−初期段階的考察− |
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発勁とは? |
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近年あまりに中国拳法より出て有名になり、もはや手垢が付きすぎた感のある発勁という技術に付いて、あえて今回取り上げてようと思う。 これは、発勁という技術が知らぬ間に日本武術でも頻繁に取り上げられたり、また中国拳法を愛好している者でさえ、もはやその技術が本来空手やボクシングの突き方とどのように異なっているのか、具体的な指摘がしっかりできるのか怪しいような現状を鑑みてのものである。 但し、小生自身日本で紹介されたいわゆる中国拳法しか学んでこなかった為、その技術には偏りがあることを最初にお断りしておく。あくまで今回の発勁の技術論は、小生が学んだ八極拳の門派における技術であり、全てを総括するものではないのでそこの所は重々承知の上での情報取捨選択は読者にお任せしたい。 さて、発勁という言葉を最初にこの日本に紹介したのが、中国武術研究家の松田隆智氏であったと小生は記憶している。 紹介当時、この力を使うこと無く相手を打つ打撃法は、多くの日本武術家の興味を惹いた。その発勁と一般的な力の差異を表現した有名な言葉に「普通の力は雑巾をびりびりと破るような力で、発勁は雑巾を一瞬でぶつりと引きちぎるような力である」とも紹介された。 当然、当時の中国大陸とのほとんど国交の無い状態の日本においては、中国拳法を正式に教える道場のようなものの存在はほとんど無く、多くの人が中国拳法そのもを目にする機会が希な状況であり、まさに中国拳法は神秘の武術であったといえよう。また、今に伝わる当時の笑い話として、その頃中国拳法を指導していた道場の先生が、生徒から「発勁とは何か?」と尋ねられて「発勁とは何だ?」と聞き返したというような話しを小生も何度か耳にした。(笑) この時代より、発勁という言葉は次第に武術家にとってのある種の万能薬的な存在へと引き上げられており、発勁さへ習得することができれば、己が武術修行の夢が全てかなうといったような、一種の宗教的妄信すら生み出していた。 ちなみに、発勁という存在がある程度科学的に解明され、また寸勁などもTV&ビデオなどの動く映像として度々目にする機会が増えた現在、発勁への神秘的憧憬は去ったといえるが、代わりに合気にその矛先が向けられているのは、誠に世の常人の常といわざるを得ない。 |
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最初の発勁定義 |
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この日本における発勁の初期の頃の定義が一体どのようになされたのか、少しタイムトリップして再確認してみよう。 まず小生の手元には、昭和48年刊のサンポウブックス太極拳入門(松田隆智著)があるので、この書籍の発勁の部分を紹介した個所を一部抜き出してみよう。 『多くの勁の用い方のなかで、もっとも秘密にされているのが発勁である。 発勁は敵を打つ時全身の力を一気に出す方法であるが呼吸の爆発による内面の方法と姿勢動作によって一点に力を打ち出す外面の方法があり、その内外の力を一致させる方法である。(中略) 発勁における勁は力と非常に似ているが、勁と力は同じものではない。一例をあげると、陸上競技における走り高跳びの助走は力であり、飛び上がるための“踏み切り”が勁である。(後略)』以上、同書 P196 3 発勁より この後、動作における発勁の基本と呼吸法による発勁の基本が少しだけ触れられているのだが、当初に発表されてより27年ほど経つ現在において、みなさんはどのように受け取られたであろうか? 小生自身は、学んだ拳法がこの松田隆智氏系統の台湾武壇系であるため、比較的上手に発勁という技法を表現していると素直に思った。 また技術論とは直接関係ないのであるが、発勁の技術は秘密に伝承されているかどうか、といった最近一部で話題となったことであるが、仮に松田氏が台湾武壇を訪れること無く、こういった発勁という技術そのものを紹介しなければ、日本武術界においてもこれほどの発勁という概念の普及はなかったであろうし、また当時の松田氏が接触した中国武術家は、発勁の本質的な技術を容易には伝えなかった事は事実の様であるから、十分に秘匿性はあったといえるのではないかと小生は考えるものである。(発勁の基本を初期の頃から練習するのは、ある意味当たり前であり、問題は同じように練習していても、師の教える内容により次第に大きな差が付くことにある。) さて、話しを元に戻して松田氏の発勁の紹介文内で「発勁は敵を打つ時全身の力を一気に出す方法」とされている。 この後、呼吸と動作の一致のことが書かれているが、他の武術やボクシングなどから見ても、さして特別な定義ではない様に小生は思える。ここの所の解釈が、現在に至る「発勁とは、何も中国北派拳術に限るものではない」といったような誤解を招くようになった大きな要因であろう。 つまり、空手にしろボクシングにしろ、また同じ中国拳法でも南拳などは、特別にこの事を強調する訳ではないが、全身の運動をそれぞれの流儀に合わせた形で統一・集中して、大抵その上に呼気を付け加えたスタイルで打ち出されるものであり、何も北派中国拳法がことさらに、発勁という言葉を付与して強調する必要も無いというわけである。 ここでさらに拘り続けると、まるで言葉の遊びのようになってくるのであるが、こういった諸処の武術(格闘技)の拳技との混同を解消するには「発勁とは敵を打つ時全身の力を一気に出す方法」という文章中に「打つ時『北派中国拳法独特の錬功により得られた』全身の力〜」と一文を加えた方が良く、また更に正確をきすなら「北派中国拳法」を「台湾武壇拳法」にしたほうが、本来ならより適確といえるかもしれない。 このように小生がこの「発勁」という言葉に拘り、ここで話題にするのは、発勁とは本来中国拳法の錬功により得られる打撃技術のことであり、ボクシングのグローブを着用した状態で研究されたパンチを、伝統的な空手家がボクシングを学ばなければ会得する可能性が無い様に(またその逆に、ボクサーが空手的な突き技を知ることが無い様に)、北派中国拳法も非常に独特の技術の運用であるということを強調して述べたい。 もちろん、小生自身浅学の輩な為、この武壇に伝承される北派拳術とまったく同じような力の出し方が他にも存在するのかもしれないが、それはあくまで例外ということで、今回松田隆智氏が本来の発勁として定義したかったであろう、武壇八極拳における基本技冲捶における発勁法を取り上げる。 |
