回避と考えることができるのではなかろうか。はたして、このような考慮が働いたことが大きな要因となったか否かはわからないが、この「地方自治特別法」は、前述のように昭和二十七年に公布された法律を最後に、今日に至るまで五十五年間制定されていないのである。そうなると、この根拠である憲法第九十五条の規定は「死文化」したものと考えられるのである。憲法改正に際しては、この点を十分に考慮すべきではなかろうか。
なお、前述の宮沢教授の説くように、ある法律が「一の地方公共団体のみ適用される特別法」であるかどうかの客観的な基準がないとされるのは正にその通りであって、例えば、以下に掲げる法律なども、ある意味ではこの「地方自治特別法」としても良いのではないかと思われるのであるが、実際には、「地方自治特別法」とはされなかったものである。
北海道開発法(昭和二十五年法律第百二十六号)
奄美群島振興開発特別措置法(昭和二十九年法律第百八十九号)
首都圏整備法(昭和三十一年法律第八十三号)
首都圏の既成市街地における工業等の制限に関する法律(昭和三十四年法律第十七号)
近畿圏整備法(昭和三十八年法律第百二十九号)
古都における歴史的風土の保存に関する特別措置法(昭和四十一年法律第一号)(注)
首都圏近郊緑地保存法(昭和四十一年法律第百一号)
筑波研究学園都市建設法(昭和四十五年法律第七十三号)
沖縄振興開発特別措置法(昭和四十六年法律第百三十一号)
明日香村における歴史的風土の保存及び生活環境の整備等に関する特別措置法(昭和五十五年法律第六十号)
さらに言えば、前掲の「地方自治特別法」は、政府提出の法律(閣法)は皆無であり、すべてが議員立法であり、その議員立法のうち、7)「旧軍港市転換法」が参議院議員提出の法律である以外はすべて衆議院議員提出の法律である。これは、国会で制定される法律の件数の約九割を占めるのが政府提出法(閣法)である中にあって、政府提出法案としての「地方自治特別法(案)」が絶無であるということは極めて希有な事態である。この「政府提出の法律(閣法)」と「議員立法」との相違の一として、一般的に「議員立法」は「閣法」と比べて法律案の審議制定過程が極めて円滑であることが挙げられる。事実、最初の「地方自治特別法」である1)「広島平和記念都市建設法」及び2)「長崎国際文化都市建設法」はいずれも、衆参両議院の法律案を付託された委員会のその審査が省略されて、直ちに各議院の本会議議決となっている。
(注)この法律で「古都」とは、京都市、奈良市、鎌倉市及び「政令で定める古都」として、天理市、橿原市、桜井市、奈良県生駒郡斑鳩町、奈良県高市郡明日香村をいう。
第百十四条について
本条は、憲法第九十六条の「憲法改正規定」に相当するものであるが、現行憲法では、憲法改正のための国会の発議には「各議院の総議員の三分の二以上の賛成で」とあるのを「各議院の総議員の過半数の賛成で」というようにその要件を緩和している。この点はよいとして、第二項では「国会の発議において、各議院の総議員の三分の二以上の賛成があったときは、国民の承認があったものとみなされる。」という規定を新設しているが、これは問題である。しかもこれは根本的な問題なのであり、なぜ、国民投票の制度を設けるのかという観点が本項のような規定の内容からは伺われない。現行憲法第九十六条の定める「憲法改正の国民投票」はこのような最重要問題については主権者である「国民の意思」が最終かつ最高であることを明言したものとなっているのであるが、本改正草案においては、この点が欠けているのである。なぜならば、憲法改正をするための国会の発議につき、憲法改正に対する国会議員の賛成が一定数以上であるか否かによって「国民投票」の要否が左右されるという制度だからである。
つまり、このような「第二項」の規定内容であるとすると、本改正草案の立案者の意図するところは、憲法改正を発議するための国会の議決が「各議院の過半数の賛成」では「国会」限りで憲法改正を最終的に決定することは「心許ない」から「国民投票」にかけて国民の意思を確かめたい、しかし、「憲法改正の発議」について「各議院の総議員の三分の二以上の賛成」というような「特別多数決の賛成」であるならば、「国会」は自信を持って、もうこれでは敢えて「国民投票」にかけて「国民の意思」を問うまでもないことである、と言わんばかりの規定のように思われるのである。憲法改正の発議者である「国会」は「憲法改正」についての賛成又は反対の意思を決定し、国会の意思が憲法改正に賛成であるとなれば、「主権者」である「国民の意思」を問うという必要があるという意味で「国民投票」を行うわけであり、「憲法改正」という根本的な最重要事項については「代表民主主義」の原則の例外として、主権者たる国民が直接、最終的な意思決定をする「直接民主主義」の発現の場を保障することとしたのがこの「国民投票制度」であると考えるべきである。従って、「憲法改正に対する賛成」が「三分の二以上」か否かによって「国民投票」の要否が決せられるという制度では、この「国民投票」をどのように考えているのであろうか。
