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ティッシュを配ることになった発端、森宏さん
日本人は世界一ティッシュペーパーを使うらしい。その量は一人年間4kg(※)。
たとえば街頭でポケットティッシュを配っているがあれは日本だけなんだそうだ。あれを考えたのは高知県の明星産商という会社。 この会社でポケットティッシュについてきけるだけきいてきた。 (※『おもしろサイエンス 紙の科学』日刊工業新聞社 によると) > 個人サイト Twitter(@ohkitashigeto) ティッシュはそもそも毒ガスを防いでいたポケットティッシュの前には当然ティッシュがある(そしてポケットも!)。ティッシュは第一次世界大戦で脱脂綿のかわりに開発され、ガスマスクのフィルターにも使われたらしい。
ティッシュで毒ガス防げるのか? とも思うがちゃんと普及してその後昭和28年、国内でもティッシュの生産を開始。以降、大手がアメリカの会社と提携して参入したりして普及がすすむ。 そして昭和43年ポケットティッシュの製造機械を森宏氏が社長をつとめる明星産商が開発。氏は20数年前に他界され、お孫さんにあたる工場長の森さんと会社の一番の古株の井上さんに話をうかがった。 明星産商の富士宮にある工場に話をききにいった
ポケットティッシュは誰が考えたのか――ポケットティッシュを発明したのがここなんですか?
森「正確にはポケットティッシュ製造機と販促物としてのポケットティッシュですね。 当時の販促物としてはマッチが主流だったときいてます。ところが100円ライターが登場してマッチ自体もだいぶ下火になりつつあった。 そういうところに目をつけた祖父はこのティッシュを同じような用途で使えると考えたんじゃないかなと。 そして販促物として世に大きく広げるなら人手じゃ追いつかないので機械化を、と。その両輪でスタートしたようです」 ――ポケットティッシュ自体はあったんですか? 森「あったと思いますよ。ただ当時の資料がないのでどこが最初かは。 それまではポケットティッシュに代わるものというと、京花紙(ちり紙の一種)を持ち歩いていたみたいですね」 井上「当時はポケットティッシュは、内職でね、手作業で入れてたんです。まずいちばん最初は京花紙で、そのあとポケットティッシュと平行してあって」 工場長の森健司さん。ポケットティッシュを考えた森宏氏のお孫さんにあたる
最初のポケットティッシュに零戦の技術が――ティッシュをタダで配ろうってよく考えましたね
森「元々製紙会社で営業として働いていたようですね。そのときに会社に提案したようなんですけど、製紙だから加工はやらないと。それで独立したようです。 ああでもないこうでもないと、これくらいの破片をもってどうやって折ろうかと家で祖父が悩んでた記憶はある、と父がいってましたね」 ――機械自体も自分で作るんですか? 森「機械の素養はないですが、片腕になる技術の人がいたんじゃないかと。 ポケットティッシュの機械を祖父と一緒に発明したような人は元々零戦を作ってたなんて話をちらっと聞いたことがあります」 第一次大戦中の脱脂綿代わりに米軍が開発したのがティッシュのはじまりらしい。そしてポケットティッシュを作ったのが零戦を作ってた人だとは。(当時の機械できる人はみんな零戦作ってたのかもしれませんが) ティッシュの背景、こんなにスケールでかいのか。こんなにでかくていいのか、ティッシュは。 最初のころの新聞広告「マッチにかわるフレッシュなPRサービス用品!!」
一人のおっちゃんが描いたポケットティッシュの未来森「うちの会社を立ち上げるにあたって、こういうものをサンプルに持ち歩きながら日本中の紙問屋さんをまわって販促活動をしておったんですけど、そのときの案内文がこちらになりますね。
その当時から街中で配られることを夢に描いていたのかなあと一部読み取れたりしますけど」 「買うものではなく貰うもの……の時代が到来」って実際そうなってるのがすごい。思い描いた未来がやってくるのってどんな気持ちなのだろう。 宣伝用としてのティッシュはすでにあったようだ。「やがて、これらの家庭紙はマッチと同じように買うものではなく、貰うもの……の時代が到来することでありましょう。」実際にそうなってるのがすごい。
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