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太極拳入門 :サンポウブックス/松田隆智著 昭和48年6月20日初版発行 ¥550− 台湾に伝わる杜毓鐸系の陳家太極拳簡易式を紹介。 技術論と合わせてその歴史なども紹介されているが、現在においては幾つかの訂正が必要であろう。 ただし、その技術論は秘伝的なものも含まれていて現在においても興味深い。 尚、姉妹紙に「少林拳入門」があるが、ともに絶版である。 |
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武壇八極拳・冲捶 |
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武壇における八極拳は、通常把式などの錬功や馬弓捶など、定歩における錬功を終えた後に移動稽古に入る。 冲捶は、正式名を馬歩衝捶と呼び、冲の字は中国語で衝突するという意味である。 馬歩衝捶 @ 蹲式になる。 A 左手を立てる。 B 左足を震脚して、 C 大きく右足を踏み出す。 D 着地しながら馬歩になりつつ右拳を打ち出す。 冲捶の練習過程は、まず指導者の模倣に始まり、筋力の増加と共に安定して演じられるようになり、次第に豪快になっていく。 次に一転して静の段階になり、一打一打に呼吸法を合わせて、蓄勁はカタツムリのようにゆっくりと行い内功を練る。最後には提籠換歩を加えて、死歩より闊歩に至りより実戦的な練習をしていくことになる。 さて、この時用いられる発勁の解説に入ろう。 |
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蓄勁段階 @ まず蹲式になり、気を丹田に落とす(気沈丹田)と共に、左右の身体のバランスを調節する。(二目平視・沈肩墜肘・尾呂中正・虚領頂勁・立身中正) A 次に、身体を真ん中で割るような動きをしながら、左腕を徐々に曲げながら正面に上げていく。これに合わせて重心を右足に移していき、逆に左足をつま先立ちにする。 (意守丹田・虚実分明・三尖相照) *ここまでにおいては、発勁を行うための準備動作であり、各種の姿勢の要訣が守られることによりその後の体の運用法が効果的に打撃へと転嫁される。 |
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発勁段階 B 瞬間的に沈身すると共に左足を落下させて、体内の重さによるエネルギーを一旦地面より地球に送る。(震脚) この時の感覚は、身体の中からエレベーターが足の裏より抜け出て、一気に地球の中心に向かうような感じである。 この結果として、足を強く踏み鳴らす震脚が起こる訳であるが、震脚をしてすぐに飛び出す訳ではなく、この時必要なのは身体の重さが上手に体を抜け落ちて蓄積されることであり、また一旦右側に預けた体の重さを上手く誘導する必要がある。 C 地面からの反発力を活かして、一気に右足を進めてその運動の頂点で爆発呼吸を行う。(内外相合・用意不要力・一気呵成) さて、この足底から抜け落ちたエネルギーは、単純に地面を蹴る反発力とは異なるように小生は感じる。 他の拳術の馬歩捶などでは、割とこの地面との反発を単純に使用しているのであるが、人体というものの特性はやはり水に近いのか、八極拳の冲捶は、まるで地球から返ってきた波紋をその威力の源にしているような感がある。もちろんこれも、ある種の反発力である事は間違いないのであるが さて、爆発呼吸に関しては、冲捶は胸部で行う。この下方より登ってきた力を、今度は腹部の横隔膜の運動によって更に反発力を得るのである。 これは、通常の他の武術の突き技が呼気による伸筋の伸張力を上手に働かせることを主眼にしているのに対して、八極拳では重力に対する反発力を更に踏み台にして横隔膜を打ち当て、その反発力を拳打に利用するものである。(伸筋抜骨) 例えとしては、ロケットを打ち上げるのに第一段階の噴射後、更に第二エンジンを点火し加速を得るようなものといえよう。 D 右爪先が地面に付くか付かないかというぎりぎりの状態が、この技の頂点であり正確にはこの時爆発呼吸を行いながら腰を左に切り始める。次いで、その腰のベクトルを上手く右手に伝えながら右拳を伸ばしていき、右足も腰の動きに合わせて内旋させつつ着地しながら震脚する。(纏絲勁) この腰の動きも、下方よりの反発力を加速させるものであり、爆発呼吸は更にこの腰の動きを早める効果もある。 八極拳の特徴は、体を相手に半身になるまで切ってしまうことである。 これは実際に敵体に触れるまでは、腰は正面を向いたままであり拳が触れてから始めて腰を切り始めることになる。その結果、ボクシングや空手よりも相手に当たってからの力積と呼ばれるエネルギーのトルクが大きくなり、特色の高い打撃となっているといえよう。 この腰の回転を上手く合わせることができなければ、打撃力は激減してしまうのだが、これを見様見真似で行っても、見た目よりも遥かに精妙なその動きは、纏絲勁と呼ばれる技術による整勁が不可欠であり、この纏絲勁により始めて全身に起こった数々の運動を拳打に集約することが可能となるのである。 |
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これら初歩の段階の幾つかの過程を長年の錬功により短くしたり、一部を増強して同じような効果を得ることができるようになったもの。