■とうとう派閥争いで確執が爆発
06年のトリノ五輪で2派閥の看板選手だった安賢洙とチン・ソンユが男女で3冠に輝き、韓国ショートトラック界の派閥争い問題は覆い隠されてしまったかのように見えた。ところがその2カ月後、米国で行われた世界選手権からの帰国の途中で、これまでの確執が爆発した。安賢洙の父アン・ギウォンさん(57)は仁川国際空港で「男子チームの選手たちとコーチが示し合わせて息子の邪魔をした」と大韓スケート連盟関係者ともみ合ったのだ。
2007年12月、安賢洙は3年間で5億ウォン(現在のレートで約4800万円)という特別待遇で城南市庁のチームに入団した。父アン・ギウォンさんはあるメディアのインタビューで「C教授は息子の韓体大大学院進学を希望したが、息子は城南市庁チームに入団するため、これを断った。それ以降ずっと不利益を受けてきた」と主張した。
安賢洙は1カ月後、練習中にフェンスに激突して膝をひどく痛めた。4回も手術を受けたため、バンクーバー五輪の出場権が懸かった09年代表選抜戦では7位に終わった。
10年の代表選抜戦(第1戦-第3戦)は4月ではなく9-10月に行われた。大韓スケート連盟が八百長の波紋を収拾するとの理由で選抜日程を先送りしたのだ。このとき、5月に基礎軍事訓練を受ける予定だった安賢洙は「1年間かけて4月の代表選抜戦を目標に体を作ってきたが、あぜんとした」と語り、日程延期を撤回してほしいという嘆願書を提出した。
■「一人の人物が大韓スケート連盟を牛耳っている」
10年12月にイ・ジェミョン城南市長が突然、市スポーツチーム整理に着手し、スケートチームは解散になった。突如所属チームを失った安賢洙を受け入れるチームは韓国になかった。安賢洙は無所属で出場した11年の代表選抜戦で5位に終わった。そうした時、ソチ五輪に向けて各種目で選手育成に力を入れていたロシア・スケート連盟が国籍取得を提案してきた。
ロシア・スケート連盟は安賢洙に1億ウォン(約960万円)の年俸や将来のコーチ職確保などの条件を提示した。安賢洙は11年8月の国際大会入賞により月払いで受け取っていた年金を一括払い(4800万ウォン=約460万円)で受け取るなどしてロシア国籍取得手続きを進め、12月にロシアのパスポートを手にした。新しい名前「ビクトール・アン」はロシアのロック音楽界で伝説といわれる高麗人(朝鮮系ロシア人)3世ビクトール・チェ(1962-90年)のように、ロシアで「韓国」といえばすぐに思い浮かぶような人物になりたいという願いを込めて付けた名前だ。
安賢洙が去った韓国ショートトラック界では、今も派閥争いが深刻なのだろうか。最近のインタビューで「今は派閥が少しなくなってきている」と語ったアン・ギウォンさんだが「問題はコーチ選任や代表選抜方法など、連盟のあらゆる過程を一人の人物が独占していること」と指摘した。五輪前、アジア・スケート連盟のチャン・ミョンヒ会長(82)などの元老たちは「連盟執行部でC副会長が帝王のような権力を振りかざしている」と強い調子で語った。