以上の理由から、この第二項は削除すべきではなかろうか。
第百十五条について
本条は、憲法第九十八条を引き写したものであるが、第一項では現行憲法第九十八条第一項と異なり新たに「条約」を加え、一方では「詔勅」を削っている。この点は良いとして、憲法の条規に反することが問題とされる法規範を「条約、法律、命令」に限定するような表現は適切ではないと考えられる。ここで「命令」とあることについては、これは行政機関の制定する法規範を意味するわけであるから、「政令、内閣府令、省令、行政委員会規則」等がこれに該当するわけであり、これらが憲法の条規に反するときはその効力は否定されることは明白であるが、それでは、この「命令」に包含されない法規範である「衆議院規則」、「参議院規則」、「憲法裁判所規則」(本改正草案第九十七条)、「最高裁判所規則」(同草案第八十九条)及び地方公共団体の議会の制定する「条例」、地方公共団体の長の制定する「規則」などの場合はどうなるのであろうか。おそらくこれらの「法規範」についても憲法の条規に違反すれば当然その効力は否定されるものと本改正草案の立案者は考えていると推測されるから、それならば、これらを含めて広く法規範を包含する表現が必要なのではなかろうか。
このような点を勘案して、本条第一項は、「この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する条約、法律、命令その他の法規及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。」と規定すべきではなかろうか。
次に、本条第二項については格別の問題はない。
第百十六条について
本条は、憲法第九十九条の引き写しであるが、憲法ではこの「憲法尊重擁護義務」を負うべき代表的な公務員の例示として「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官」を挙げているのに対して、「内閣総理大臣」を追加している。これは本改正草案では「執行権(行政権)」が「内閣」ではなく「内閣総理大臣」としたこと(同草案第七十五条)によるのであろうか。しかし、このように具体的に規定するとなると、「衆議院議長」、「参議院議長」、「憲法裁判所の長」あるいは「最高裁判所の長」等も列挙しなければならないように思われるのである。ところで、ここで「摂政」を例示として挙げるのであれば、本改正草案第七条第二項に規定する「国事に関する行為を委任する」ことによるその「受任者」、つまりこれは「国事行為の臨時代行に関する法律(昭和三十九年法律第八十三号)」に規定する「国事行為の臨時代行者」を指すこととなるのであるが、この者をも例示として掲げるべきである。さらに、第百十六条の表現は(これは現行憲法の場合も同様であるが)「天皇または摂政及び国務大臣・・・」とあり、ここで「または」という選択的接続詞を用いていることは誤りである。本条は、憲法尊重擁護義務を負う公務員の代表的なものを例示的に列挙しているわけであるから、並列的接続詞である「及び」でなければならない。また、これらの代表的な国家公務員の配列の順序では、国民主権の下にあっては、当然に国民の代表者である「国会議員」(立法府の構成員)が行政府の構成員である「国務大臣」よりも上位であるべきである。このような点を勘案して、本条は「天皇、摂政、国事行為の臨時代行者、国会議員、内閣総理大臣及び裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う。」と規定すべきである(注)。
(注)本改正草案では、「執政権(行政権)」は「内閣」ではなく「内閣総理大臣」に専属するのであるから、このため、その内閣総理大臣の「補助機関」に過ぎない地位となってしまう「国務大臣」は本条に掲げる必要はないと思われる。
参考文献
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